1-2 王立学園①
王都までいくつかの領地を通過して、今は最寄りの街を出発して馬車に揺られている。手元の本から視線を上げ、幌馬車の後部から過ぎゆく景色をぼうっと眺める。
王立学園には、アンが入学する騎士科以外に魔術科と貴族科がある。
騎士科は騎士や兵士を志望する者が所属する。志望した全員が入学出来るわけではなく、騎士のエリートコースにあたるため実技試験での合格が必要になる。騎士科はほぼ男子で占められており、女子が入学することは大変稀である。実力があれば平民でも入学することが出来るが、継承権を持たない貴族の次男や三男といった者も多く所属している。
魔術科は魔力を持つ者は無条件で入学することが出来る。国内で魔力を保持する者の大半は貴族であるが、平民でも魔力を持つ者は少数ながら存在する。魔力を保持していること自体が希少であるため、魔力を持つ者は平民でも入学することが可能となっている。そのため、魔術科は貴族と平民が入り混じっているが、魔術に傾倒する貴族の子息が多いため、身分の違いよりも魔術への理解度を尺度にする者たちが多い。王立学園のある都市に住んでいる場合は、その都市の学園に入学することが基本となっているが、学園の無い領地や特別魔力が強い場合は希望する学園に入学することが出来る。しかし、そういった場合はたいてい王都の王立学園に入学することが多い。
貴族科は、完全に貴族しか所属しない。貴族科の主な目的は、貴族特有の交流や交友関係を拡げることとしている。卒業後に王宮勤めを希望する者も多いため、王宮勤めに有利となる授業が多くなっている。また、魔力を保持しているが魔術科を希望しない貴族もこちらの所属となる。しかし、魔力の扱いや魔術の基礎知識について学ぶために、騎士科と貴族科でも魔術の授業はある。
アンを乗せた幌馬車が停留所に到着した。アンは荷物を握り、学園の方向へと歩き始めた。
王立学園は王都の北東部に位置している。王都東部に広がる平民街の建物の高さが低いため、王立学園の特徴的な山型の屋根が覗いている。入学試験のために訪れたことがあったため、アンは迷わず王立学園への道を進む。
平民街側の門の門番に合格通知書を見せ、学園内に入る。学園には寮があり、アンは今日から寮に住むことになっていた。門番に教えられた方に向かうと、レンガ作りの大きな建物が建っていた。男子と女子で寮は分かれており、対称的に並んでいる。校舎に近い左手が女子寮だと言われていたので、そちらの建物に入る。入ると目の前はロビーとなっており、いくつかのソファとテーブルが置かれていた。入り口の脇には、ガラス張りの管理人室があり、中には女性が一人座っていた。
「あなた、新入生?」
キョロキョロと周りを見回していたアンに気付いた管理人の女性がガラス窓を開けて声を掛けてきた。
「はい、騎士科に入学しますアン・ローレンヌと申します」
「あぁ、あなたがローレンヌさんね。お話は伺っているわ」
女性に近付いたアンは持っていた合格通知書を見せて、名乗った。
「私は女子寮の管理人のロアンナよ。これからよろしくね」
よろしくお願いします、とアンは会釈した。ロアンナは柔らかな笑みを浮かべると、寮のフロアガイドを出して、建物の説明と規則について説明した。
「今日から食堂は利用していいけれど、寮に残っている上級生にも貴族がいるから、声を掛けられるまでは話し掛けないようにね」
自分から進んで貴族に声を掛けるつもりはなかったので、アンは頷いた。貴族のルールには、格上に自分から話し掛けてはいけないというものがあるが、平民でも知らない者が多いため、過去にトラブルがあったのだという。学園に入学してしまえば、王族や侯爵以上の高位貴族が相手でない限りはあまり気にされることはないそうだ。
「ローレンヌさんの部屋は三階の三〇一号室よ。夕食は、夕刻の鐘が鳴ってからだから、それまではゆっくりしていてね」
