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区画を離れ、天気予報がなければ雨も降らない地下都市をゆく。
ここの空は外の光に応じて自動で光量を調整するだけで天気はない。毎日が小春日和のようだ。
ついでに毎日が日曜日なのか、昼間から酒を煽る人も散見された。
ローレルによると、大抵のことは機械が完璧にこなしてくれるらしい。仕事をしているのは、物好きか財産がマイナスに振り切っている人くらいだとか。最近では王の存在すら疑問視されているらしい。ただ、居ても困らないので、誰も手を付けようとしないのが現状だとか。
誰もが余裕のある生活ができるから、小春日和のここは、他人との摩擦もあまりない様子だった。
そんな無職の中から働き手を探すのは難しい。
ジエンドの討伐に王は仲間を集めるように言った。絵堂はそんな仲間は不要だと考えている。そこがローレルと相容れないところだ。
「仲間はいらないな」
「何を言っているの? 必須だよ」
そんなに衝撃的な発言をした覚えはないのだが、ローレルは唖然としていた。
「ジエンドを討伐するまでいくらの金が掛かる? ジエンドの討伐後にお金の心配はないとして、討伐までだ。仲間を集めたら、その分だけ必要経費が嵩む。仲間には拘束した時間に応じた金銭を支払わなくてはならない。ここでは人件費としておくか。そんなものを出せる程、懐は暖かくないんだよ。ローレルが出してくれるか? 俺が知らないだけで裕福だったらありがたいんだが」
ローレルはジエンドを倒すために魔法を教わったと言っていたっけ。今後必要になる物資やらを蓄えていたかもしれない。あの姿を見る限り、そうとは思えないが。
ローレルは一人で勝手に勧誘活動を始めていた。「ジエンドを一緒に倒しませんか?」「ジエンドの死に際に興味はありませんか?」「なんと、今なら魔城への探検ツアーが有料で!」など毎度切り口をずらしつつ、通行人に声をかけていた。
ジエンドの住まいは魔城というらしい。初めて知った。あっ、こらそこ、歩くのがやっとな爺さんを誘うな。
「こら勧誘はやめろ。気が狂った人が参加するとか言い出すかもしれない」
「そもそも対価って必要なの? 必要になるとして、あの王にたかればいいと思わない? お金は権利の量。奴はどうせ蓄えているよ」
「そんなお金があったら仲間集めはやめて、俺たちだけでジエンドを終わらせればいい。行程が遅くなる原因を好んで抱えるような慈善事業はやっていないんだ」
「勇者のチームは四人と決まっています。これは伝統なので、文句があるなら過去の英雄にどうぞ」
ローレルが何もない空間を手のひらで示す。そっちに軽く裏拳をしてみたら、何かに当った気がした。空気しか無かったのだから、気のせいに決まっているが。
「伝統は終わりだ。これから新しい時代が始まるんだよ。ローレルが先頭だ。さあ」
ローレルがわなわなと震える。肩に力を入れて、震えていた。
「終わりませんよ」
若干赤くなった目が絵堂を睨みつけた。きびしい視線は氷の針のようだった。とても鋭く、とても溶けやすい。
一応美形に分類されるであろうローレルの顔は、まあ整っていて微かに涙が溜まっていたことと合わさって、芸術として感嘆せざるを得ない表情だった。珍しく、絵堂が勝てないと感じた。
「時代の先頭を歩くのは悪くないけど、四人チームは先人が編み出した、必殺の布陣。疎かにできるわけがない。邪魔なメンバーは後ろで立っているだけでもいい。立つのに疲れたら踊り狂ってもいい。そういうものなんです」
すまない。涙を見つめていて聞いていなかった。そんなこと口に出すわけにもいかず、絵堂は黙って頷くのみだった。ローレルは一体何と言ったのだろう。とても重要なことを口走っていたらどうしよう。今後に響かなければいいけれど。
「まあいい。ゆっくりと仲間を探してくれ。俺は俺でやらねばならないことがある」
