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木々の終わりに差し掛かり、光の中へと飛び出した。
そこはまだ森の中。森にあるちょっと開けた場所だ。森の円形脱毛症だ。
探していた四人を見つける。見つけた瞬間よりも、状況は進展しているようだ。確かに四人揃っている。しかし、三人だった。
三人全員が銃を持っている。両手持ちの大きな銃だった。
対する獣は一体。人数差を見れば余裕で狩れそうなものだが、三人は苦戦しているようだった。
苦戦の証拠が、地面に横渡る一人。彼だけは銃を手放している。それどころか、腕すらなかった。首元から胸にかけて大きな溝が掘られていて、不幸があったのだと誰でもわかる状態だった。
一人が撃つ。狙いは正確で、真っ直ぐに獣へ向かった。しかし獣は動じない。正面を見据えたまま、銃弾を受ける。左肩の辺りに弾の先端が触れた。
しかしそれだけだった。弾は獣の体毛で滑り、ずれて、獣の後方へと消えていく。まるで効果がなかった。
獣が動き出す。対する三人はまだ銃を構える。滑った銃弾が見えなかったのだろうか。この獣に銃は効かない。拳で殴れば勝てるかもしれないのに、銃に固執するとは視野が狭い。
三人は絵堂に気づいていない。はちきれそうな集中力は限界に近くてもまだ続いていた。
仕方がない助けてやるとするか。この森について聞きたいのだ。死なれては困る。恩を売るのも悪くない。
絵堂は一歩踏み出した。このまま突っ込んで、獣に膝蹴りを決めてやろうと考えたその時、異変が起きた。
目の前にいる四人が変化する。立っている三人と死体もだ。足先からつむじに向けて、まるで日曜朝の魔法少女が変身するように服装と武装が変化した。
全員が統一されていた地味な服装は、それぞれ別のデザインに。どれも実用性からは離れて、おしゃれを意識したような服装になった。
武器は技術力が落ちた。男の一人は剣に、女の一人は杖に、男のもう一人は弓に変わっている。矢筒が金と宝石で装飾されているところが、若干腹立たしい。
髪型も変わっている。剣を持った男はビジュアル系に、杖を持った女は短かった髪が長くなっている。弓を持った男はおかっぱになった。
剣の男は白いマントに白い鎧、白い剣を一本携えている。剣の刃には男の子が喜びそうな意味不明な字が掘ってある。もちろん読めない。
対して杖の女は黒がメインの衣装だ。背丈ほどある杖は細い無数の糸が螺旋状に絡まり太い一本を作り出しているようだ。
弓の男は土色のぶかぶかのローブ姿になった。ロングボウを一つ持っているだけで他に武器はないようだ。もし近接戦闘になったら、弓に付いている無意味としか思えないトゲで戦うのかもしれない。
なぜだろう。急に助けたくなくなった。絵堂の足が止まる。その間にも三人と獣の戦いは続いている。
獣が走る。獣も若干黒っぽくなっている気がする。
その獣が走り、剣の男に飛びかかる。男は剣で受け止めて堪えていた。
三本の矢が走る。
「ブラッドアロー」
その声と友に放たれた矢は、赤い軌跡を描き、獣へと容赦なく襲いかかった。
銃弾が駄目だったんだ。矢で何ができる。そう思った絵堂は目を丸くする。矢が突き立ったのだ。三本全てとはいかなかった。一本は弾かれたが、二本が刺さっている。剣に襲いかかる腕に確かに棒が二本生えていた。
獣は驚いたのか、距離を取る。矢が気になるのだろう。腕に牙を擦りつけていた。
杖の女が一歩下がる。杖の底を地面に叩きつけて目を閉じた。
「染めるは白。焦がすは赤。我が記憶に宿りし移り気の子よ。刹那の瞬きに約定を求める。望むは灼熱、報いるは安寧。聞き届けたならば緋染の棺にて彼の灯を焼き尽くせ」