ロアンナにお礼を言い、階段を上がって自室に入った。部屋にはシングルベッド、机と椅子、天井までの本棚、クローゼットが備え付けてある。アンは荷物を解くと、旅の汚れを落とすため、着替えとタオルを持つと大浴場に向かった。
時間が早かったためか、大浴場には先客はいなかった。備え付けのタオルも置いてあり、共有のタオルを使用することを気にしないようなら利用して良いみたいなので、今度は備え付けのタオルを使おうと思った。
大浴場は、壁面に仕切られた洗い場が並び、奥に大きなタイル張りの湯船がある。孤児院にも大浴場はあったが、ここまで大きくはなかった。女子寮のためか、大浴場には窓がなかったので少し閉塞感はあるものの、広いため圧迫感は無かった。本来なら窓があるはずの壁には、建国の伝説についての絵画が描かれている。
洗い場には固形石鹸の他にも液体石鹸の入ったボトルが何本も置いてあり、さすが王都の王立学園だと感心した。髪を留めていた紐を解いて手首に巻き、湯を頭からかぶった。頭から洗おうとしたアンはそこで固まった。孤児院では安価な固形石鹸しか無く、全身を固形石鹸で洗っていた。しかし、せっかく液体石鹸が置いてあるので使ってみようかと思ったが、ボトルが何本も置いてあり、それぞれの違いが分からなかった。試しに出してみれば分かるかと思ったが、使わずに流すことになると勿体無いので、使い慣れた固形石鹸で全身を洗うことにした。
固形石鹸に手を擦り付けると泡立ったことにアンは感心した。同じ固形石鹸でも、孤児院で使っていた最安値のものと、貴族も使用する学園の固形石鹸ではランクが大きく異なる。
アンは泡立つ固形石鹸に嬉しくなって、大量の泡を作ると、だいぶ痛んでゴワゴワで膨らんでいる髪に馴染ませた。
「これだけ良い石鹸なら、髪も多少マシになると良いんだけれど……」
所々つっかえながら手櫛を通すように髪を洗う。また固形石鹸を泡立てて、そのまま顔も体も洗った。頭から湯をかけて泡を全て流し、長い髪を頭の上にまとめて括り、湯船に浸かった。湯船の淵にもたれかかり、伝説についての壁画をよく見てみると、色とりどりのモザイクタイルで描かれているようだった。近くでみると小さいモザイクタイルでは、絵と認識できず、カラフルなタイルの集まりに見える。しかし、浴場の入り口から見ると一枚の絵画のように見えるようになっている。趣向が凝らされていて、手間暇も費用も掛かっており、王都は格が違うなとアンは思った。
しばらく湯に浸かり体を温めていると、入り口の方から二人組の声が聞こえてきた。話し方から上級生なのだろう。砕けた話し方をしているため、身分は分からないが、入学前から関わりを持ちたく無かったアンは浴場を出ることにした。二人組が洗い場に行った気配を確認し、出入り口にそそくさと向かう。ちらりと洗い場の二人に目を向けると、片方の生徒と目が合ってしまったため、軽い会釈をして立ち去った。失礼に当たらなかったかと不安になったが、自分から話しかけずに立ち去るには最適ではないにしても正しかったのではないだろうか。
急いで体の水分を拭き取り、着替えて自室へと戻った。髪が長いので、タオルで髪をがしがしと拭いてあらかたの水分を落とす。その後、手のひらに魔力を流して、手の表面温度を上げ、髪を手櫛でといていく。こうすると髪が早く乾くので、孤児院にいたときからよく行っていた。特に冬場は髪が濡れたままだと風邪をひきやすくなるので、風呂上がりには孤児院の子供たち全員の頭を撫でて乾かしていた。
寮の個室で一人になると、急に孤児院の時の騒がしさが懐かしくなった。しんとした室内にいると、独り立ちしなければいけないという気持ちで胸がキュッと締まった。それでも、自分は騎士になりたいし、目指さねばならないと決意を新たに抱いた。