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15 魔法国

 魔法国にやってきて、文化の違いに大いに戸惑った。

 そこでは誰もが浄化されない空気を吸い込み、水を飲み、平然としている。

 僕らとは違う、強い人間の生きる世界があった。

 魔法というものはどこか遠い世界の話だと思っていたが、現実のことなのだと思い知った。


 料理が隠れた趣味だった僕にとって、ゴンドワナの食生活も衝撃的だった。

 料理の見た目は似ていても、材料が違う。


 街の外れには屠殺場があり、いまだに家畜や野生の獣を食べる習慣があった。

 科学国の野菜や肉と呼ばれるものは、そのほとんどが工場で生産されている。

 タンパク質をとるための食材は、植物由来の人工肉だ。

 僕は今までほとんど口にしたことがなかった家畜の肉を口にして、その美味しさにすっかり参ってしまった。

 科学国に帰ってからもこんな料理を作りたい。食べたい。

 滞在期間の終わりには、中毒のようにそう思うようになっていた。


 肝心の研修は順調と言えば順調だった。

 機械の助けがない医療は、根本から科学国とは違う。

 魔法の力を使って人を治すことから、自然の中にある魔力を利用して治癒を促す方法まで。

 人の中にある魔力の核がどのようにして動いているのかなど、学生が学ぶような基本的なことから教えられた。


 結果、人という生きものを治療すること、そのものへの見方が変わった。

 医者としては大きな収穫があった。それは間違いない。

 だが、ミレニアの病気に関しては魔法国でも治療法が確立されていなかった。


「言い方は悪いですが、機械でいうところの……致命的な初期不良のようなものです」


 僕の研修担当であり、高位祭司でもある魔法医はそう言った。


「ラオフレス病は遺伝性の病気の中でも、根治は不可能とされています。発症を遅らせるためのいくつかの手段はありますが、根本的な解決にはなりません」


 魔力を持つ人間特有の器官、核。

 ラオフレス病は、その核に生まれつき時限爆弾を抱えている状態だという。

 発症すれば、核は風船が小さな穴から空気が抜けるように縮小していき、最終的には生命維持ができなくなるのだと、説明された。


 病気の正式名称をはじめて知ったときには、淡い期待も持てたのに。

 決して、魔法国でも治療法がないということを知りたいために来たのではない。


 だから滞在期間中は、可能な限り同じ病気の症例を集めて、治療法を検討した。

 数名の医師が手伝ってくれたが、分かったことは「どうあがいても現在の医療では治療できない」ということだけだった。


(ミレニア……)


 情けなさと無力感に襲われて、滞在最後の夜は一睡も出来なかった。



 ◇ ◆ ◇



 帰国後、僕を迎えたのは、喪に服す玄関の黒いタッセルと、やせ細ったセオドアの姿だった。


「遅かったよ、ビリー先生」


 最悪の事態を、予想はしていた。

 だが、覚悟などどれだけしても足りようはずがなかった。


「もう、埋葬もすんだ。これ、先生に渡してって母さんが」


 なにもかもがもやの向こうの出来事のようで、現実を受け入れられない。

 僕は震える手で、セオドアからその手紙を受け取った。

 白い飾り気のない封筒。

 いつもミレニアが使っていた。音声で印字される文字。



『親愛なるビリーへ』



 こみ上げてくる激情を殺せず、視界がぼやけながらもなんとか封を切った。

 出てきたのは、一枚のカード。



『 産まれてきて良かった

 あなたも幸せになって 』



 短い手紙だった。

 後悔している、でもなく。

 愛している、でもなく。


 ただその一言が、どれだけの言葉を集約して残されたものなのか、分かってしまったから――。

 絶望することも、できない。


「――待っていられなくて、ごめんなさい」


 セオドアの声に、顔を上げた。


「先生に、伝えて欲しいって……」


 そう言ったセオドアの顔を見た瞬間、猛烈な後悔が襲ってきた。

 僕は、ゴンドワナなんかに行かないで彼女の側にいるべきだった。

 医者は神じゃない。奇跡なんて起こせない。

 治せない病気があることくらい、知っていたのに。


 ミレニアの状態をずっと見ていた僕は、彼女の先が長くないことくらい、分かっていたのに。

 くだらない意地のせいで、彼女を看取れなかった。


「セオ、すまない……僕は……」


「先生、母さんを助けようとしてくれて……最後まであきらめないでいてくれて、ありがとう」


 深淵に落ちかけた僕の心を、まだ幼い声がすくい上げた。

 僕のいない少しの間に一回り大人になったような、そんな顔で。

 精一杯、僕を励ます声がたまらなく悲しかった。


 涙を我慢していたセオドアが、僕を見てくしゃりと顔を歪めた。


「でも……生きててほしかった……死んでほしくなかったよ……」


 堰を切ったようにこぼれ出す涙を見て、まだ小さいその体を力いっぱい抱きしめた。

 どれほど望んでも、どうにもならないことがこの世にはある。

 そんな現実を受け止めるには、この子はまだ小さすぎた。


「すまない、セオ。助けられなくて、本当にすまない……!」


 繰り返し謝って、ふたりで泣いた。

 失ったものの大きさを、まだあきらめることができないふたりで。



 ひとしきり泣いた後、セオドアは言った。


「先生、ぼく、立派な大人になるよ」


「……セオ」


「ぼくを守ってくれた父さんと、母さんと、最後まであきらめないでいてくれた先生のためにも……ぼくはもっと立派になって、みんなに誇らしいと思ってもらえるような人間になるよ」


 そう誓ったその瞳の輝きは、本当に、本当に美しかった。

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