1-17 魔法練習①
アンはこの日もいつもの時間に起床し、トレーニングと入浴をいつものように済ませた。
いつものように、と過ごしていたけれど、内心の高揚感は隠せていなかったようで、教室で会ったラルフに「今日は何か良いことがあるんですか?」と聞かれてしまった。
「私、顔に出ていましたか……?」
「少し表情が明るくて、雰囲気が嬉しそうな感じしただけですよ」
「フローリア様からは指摘されなかったんですが……」
「それは、優しさなんですかね……?」
朝一番に会った時のフローリアからは、慈愛のような微笑ましい視線で見られた気がするのを思い出した。あれは、優しさに入るのだろうか……。
「フローリア様から魔法を教えてもらえることになったんです」
「えっ、そうなんですか!? それは、すごく良い教師ですね!」
「たしか、フローリア様は魔法も魔術もとても上手だというお話でしたね」
「実は、それだけではないんです……。魔術団にも所属していて、大人に混ざっても優秀さは秀でているそうです……」
「そ、そうなんですか!?」
「……ただ、戦闘部署所属だそうで、攻撃魔法が特にお上手だそうです」
頑張ってください、とラルフから謎の励ましを貰い、新たに湧いてきた不安で高揚感が少し萎んでしまった。
放課後が近付くにつれて、そわそわとした落ち着かなさを持て余しながらもその日の授業を終えると、フローリアの教室へと向かった。
アンにすぐ気付いたフローリアは、いつもの令嬢達に挨拶をすると、ついて来るように促した。
「魔術科の演習場を使えるようにお願いしたから、そこに行きましょう」
「魔術科の演習場って、魔術科が魔術測定を行うところですか?」
「そうよ。それだけじゃなくて、魔術科が授業で使ったり、魔術大会前は練習のために放課後に開放されるのよ」
「そうなんですね。……魔術大会って何ですか?」
「初冬頃に行われる学園の二大会の内の一つよ。騎士科の見せ場と呼ばれる剣術大会と、魔術科や魔力がある学生が参加する魔術大会のことを言うわ。剣術大会は、王族や剣術に腕のある貴族も参加するけれど、主に騎士科の青田刈りになることが多いわ」
「そういう行事があるんですね……」
「騎士団は実力を求められるから、剣術大会で実績を残すと騎士団への入団もしやすくなるし、騎士団の特定の部署からスカウトが来ることもあるわ。だから、アンも剣術大会は頑張り所ね」
「わかりました」
「もちろん、剣術大会だけでなく、魔力があるから魔術大会に参加することも出来るわ。わたくしも参加するから、アンが出場して対戦することになったら楽しみね!」
「あ、あはは……」
フローリアが心底楽しみだと満面の笑みで言うが、話で聞くフローリアの実力は大人顔負けらしいので、対戦することにならないことをアンは祈った。
フローリアの話を聞いている間に、魔術演習場に到着した。
魔術演習場は学園の北東の端に位置する。薬草園より北に位置しており、アンは朝のランニングでもここまで来たことは無かった。
王都の外壁の一部が学園の塀になっているが、その塀より手前に校舎の三階までありそうな壁があり、演習場全体を四角に囲っている。囲い一辺には、囲いより背の低い的の書かれた壁がある。
「この演習場には結界が張ってあって、たいていの魔術や魔法は無効化されて、演習場の外に出ることは無いわ。だから、たいていの学生は安心して練習が出来るわ」
「……たいていというのは、どのくらいのことを言うんですか?」
「魔力量が十の人が最大出力で攻撃魔法をぶつけたり、結界の根本になっている光魔法と相反する闇魔法を全力でぶつけたりすれば貫通するわ」
それってあなたのことじゃないですか、とアンは思ったが苦笑いに留めておいた。
「魔術団の最高峰の光魔法の使い手が設置したので、そうそう壊れることは無いわ」
だから安心して最大出力を出してね、とウインクされた。
「とはいっても、魔法を使う感覚も分からないでしょうから、まずは魔法発動の仕方を説明するわ」
フローリアは人差し指を立てると「『小さい』『火』」と唱え、指先に小さな火を出現させた。
「魔法の発動で大事なことは、発動させたい魔法のイメージを持つことと、そのイメージをしやすい単語を詠唱することよ。今の場合は、小さい火を指先に出したかったから、指先に出したイメージをしながら『小さい』『火』と唱えたの」
フローリアは指先を振って、小さな火を消した。
