死神と花嫁
エドワルド第一王子に幼い頃より仕え、侯爵となった今も彼の右腕となり働く私は、近頃エドワルド様の様子がおかしいことに気付いていたが、どうするべきか考えあぐねていた。
弟君であらせられる国王陛下の相談役として登城なさる度にその表情を曇らせていかれるのだ。
未だ平和とは言えない世だ。
きっと悩まれることも多いのだろうとも思うのだが、幼い頃より知己の仲でもあるエドワルド様が国の情勢一つで顔色を変えることなど在るはずもないと私は知っている。
エドワルド様が唯一心を揺り動かされるのはただ一つ。
妻となられたミランダ侯爵夫人だけである。
ミランダ様とご結婚されて二年が経ち、ついにお世継ぎにも恵まれた今。
何を憂いていらっしゃるというのだろうか。
傍にお仕えしながらも私には分からなかった。
ミランダ様は侯爵の邸で静かに過ごされている。
ご結婚し子供が産まれるより前もほとんど外出されることがなく、邸の中で過ごすことが多い彼女は侯爵邸の隣に建てられた孤児院に顔を出す以外は外の世界を見ることはない。
彼女が喜ぶのだからと、侯爵の資金でもって身寄りのない孤児を受け入れる孤児院を建てられた。
院長の名はミランダ様だ。
ミランダ様は時々子供達と遊び、時には邸でご友人とお過ごしになられている。
最近は御子息のミシェイル様とお過ごしになられるためその機会も減った。
とても穏やかに見える世界だが、私にはそれが檻のように見える。
少しでもミランダ様が遠くへ足を運ばないための緩やかな鳥籠。
エドワルド様が登城されている間にミランダ様が何処にも行けないように建てられた楽園の檻。
エドワルド様がミランダ様とご結婚なされた後も、エドワルド様の執着は変わらなかった。
初めて愛情を与えてくれた可愛らしい少女に恋した幼い少年は、その幼さとは裏腹に王城で培ってきた策略と暴虐のままに行動し、彼女と婚約をした男達をことごとく追い払った。
手を血に染める事さえ厭わない彼の行動に私は彼が狂っているのではとさえ思ってしまった。
しかし忠言することも出来ない。
言えば、次に骸となるのは私だったからだ。
エドワルド様は恐ろしい。
幼い頃から殺すか殺されるかの世界で生きてきた不憫な第一王子。
ミランダ様という生きる意味を得てからのエドワルド様は、生まれ変わったように行動されるようになった。
受け手側だった自身を攻める側に変え。
追われる立場だったものを追う立場に変えた。
今は傀儡と化した弟君を国王にしたてあげ、自身はかねてからの望みであった侯爵となりミランダ様へ求婚なされた。
その行動力は天才的であったが、とても哀しいものだった。
いくらミランダ様の愛を得た今も。
エドワルド様は変わらない。
いつ、ミランダ様を奪われるのかを疑心し。
どこで自身の命を狙う者が現れるのかと警戒する。
そして、今は頭を使うようになった弟君との確執も生まれ始めている。
愛を得た今も尚、彼のお方は地獄の片隅で佇んでいるのだ。
「エド様……お願いがあるのですが」
眠るミシェイル様を乳母に任せたミランダ様がエドワルド様に話しかける。
エドワルド様といえば、ミランダ様の膝にもたれ掛かりながら傍にいた。
私には神に赦しを乞う迷い人のように見える。
「何だい? 何でも叶えてあげるよ」
エドワルド様は彼の髪を撫でていたミランダ様の指を掴み、そっと口付けを贈られている。
「私……遠くで静かに過ごしたいと思っているのです」
エドワルド様が顔を上げてミランダ様を見つめる。
「近頃王都は騒動が多いでしょう? ミシェイルが成長した時に危険があったら怖いなって思って……駄目でしょうか?」
「いや、勿論構わないよ。ごめんねミランダ……そんなに怖い思いをさせていたことに気付かなかったよ」
「エド様が悪いのではありませんわ。エド様がお城で頑張っていらっしゃることは勿論承知です。けれど、エド様に何かあったらと思うと……怖くて」
「ミランダ」
体を起こし、俯くミランダ様にエドワルド様は口付けをされる。侍女や私がいても構わずに触れ合うのはもはや日常茶飯事であった。
「私のことを心配してくれているのだね……ありがとう。必ずその望みを叶えてみせるから、待っててくれるかい?」
「はい……ずっとお待ちしています」
私から見てもお二人はとても仲睦まじい夫婦だった。
過保護がすぎる夫に心優しい夫人。
それでも世間は彼等を死神夫婦と呼ぶのは、夫人の過去にあった出来事に加え、今のエドワルド様が死神と呼ばれている所以であった。
エドワルド様は人を殺めることに躊躇いがない。
その様子を誰かが死神と喩えた。
皮肉にも妻であるミランダ様のあだ名に相応しいお名前となってしまっていた。
(そもそも……彼女がその名で呼ばれてしまうきっかけもまた、あの方が原因ではあるのだが)
その事を知るのはエドワルド様本人と、私だけであろう。
仕事があるからと渋々ミランダ様と別れ王都に戻られたエドワルド様の代わりに、私は護衛としてその場に残された。
「ヨハン。教会に向かいたいのだけれどいいかしら?」
ヨハンとは私の名だ。
私は返事をし、彼女の隣を歩く。
ミランダ様は時折お一人で教会に向かわれる。
邸の中にある小さな教会である。
週に一度司祭様が訪れ礼拝をなさるのも、毎週欠かさず礼拝をしていたミランダ様のために用意された建物である。
私は黙って彼女の隣を歩いていたが、その間ずっとミランダ様が仰っていた事を思い出していた。