「ジエンドを倒す以外に?」
そんなものあるはずないだろうと突っかかってくる。力いっぱい揺らしてくるものだから少し疲れる。掴まれたローレルの手はそのままに、揺らす力にだけ抵抗してみた。するとローレルが揺れた。三秒ほど堪能させてもらった。通行人の微笑ましいものを見る暖かな目が、何を考えているのか想像すると、とても面白い。
「金稼ぎだよ。とりあえず円換算で十万か二十万くらいあれば暫くは困らないだろう。半月はいける。作った時間でジエンドを叩く。……市民権ないけど仕事に就けるかな? またクビになるのかな……まだ仕事ないのにクビにはなれないな。じゃあクビになれるように……クビにはなりたくないんだよ」
考えると憂鬱だ。次の仕事を見つけたとして、いつまで保つことやら。でももしかしたら、ずっと続けられるかもしれない。
「そんなわけでローレル、用意ができたら連絡するから連絡先を教えてくれ。正真正銘、ローレルのな。間違っても金融会社の番号を教えてくれるなよ」
「それよりもジエンドに終焉を告げてやりましょう。ボコボコにして、泣いて許しを請うてきても、許さない」
ローレルがシャドーボクシングを一人でやる。始めは杖を握ったままやっていたが、杖を柵にぶつけてからは脇に持ち替えていた。ただひたすらにジャブを繰り返し、たまに拳を貰ったように頭を仰け反らせていた。
「それで、連絡先は?」
「そんな便利なもの、持っていないよ。家は立ち退き食らったし。前のチームメンバーに私の名義で散財されてお金がなかったの。気がついたときには、もうすっからかんよ」
連絡手段がない。それならそれで構わない。この国で使える連絡手段を用意する手間が省ける。
むすっとするローレルに、多少のやりにくさを感じながら、絵堂は天井を見上げた。遠く高い位置にある。空のように透き通っていて、地下とはとても思えない。これを作り出すのがどれだけ大変だったのか、考えてもわからない。
目で見える物や現象を現実とするなら、現実とは理解し難いものだ。わかったつもりでいることを継ぎ接ぎ合わせても、得体の知れないものが出来上がっている。だから何だという話だが。
ローレルの言う通り、王に軍資金を無心するのが一番だ。そうするべきだった。自叙伝から逃げることに意識をしすぎたか。
今から戻って資金を求めてみようか。それは考えるだけで、実行に移そうとはしなかった。あの王の人となりは知らない。まだ顔を見た程度の付き合いしかない。それなのに不思議と、想像ができた。あの王はまず真っ先に自叙伝を勧める。あの自叙伝があれば世界平和が実現できると確信している。数人の命を守るくらい、綴られたありがたいお言葉があれば容易だと本気で思っていそうだ。
何時ぶりだろうか。寒気を感じたのは。
想像しただけで、蛆ですらつつかない腐肉が目の前に現れたかのような気分だ。やはり自分で余裕を作るしか無いと結論に至る。
「仲間集めはしない。お金は必要になるだろうから集める。異論はあるか?」
ローレルは沈黙で返す。それが答えだった。つばを吐きそうなくらい不機嫌に顔を歪めているが、そのくらいだった。
結論が出たと絵堂が微笑む。それとほぼ同時にローレルも口内に溜めていたつばを飲み込んだ。
「エドゥって、仕事探せるの?」
ローレルは、したり顔で絵堂を試す。絵堂がすぐに答えられないと知ると、より増長した。
「そうだよね。知らないなら、いいところを紹介してあげようか?」
絵堂がこの街を知らないのは事実だ。どんな仕組みで動いているのかも不明だ。雇用の概念が知っているものと同一だとは、誰も保証していない。そういう意味でも、ローレルから教わるのは悪い話じゃなかった。
ローレルは、なにか他意を臭わせるが、宛がないよりは落とし穴があっても正しい道が速くて確実だろう。
「じゃあ、頼む」
ローレルは外見がいいから、嬉しそうな姿を見ているのも悪くない。
