13 愛しい人
郊外の、古くつつましい小さな家の中。
新しい場所で、ミレニアとセオドアはふたり、ひっそりと暮らしていた。
時折レナートの家から使用人がやってきて、必要なものを置いて行ってくれるようだった。お金の援助もあるようだ。
だが、基本的にミレニアたちを側で助けてくれる人間はいない。
何故レナートの家を出たのかは、深く追求しなかった。
居づらかったのだろうか。他に思うところがあったのか、どういう話し合いがあったのか。
それは分からない。
急に環境が変わったのに、セオドアは文句ひとつ言うこともなく、献身的に母を助けていた。強くて優しい子だ。
僕は頻度を減らさぬよう、なるべく往診に来るようにしていた。
そんなある日、計った数値を見て顔をしかめた僕に、ミレニアは言った。
「たいしたことないわよ。自分の体のことくらい、自分で分かるわ」
「いいや、油断は大敵だ。今日の検査は念入りにするよ」
このところ体調を崩しっぱなしのミレニアに、正直、良くない予感はあった。
今までは回復していたものが、徐々に数値が戻らなくなっている。
その日は採血から細かく魔素の数値を計るものまで、できる限りの検査をして帰った。
良い報せもあった。ゴンドワナへの研修日程が、正式に決まったのだ。
ゴンドワナとの医師交換研修など、科学国では前例がなかった。計画立てては立ち消え、握りつぶされ、気付けば10年もの歳月が経ってしまった。
だが色々な慣習を取り払い、数年がかりで根回しをし、ようやく実現できるようになった。
来月やっと、魔法国へ出発できる。僕を含め、若い医師数名が一緒に魔法国ゴンドワナへ旅立つ。
これで、魔法国の大病院で2か月、研修を受けられるのだ。
そう心を躍らせた次の日。
先日のミレニアの検査結果が出た。
僕はそれをどう受け止めていいか、分からなかった。
◇ ◆ ◇
「ミレニア……いい報せじゃないが、よく聞いてくれ」
検査の結果を持って、僕はその日もミレニアのところに来ていた。
セオドアは「先生が来たならちょうどいいから」と、買い物に出かけていった。
良かった。あの子には聞かせたくない。
「……発症したのね?」
話し出す前から分かっていたように、彼女は穏やかな口ぶりだった。
病が発症すれば、あとは転がり落ちるように悪くなっていくだけだ。今のところ、その程度しか分かっていないのが彼女の病気だ。
「ビリー、自分の体は自分が一番分かっているって言ったでしょう? そんな顔しないで」
達観しているのか、諦めているのかは分からないが……取り乱さない姿もどこか悲しかった。
「ミレニア、病は確かに発症してしまった。だけど聞いてくれ。ようやくゴンドワナへ行けることになったんだ」
「ゴンドワナに……?」
「ああ、僕が必ず魔法国で治療法を学んでくる。だから、君も待っていて欲しい」
「……どうして、そこまでしてくれるの?」
ふいの質問だった。
なにを今更、と笑って誤魔化せない雰囲気で。
「ビリーは最初からそうね。いつも同情じゃなく当たり前に助けてくれて、あたたかい言葉をくれて……決して私を見捨てないの」
見捨てるわけがない。
医者としても、ただの男としても、君を見捨てられるわけがなかった。
だが、それを口にするわけにはいかない。
「私が特別な患者だから?」
一瞬本気で、声を上げて笑ってしまおうかと考えた。
拗らせすぎた初恋を、今もまだ深く胸にしまい込んでいる僕の滑稽さを暴露してしまえたのなら。
楽になれる? それとも、地獄を見るだろうか。
「いいや……患者に特別も普通もないよ。僕は医者だから、できることをあきらめたくないんだ」
それはずっと、己の心も偽ってきた建前。
最初から君が好きで、はじめて愛おしいと思えた人で、幸せになって欲しかった。
ただそれだけのことを、伝えてしまうわけにもいかない。
レナートに、申し訳が立たないから。
「ねぇ……今更だけど、あのときの話の続きが聞きたいって言ったら、教えてくれる?」
漠然としすぎた「あのとき」に、すぐに思い当たってしまった。
ミレニアの顔を正面から見たら、それは勘違いではないという確信があった。
ミレニアがレナートの思い人だと知った前日の。
「愛している」と伝えそうになった、あの日の電話。
「医者と患者でなければ、私はあなたにとって、なんだったの?」
心臓が、嫌な感じのリズムを打った。
何故今になってそんなことを尋ねるのか、分かるような気がしたからだ。
彼女はもう、残り時間が少ないことを自覚してしまったから――。
「ねえ、あのとき電話が終わらなければ、なにを言いたかったの?」