(本当に遠方に移られるのだろうか)
今の情勢は確かに危うい。
国王となられた弟君が結婚した相手の両親は策略家で、国王はそちらの傀儡に成り変わろうとしているらしい。そのためエドワルド様は王妃の一族と確執を繰り広げているところでもあった。
その中でエドワルド様が遠方に向かわれることはつまり敗北を意味するところである。
だがそれでも構わずにエドワルド様は行動なさるだろう。
ミランダ様が望まれるのなら。
彼女が全てであるエドワルド様なら、ミランダ様が「死んで欲しい」といえば喜んで命を捧げるだろう。
それほどまでに盲信的にまで愛されるミランダ様が、私は不憫でもあった。
ただ、気付きさえしなければ過保護で溺愛する夫で片付く話でもあるのだが。
(彼女は何処までご存知でいらっしゃるのだろうか……)
考えている間に教会へ着いた。
司祭の姿もなく、静まりかえる教会の祭壇前まで向かうとミランダ様は跪き祈りを捧げた。
長い長い祈り。
時折こうしてミランダ様は神に祈りを捧げている。
だが、以前から彼女がここまで盲信的に神を信仰しているわけではなかった。行事として礼拝に出る程度で、時間の合間に教会で祈りを捧げるようなことは結婚する前までは見受けられなかった。
彼女がこうして祈るようになったのは結婚してからだった。
「…………ミランダ様。お体に障ります」
人のいない教会は肌寒い。長くいては体に良くないと思い声を掛ければ、暫く祈っていたミランダ様が顔を上げる。
「そうですね。もう行きましょうか」
いつもの笑顔を見せてミランダ様は立ち上がった。
私はどこかホッとした思いで、彼女の隣を歩く。
ふと、気付く。
彼女が祈りを捧げる時、いつも私が傍にいるが。
エドワルド様が共にいらっしゃる時に。
彼女は一度たりとも教会へと足を運ばないことを。
「……ミランダ様」
「はい?」
私は口にすべきか躊躇する。
しかし、疑問が膨らんだ私はその問いへの好奇心に勝てず。
「何故、エドワルド様とは教会に行かれないのですか?」
私は聞いてしまったのだ。
そうすればミランダ様は愛らしい瞳を切なそうに細めながら。
「あの人にこれ以上の罪を重ねたくないからです」
と。
それだけを告げて歩き出した。
嗚呼。
ミランダ様はご存知だ。
彼女の婚約者を裏で陥れた者が誰であるかを。
彼女が祈りを捧げる時、必ず告げる小さな名は夫や子供だけではなかった。
家族、友人、そして彼女が婚約者だった者への幸福を願う祈りだった。
似通った名前を告げられると思っていたがそうではなかった。
彼女は夫が陥れた者達へ、贖罪のように祈りを捧げているのだ。
それも、夫が不在の間に。
「ミランダ様……」
一体何処までご存知なのか。
私は聞くべきか躊躇していたら。
「秘密にしていてくださいね。ヨハン。私の夫が嫉妬深いのを知っているでしょう?」
恥ずかしそうに人差し指を口元に置いた。
そうだ。
その少しの秘密さえも露見してしまえば。
次に殺されるのは私なのだ。
「…………かしこまりました」
私はそれ以上聞くことはせず、黙ってミランダ様の隣を歩いた。
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私がおかしいと気付いたのはミシェイルを妊娠した時だった。
嬉しいと、ありがとうと喜び泣いている夫が、時々悲しそうに私の大きくなったお腹に顔を寄せるのだ。
「私は本当にこの子の良き父となれるだろうか」
「みんな最初はそう思うらしいです。私も、ちゃんと母親になれるかしら……」
「そうではない……そうではないんだ……ミランダ……」
悲しそうに私を抱き締めるエド様は何かにとても怯えていた。
私には最初、エド様が何に怯えているのか分からなかった。
出産は命をかけて行うもの。
私やお腹の子に何かあったらと不安なのかしらとも思っていたけれど、そうではなかった。
ミシェイルが産まれて、彼が父親となって。
私はようやく気が付いた。
いつも隠れたところで血に濡れた服を脱ぎ捨て身体を清める夫の姿を。
町の隅で物乞いとなった元貴族の男性が叫ぶ「人殺し!」と憎しみを込めて私に叫ぶ理由を。
元婚約者と知り合いであったという人から聞かされた事実を。
私の夫はまさしく死神だったのだ。
死神であることが罪であることも知らずに生きてきた彼が、小さな命が産まれたことでようやく己の手が汚れていることに気がついたのだ。
登城する度に手を汚してくる夫は、日が経つにつれてやつれていった。
愛を得た死神は、その生き死にする世界に疲弊しているのだ。
だから私は早く彼と共に遠くへ行きたかった。
出産で衰えていた体力も、ようやく取り戻した。
私が願えばエド様は叶えてくださるはず。
「遠くで静かに過ごしましょうね。エド様」
いつも身体が触れていないと不安だと嘆くエド様を、私は彼が帰ってくる度に優しく抱き締めた。
「ああ。必ず叶えてみせるよ。私のミランダ……」
愛を求め、求められるために罪を重ねてきたとするならば、その罪もまた愛と共に私と在るべきだ。
何故なら私は死神と呼ばれる彼を愛する、死神の花嫁なのだから。
「愛しています……エド様」
私はその白い頬に優しく口付けた。
彼の瞳に映るものは私だけで良い。
愛を知った愛する死神。
どうかそれ以上、罪を重ねずに。
私だけを見つめていてね。