ふわりと浮き上がる長い髪は、まるで水の中にあるように散らばる。怪しげな模様が杖を中心に広がり、薄暗い光を発している。絵堂はその模様と似た模様に見覚えがあった。
あの模様、光を発するところ、インテリハイツの自室で寝ていたときに現れた模様のようだ。ゴミ回収をしてくれた光りの模様だ。訊きたい話が一つ増えた。
女は杖を地面から離すと、腕を伸ばして獣に向けた。
「スカーレットブレス!」
杖の先端が微かに輝く。細い糸のような光が散って、獣に触れる。その瞬間、光と熱が溢れた。
火事の心配をしない訳にいかない豪炎が、突如現れ獣を襲う。風に色がついたような不確かさがあるものの、熱は間違いなく膨大で、獣一匹を焦がすには過剰すぎた。
しかし獣は倒れない。炎のレース編みに包まれて足に刺さっていた矢が燃え尽きても、立っていた。
少しは効いているようで、獣の動きには陰りがある。それでも、まだまだ十分すぎるほど獣が内包する脅威は残っていた。牙を剥いて唸る。勘違いじゃなければ、怒っているようだ。
獣は消火を考えない。消火の概念がないのだろう。そのまま再び三人に襲いかかる。向かった先は杖の女だ。しかし剣の男が立ちふさがる。炎を纏った前足が、剣の男を襲った。
がりぃと剣が悲鳴を上げた。それでも、剣の男は支えきる。
獣は後ろ足で立ち上がり、体重を乗せる。それでも支えていた。獣を燃やす炎は、制限時間でもあったのか、ふと消える。
それが合図だったかのように、杖の女と、弓の男も動き出した。
「波紋よ広がれ、凍りつけ。永遠の眠りに興じる乙女よ。一時の黄昏に贄を奉ずる」
杖の女はまた何かを始めた。カバーするように弓の男は弦を引き絞る。
「ピアッシングショット!」
声の後に離された矢は異常な回転をもっていた。ギュンという擬音が似合いそうな矢は獣の手を狙っていた。剣と押し合っている手だ。
矢は狙い通りに触れて、皮膚の内側に入り込んで暴れていた。回転が弱まるまでグリグリと捻りながら突き進み、最後には肘から矢じりだけが出た状態で止まった。
獣は矢に引っ張られて、後ろにさがった。それを好機と見なし、剣の男が前に出る。しかし獣は簡単に体制を整え、再び攻撃に転じた。
剣の男による鋭く正確性に富んだ斬撃と、獣による力に任せた強引な引っ掻きでは、引っ掻きが勝っていた。その差は身体能力に依るものが大きいようだった。
剣の男は無理やり防御に入るしかなくなる。横腹を狙う獣に合わせて、剣を縦に差し込んでいた。剣の男と獣の間に、金属の刃が現れて、獣の爪は阻まれる。しかし剣の男の姿勢は耐えるようなものじゃなかった。獣の腕力で、剣の男は両足が浮き上がり押し飛ばされる。
剣の男は転がる。なんとか地面に足を着け見上げたときには、獣の視線が杖の女に向いていた。
獣の目に理性はない。ただ動くものに襲いかかるだけの殺戮兵器だ。この先どうなるか火を見るより明らかだった。
「俺だけを見てくれ!」
剣の男は声を上げる。それは獣の気を引こうとするものであり、同時に現状が逼迫していると白状するものだった。
絵堂は助けに入るか迷った。迷っている間にも、獣が動けるのを忘れながら。一瞬で状況が変わることを忘れていた。
二つの影が動く。一つは獣。杖の女に向かって一直線だ。
もう一つの影は弓の男だった。獣の進行ルートに身を入れる。
「やらせない!」
一本の矢が弓の弦を伸ばし、そして放たれる。非常に頼りない矢だった。獣が迫る速度を考えると、引き絞れなかったのだろう。
しかしその矢には技術以上の思いが乗っかっている。白い輝きがその証拠だ。
