私は、悪役令嬢なの◯◯○
「アレクサンドリア!なにか申し開きはないのか!」
夏季休暇前の学園で突然始まった騒動に、近くにいた生徒達は、視線を声のする方へ向ける。
そこには、この国の王太子ウィリアン殿下と、その婚約者であるアレクサンドリア公爵令嬢が居た。
王太子の背後に立つ取り巻き達は、一人の少女を取り囲んで鼻息荒く息巻いている。
彼女の名前は、ルル。
膨大な魔力量を見込まれて、学園に途中入学してきた平民だ。
見た目は愛らしく、しかも胸が豊満。
初心な貴族令息が、フラフラっときても可笑しくない容姿だ。
「黙っていては、何もわかりません!さぁ、弁解があるなら、この場でするのです!」
宰相の息子は、ルルの右手首を掴んだまま、王太子よりも更に大きな声で叫んだ。
まるで、周りの人間に声を聞かせることが目的のように。
「アレクサンドリア嬢、今、君の悪い噂が学園内に広がっているのは知っているだろう。いつまでも黙秘を続けていると、後々困るのは貴女ですよ?」
脳筋のくせに、珍しく理路整然と話す近衛隊長の息子も、やはりルルの左手首を掴んでいる。
青い顔をして本当に震えるルルは、庇護欲をそそるのだろうか?
生徒達は、それを遠巻きに見ながら、ゴクリと息を飲んだ。
「嘘だろ?」
「まさか、ウィリアン殿下が!」
品行方正と名高い王太子が、溺愛していたはずの婚約者を断罪している。
ほんの数週間前までは、アレクサンドリアを常に側に置き、食事すら、あ~んと口元に運ぶほどのバカップルぶりを見せ付けていたのに。
しかし、今のウィリアンは、両腕を組み、胸を反らせて威圧感満載でアレクサンドリアを見下ろしている。
「アレクサンドリア、もう一度問う。君は、彼女を虐めたのか?」
何度も、何度も問いただされているのに、アレクサンドリアは、一言も発しない。
ただ、完璧な公爵令嬢と呼ばれ、一度として顔の表情を崩したことのない彼女の眉が、悲しげに下げられている。
小柄で華奢なアレクサンドリア。
両親も、兄も、殊の外彼女を愛しており、王太子妃にと王家から打診されたときには、家族全員で国外逃亡しようとしたほどだ。
もし、この様な辱めをアレクサンドリアが受けた
と知れば、ウィリアンの首を跳ね飛ばして直ぐに国外逃亡するだろう。
「もう、おやめになって!」
走り出してきたのは、アレクサンドリアの親友、ステラ公爵令嬢。
同じ歳の二人は、姉妹のように育ってきた。
「最近、アレクサンドリアを悪役令嬢等と批判する噂は、耳にしましたわ。しかし、証拠もないデマに振り回され、私のアレクサンドリアを侮辱するなど許しませんことよ!」
令嬢にあるまじき大声で叫ぶ親友を前に、アレクサンドリアの眉は、益々下がっていく。
チョンチョンとステラの服を引っ張ると、耳元に口を寄せた。
「なんですの?アレクサンドリア?」
長身のステラは、アレクサンドリアの口元へ耳を寄せるために膝を曲げた。
しかし、何かを囁かれた後、そのまま地面へと崩れ落ちる。
「なんてことなの!!」
顔を真っ赤にしたステラは、両手で顔を隠し、肩を揺らして何かに耐えている。
「アレクサンドリア!何故、ステラ公爵令嬢には話すのに、私には話さないのだ!」
ウィリアンの眉間に深い縦皴が入る。
この数週間、ウィリアンは、アレクサンドリアの声を聞いていないのだ。
突然距離を取られ、当惑している間に、訳の分からない小娘が自分の周りをウロウロするようになった。
しかも、アレクサンドリアを見つけて駆け寄ろうとするたびに、曲がり角から飛び出してきたルルにブチ当たり、道を塞がれるのだ。
そして、この数日に至っては、アレクサンドリアが悪役令嬢であり、この忌々しい少女と自分が恋仲となったことを恨み、嫌がらせをしていると言う噂が一気に学園内に広がった。
信じる者など、一人もいない。
しかし、このまま夏季休暇を迎え、各地に帰った学生達が自宅で噂を家族の者に伝えたら、それは事実のような扱いを受ける。
慌てたウィリアンは、宰相の息子と近衛隊長の息子にルルの捕縛を頼み、公衆の面前で事実を明らかにしようと考えたのだ。
今、ここで真実を明らかにせねば、アレクサンドリアを溺愛する家族に婚約破棄の口実を与えてしまうだろう。
そんなことになれば、ウィリアンは、生きた屍になるしかない。
「アレクサンドリア、頼む。私を捨てないでくれ……」
本当は、今すぐアレクサンドリアを抱きしめたい。
しかし、ことの真相が分かるまではと、必死に腕組みをして我慢するウィリアン。
今にも泣きそうな彼に、アレクサンドリアは驚き、そして同時に涙ぐむ。
