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5 三度目の

 友人と同じように、僕も厄介な人を好きになってしまったらしい。

 身重で、目が不自由な、心に誰か別の男を住まわせている不思議な女性。


 自覚するのと同時に、どうしたらいいだろうと思った。

 僕はレナートのように真っ直ぐでいられるだろうか。

 そもそも今まで生きてきた中で、こんな想いを女性に抱いたことがない。


 僕が混乱しているうちに彼女の歌は終わり、周りで遊んでいた子どもたちが集まりはじめた。

 みんな口々にミレニアを褒めて、次はあっちで遊ぼう、いいやこっちだと騒ぎはじめる。

 ミレニアは微笑んで、子どもたちに手を引かれるままブランコを立った。


 少しの間、ぼうっとその光景を眺めていた。

 やんちゃ盛りの男の子が、勝ち気そうな女の子と言い合っている。どちらがミレニアと遊ぶか言い合っているようだ。

 男の子がミレニアの手を引っ張った。

 彼女の身柄を手に入れた男の子は、そのまま走った。ミレニアも前のめりに小走りになった。

 そこではじめて僕は我に返って、彼女を追った。


 危ない――!

 公園の奥はなだらかな坂になっている。そっちに向かって走り出した男の子に引っ張られ、ミレニアも坂を下ろうと足を踏み出した。

 そして、低い柵に足を引っかけた。


「あっ……」


 よろめいた体が、芝生の青に触れる前に。

 横からさらうように彼女の体を抱き留めた。

 どさり、とふたり分の体重が背中に集中して一瞬息が止まりかけたが、無様にうめくような真似はしないですんだ。

 少しだけ斜面を滑って、止まる。


 驚いた子どもたちが集まってきて、もっと驚いた顔のミレニアが僕の上で起き上がった。


「……ヒッズバーグ先生?」


 ぺたりと、頬に細い指が触れた。

 無事を確かめるためだと分かっているのに、落ち着きのない心臓はさらに鼓動を速めた。


「……そうだよ。ミレニア・グレンジャーさん」


 なんとかいつもと同じ調子の声を絞り出す。


「走るのも、坂を転がり落ちるのも感心しないね。できればもう二度と、医者と患者としては出会いたくないから、自重してくれるとうれしいな」


 上半身を起こしながらそう返すと、ミレニアは「まあ」と言って、困ったように笑った。


「ごめんなさい。また助けられちゃったわ」


「ちゃんと分かってるのかい? 転倒は一番身近な危険なんだ。遊んでいて転んで、入院になりましたでは洒落にならないよ」


 怒っていたわけではないが、焦ったことからそんな口調になっていたらしい。

 ミレニアよりも、となりにいた男の子がメソメソしはじめた。


「ごめんなさい、ぼくが引っ張ったから……」


 子どもだから。悪気がなかったから。それですまないこともある。

 ただ、ここで声を荒げるのは違う気がした。


「……この人は目が見えないんだ。だから走るのは無理なんだよ」


「ごめんなさい、もうしません……!」


 こぼれた涙を見て、反省は充分足りていると分かった。

 ここは彼女の自宅から近い。またこの子たちとふれ合う機会もあるだろう。

 大事には至らなかった。なら、言うべきことはひとつだ。


「分かってくれたのならいいんだ。これから遊ぶときは、君たちが彼女の目になってやってくれるとうれしいな」


 そう言うと、男の子は手の甲で涙をごしごし拭いて「うん! 分かった!」と力強く答えた。


「もう大丈夫だから、友達と遊んでおいで。この人は僕が家まで送っていくから心配いらないよ」


「うん!」


 今の涙はどこへやら。

 子どもたちはわぁわぁと騒ぎながら遊具へ走って行ってしまった。


「先生」


 芝生に座ったきり、抱えたままだったミレニアが呼んだ。


「ありがとう」


 心からのお礼だというのが伝わってきて、妙に照れくさくなった。


「なにも。大したことはしてないよ。ほら、立てる?」


 自分と一緒に彼女を立たせて、手を引いた。

 目が見えなくても周りのことはなんとなく分かるらしい。彼女の足取りは普通の人と変わりないはずだったが……。


「待って。もしかして、足を痛めた?」


 ゆっくり3歩、斜面を登ったころで止まった彼女に声をかけた。

 かなり派手に引っかけたから、足は無傷ではすまなかったか――。


「いえ、大丈夫よ」


「困ったな。今日は車じゃないから、手当てできるものをなにも持ってないんだ」


「違うの。お天気もいいし、もう少しここにいたくなって。お忙しい先生をつき合わせたら申し訳ないもの。どうぞ置いて行ってくださる? 私はあとでひとりで帰れますから」


 とってつけたような理由に、嘘が下手な人だと思った。

 右足に重心が乗っていない立ち方を見れば分かる。


「本当に? じゃあさっきみたいに走ってみてよ」


 僕は意地悪を言った。


「走れないわ、目が見えないから」


「さっきは走ってた」


「さっきはさっきよ」


「本当は足が痛いんじゃない?」


「いいえ」


 つんと横を向いて言い切る彼女が可愛らしい。

 僕に迷惑がかかると考えているのだろうが、ここで押し問答をしても始まらない。


「そうだね、君の言うとおり、僕は忙しい」


 わざと難しい声を作って言うと、ミレニアは少し黙ったあと、こくりとうなずいた。


「知ってます。だからもう、お帰りになって」


「それに、医者なんだ」


「……ええ、知ってますけど」


「患者を放置していくのは信念に反するし、時間も有限だ。だから君は今すぐ大人しく僕におぶられるべきだと思うんだけど、どうだろう?」


「……え」


「幸い家もすぐそこだろう? さあ、困った患者さん、医者の言うことに従ってくれるかな?」


 僕が背中を向けてしゃがみ込むと、ミレニアは眉をよせて頬を赤く染めた。


「そんなの、ずるい……」


「ほらほら、僕は忙しいんだから、早くしてくれないか」


 最後は、笑いがこらえきれずに吹き出してしまった。

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