9
列車に向けて歩いた。幸いにも改札は吹き飛んでいる。おかげで無料だった。
改札だったところを進んでいくと、列車が見えてきた。何もない長いホームに隣接して停車している。
ホームは広かった。しかしなにもない。サッカーコートがいくつか入りそうなくらい広く平らな空間があるが、広告や椅子の一つも置いていなかった。寂しいという表現がよく似合う。魔物の一匹もいないから尚更だ。
列車は汚れもない真っ白なボディで、デザイン性がない四角をしていた。ドアは一両に一つだけ。魔物が乗り降りできるように、サイズが大きかった。
「列車の進行方向は合っているのか? ジエンドの城とは逆方向に走ったりしないよな」
ローレルに問いかけながら、開きっぱなしの列車のドアをくぐる。
内部も白く汚れが見当たらなかった。床から天井、壁の細部に至るまで全てが、雲の最も白いところだけを厳選したような白さ。これを白と言ってしまうと、他の白が別の色になってしまいそうだった。
ここ最近行った場所で最も綺麗な場所が、姿形が小汚い魔物の公共物とは、ちょっとした敗北感だ。王城でも夢に落ちたと錯覚させられるほど綺麗ではなかった。
「多分大丈夫でしょうっ……うわぁ何これ綺麗」
ローレルでも魔物の列車の方向なんて、詳しく知っているわけがないか。もし逆方向に進んでいるなら、飛び降りれば済む話だ。
土足どころか、靴を脱いで上がっても気後れしそうな美しさがある車内を、土足で歩く。絵堂は窓を開けてみた。
窓は上から下げるタイプだった。開いた隙間は拳二つ分が限界だった。この隙間から飛び降りるのは無理だ。降りるとなったら、ドアを強引に開けるか、壁でも窓でも穴を開ける必要がありそうだ。
列車は綺麗なだけじゃなくて、素晴らしい配慮がされていた。魔物は個体による大きさが様々だ。魔物を知ったばかりの絵堂でも、今まで見てきた魔物を思い出せば、それくらいは知っている。
大きい魔物と小さい魔物の体の差は、人間の大人と子どものような優しい差ではない。カリブーとチワワくらい違うのだ。
列車にはソファが配置されている。そのソファが素晴らしかった。様々な高さのソファが並んでいるのだが、どんな大きさの魔物でも座りやすいように、絵堂の膝くらいの高さから、上は絵堂の頭を悠々と越すソファまであった。奥まで進むと、人間に丁度いい高さのソファも備わっていた。
列車の真ん中は通路で、ソファは通路の両脇にある。列車の壁に背もたれがあった。
絵堂はローレルとモニカの二人と向き合うように座った。
しばらくすると窓の外が動き出す。列車が駅を出たようだ。あまりにも揺れがないものだから、ローレルとモニカはすぐには気づかなかった。
「あっ動いたんだ」
ローレルはそんな間抜けな声を漏らしていた。
ほぼ景色が動くだけの快適な旅だった。ジエンドの元へ進んでいるのは間違いないようで、王都エルターヴェの逆方向でもある西に進んでいた。
「ようやく落ち着いた感じがする」
三人を除き、無人の車内にローレルの声が響く。確かに、ずっと忙しなかった。
「これからが大変だからな。今のうちに休め」
「わかってる。ここからが本番。ジエンドを倒すために魔法を学んで、遂にここまで来たんだ」
ローレルは隣に寝かせている杖を撫でた。ところで、杖が異常なほどソファにめり込んでいるのは気のせいだろうか。よく考えればあの杖は金属の塊だ。もしかしたら、聖剣より重いかもしれない。
モニカはじっとローレルを見つめていた。
「どうして、ジエンドを倒すの?」
ぽつりと呟かれた。静かな車内では小さな声でもよく聞こえる。ローレルは杖に落としていた視線をモニカへと動かした。まるで爆弾でも怯えているような、ゆっくりとした動作だった。
どうしてジエンドを倒すのか。ローレルは心で一度反芻したのだろう。間を置いてから答える。