微かに弧を描く矢は、上下左右に揺れ続ける獣の頭に向かう。
白い矢は縦横無尽に揺れ動き続ける獣の頭、二つあるうちの一つ、眼球に吸い込まれた。
血と苦しみの叫びが撒き散らされる。それだけで、他には何も起きなかった。杖の女が攻撃はまだ始まらない。突如、無関係のヘリコプターが現れて、墜落芸を見せてくれたりもしない。獣は叫ぶだけで、足は鈍りすらしなかった。
片目に矢を生やしていても気にしない獣に対して、弓の男にできることはなかった。その爪は、一人の臓物をまとめて引き裂くには十分過ぎる鋭利さがある。
弓の男は、弓を盾代わりに差し出すが全く意味はない。弓ごと引き裂かれ、無慈悲に血が降った。
すれ違いほどのタイミングで、杖の女の攻撃が始まる。
「間に合わなくてごめん――連鎖する氷柱、パーソナルピラー。凍って二度と出てくるな!」
ちなみに、その願いは聞き届けられない。
杖の女が踵を踏むと、そこを起点にして氷の槍が突き出た。たけのこのような氷が地面から幾多も生えて、獣に向かって進む。
獣は杖の女を切り裂こうと飛びつくが、氷に阻まれて叶わなかった。
氷の槍は触れた物をくっつける性質があるようだ。獣の腕は氷に触れてから離れていない。
もう一つ氷の槍には性質があって、それは成長することだ。例外なく、どんどん太く高く育っていく。くっついた獣の腕を取り込むように太く成長していた。
気がつけば獣の腕は氷の中。それどころか、獣の全身が氷に閉じ込められていた。腕が捕まって動けないところを、足元や周囲から生えてきた無数の氷の柱に捕らわれたのだ。
複数の氷は成長すると一本の柱になっていく。最後には一本の巨大な柱の中央に、獣が封じられる形になった。日の光で輝いていて綺麗だった。
「ここまでの大技にしなければ……」
杖の女は足元の屍を見下ろした。剣の男が顔をひきつらせながら寄ってくる。
「そうでもしなければ、勝てなかった。責があるとすれば僕だ。早まった行動をしなければ、跳ね飛ばされなかったのに」
重い空気がよくわかる。絵堂は自分の存在を忘れたくなった。声をかけづらい。今出ていって『この森はなんですか?』とか『あなた達は誰ですか?』と訊きたくなかった。弓の男から血が流れなくなったのは、絵堂が助けに入らなかったから、という面もある。
このまま立ち去るのも悪くない。別の人間を探すのもいい。そのための時間はたっぷりとある。絵堂は会社をクビになったばかりの無職だからだ。
じゃあそうしましょ。
行く宛はないが、真っすぐ歩けば、いつかは森の外に出るだろう。絵堂は引き返そうとする。彼らから目をそらして森の中へ……。
その瞬間、無視できない微かな音を聞いた。氷を引っ掻くような音。かき氷屋を思い出す。思い当たる節は、そんな甘いものじゃなかった。
振り返り、再び氷の柱を注視すると、動く物がいた。爪の先に小さな亀裂がある。小さな亀裂は大きな亀裂へ。大きな亀裂はより大きな亀裂へと発展する。そして、最後には割れる。
助けよう。絵堂は瞬間に判断する。杖の女を狙っていると断定して、まずは盾になるべく突っ込んだ。
剣の男は驚きつつ、構えを整える。突如のことにも関わらず、動きは精錬されていて経験が窺えた。そんな男でも、突如現れた絵堂への反応は困る。
「誰だ?」
「助けてやる」
獣は絵堂に向かってきた。正確には杖の女にだ。向かってくるのであれば、そのまま顔面を殴り飛ばして終わり。
そう考えていると、絵堂の前に人が割り込む。剣の男だった。
「誰か知らないが頼む。ローレルを連れて逃げてくれ」
絵堂は言葉が出せなかった。助けられるというありえない現実が絵堂を固めた。
「こいつには勝てない。あの氷を抜け出すなんて。早く!」
