1-15 丸洗い
「それでは、始めましょうか」
フローリアの合図に、控えていたメイドのうち三人がアンの周りを取り囲んだ。
アンは狼狽して周りのメイドを見回すが、慎ましやかな微笑を浮かべたメイドたちは何も言わない。一人のメイドがアンの手に持っていたカップをそっと取り上げ、一人のメイドが空いたアンの手を取って立ち上がらせる。簡単に振りほどける程度に手を取られただけなのに、逆らえない圧を感じる。
「いってらっしゃいませ」
ニコリと手を振るフローリアにメイドたちは一礼し、アンを部屋から連れ出した。
迷子になりそうな屋敷の中をメイドたちに連れられてやってきたのは浴場だった。以前、フローリアがタウンハウスの大浴場の話をしていたのは、ここのことだろう。学園の大浴場よりも遥かに広く、何人が入れるのか分からない湯舟には並々と湯が張られ、かぐわしい花の香りを漂わせている。
なぜ浴場に連れてこられたのか理解していないアンは、頭上に疑問符を浮かべている間に制服を剥かれ、気付いたら白いケープを掛けられて浴室の椅子に座らされていた。
「え、え?」
辺りを見回すように頭を動かそうとしたら、「動かないでください!」と背後のメイドに頭を挟まれた。
「ご自分で切られたと伺いましたが、あとは切り揃えれば良さそうですね」
「ルビーのように美しい御髪なのに、もったいない……」
「髪は……、ずいぶん傷んでおりますね」
「見ましたか、先ほどのしなやかな肢体を!」
「磨きあげろとのご指示でしたので、全身! くまなく! 磨き上げましょう!」
「腕がなりますわ~」
アンを取り囲んだメイドたちの表情は見えないが、只ならぬ気配を感じて戦慄する。
「お、お手柔らかに、お願いします……」
口元が引き攣るのを抑えられないままアンは願ったが、聞き入れられることはないだろうなと諦めの境地であった。
自分で切った髪を整えられ、甘い匂いの香油で頭をマッサージされ、髪のケアをされたところまでは良かった。しかし、そこで終わるわけが無かった。
散髪が終わり、白いケープを剥かれたときに、自分が衣服を何も身に着けていないことに気が付いた。「え!?」と羞恥で思考が停止したアンに構わず、メイドたちはアンの全身をくまなく洗い、これ以上汚れが出てこないだろうというくらい磨き上げた。アンが我に帰った時には、広すぎる湯舟に肩まで浸かっているところだった。
「湯加減はいかがですか?」
アンの様子を背後から見守っていたメイドが、そっと声を掛ける。アンはメイドの顔が見られず、正面を向いたまま「大丈夫です」と何度も頷いた。
顎が湯に触れるまで浸かると、甘い花の香りが鼻をくすぐった。乳白色の湯には、バラのバスミルクが入れてあるとメイドが教えてくれた。
温かな湯に浸かっていると、身体の強張りが解けていくように感じる。ふぅ、と自然と息が漏れた。公爵家の湯舟に入っていることを忘れてしまいそうだった。
しばらく湯を楽しんでいたら、
「アン様、そろそろよろしいでしょうか」
というメイドの声で、緩み切っていた気持ちが締まった。「は、はい!」と返事をして立ち上がると、タオルを拡げ持っていたメイドに全身を拭かれて、また羞恥で目が回っている間に、台の上にうつぶせで寝転がされていた。
「え!?」
「動かないでください!」
起き上がろうとしたアンの背中をメイドがすばやく抑えつけた。騎士を志すアンは反射神経も悪くないが、それを上回る速さのメイドに、アンは太刀打ち出来ないと思った。
大人しく台にうつぶせでいると、「失礼します」という声とともに、背中をぬるっとした手が滑った。そのくすぐったさに反射的に逃げそうになったが、メイドに敵わないことを思い出したアンは大人しくされるがままに全身をマッサージされた。
浴場から解放されたきには、身体はマッサージで解れて軽くなっていたが、何かを失ったかのようにぐったりとしていた。
脱衣所で制服を探してキョロキョロしていると、メイドの一人が「こちらをお召しくださいとのことです」と白いシャツと灰色のトラウザーズとジャケットを示し、あっという間に着付けられていた。黒く光沢を放つ革靴も履かされた。
メイドたちに促されるまま案内され、フローリアの自室に戻ってきたときには、窓の外はすっかり日が落ちるところだった。
「アン、おかえりなさい」
フローリアはメイドたちに「良い仕事をしたわ」と褒めている。
「た、ただいま戻りました……」
ぐったりとしたアンは、フローリアが示した正面のソファにまた腰かけた。
「あの、この服は……」
アンの身体にあわせたかのようなシャツとトラウザーズについて聞けば、アンのために用意した、とフローリアが答えた。そんな気はしていたが、着心地や仕立ての良さに、内心ヒョッと飛び上がっていた。
「そ、そんな、ご用意しただなんて……! 私にはとてもお返し出来ないです……!」
アンがしどろもどろに返すが、フローリアは気にすることもなく、
「その服はあなたに用意したので、返す必要も金額を気にすることもないわ」
フローリアがきっぱりと言い切るが、アンは「で、でも……」と食い下がる。その姿を見たフローリアはふむ、と一考すると閃いたというように提案した。
「それじゃあ、私の趣味ということで」
「いやいやいや……!」
趣味としてしまったら、際限なく与えられることになってしまうかもしれない。それに、フローリアの趣味がはっきりと分かっていないため、趣味を是とすると、今後無理難題を与えられるかもしれない。身の危険も感じたアンは固辞した。
「そうですか……。それならば、わたくしの護衛騎士への支給や援助という形にしましょう。それも気になるようでしたら、出世払いですね。今後も必要な物は増えてくるし、護衛騎士に不便をさせるようなわたくしや公爵家ではないので」
アンが口を挟む間もなくフローリアは言い切ると、これ以上の拒否は受け付けないというように、紅茶に口を付けた。
現在のアンには金銭的な余裕は全くないので、護衛騎士への支給と言われると受け取らざるを得ないし、出世払いで受け取って貰える可能性を残して貰えたことは幾分かの救いになった。それに、出世払いを提示される程度には期待されている、と思ってもいいのかなと少し嬉しくもあった。
この話数なのに入浴シーンが多いですね……。
短いですが区切りがいいので、このあたりで次回です!