1-12 公爵令嬢と大浴場
マイルドですが、百合描写があります(作者は百合描写だと思っています……)。
アンはフローリアに引っ張られるようにして寮に戻り、自室に荷物を置くと、あれよあれよという間に大浴場の脱衣所に立たされていた。
アンが自室に行っている間に用意したのか、フローリアは色々なボトルの入ったカゴを持っていた。
「さぁ、行きますわよ!」
フローリアが楽しそうに浴場内に足を踏み入れたので、アンも後に続いた。
「あら、建国伝説の絵がタイルで描かれているのね」
大浴場の入り口を入って正面の壁に描かれている絵を見て、フローリアは感心している。それ以外にも興味深そうに浴場内を見回している。
「浴場って、このようになっているのね」
授業が終わってからまだ時間がそこまで経っていないので、浴場にはちらほらとしか人がいない。それでも、フローリアの顔を知っている学生がいるみたいで、こっそり視線を送っている者もいる。
「こちらが洗い場ね」
洗い場は一人分のスペースで区切られており、それぞれに背の低い椅子と石鹸類が置いてある。
フローリアは洗い場の腰掛けに座ると、置いてある固形石鹸と液体石鹸を吟味するようにじっと見ている。
アンは隣の洗い場から椅子を持ってくると、フローリアの隣に置いて座った。
「王都の王立学園だけあって、置いてあるものは良質そうね。でも、アンが使っていた固形石鹸はこれよね? これで髪を洗うのは褒められないわ……」
「孤児院では固形石鹸で髪から身体まで洗っていましたし、孤児院のものよりも泡立ちも良かったので……」
フローリアがじっとりとアンを見つめるので、アンは気まずそうに言い訳をした。
「それは仕方ないけれど、シャンプーもコンディショナーもあるので、これからはこちらを使いましょう」
「シャンプーとコンディショナー?」
聞きなれない言葉に、アンは聞き返した。
「シャンプーは髪を洗う石鹸、コンディショナーはシャンプーの後に使って、髪の傷みを補修するものよ。それと、こちらのボトルは体を洗う用の液体石鹸よ」
「文字は読めたのですが、何かが分からなかったんです。そうだったんですね」
「それでは早速洗いましょうね」
フローリアはシャワーの栓を開けると、アンの方に向けてきた。
「フローリア様……? あの、自分で洗いますよ……?」
フローリアは楽しそうな笑顔を浮かべており、逃げ出そうと腰を浮かせかけたが、いつの間にか後ろに回っていたフローリアに肩を押されて立ち上がれなかった。
「わたくし、妹がおりませんし、令嬢ですので他人とお風呂に入ったことがございませんの……」
「は、はぁ……?」
フローリアが令嬢モードの丁寧な話し方に、アンは嫌な予感がした。
「アン、あなたのお世話をさせて頂くわ!」
「やっぱり……!」
フローリアはアンの頭上からシャワーでお湯を掛けると、アンの全身を上から下まで洗い尽くした。
「つ、つかれた……」
アンは湯船に浸かり、縁に腕を置いてぐったりとしていた。長い髪はフローリアによって頭上にタオルで巻かれている。
この疲労感はきっと持久走の疲れではないだろう、とアンは思った。
アンが孤児院に居たときは年長者で、小さな子供達を洗うことはあったけれど、ここ数年では自分が洗われたことは無かった。孤児院に来てすぐの頃は、先生たちに洗われたことはあったけれど、それ以来である。この年齢になって他人に身体を洗われるのはかなり恥ずかしいのだと分かった。自分の身体を撫でていく小さな手の柔らかい感触を思い出しそうになって、アンは身震いした。
アンが洗われたことに放心している間に、フローリアはさっさと自分で洗い終わっていたので、洗い返すことも出来なかった。
「タウンハウスにも大きい湯船はありますが、学園の湯船も大きいわね! それに、他にも人が一緒に入っているのが新鮮で良いわ」
当のフローリアはご満悦そうに、湯船でくつろいでいる。
「建国伝説の絵も、間近で見ると迫力があるわね……」
アンも壁のタイル絵に目を向けた。
空に浮かぶ母なる神が、グスターヴ王国とされる地に光を降り注ぎ、照らしている。そこに向かって、精霊が先頭に立ち、民を導いている絵だ。
「あら、でも、こちらの絵、精霊は民ではなく母なる神を見ているわ」
「他の絵では、精霊は民を見ているのですか?」
「そうよ、精霊は母なる神から遣わされて、民を導いた存在よ。なので、見守るように民を見ている絵しか見たことないわ」
アンには、母なる神を見つめる精霊の眼差しに何か想いがこもっているかのように見えた。
「さて、そろそろ温まりましたし、上がりましょう」
フローリアの言葉に頷くと、アンは絵から目を離して湯船から立ち上がった。
身体と髪の水分を拭き取り、衣服を身に付けた。髪は後で自室で乾かそうと思ったら、またフローリアがアンの手を掴んで、壁に大きな鏡がつけられたブースに連れて行くと、椅子に座らせた。
「さぁ、髪を乾かすわよ」
フローリアは直角に曲がった魔導具を手に持つと、アンの後ろに立った。
「あの、それは何ですか……?」
フローリアの握る見慣れない魔導具に、アンは不思議そうに尋ねた。
「ド、ドライヤーもご存じないの……!?」
「……知らないです」
フローリアがショックを受けたように言うので、アンは言いにくそうに知らないことを申告した。アンはフローリアの丁寧な口調に嫌な予感がした。
「これは髪を乾かすための魔導具よ。ここをスライドさせて、温風と冷風を切り替えられるのよ。ドライヤーを知らないということは、髪を乾かしたこともない……?」
「い、いえ! 髪はいつも手で撫でて乾かしていまして……」
このように、といつものように手に魔力を送って、体温よりも温かくして見せた。フローリアはアンの手の平をじっと見つめると、納得したように頷いた。
「なるほど、火魔法で手を温めて乾かしていたのね。それは孤児院に居たときにもしていたの?」
「はい、全員分乾かしていました」
「そういうことね……。それで、あれだけの量を食べるようになったのね……」
フローリアが合点したというように頷いているが、アンには何のことか分からなかった。
「これは放課後の授業を待たずに、魔力操作の練習をすべきね……」
「はい……?」
「魔力操作については近々始めましょう。今は髪を乾かすことが先ね」
フローリアはいつの間にか用意していたカゴから手の平サイズのボトルを取り出すと、アンの前に並べ始めた。
「こ、これは……?」
「これは化粧水、美容液、乳液、ベビーオイル。これは髪に塗るオイルよ。肌と髪の調子を整えるものよ。入浴をした後は必ずこれを塗ってちょうだい」
フローリアがにっこりとボトルを指差して説明をしてくれたが、何が何だかアンには分からなかった。
実践すれば理解できるだろう、とフローリアは説明した順番にアンの肌や髪に液体を塗り、髪をドライヤーで乾かした。
「ドライヤーも、温風で乾かした後に冷風を当てて髪全体を冷ます方が傷みにくいわ」
アンの髪は腰まであるため、乾かすのに時間が掛かった。フローリアにされるがままに乾かされ、全てが終わったときにはアンはまたもぐったりとしていた。
アンは疲れ果てていたが、それでもフローリアによるお世話は的確だったため、アンの肌はしっとり潤い、髪も傷みが減り、丁寧に乾かされたのでゴワゴワしなくなっていた。
「あと、浴場にはトリートメントが無かったので、一週間に一度、シャンプーの後にこちらを使ってね」
フローリアが追加でボトルを置いたので、アンは眩暈がしそうになって空を仰いだ。