絵堂は指で誘うローレルの後を付けて歩いた。
「ここです」
ローレルが立ち止まったのは、時代錯誤なカフェだった。絵堂自身、この国の時代や様式を目でしか知らないが、このカフェが他よりずれているのはハッキリと理解できた。
見知らぬ建材で常にきれいな周囲の建物や、大豪邸のホールのように透き通った公道がある中で、唯一汚らしいもの。それがローレルがおすすめするカフェだった。
周囲の建物が近年開発された、とんでも合成樹脂製だとするならば、このカフェは虫食い穴の木材製だ。土の中に埋めて、しばらくしてから取り出したかのような汚れ加減。ちゃんと壁に穴がある。きっと雨漏りもするだろう。毎日が晴れ模様じゃなければ、とっくに閉店していそうだ。
安上がりに目立ちたいと考えて、それは汚れることだと結論づけたのだろうか。確かに、理にかなっているかもしれない。衛生的にも安全性にも不安があるが、それくらい些細な問題だとするならば最良だ。
目立つ点は、汚らしさだけではなかった。
看板が多い。黄ばんだものから比較的白いものまで。その看板は幸いにも日本語で書かれていた。
屈んで読んで見ると、一つのことがわかる。ここはカフェではないという事実だ。
確かに、最も黄ばんだ看板はカフェらしかった。ミルクやコーヒーなどの飲み物と、サラダやサンドイッチなどの軽食が値段と一緒に書かれている。普通すぎてつまらないとは思う。奇抜さはどこにも見当たらない。しかし看板の色が新しくなるにつれて、平坦からキツイ角度に変わっていく。
次に黄色い看板には多種の料理が書かれていた。カレー、野菜炒め、今日のおすすめセット、生きゅうり。食堂のような文字が並んでいる。その次の看板では、水筒、接着剤、ラジオペンチ。最近の看板だと、銃や墓石なんて文字も見えた。
その中でも驚かされたのは、強い人募集の文言。どうやら傭兵の斡旋所でもあるらしい。
「ローレルよ、どうしてここに案内してくれたんだい?」
「利害が一致すると思って」
この国で何の保証もない絵堂が仕事をしようと思えば、笑うしか無い待遇で怪しさ満点になるのは仕方がない。そう思えば、ここはまだマシか。雇ってもらえると決まったわけじゃないが。
「とりあえず入ってみるか。中がどうなっているか、少しは興味がある」
看板によると、食料から雑貨、木材に石材、家電製品からお土産まで揃っている。更には情報屋でもあるそうだ。建物の大きさと品の種類を考えると、足の踏み場があれば上等と言ったところだろう。
「ローレルはよくここに来るのか?」
「来るわけがないじゃん。こんな臭いところ。仲間集めができそうなところだからチェックしていただけ」
来るわけがないか。あまりにも平然と言うものだから不意を付かれて吹き出した。
「ついに白状したか」
「エドゥが入るって言ったのは忘れないよ」
「エドゥって誰だ? 俺は絵堂だ」
ローレルの真意が明らかになったところで、考えが変わるわけじゃない。絵堂は扉を押して、錆びて軋む蝶番を動かした。
そこは思っていたよりはキレイだった。なんと、店内を歩ける。足元に汚れはあっても障害物はない。店の端はごちゃごちゃと物が積み重ねられていたが、客が歩けるスペースは確保されていた。
淀んだ空気が充満していた。湿っぽくてこの場所自体が重い。酷い空気だ。色がついたようにわかる。後ろにいるローレルに、扉を閉めないでくれと願った。空気が閉ざされてほしくなかった。その願いは叶わなかったが。
照明も圧倒的に足りていない。窓も少なく、全体的に暗かった。
そんな空間にも一際光るものがある。それは人の両目だった。店中にある目が一斉に絵堂とローレルに向けられる。睨む目は、新参者への洗礼だ。優しさなんて欠片もない冷たいものだった。
思っていたよりもずっと人がいる。客だろうか。椅子やら柵やらに腰掛けて、多くの人が自由にしていた。全てのテーブルに最低一人はいて、繁盛とはいかなくとも閑散もしていなかった。