獣の爪が剣の男に届く。なんとか剣で防いだが、無理な体制が祟って地面に叩きつけられていた。
絵堂の思考が戻り、まずいと思ったときにはもう遅かった。獣の足元に転がった剣の男への追撃はもう終わっている。
絵堂は後ろを見た。そこには杖を持った女がいる。青い顔で佇んでいる。
「ローレルと呼ばれてたっけ」
杖の女が顔を上げた。やっぱりこいつの名前はローレルで間違いないようだ。
後ろから獣が迫ってくる。凄まじい圧でわかる。ローレルの目の動きと瞳に映る影でわかる。獣は他のやつにやったように、絵堂を引っ掻いて殺すつもりらしい。
絵堂は向かってくる邪魔な腕を肘で受け止め、払いのける。次に獣の口元を鷲掴みして、地面に叩きつけた。
「別にこの……こいつの願いだからじゃないが、助けてやる。助けるって、さっきも言ったなぁ。とにかくそういうことだ」
手が汚れるのはあまり良いことではない。生き物を粉砕したら、いろいろと飛び散って汚れてしまう。なるべく静かに始末したい。
絵堂は剣の男が持っていた剣を拾い上げた。
剣を起き上がった獣の頭にゆっくりと差し込む。ゆっくりと、周囲を汚さないように。獣が静かになるまですぐだった。剣が中程まで刺さると、もう獣に残されたのは、最後に倒れる音だけだった。
「あんた……」
絵堂は剣を抜く。傷口からぷくぅと血が溢れる。血は周りの毛に吸われて消えてった。
「助けると言ったからには安全な場所まで連れて行く。自分で安全だと思えるところまで、案内してくれ」
「それよりも、あなたどうして生きているの?」
辛辣な質問に瞠目した。目の前にある真剣な顔を見ていると、怒る気にもなれず逆に笑えてくる。
「自分でも謎だ。俺だからじゃないか?」
「その剣は聖なる剣。剣が自ら使い手を選ぶ。本来なら勇者にしか許されない剣なのに」
「ほう、俺は勇者にふさわしいってことか? さすがは俺。ところで、ふさわしく無い者が持ったらどうなるんだ? 短足になるのか?」
「死ぬ。その聖剣はふさわしくない人間の魂を吸って殺すの。だから生きているのが不思議」
「死ぬ? 聖剣じゃなくて魔剣の間違いじゃないのか?」
絵堂の発言は無視される。ローレルは走り寄り、絵堂の手を握りしめる。妙に近い距離で、覚悟を感じさせる表情だった。
「あなた、名前は?」
「絵堂だ」
「エドゥ」
「絵堂だ」
「エドゥ、お願い勇者になって。この世界を脅かすジエンドを一緒に倒しに行きましょう」
ジエンド。さっき聞いた名だった。
しかしそれよりも、手を離しても倒れずに真っ直ぐ立っている、ローレルの杖が気になって仕方がない。
そんな現実逃避を許さないくらい、ローレルは寄ってくる。背が低く、必死につま先立ちをしているのだが、そのせいで若干顔が強張っていた。
「仲間はいいのか?」
周囲には四つの屍がある。一つは絵堂が倒した獣。残りの三つはローレルの仲間だったはずだ。
「悲しいけど、立ち止まってはいられないから。こうしている間にも、ジエンドは世界を蝕んでいる」
立ち込めてくる宗教のにおい。鼻を摘みたくなったが、手はローレルに捕まったままだ。
「蝕むって、具体的になにしているんだ? その、ジエンド? そいつは」
次郎が主と呼んでいたとしか知らない。
「例えるなら、ジエンドは、魔物を生み出して統率する、工場長ってところ?」
「いや知らん」
「魔物は人を虐げる。食べるでもなく、ただ殺そうとするの。魔物がいる限り、人は地上では安心して暮らせない。だから私達がいる。魔物から人を守り、ジエンドをジエンドさせるのが私達」
つまり、食べようとしてきた次郎は、魔物ではないのか……?
