17 願わくば
連日ひどい悪夢にうなされて、僕は軽いノイローゼになっていた。
医者が精神疾患とは、まったく笑えない。
仕事は休暇をもらって、セオドアと過ごしていた。
傷を負った者同士、まだ止まらぬ血をなめ合うように。
セオドアとミレニアの過ごした家で、遺品整理をしながら静かに暮らしていた。
1ヶ月くらい経っただろうか。
晴れた日に実家に帰った。
ずっと考えてきた、ある決意を伝えるためだった。
「科学国の魔法医に、なりたいと思っています」
正直に伝えたら、父は「お前はもう息子ではない」と言い捨てた。
おかしさのあまり、腹の底から笑いがこみ上げた。
科学国の医者は、そんなに偉いのか?
科学国の常識しか知らず、魔法国の人間を蔑み、自分たちこそが正しいと信じて疑わない。
その傲慢さに吐き気すら覚えた。
魔法国に研修に行くため、すべての患者を引き継いでいたことから、病院を離れるのはたやすかった。
僕は迷わず家を出た。
貯金は十分にあった。僕は魔法国の食材が手に入りやすい、ブラックマーケットで店を開いた。
名前も変えたことで、事実上、名門ヒッズバーグ家から長男はいなくなった。
魔力持ちが多く集まる無法地帯は、科学国の医者が診れない病気も多い。僕は表向きは飲食店を経営し、裏では闇医者として働くようになった。
本当に貧しい人からは低料金で、その代わりに闇商売の人間や金持ちからは高額な医療費を巻き上げる。
命の危険もあったが、生まれてはじめてやりたいことを出来るようになった。
自分の意思で人生を生きている。そんな実感があった。
もっと早く、こうするべきだったのかもしれない。
ひとつ気がかりだったのは、一緒に暮らそうという誘いを断ったセオのこと。
「軍に入りたいんだ」
まだ幼い少年は、信念を貫く目をして、軍学校へ入学した。
それがレナートを、自分の父親を殺害した犯人を捜すためだろうということは、容易に想像がついた。
セオドアに復讐のために生きて欲しくなかった。
だが僕は、それを強く止める言葉を持たなかった。
たまに来る便りが途絶えて、一年経った頃。
セオドアは帰ってきた。16歳の時だった。
鋭い目をして、ひどく疲れた顔で。
「軍に正義なんてなかった」と――。
軍人だから悪に立ち向かえるわけではない。現実を知ったと、セオドアは語った。
ミレニアと過ごした家もなくなっていたことから、しばらく僕の家で過ごしたあと、セオドアは近くに家を借りた。
そして、ブラックマーケットの掃除屋として働くようになった。
もっとまともな職業につけと何度も言ったのに「闇医者はまともな職業なのか?」と、まったく取り合ってくれなかった。
こうと決めたら頑固なところは、ミレニア譲りなのだろうか……幼く素直だった子どもの面影は、姿をひそめていた。
だが、それでも僕はセオドアが可愛かった。
◇ ◆ ◇
「マスターは、結婚しないのか?」
ふいの言葉に顔をあげた。
ブラックマーケットで暮らす上でそうしたほうがいいと思ったのか、いつしかセオドアは、僕を「ビリー先生」ではなく、「マスター」と呼ぶようになっていた。
セオドアにそう呼ばれることは、生まれ変わったような気にもなって悪くなかった。
「そうだなぁ……セオを見ていて子どもが欲しいな、と思ったことはあるよ」
カウンターの中で、芋の皮をむきながら答える。
店の中にはコンソメの良い香りが漂っていた。
「じゃあ結婚すればいいじゃないか。あちこちフラフラせずに、ひとりに決めればいいだろう」
「うーん、難しいな。僕ももう37だしなぁ。それに僕のような男と結婚したら、結局は泣かせることになるだろうからね。これでいいと思ってるよ」
どうして急にそんなことを言い出したのかは分からなかったが、あいまいに笑って誤魔化した。
「セオは? つき合ってる女性はいないの?」
「……誰ともつき合う気はないし、結婚する気もない」
「どうして?」
「この呪われた血は、俺の代で終わりにしたいからな」
瞬間、背筋が寒くなった。
実の父親は殺人犯。母親は遺伝上の疾患を持っていたのだ。
セオドアがどんな気持ちでその言葉を口にしたのか、分かるような気がした。それでも……
「気持ちは分からないでもないよ。でもさ――」
こみ上げる思いをぐっと押さえて、僕は答えた。
「僕にとってセオは自分の子ども同然だから……息子にそんなことを言われると、悲しいな」
セオドアはハッとしたあと、顔を曇らせた。
「……すまない。もう、言わない」
「うん。みんなに誇らしいと思ってもらえるような人間になるんだろう?」
「……それとこれとは、別問題だ」
「少なくともセオの血は半分ミレニアでできてるじゃないか。そのことを誇りに思ってくれ。セオがまだお腹にいるとき、ミレニアは大変な環境の中にいたんだ。それでも、なにがあっても君を産むと言ったんだぞ」
「母さんが……?」
「生の価値は、長さでは決まらないのだと言っていたよ。自分は生まれてきて良かったから、セオにもそう思ってもらいたいと、そう言ってた」
「……そうか」
「僕はセオが生まれてきてくれて、本当に良かったよ」
「……」
「どう生きるのもセオの自由だ。でも、自分を大事にしろよ」
「……俺は、マスターに幸せでいてもらいたいんだ……父さんも、母さんも、きっとそう望んでる」
セオドアの言葉に苦笑した。
生意気なことを言うようになったな。うれしいじゃないか。
「じゃあ、なおさらセオが幸せにならなくちゃな。僕は息子が元気で、笑っていてくれたらそれが一番だ」
まだなにか言いたそうなセオドアの頭に手を伸ばし、一撫でする。
子ども扱いされたことに顔をしかめたのを見ないフリで、僕は仕事の手を動かし続けた。
セオドアがいなければ、僕はどうなっていただろう。
絶望して、自暴自棄になって、後を追っていたかもしれない。
ミレニアとの約束がなければ、きっとここにはいなかった。
(君は、それを分かってたんだろうか)
この子が、僕を生につなぎ止める足枷になることを。
分かっていたから、セオと、僕のためにあんな約束をさせたんだな……
優しいけれど、残酷だよ。
寂しさも悲しさも飲み込んで、今ここにいる僕たちを。
ふたりはどこかから見ていてくれるだろうか。
(ミレニア、レン……君たちの子どもは、今日も立派だぞ)
願わくば、この子が心から幸せだと思える場所に、辿り着けますように――。
以上、千鳥亭マスタースピンオフでした。
公開をためらうほど暗い話な上、あまり見直していないのでアラが目立ったかもしれません……
書いてしまった以上、供養ということでお許しを。
読了くださった方は神です。ありがとうございます!
本編は鋭意執筆中なので(たぶん)、また再開時にお会いできるとうれしいです。