その人たちにはみんな共通点がある。一つは何かしら飲み物を頼んでいること。ピリピリした空気を発して誰にも近寄らせていないこと。もう一つが武器を持っていることだ。
剣に槍、斧に弓、杖に銃。持っている武器は違っても、達人だと臭わせる風貌は全員が持っていた。少なくとも、風貌だけは達人だった。
化物を視線だけで倒してしまいそうな連中に睨まれたが、絵堂もローレルも怖気づかない。
ローレルは我が物顔でカウンターまで歩いた。
「嬢ちゃん、ここは遊び場じゃないんだよ」
カフェでこんな言葉を聞くとは思わなかった。周囲から冷ややかな笑い声が飛んでくる。そこまであって、ようやくローレルは周囲に意識を向けた。
「遊びに来たわけじゃないの。仲間を探しにきました。でもなんか雰囲気よくないね。凄い人達が集まるって聞いたんだけど。期待するだけ悪いし、荷物持ちを紹介してくれない?」
「嬢ちゃん、これ以上は滅多なことは言うもんじゃないよ。ここにいるのは嬢ちゃんとそこのを除いて全員がプロだ。荷物持ちがほしければ、もっとレベルが低いところに行くといい。我々が関わるに相応しい高尚な依頼と見合った対価がないなら、二度とこの敷居を跨ぐ必要はない。わかったかな?」
周囲からクスクスと聞こえる中、絵堂は一人であくびをした。ここでの仕事は難しそうだ。話を聞く限り、ここは人手を必要とはしていない。
ローレルもそろそろ話を切り上げるだろう。仲間探しもここでは難しい。
しかしそれがわからないのか、ローレルは純真無垢な目を彼らに向ける。
「ここよりレベルが低いところってあるの?」
パキと音がした。音の方を見てみると、男がテーブルに手形をつけていた。まるで幼児が手形をスタンプする、成長記録のように。
テーブルには指がめり込んだ跡がある。さっきの音は指をテーブルに押し込んだ際にできたものだろう。それをやった男は、座っていた椅子を弾き飛ばしながら立ち上がった。
「黙って聞いてれば、おいクソガキ! もう一度言ってみろ!」
「やっぱりレベル低いよ」
「いい度胸だ。優しいお兄さんが答え合わせをしてやるよ」
男は武器を手に取る。柄が長い鎚だ。新品のように輝いている。それを両手で抱えながら、ローレルを正面に据えていた。
その男が何をしたいのか、わかるような、わからないような。理性が働くなら、その鎚は使わないはずだ。口の端からよだれを垂らしているところを見ると、理性があるようには思えない。
「おい、ラード、得物なんか持って、まさかとは思うが」
「安心しろ。染みが増えるだけだぜ」
安心できない話を聞いて、ローレルは距離を取ろうとする。しかし十分な距離を作るには、ここには人やテーブル椅子が溢れすぎていた。歩くだけなら十分だが、戦うには狭すぎる。当然、距離なんて取れるはずがない。
どうやらここには法か、もしくは道徳がないらしい。振り上げる鎚を止めようとする者は誰も居なかった。ローレル以外には。
「本気? あの程度でそこまで怒る? 気が短すぎない?」
「誰が短小野郎だ。誰が! 言ってみろ!」
「被害妄想たくましい……」
ローレルは魔法使いだ。つまり魔法で戦う。武器は杖しか持っていないので、魔法だけで戦ってきたのだろう。相手はやる気のようなので、ローレルは自分の武器、つまり魔法で対抗しなければいけない。
しかし魔法の発動には少々時間が掛かる。すぐ前まで迫る鎚を退けるには、時間が足りないかもしれない。
絵堂は魔法を知らない。ローレルが使った数発を見ただけだ。それ以上の知識はない。
もしかしたら、ローレルがこの場をやり過ごす手段を持っている可能性もある。しかし絶対とは言い切れなかった。
せっかく助けたのに、ここで怪我でもされたら面白くない。
絵堂は昔抱いていた、ある疑問を思い出した。楊枝と金属の棒はどちらが硬いのかだ。知り合いに意見を求めたら笑われ、その後に絶句された疑問だ。