絵堂は自分が持っている剣を見た。これを持っていた男は勇者だったのだろう。ローレルの話を信じるなら、そうなる。
屍になった彼らはジエンドを倒すためのチームだったのだろう。
「そのチームが壊滅して、人類は絶望的ってところか」
幼い頃に触れたロールプレイングゲームを思い出す。楽しかったなぁ。力が入りすぎて、友達の家のコントローラーを潰したっけ。あれから友達が減っていったんだ。
「わかった。やろう。助けに入るのが遅れて死体を増やした負い目もある。そのジエンドをなんとかしてやる。ただし、いくつかの質問に答えてもらいたいんだが」
「なんですか?」
絵堂はローレルの手を振り払う。つま先立ちをやめたローレルはやっぱり小さかった。身長は百五十あるか?
「お前たち、格好が急に変わったが、あれはなんだったんだ? この動物と戦っている間に服が変わっただろう。最初に使っていた銃と服はどこへ行ったんだ? 散歩か?」
子どもたちが憧れるヒーローのように、衣装の換装した件だ。武器も戦い方も変わっていた。まず見落としようがない変化だった。本人が自覚していないはずがない。それなのに、質問自体がローレルには伝わっていなかった。
「変わった? 何を言っているの? 夏場だとちょっと厳しいこの礼服は、先祖代々に受け継がれてきたもの。屋外で着替えるような軽い装いじゃないわ」
なるほど。受け継がれてきたか。それで所々に丈を直した跡があるわけだ。なかなか気付きづらい微かな跡がある。そうでもしないと、ローレルの体型に元の礼服が合わなかったに違いない。
丈を直した跡以外にも、跡があった。跳ねた泥や擦れた跡だ。一部を除き、時間が経っている。泥は乾いているし、擦れた跡には汚れが入り込んでいた。
礼服に対する扱いじゃない。ってのは一先ず置いて、ついさっき綺麗な服に着替えたとは考えにくいようだ。全身にある細かいシワも、随分前から着ていたと肯定している。
「見間違いってことか?」
現状ではそう考えるのが自然だ。前に着ていた服も銃もどこにもない。言い張るなら証拠を見せてくださいと言われても、見せられないのだ。
「わかった。今は納得しておく」
「含みがあるみたいですけど、戦いながら着替えるなんて無理なので」
「わかっている。もう一つ訊くがいいか? この森はなんだ?」
インテリハイツを囲むように急に現れたこの森は、絵堂にとって最大の謎だった。
三つある屍を放っていくわけにもいかないと、聖剣で穴を掘りつつ、横目をローレルに向けた。
「それは私を試しているの? 扉の森。魔物が多数徘徊している、人の生活圏とは隔絶されるべき危険な森でしょう? ……エドゥはどうしてこんな森にいるの? それにその服、見慣れない格好だけど」
聖剣は穴を掘るには向いていない形状だが硬さはかなりのもので、力を入れても無事だった。
一人分の穴を掘り終えたところで、ローレルに向き直る。
「家で寝ていたら、家の周囲がこの森になったんだよ」
嘘ではない。真実だ。しかしローレルの目に信用はない。
「何を言っているの?」
絵堂は自分でも何を言っているのかわかっていない。ローレルの反応も当然のものだ。一晩もかからずに、家の周りが森になるなんて、一生に一度すら経験しない珍事だろう。
「自分でもわからない。とりあえず移動しよう。また獣に襲われるぞ」
そう言って誤魔化すのが精一杯だった。
「確かに、死臭に集まってこられても厄介だけど。エドゥがこの森にいる理由ははっきりさせておきたい」
「ぶちのめしたい奴がいたんだよ。空飛ぶ変なでかいやつ」
インテリハイツの周りに森が現れた話は、もうするべきではないかもしれない。怪しまれる一方だ。信用を得られなければ、情報の信憑性を疑わないといけなくなる。不審に思われても利益はない。
絵堂とローレルは三つの屍を埋葬する。動物がその気になれば簡単に掘り返せるくらいの深さが限界だった。木の根が邪魔をしていた。根を折れば進めたが、それは木の迷惑になる。近づいてくる気配を無視できなかったのも大きい。
