1-10 身体測定
騎士科の学生たちは動きやすい服装に着替えると、演習場に集合した。
クラス毎に固まっているが、他クラスにも知り合いがいる学生たちはそれぞれ集まって談笑している。
「アンさん、昼食はどのくらい食べましたか?」
「ばっちり頂きました」
アンの隣にはラルフが立っており、アンの答えに頭を押さえている。
貴族の子息であるラルフは持久走が地獄と呼ばれていることを知っていたので、昼食はほぼ食べていなかった。しかし、遠方の領地出身で平民のアンは知らなかったのを失念していた。昼休みになったときに話しておけば良かったとラルフは後悔していた。
「おい、ローレンヌ」
背後から聞き覚えのある声に話しかけられ、アンとラルフは振り返った。そこには、二人の男子学生を従えたステファンが立っていた。
「入学試験の実力があるとはいえ、男の俺らに身体測定で勝てると思うなよ。それに、昼飯をきちんと食べたようだな。地獄を見るがいい」
高笑いをし始めそうな高圧的な態度で言い放つと、ステファンは満足そうに去っていった。席順を説明していた焦げ茶の学生も「フン」と鼻で笑うと後に続いて行った。
「なんなんでしょうか……」
「あはは」
アンが呆れて吐いた言葉に、ラルフは困ったように軽く笑い返した。
「ラル、お前は幼馴染のステファンを見捨てるのか?」
一人残っていた黒髪に眼鏡の学生が、ラルフを真っ直ぐ見つめながら問うた。
「ステファンと一緒にいても、僕にも彼にも良い未来があるとは思えなかったから……。見捨てたわけではないよ」
「そうか。それなら、俺はそれ以上は何も言わない」
「ありがとう。図々しいとは思うけれど、ユウ、僕の代わりにステファンを見守ってくれない?」
ユウと呼ばれた黒髪の学生は、乾いた笑い声を上げた。
「まぁ、良いよ。俺は今までと同じで変わらないから、ステファンが何かしでかしそうだったら教えてやるよ」
黒髪の男子は眼鏡をくいと戻すと、ステファン達が去っていった方に歩き出した。
彼を黙って見送ったラルフは、何かを心に決めたような表情をしていた。
「彼は……?」
声を掛けるのをためらったが、アンにとってもクラスメイトであり、これから行動を共にするだろうラルフの交友関係を知っておいた方が良いと思った。
「彼は、ユウリ・メテレフです。僕と同じ子爵家の出身です。ステファンとは……」
ラルフがステファンについて話そうとしたとき、午後の授業開始の鐘が鳴った。同時に騎士科二クラスの教師達が集合の合図をした。
「また、後でお話ししますね」
集合場所に向かって歩きながら、ラルフが約束してくれたので、アンも黙って頷いた。
騎士に必要な身体能力を見るために、何種類もの種目がある。クラス毎に別れて、演習場に用意された各種目を順番に測定していく。
アンは自分の身体能力を客観的に知る機会が無かったので自覚が無かったが、同い年の男子の平均を大きく上回っていた。アン以前に騎士科に所属していた女子学生も優秀ではあったが、アンはその全てを超えていた。
アンが次々と出す記録に、周囲で見ていたクラスメイト達は感嘆の声を上げている。その様子にステファンは苦々しい表情を浮かべていた。
「ローレンヌ嬢はすごいね。わたしも負けていられないな」
投擲の測定を終えたアンに、濃い水色の髪のクラスメイトがにこやかに話しかけてきた。アンの隣の席で、クラス一位の実力の男子学生は、これまで行った身体測定でも一番だった。
「あ、ありがとうございます」
アンがぎこちなく返事をすると、濃い水色の髪の学生は投擲の測定に向かっていった。
「アンさん。お名前、覚えていますか……?」
横で黙って見ていたラルフがそっとアンに伺ってきた。
「……覚えていないです。人の名前を覚えるのが苦手だったみたいで、クラスだと三人しか分からないです」
「それって、ステファンとユウと僕ですね……」
「はい……」
ラルフが遠い目をしたので、アンは申し訳なくなった。クラスメイトは二十五人いるので、ほぼ分からないことになる。
「先ほど話しかけて下さった方は、アランデル侯爵家次男のエリアス様です。髪の色から分かるように、エリアス様は水魔法適性があって、特に氷魔法を得意とされています。そこから『氷晶の麗人』と呼ばれています」
「水魔法適性があると氷魔法も使えるんですね」
「はい。あと、アンさんと同じように、エリアス様は第三王子であるテオドール様の護衛騎士をされています」
「え、そうなんですか」
高位貴族の子息は、学園所属中に同学年の騎士科の学生と主従契約を結べる規則がある。入学式のときに同学年に第三王子がいることを知ったので、誰かが契約をしているとは思っていたが、隣の席の学生だとは思っていなかった。
「テオドール様とエリアス様は、幼少の頃から交友があるそうで、その関係で選ばれたそうです。……エリアス様は他にも『生まれながらの苦労人』とも呼ばれています」
「苦労人……?」
はい、とラルフが頷いた瞬間、エリアスの投擲を見ていたクラスメイト達が賞賛の声を上げていた。エリアスが騎士科全体でも最優秀の投擲能力だったらしい。
「エリアス様はすごいんですね」
「はい、色々と……」
アンは素直にエリアスの能力の高さを評価し、ラルフはそれ以外の意味を込めていたがアンには分からなかった。
投擲の測定が終わると、最後の持久走をすることになる。持久走は二クラス同時に行う。アンのクラスは測定が終わったので、演習場のトラックに移動することになった。
歩き出してすぐに、ドンという大きな音と共に地面が揺れた。
アンは咄嗟に構えの姿勢を取ったが、隣のラルフは突っ立ったまま音の発信源を見ている。
「え、なんですか、今の……」
「これは魔術科の初日恒例、魔術測定ですね」
「魔力量測定とは別ですか?」
危険ではないと分かったので、アンは構えを解いた。ラルフは頷くと解説してくれた。
「騎士科の身体測定のように、魔術科でも魔術測定といったものがあるんです。魔力量以外の魔術の能力は、個人の勉強と研鑽といった努力で伸ばせるものです。魔術科は魔術に熱心な人が多いので、見せ場だからと派手になりやすいんですよね。今の音は、的に攻撃魔術を当てたものですね。たぶん衝撃の規模からして、テオドール様だと思います」
「そうなんですね……」
「貴族では知られていますが、テオドール様の魔力量は9です。物心つく前から魔法と魔術の指導を受けていたそうなので、実力はかなりのものだそうです」
「それで、あの威力なんですね……」
「……これもまた、貴族では周知の事実なのですが、フローリア様は魔力量10で、テオドール様よりも魔法も魔術も実力は上ですよ」
「えぇ!? そうなんですか!?」
ラルフの言葉に、アンはギョッと目を開いた。
フローリアは自分の実力を「とっても強い」と言っていた。アンには想像がついていなかったが、もしかしたら「とっても強い」どころではないのかもしれない。
護衛騎士の必要ってあるのかな……、とアンは空を仰いだ。