今では答えを持っているが、疑問に思っていた当時は本当にわからなかった。感覚的な話をするなら、今でも差がわからない。
楊枝も金属の棒も、同程度の力で折れる物だ。そのどちらかが硬いかを指先の感覚だけで判断するのは難しい。絵堂にはその感覚がなかった。
楊枝と金属の棒はどちらが硬いのか。金属が硬いのはわかっている。この答えは、そう教えられたから知っているのであって、実際に楊枝と金属に触れて理解したわけではない。
今回、この疑問に新たな一ページが刻まれる可能性を考えた。しかしそれは見込み違いだったようだ。
絵堂がローレルの正面に割り込む。短小野郎の、しわくちゃパッケージみたいな笑みを見て、楽しそうだと羨みながら、鎚の柄を受け止めた。
「何ィ?」
正面から飛んでくるつばを避けつつ、受け止めた柄を握りしめる。すると、柄は絵堂の手の形に凹んで、最後には二つに折れて床に落ちた。
「やっぱり楊枝の方が硬い気がするんだよ」
周囲がざわついた。
「ラードってあんなに弱かったのか? 前々から弱いとは思っていたが」
「キレたのは図星を突かれたからなんだろうな」
「あいつに仕事が来ず、万年ここにいる理由がわかったぜ」
「そういうお前もずっとここにいるよな。最後の仕事はいつだった?」
「いつでもねぇよ。まだ仕事をしたことがねぇ」
「だよな。いつもいるもんな」
「褒めるな。照れる」
今まで静かだったのが嘘のように喧しくなる。どの声も、鎚の男をあざ笑うものだった。
周囲で散々馬鹿にされていても、鎚の男は構わなかった。それよりも、絵堂に折られた鎚が気になるようだ。
「俺の、俺のぉ……。あああああ、高かったのにぃ。まだ、支払い終わってないよ」
鎚の男は崩れて膝をついている。折れた鎚を手繰り寄せ、手元で繋げている。しかし、折れてしまったものは、もうくっつかない。何度繰り返しても、それは変わらなかった。
じわりと浮き出る罪悪感。借金の苦しみは、絵堂にも少しは理解できる。空気に重みを感じる毎日は、楽しいとはとても言えない。
視点に困った。絵堂が自身でやったことだが、鎚の男を見ていると同情しそうになる。
とりあえずローレルと雑談でもしよう。そう決めて振り返ろうとした。そのとき、絵堂の脇から一本の棒が飛び出る。それはローレルの杖だった。
杖は一直線に膝を付いている鎚の男に向かう。
止めようと思えば、簡単に杖を受け止められた。しかし、絵堂は何もしなかった。
ローレルが何をしようとしているのか理解できなかった。絵堂の頭が鈍かったから、先を想定できなかっただけだ。
杖が、男の腹を突く。杖は男の脂肪に埋まっていき、杖の装飾のいくつかが見えなくなった。
「痛い……痛い……痛いよぉ」
男は土下座をするように、額を床に沈めた。絵堂は流石に呆れる。
「やめろ。そんな酷いことをするな」
「武器壊す方が酷くないですかね?」
特に言い返す言葉はなかった。その通りかもしれないと思ってしまった時点で、絵堂の負けだ。
先ほどまであった、絵堂とローレルを排斥するような雰囲気は、この店から消え失せていた。逆に歓迎する声まである。
だからこそ、ここにはもう居たくない。見たところ碌でなしばかりのようだし、同じ穴のムジナと思われるリスクが高いと判断した。
ローレルも同じだ。絵堂と目が合うと、お互い言葉もなく理解し合い、全く同時に頷いた。絵堂が仕事を探すにしても、別のところがいい。ローレルが仲間を探す場所も、ここ以外がいい。
うずくまる男を避けて、外へ向かう。その間も二人に言葉はなかった。周囲から愛の告白や名前を尋ねられるなどしたが、完全に無視をする。
「待ちな」
誰かからそう声を掛けられたが、やっぱりそれも無視した。
「待ちなって!」
さっきの汚らしい店から出ると、潔癖症のために作られたかのような、汚れや傷が見当たらない町並みがあった。もはや非現実的だ。