やっと、意を決することのできたアレクサンドリアは、手にしていたハンカチを顔の前に広げ、プルプルと震えながら何かを囁いた。
「わ、私は……悪役令嬢…◯◯○」
「アレクサンドリア、何と言ったのだ?もう少し大きな声で!」
ウィリアンは、アレクサンドリアに走り寄ると、自分の耳をハンカチ越しのアレクサンドリアの唇へ寄せた。
「私は……悪役令嬢なのでちゅ」
ウィリアンは、固まった。
しかし、その事に気付かないアレクサンドリアは、一生懸命今までの事を説明する。
私は、魔法にかけられたのでちゅ。
語尾が、『でちゅ』になってしまうのでちゅ。
恥ずかしくて、お話が出来なくなってしまったのでちゅ。
その後、ウィリアン様とそこにいらっしゃる方が恋仲だと言う噂を聞いたのでちゅ。
私、悔しくて、意地悪をしてしまったのでちゅ。
だから、私は、噂通り悪役令嬢なのでちゅ。
ウィリアンは、ステラの横に座り込んだ。
前屈みなのは、男子的生理現象としては自然なことだった。
ステラとウィリアンは、アイコンタクトをすると、小さく、しかし何度も頷きあった。
アレクサンドリアにとっては呪いのような魔法だろうが、彼女を溺愛する二人にはご褒美以外の何物でもない。
突然王太子までが地面に膝をついた事で、周りにいた護衛が剣に手を掛け臨戦態勢に入ろうとした。
慌てて気を取り直したウィリアンは、立ち上がるとアレクサンドリアを抱き締めた。
「あぁ、アレクサンドリア。君は、どれだけ私を魅了すれば気が済むのだ」
「魅了……?何を仰っているのでちゅか?」
「くっ……もう、二度と、私以外の前で喋ってはいけないよ」
意味が分からず首を傾げるアレクサンドリアを、ステラが背後から抱き締めた。
「ウィリアン殿下、それは、狡うございますわ。アレクサンドリア、私ともお話しましょうね?この後、我が家でお茶会などいかが?」
「ステラ嬢、ここは、私に譲るべきだろう」
「あら、貴方にお任せしたら、お茶会などすっ飛ばして、寝室に連れて行かれそうですわ」
「数週間分のアレクサンドリアを補給して何が悪い」
「まぁ、とうとう開き直られましたのね?アレクサンドリアのお父様に告げ口いたしますわよ!」
自分を挟んで、訳の分からない喧嘩を繰り返す婚約者と親友。
アレクサンドリアは、慌てて、
「喧嘩は、止めて欲しいでちゅ!」
と叫んだ。
その声に、宰相と近衛隊長の息子だけでなく、この騒動を遠巻きに見ていた生徒全員が胸を抑えて崩れ落ちたのは言うまでもない。
完全に、蛇足ではあるが、このあとの顛末は、次のようなものであった。
アレクサンドリアに『末尾でちゅの魔法』を掛けたのは、お察しであろうルルである。
だが、彼女の話は、捜査官達には、支離滅裂だった。
自分は、異世界転生してきた、この物語の主人公である。
ヒーローであるウィリアンと結ばれるのは、自分のはずで、邪魔をしたのはアレクサンドリアの方だ。
こんなことなら、逆ハーにしておけば良かった。
自分は、本当に、虐められていた。
本も制服も、ズタボロにされたし、池にも突き落とされたし、階段からも突き落とされた。
お弁当には、下剤を混入されたし、蜂の巣のある納屋に押し込められたこともあった。
あの女は、正真正銘、極悪非道な悪役令嬢なのだ!
捜査の結果、虚言癖のある娘が、こともあろうか未来の王太子妃を害したとして、魔力を封じた上での島流しとなった。
二度と王都に戻ってくることはないだろう。
「ふぅ、疲れましたわ」
王室専属の魔術師により、魔法を解除してもらったアレクサンドリアは、普通に喋れるようになった。
ウィリアンとステラは、大変残念がったが、あのまま王妃になるわけにもいかない。
ウィリアンには、『二人きりの時だけ、あの話し方をして欲しい』と懇願された為、『良い子にしてくださったら、時々ご褒美にして差上げます』と答えた。
『君は、悪役令嬢ではなく小悪魔だな!』と怒られたが、小悪魔とは何なのかアレクサンドリアには分からなかった。
「でも、ウィリアン様のお気持ちが変わられてなくて本当に良かった……」
実は、ベッドサイドに置かれたテーブルの引き出しには、今回使うことのなかった毒が隠されている。
ウィリアンから婚約破棄をされたら、これで自死するつもりであった。
それは、永遠にウィリアンに忘れ去られない為の最後の手段。
彼の罪悪感を利用して、自分の思い出を深く刻み込もうとしたアレクサンドリア。
「やっぱり、私は、悪役令嬢なのですわ」
かすかに微笑む彼女の横顔は、ゾクリとするほど美しかった。