「わたくしはこの魔法をあまり使うことはないから、具体的に指定する単語を言ったけれど、よく使う魔法や規模の場合は自分が使いやすい言葉を決めることが多いわ。リンゴと聞けば、多くの人が赤くて丸いことがイメージ出来るように、この言葉なら自分はこれをイメージするというように決めておくと、いざというときの魔法発動スピードが上がるのよ」
こんな感じにね、とフローリアは「えい!」と指を振って、的に雷の攻撃魔法を当てた。雷撃を受けた的から轟音が響き渡り、土埃が舞い上がる。
的の壁が壊れたんじゃないかと、アンは冷や冷やとしながら見ていたが、的は少し色あせた程度だった。
「今のは詠唱というよりは無詠唱に近いけれど、いざというときに役立つから、アンもこのくらい出来るようになると良いわ」
「……何年掛かるんでしょう」
「わたくしが五歳のときには出来ていたから、二年くらいかしら?」
それはあなたが規格外でしょう……、とアンは遠い目をした。
「アンは火と光の魔法属性があったわね。火の適性の方が高いから、まずは火魔法で魔法を使う感覚を覚えてから光魔法を覚えていきましょう」
「はい!」
「それじゃあ、とりあえず自分の最大出力で火魔法を使ってみて? 火の玉を的に向かってぶつけるイメージをすると良いわ」
「わかりました」
アンは的を向いて、ふうと深呼吸した。火の玉を見たことはないけれど、燃えている松明の火が飛んでいくイメージを浮かべる。よし、と気合を入れて、手の平を的に向ける。
「ファイアーボール!」
アンの手の平から火の玉が出現した。しかし、そのサイズは片手に収まりそうで、的まで飛んでいくこともなく、演習場のわずかな草を燃やしている。
「あー」
フローリアが何とも言えないという表情で、水魔法で燃えている草を消火した。
アンはここにシャベルがあれば穴を掘って埋まりたいと思った。
「アン、気落ちなさらないで。誰しも最初はイメージ通りにならないものですし、火の玉は出現していたわ!」
珍しくフローリアが励ますように慰めてくれることが尚一層居た堪れなさを増す。
あ、あははと表情が抜け落ちた空笑いをしていると、演習場の扉が開く音がした。
「さっきの音はフローリア嬢だったのか」
振り返ると、濃紺の髪の男子学生が立っている。前髪は切り揃えられ、頭部の丸みが分かる丈で後ろも切り揃えられている。フレームが丸く薄い黒縁眼鏡の奥には、鋭く吊り上がった眼があり、瞳は金色だ。
「あら、シリルア様ではありませんか。ご機嫌よう」
フローリアが令嬢スマイルで返すが、シリルアと呼ばれた男子学生は「どうも」とだけ返した。
「こちらは、わたくしの護衛騎士のアン・ローレンヌですわ。アン、こちらは魔術科のレナンズ伯爵家長男のシリルア様ですわ」
「はじめまして。アン・ローレンヌと申します。ローレンヌは村の名前なので、アンとお呼びください」
「シリルア・レナンズだ。発音しにくいから、シリルと呼んでくれ。よろしく」
「わかりました」
アンが頷くと、シリルアはしげしげとアンを観察する。
「君が平民で魔法適性もあるのに騎士科に入ったという『赤毛のアン』か」
「え、そう呼ばれているんですか?」
「なんだ、知らないのか」
「そういうことは本人には言わないものでしてよ」
それもそうだな、とシリルアが返す。
「それで、君たちは何で演習場に? 的でも壊したくなったか」
「まさか! 先日壊してしまったので、今日は壊しませんわ」
フローリアが令嬢スマイルを崩さず返事をしているが、壊したことがあるのかとアンは思った。たぶん入学式翌日の体力測定のときに聞こえた轟音が、その破壊音だったのだろう。
「アンの魔法練習をすることになって、今日からしばらくは演習場を使うつもりですわ」
「なるほど、アン嬢は魔法適性があることも入学してから知ったという話だったな。そういうことか、見学していてもいいか?」
「もちろんですわ」
「え?」
フローリアがにこやかに返事をし、その令嬢スマイルのままアンに向き直ると、そっと耳打ちしてきた。
「レナンズ家は魔術や魔法の研究を代々されている家系で、その中でもシリルア様は『魔法狂い』と呼ばれるくらい魔法がお好きなのよ」
「そうなんですか」
「でも、ご本人には魔法適性が無いので、より一層魔法狂いに拍車が掛かっているというか……。ご覧になって、シリルア様の目付きを」
ちらっとシリルアを見ると、爛々と金の瞳が光っているのが離れていても分かった。
「魔法適性者が少ない分、魔法を目にする機会は逃したくないのでしょう」
「……分かりました」
初対面の人の目があると尚更緊張感は増すが、好意的な態度ではあるので拒否することは思い浮かばなかった。
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