そんな街を汚れた靴で歩く。当面の目的は、あの店から離れることだ。
「ローレルは無茶をしすぎだ。亀みたいにもっと謙虚な行動を心がけていれば、あんな野郎には絡まれなかったはずだ。違うか?」
まだあの男はうずくまっているのだろうか。ついさっきの場面を思い出し想像していたが、ローレルに中断させられた。
「結果論は好きじゃないのでパスでいいですか?」
「いいよ。でも、どこが結果論なんだ」
「声をかけただけで殴られるなんて思わないよ。道理が外れているって。どんな修羅な世界?」
「ここがそうなんだろう? まるで俺が知っている社会みたいだ」
「知ってる社会? エドゥは記憶が微妙なんじゃなかったっけ?」
そういえば、記憶が混濁している設定だった。今のはギャグと受け取られたみたいだ。
以降は気をつけなければいけない。過去を覚えているような振る舞いをしたら怪しまれる。ローレルは絵堂の知り合いで唯一、この国を知っている。ローレルとの縁がなくなれば、絵堂は浮浪者か犯罪者になるしかなくなるのだ。
実際は王とも顔見知り程度ではある。それでも王には頼りたくない。あの自叙伝を読む人生があるならば、それは紛うことなき最底辺だ。そうなるくらいなら、浮浪者や犯罪者を選ぶ。
「次はどこに行くんだ?」
「そんなこと言われてもね。何も考えていないからなぁ。エドゥはどこか勧誘できる場所知らない? 知らないよね」
「身一つで雇ってくれるところを知っていたら、わざわざローレルに訊かないな」
「そんな都合のいい職場なんて、たまにしかないけど」
「あるんだな」
「勇者チームがおすすめ。空きは二つ、やる気だけで採用するよ」
ローレルの頭の中には、仲間を増やす以外はないらしい。
不自然な風がローレルの装飾を揺らす。浮き上がった前髪、小動物みたいなまんまるの両目は、本心しか語っていませんと訴えてきた。
絵堂にはローレルと言い合う元気がない。精神的な疲れは肉体にも作用する。
どうやらローレルにとっては人数がいるのが最重要であり、他はその下についているようだ。金属なら簡単に曲げられるが、ローレルの意思は曲げられそうにない。うさぎに人の言葉でひたすら語りかけるようなものだ。どんな言葉を使っても、理解されない気がする。ある意味では、さっきの店の連中と同じだ。
「もう言っても聞かないだろうから、勧誘するなら経費は自腹が条件で勧誘してろ。こっちはこっちで仕事を探す。獲物を探す狼みたいにな」
「獲物を探す狼? よくわからないけど、二人で勧誘すれば、すぐに見つかると思わない? そして即ジエンドを処理しましょう。ジエンドの討伐以上に優先すべきことなんてありえないから、仕事なんて探す暇はないと思わない?」
もしかしたら、ジエンドの名前を使えば、ローレルの考えを変えられるかもしれない。
優秀な俺たち二人なら、ジエンドを倒せる。とでも言えば、仲間集めをやめるかもしれない。確実じゃないし言ってしまったら飲み込めないので静かにしているが。
「思うわけがない。仕事は大事だぞ。無職になればわかる。少しくらいならジエンドも待ってくれるさ。仕事が見つかるまで待ってくれと伝えれば、流石に岩みたいに待ってくれる」
「いやいや。ありえな――」
突然、爆音が響いた。その威力は話を中断、話題を切り替えさせるには十分な火力だ。
遠くの方で黒い煙が上がっていた。その煙がある限り、何かの間違いではなさそうだ。
「あっちは、お城の方。もしかしたら事件かもしれない」
ローレルは遊園地で好みの遊具を見つけた子供のようだった。慌てているのかと見てみれば、こいつ楽しんでいる。
「いいや、まさかな」
「急ごう。さあ私についてこい!」
仲間の勧誘が頭の中から抜けたようだ。ローレルは一人で駆け出した。絵堂はそれを追う。逃げる手も考えたが、絵堂はこの街を一人では歩けない。
「仕方がないな。急ぐか。テスト日に寝坊した学生みたいに。……それは急ぎすぎだな」