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1-1 出立

 グスターヴ王国は北部を山脈に囲まれ、南西部には海岸線のある国だ。周辺国に比べて建国の歴史は長いものの、国土が大きいわけでもないため、その歴史には幾度も戦争の苦い記憶が存在する。

 そのグスターヴ王国の南東部。広大な平原を生かして穀倉地帯として栄えている。しかし、隣国との国境でもあるため、戦争が起こりやすい領土でもあった。


 アン・ローレンヌは草むらに横たわり、木々の隙間から流れる白い雲を眺めていた。

 頬を撫でる草がくすぐったい。横たわった草原の土の匂いを胸いっぱいに吸い込み、大きく息を吐き出した。お腹に力を入れ、上体を起こした勢いのまま立ち上がった。

 冬が終わり、そろそろ春の気配を感じ始めた頃だ。

 泉を囲むように生えている木々の葉も青くなり始めている。小さな泉に陽が差して、水面がきらきらと光っている。背の低い花も風に揺れている。

 ここはアンのお気に入りの場所だった。一人になりたくなったときは、よくここに来ていた。それも、今日からしばらくは来られない。惜しむように、今日は見に来ようと思っていた。

 アンはこの後、王都に行く。

 よし、と気合を入れて、泉を背にした。すると、背中を後押しするように、泉から強い風が吹いてきた。振り返ると泉はいつものように光を反射していた。

「行ってくるよ」

 応援されている気がして、泉にそっと声をかけた。アンはもう振り向かないで、泉を後にした。


 孤児院に戻ると、庭で遊んでいた子供たちがアンに気付いて駆け寄ってきた。小さな子は膝にしがみついたが、五歳を超えた男の子たちは近くに来るだけだった。年頃になって成長したことが喜ばしいけれど、少し寂しかった。

「アンお姉ちゃん、王都に行っちゃうって本当?」

 膝にしがみついた少女がアンを見上げて、悲しげに眉を寄せた。

「そうよ、王立学園に行くの。この後すぐに行くから……」

 少女の頭を優しく撫でる。

「この後すぐ!?」

 出立の日を告げていなかったので、少女が驚くのも無理はなかった。もう会えないわけじゃないから、と慰める。少女はアンの足にぎゅっとしがみついた。

「アン姉ちゃんは騎士様になるんだよな?」

 近くに立っている少年が聞く。アンは少女を撫でながら、少年の方を向いた。

「騎士になれるかは分からないけれど、一応、学園の騎士科に入学するのよ」

 二ヶ月ほど前に行われた入学試験で合格し、合格通知書も届いたので、騎士科への入学は確定している。王都にある王立学園は王国内で最も名門なため、必然的に学園の騎士科は王国内で最難関となっている。他にも騎士科のある学園は第二都市と第三都市にも存在するが、アンは周囲の勧めで王都の王立学園を受験した。アン自身は王都の王立学園で通用するほどの実力があるとは思っていなかったので、合格通知書が届くまで合格するとは思っていなかった。

 アンは騎士になりたかったが、別に学園に通わなくても良いと思っていた。騎士になる方法は学園に入学する以外にも、騎士団に入団する方法がある。騎士団に入団した場合、見習いから始まるが、騎士の頂点の近衛騎士団までの道のりは果てしなく長い。しかし、学園の騎士科を卒業すると、各騎士団へ見習いとして配属される上に見習い期間が一年間と短く、出世も早い。必然的にエリートコースを進むことになる。また、騎士団に所属する以外にも、各領地お抱えの騎士団や兵士団、貴族専属の護衛として雇われる可能性もある。就職の選択肢が増えるため、騎士を目指す者はひとまず学園の入学試験を受けるのが通例であった。

 少年は「ふーん」と興味がなさそうに返事をしたが、アンは少年が騎士に憧れていることを知っていた。

「毎日鍛錬していれば、騎士になれるよ」

 アンは少年に微笑みかけた。

「でも、アン姉ちゃんがいないと相手になる奴がいねぇよ……」

「ビルがいるでしょう」

「そうだけどよ……」

 少年が不貞腐れたようにそっぽを向いた。アンは少年に何か励ますような言葉を言おうかと思ったが、気の利いた言葉を思いつけなかった。

「姉さん」

 仕方ないなと少年を見つめていたら、アンを呼ぶ声がした。庭に通じているドアから弟のビルとレイが出てくるところだった。

 上の弟のビルは十三歳。短く刈り上げた銀髪に、鋭い青い瞳。まだ少年の面影を残しているが、精悍な青年へと成長しそうな予感をさせる。少しぶっきらぼうなところがあるが、面倒見がいいことをアンは気付いていた。