「ジエンドは悪でしょう。魔物が人の生活圏を侵食しなければ、人はより羽ばたける。みんなに両手両足を伸ばして生きて欲しいんだ」
「エドゥは?」
「金がもらえる」
モニカは興味がなさそうに相槌をしていた。まだ点火されていない爆弾を取り出して、お手玉をしていた。
「モニカには何も話していなかったな。その辺りも何もかも」
ジエンドを討伐したら、王と約束した金銭は山分けにでもしよう。
ローレルが杖をソファから救出して、自分の太ももに立てかけるようにしていた。
「そもそも、何一つ話をしていないよね。エドゥが爆破されたくらいでさ。もういいの? 服が無くなって怒ってなかった?」
モニカの演技に騙されて爆弾を仕掛けられたこともあったっけ。絵堂自身でも間抜けだったと思える出来事だった。
あのときはスーツを吹き飛ばされて怒りを感じたが、今ではもうどうでもいい。替えた服が丁度いい感じだからかもしれない。
「人を爆破することもあるだろうさ」
「その通り」
「反省はしとけ」
モニカから答えがないのは拒否の意味だろうか。モニカは絵堂を無視して、背中に広がる景色に横顔を向けた。
景色もとてもよかった。時間は昼過ぎくらいだろうか。雲が少ない晴天の一歩手前のような空模様で、木々は青々と輝き、遠くの滝は光りの粒を降らせていた。整った窓枠が額縁になっているところが、また美しく感じる点なのかもしれない。
ローレルとモニカの容姿は中々見られる。関係ないとは思うが、これも景色の彩りに一役買っているのかもしれない。一度見てしまうと、目を離すのはそこそこ大変だった。
「ジエンドのお城って、どんなところなんだろう。早く爆破したいな」
その言葉で現実に引き戻されなければ、もう暫く景色を楽しんでいた。
「気になってたんだけど、どこに爆弾を隠し持っているの?」
ローレルがモニカの頭から足の先まで順に見ていく。しかし不自然な膨らみは見つけられないようだった。何も持っていない。そう結論付けるしかない。
「持っていないよ」
お手玉に使っていた爆弾以外は、確かに持っていないように見える。
「じゃあどうやってジエンドの城を爆破するつもりなの?」
モニカは手元の爆弾に火をつけようとする。ローレルがその腕を掴み動きを止めていた。
「気がついたら持っているものじゃない? それで、点火しなきゃって思うんです」
「気がついたら持ってるなんて、あんたくらいだよ」
ローレルと同様に絵堂にもわからない感覚だった。きっとモニカにしかわからないのだろう。説明しようと唸っているモニカを見ていると、見るや触るなどと同じような感覚的なものみたいだ。
納得できる答えは得られないとローレルも判断したのか、溜め息一つと爆弾に点火しないように注意をしてモニカから手を離した。
「ところで、訊けるうちに訊いておきたいんだけど」
ローレルの目が真っ直ぐ絵堂を見つめる。
「エドゥとジエンドってどういう関係?」
ジエンドことサイグルを思い出す。謎の既視感がある人物だった。
「他人だよ。そのはずなんだけど、知っている気がしたんだよ。初めて会ったとは思えなかった。俺も確かめたい。あいつは俺の何なんだろうな?」
「私に訊かれてもね」
絵堂の中では、王からもらえる金銭よりも、サイグル本人への興味が大きくなっていた。あいつは何者なのだろう。向こうは絵堂を知っているようだった。既視感は正しく、過去に会った誰かかもしれない。
もしそうだとしたら、なぜサイグルは絵堂を知っていて、絵堂はサイグルを思い出せない。
絵堂にもわからないのだ。ローレルはより混乱しているだろう。仲間になったはずの絵堂と、仇敵のジエンドが知り合いっぽい事実は、ローレルを強く揺らす振り子だ。
「これ以上知りたければ、サイグルにでも訊くんだな。俺はそうする」
ローレルに溜まる疑心が、絵堂の目に映った。笑顔とはかけ離れた表情で、歪んだ瞼から視線が刺してくる。