中途半端に葬ってから、人の生活圏へと向かった。案内はローレル。絵堂が道を知らないのは、ジエンドの陰謀に巻き込まれ、記憶が混濁しているということで、ローレルを納得させた。
なぜ納得したのかはわからない。ただ、ジエンドの名前を出せば、どんな不条理も納得しそうな雰囲気があった。
そういうわけで、絵堂は記憶が危うい設定だ。
「私は幼い頃からジエンドを倒すべく、魔法を学んできたんです」
「魔法か。さっき使ってたのがそうか?」
「まさしく。その成果があり、今では世界最高の魔法使いです。私が使えない魔法は、この世界には存在しません」
「自信があるんだな」
「当然。人と比べられないくらいの時間を注いで、事実上、私専用と言われる魔法まであるくらいだから」
「仰々しいなぁ。どんな魔法なんだ?」
「ジエンドと戦うための魔法訓練だったから、多くは対象を破壊する魔法です。今言ったのは防御に寄った魔法だけど。実際に見てもらうのが一番ですな。――規模を縮小して。振動する飛沫よ……」
ローレルが口でもごもご言うと、正面にある一点がモノクロに変わった。そこのあった草が枯れていく。
「枯らせる魔法か?」
「正確には外部からの接触を遮断する結界。その場所にあるものは外部から完全に隔離されて、一切の干渉ができなくなる。されなくなる。あの黒い場所を狙って石を投げても絶対に入らないよ。草が枯れたのは、ちょっと理由がわからないかな」
それは面白い。試してみようと小粒をいくつか拾い上げる。狙えない距離じゃない。ゴミ箱を狙うようなものだ。絵堂のゴミ箱は部屋中みたいなものだった。投げれば確実に入る。
一投目は普通に外した。明後日の方向に飛んでいく。二投目は距離が足りなかった。三投目は当った。ローレルの言う通り、内側には入らずに、モノクロの上を滑って落ちていく。地面につくとモノクロに寄りかかるように止まった。
「ほら、入らないでしょう?」
自信に満ち溢れたローレルに、不思議と腹が立つ。怒るようなことじゃないけど。ちょっとローレルの顔を歪ませたくなってしまった。
「入れ」
絵堂は石ころに命令を下す。ぷふっと空気が抜けていくような笑い声がした。その笑い声は続かない。石が動き出したからだ。転がった先は、魔法の内側だった。
「嘘でしょ?」
この顔が見たかったと絵堂が笑う。
「世界最高の魔法使いも、まだまだだな」
「いや、違うと思う。これは私以外の何かがおかしい」
「それにしても、魔法ってのは面白いかもな。他にもいろいろあるんだろう?」
「当然。長い詠唱を待ってもらえるなら、あそこの山を平地に変えてもよくてよ」
「よくないよ」
こんな馬鹿をやりながら歩いていると、人工物が見えてきた。
巨大な門。黒く塗られていて、厳重に守られている。門の両側には高い壁が聳えていて、堅牢さは目で見るだけで十分に伝わってきた。
「ここが、ローレルの言っていた?」
「そう王都エルターヴェ。世界で一番歴史が深い国。料理はまずい」
ようやく人がいる場所へ来られた。絵堂にはやらなければいけないことが沢山ある。まずは情報収集。自分の身の回りで何が起こったのかを知らなければいけない。本ならローレルみたいに言い返してこないから楽でいい。本は苦手だから読まないけど。
二つ目は仕事探しだ。絵堂は無職。一銭も持っていない。永住するつもりはないが、数日いるだけでもお金は必要になる。
三つ目は、ない。強いて挙げるなら、ジエンドの件だろうか。付き合うと言ってしまった。いずれ力を貸す必要がある。
まあこれは、街にいる間にやることではないか。ジエンドがこの国のどこかで部屋を借りていて、家賃を払っているとは思えない。
軽い足取りで門へ向かう。そのとき、門と壁が光って見えた。
気のせいではない。自分に向かってくる光を指と手のひらで弾いた。これは、レーザー光線?