 下の弟のレイは十歳。長めの金髪が目元を少し隠していて、くりくりとした青い瞳が前髪の隙間から覗いている。幼い頃は病弱だったため、線の細い儚い印象をしている。ビルと対照的に可愛らしい顔立ちのレイは、成長したら多くの女性を虜にしそうだ。しかし、引っ込み思案で人見知りなレイが女たらしになるとは思えなかったので、そこは安心していた。むしろ迫られて断れないのではないかと心配している。

 対するアンは、腰まである赤毛を無造作に頭頂部で一括りにしている。顔立ちは平均的で、どちらかというと愛らしいと言える程度であった。アンたち兄弟は髪の色こそ全員違うが、瞳の青は共通していた。

「姉さん、そろそろ出発の時間だろ?」

 ビルがアンにしがみついていた子供たちを引き剥がす。名残惜しそうにアンを見つめる子供たちに微笑んだ。

「馬車が行っちゃうよ……」

 レイもそっと付け足した。国境に近いこの村から王都への辻馬車は数日に一便しかない。王都まではニ〜三日間だが往復便で、天候によって掛かる日数が変わるので、今日を逃すと次はいつになるのか分からない。

 アンは頷いて、自室に荷物を取りに行った。すでに荷造りも部屋の掃除も終わっている。長い年月を過ごした部屋を懐かしむように、アンは目を細めた。

 孤児院の正面玄関に行くと、孤児院の先生や子供たちが全員集まっていた。

「みなさん、今までありがとうございました」

 アンは全員に向き直り、頭を下げた。

「王都でも頑張るのよ」

「長期休暇には帰っておいで」

「あなたなら大丈夫よ」

 先生たちは寂しそうに笑った。子供たちは口々にアンに「じゃあね」と言っている。

「それじゃあ、行ってきますね」

 アンは込み上げてくる感情を顔に出さないように笑うと、荷物を握り直して孤児院を出た。弟たちはアンを挟むように左右に並び、辻馬車のところまで送ってくれるそうだ。辻馬車は村の外れの王都に向かう道沿いにとまっている。村は大きくないため、街並みを眺めながら思い出話をしていたら、すぐに到着した。

「姉さん、これ、先生たちから」

 ビルから袋を受け取ったら、香ばしいパンの匂いがした。

「ありがとう」

「僕たちからは、これ……」

 レイが手のひらに載せてくれたものを見て、アンは目を見開いた。それは小さな石のついたネックレスだった。

「小さい石だけれど、兄様が光魔法を付与してくれたからお守りになると思う……」

「いつの間にしていたの……」

「気付かれたら意味ないから、気付いてなかったのなら良かったよ」

 ビルが頬を掻きながら目線を逸らした。

「そう、そうだったのね……。魔法付与も出来るようになっていたのね」

 アンはネックレスをじっと見つめた。

「ありがとう、大事に、いつも肌身離さず身につけるね」

 弟二人に微笑みかけると、レイははにかみ、ビルは照れ隠しのように「ん」と言って、アンの手からネックレスを拾い上げると後ろに回り、ネックレスを着けてくれた。

「二人とも、無茶しちゃ駄目よ」

 弟たちは素直に頷いた。

「先生の言うことも聞くのよ。休暇になったら帰ってくるけれど、手紙も送るから返事送ってね。それから……」

「姉さん、大丈夫だって。俺たちも大きくなったんだ。心配するようなことはないから、姉さんは気兼ねなく王都で頑張って」

 ビルの言葉に、レイも「でも、姉様も無理しないでね」と頷いている。アンは二人の弟の成長した姿に涙が溢れそうになったが笑って、弟たちの頭をがしがしと撫でて誤魔化した。

「それじゃ、行ってくるね!」

 アンは御者に頷いて、幌馬車に乗り込んだ。アンの他に乗っている人はいなかった。

 馬車がゆっくりと動き始めた。アンは二人に手を振った。弟たちも振り返してくれて、二人の姿が見えなくなるまでアンは手を振った。

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