このまま不満ばかりを溜めさせても悪い。絵堂は自分の中でも形になっていない継ぎ接ぎの仮定を、思い出しつつ縫い合わせて出していく。
「もしかしたら、ここに来る前に住んでいた街で会っている。そのときはあんな格好ではなかったはずだ。今と同じ見た目ならさっき会ったときに気づいている。だから、つまり……」
誰だろうと考えてしまうと途端に言葉が詰まった。
「記憶、戻ったんだ?」
ローレルはじっと絵堂を見つめる。忘れていた。記憶が混濁している設定だった。
「戻ってはいない。サイグルを見て、一部の記憶が刺激されたというか、なんというか」
絵堂は余分な考えを振り払うために首を左右に動かした。それで何が変わったのかは不明だが、すっきりしたような気分になっていた。
「懐かしい感じはない。会っているとしたら最近? それも違う気がするんだよ。最近会った人を順に思い浮かべてみても、誰とも合致しない。なあ、サイグルはいつからジエンドをやっているんだ?」
「私がジエンドと会ったのはさっきのが初めて。ジエンドが代替わりするならわからない。しないなら、二百年ってところかな」
「長くて二百年か。そんな長生きの知り合いはない」
考えるだけ時間の無駄だ。知り合いで二百を越えているとしたら、公園の木か、隣に住んでいた婆ちゃんくらいしかない。
「会ってみないとわからないな」
「会って、知っている人だったらどうするの?」
ローレルは感情のない瞳で、絵堂を視界に入れて外してを繰り返していた。
絵堂は小さく息を吐く。ローレルの心配事を察して笑いそうになったが、それはなんとか堪える。
「知り合いだったら、気兼ねなく殴れるな。俺を知った上で挑発してきたってことだから。サイグルは倒すよ。俺が裏切らないかを心配しているのかもしれないが、それはない」
「信じていいの?」
「自分で決めろ。でも、どうしても俺に決定権を委ねたいなら、信じていいぞ」
ローレルは深呼吸を挟んで微笑む。もし初めて見たローレルがこんな顔をしていたら、惚れていたかもしれない。その後、現実を知って無しに分類していた。
「じゃあよろしく」
細い腕が差し出される。ソファに座ったままのローレルが、絵堂に向かって握手をしようと手を伸ばしたのだ。
大きな魔物でも通れるように、列車の通路はとても広い。ローレルの腕程度では、絵堂が座る反対側にはとても届かなかった。そこに絵堂の腕の長さを足しても大差ない。
「届くかよ!」
そう言いながら、絵堂も同じように手を伸ばす。やっぱり手は届かないし意味はない。絵堂にも立ち上がるつもりはない。
ローレルが腕を目線まで上げた。片目を閉じて、自分の手を絵堂の手に重ねる。握手にはとても見えないが、二つの手が一つの視点で重なった。
絵堂とローレルがバカをやっていると、除け者みたいな扱いだったモニカが立ち上がる。
モニカは片手で、ローレルの手を掴む。もう一方の空いている手を絵堂に伸ばした。握手をさせたいのだろうか。しかし通路は広く、間にモニカが入っても絵堂までは届かない。
「なんでそんなことをしているんだ?」
「暇だから」
やはりどうしても届かない。モニカは絵堂へ伸ばす手を引っ込めた。そしてまた手を出す。今度は、モニカの手には爆弾が握られていた。
「掴めと?」
無理をして前傾姿勢を作れば届きそうだった。ソファから立ち上がれば解決するのだが、何となくそれはしたくない。
絵堂は問いかける。
「何の意味があるんだ?」
「意味など無い」
モニカは無意味に必死だった。理解できないくらいに必死だった。
一種の気まぐれというやつだ。絵堂は少しくらい協力してやってもいいと思えた。
絵堂は胴をいくらか伸ばす勢いで、爆弾に飛びつくように手を伸ばす。指先がギリギリで爆弾に触れて捕まえた。当然、腰はソファに埋めたままだ。
これで絵堂とローレルは握手を交わしたと言えるのだろうか。一直線に繋がりはしたが、それだけだ。モニカの言う通り、意味など無い。