「これは?」
門と壁からは絶え間なくレーザーがやってくる。どうやらいたる所にレーザータレットが仕込まれているらしい。なるほど。襲撃への対策は十全に済ませているというわけか。
たまに外れる光線は、岩を貫通して地面に焦げ跡を残していた。
「初めて防衛装置が動いているところを見たよ。参考にしようかな」
「じゃなくて止められないのか? 手を動かしっぱなしは疲れるぞ」
「市民権は? 他国のでもいいけど」
「家に忘れた」
身分証は全て瓦礫の下だ。次郎がインテリハイツを瓦礫の山にしてくれたおかげで、取りに行っても見つかるか疑問だ。試しにポケットを漁ってみたが、折れた名刺と、いつ行ったか覚えていない店の割引券と、ペンくらいしか出てこなかった。ハンカチすらない。
そもそも、この国で免許証や期限が切れたパスポートが効くとは思えない。王都エルターヴェなんて国は初めて聞いた。
もしかしたらと絵堂が危惧していた説がある。絵堂は今まで、インテリハイツの周りに森ができた説を主軸に考えていたが、実際は、インテリハイツが別世界に送られたと考えれば自然なのではないだろうか。そんな現象自体が、全く自然じゃないけど。
しかしそう考えれば、あの森も、次郎の存在も、王都エルターヴェという聞いたこともない国の存在も納得できる。残る疑問は、ローレルたちのチームが獣と戦いながら見せた換装だけになる。
「市民権がないなら、私のペットになりなさいよ。ペットなら人権なんていらないから」
「怖いことを言ってくれるじゃないか。嫌だね」
「嫌なの? わがままばかり。仕方がないか」
ローレルが杖で地面を鳴らす。魔法で門を吹き飛ばすつもりかと焦ったが、どうやら違うようだ。
「私はローレル・カプウ。勇者インツ・ハリカのチームの魔法使い。急で誠に恐縮ですが、王にお目通りを願いたく存じます。いくつか御報告しなければなりません。この男性とも、お会いして頂きたい。この者は聖剣を手にできます」
ローレルの口が言葉をやめると、ほとんど同時にレーザーも止んだ。更に門まで開く。
王と会う? あまりいい予感はしない。どこかで粗相をして、投獄されそうだ。しかし仕事を得る機会としては、これ以上はないような気もする。
「やってみるしかないか」
門から入ると、同じような建物が並んでいた。非常に簡素で、見た目はつまらないの一言に尽きる。色も同じ。形も同じ。飾り付けは全く行われていない。そんな建物だ。プレハブを並べたみたいだった。
その中でも主張が激しい目立ちたがり屋が一棟ある。
「あれは?」
「エレベーター。あれで地下にある街に行くわけ」
街は地下にある。魔物を警戒するあまり、そうなったとか。地下に街を作れば、地上が魔物にやられても被害は最小限に抑えられる。地表という壁が守ってくれるからだ。よくわからないが、そういう理屈らしい。