列車が何かに轢かれたのか大きく揺れた。その揺れでモニカがコケる。片手はローレルに、片手は爆弾を介して絵堂に握られていた。慌てて両手を離したが、顔のガードが間に合わない。
モニカは、さてどうするか、と顔面が地面に落ちるまでの短い時間で思考する。どうしようもなかった。
顔から行った。べちゃりと顔が潰れて、その後に体が落ちた。
「大丈夫?」
揺れの原因よりも、モニカに注目が集まっていた。心配の声はローレルのみで、絵堂は何も言わない。
不機嫌に頬を膨らませて――腫れではない――立ち上がる。立ち上がると、シュッとした鼻から赤い雫が溢れた。出しっぱなしにはできないので、新品のハンカチを取り出す。乱暴に口の上に押し当てた。
「もう、何?」
再び揺れた。
「ふん、二度も同じ手を」
再び揺れた。今度の揺れが一番大きい。モニカの両足が浮き上がるくらいの揺れだった。モニカはそのまま落っこちて、床に叩きつけられる。しかし今度はガードが間に合った。痛かった以外に被害はない。
今まで快適な旅路だったのに、急に揺れすぎている。こう続くと原因を知らないわけにはいかない。
絵堂がモニカに手を伸ばす。モニカはその手を払い除けて、自分ひとりで立ち上がった。
「ちょっと続きすぎるな」
その一言が呼び水になったかのように再び揺れた。慣性によってローレルとモニカの二人が吹っ飛びそうになる。なんとか絵堂が二人を捕まえたが、もし捕まえていなければ、二人は車両前方に転がっていたに違いない。
「減速してるな。止まるつもりか?」
窓の動きが遅くなっている。このままでは景色が停止画になってしまう。厳密には風で木々が動いたりするが。
急ブレーキの原因で真っ先に思い浮かぶのは、運転手の判断だ。この列車に運転手がいるのかは謎だが、いるなら立て続けに起こっている揺れの原因を知っているかもしれない。
「先頭を見てくる。二人は――」
「行くよ」
「文句言ってやる」
絵堂は持っていた爆弾をモニカに返してから走った。
この列車はとても大きい。先頭まで距離があった。それでも走ればすぐに着く。乗り合わせていた魔物がいたようで、道中で剣を抜いた。大した障害ではなく容易に突破できた。
他に問題はない。すぐに先頭に辿り着いた。
鍵付きの扉を強引に捩じ切って入る。そこは細かい無数の計器が並ぶ、四畳くらいの部屋だった。
「おっお前たちは」
そう言ったのは魔物だった。制服を着ていること、運転席と思われる椅子に座っていることから、この魔物が列車を操作していたのだろう。頭は二つ、胴は一つ。つるつるしている三本足だ。八つの目と十本の腕で、人間には不可能な操縦を可能にしていた。
絵堂はすぐローレルに待ったを掛ける。
「殺してしまったら列車が動かなくなる可能性があるから、その杖を降ろせ。それと、とりあえず加速をしてくれ」
ローレルは歯を軋ませながらも従った。
魔物は慌てている様子だった。近寄る絵堂との間に何本もの腕を入れて何とか距離を作ろうとしている。たまたま近くにあった小型扇風機で絵堂を殴ろうとするが、簡単に止められてしまった。もはや魔物に為す術はない。
「訊かなきゃならないことがある。さっきの揺れはなんだ?」
長生きの秘訣でよく食べ物が取り上げられるが、この場で食べ物は役に立ちそうになかった。従順でいるのが生き残る唯一の方法だ。
魔物はすぐに気が付き、加速をしながら答える。
「攻撃されました」
魔物の視線の動きに絵堂は気づいた。意味がないわけがない。そう確信して、魔物の視線を追う。そこにはもう一体、別の魔物がいた。窓の外、列車に並んで飛行している。
「ようやく見つけたぜ勇者ぁ。サイグル様に逆らうお前はここでバラバラにしてやる」
姿はトカゲだった。二枚の翼にレモンのような胴体、キリンのように伸びた首、狼のように尖った牙がが生えている。手足は合わせて四本、鋭利さと厚みを合わせもつ爪をつけていた。全身グレーの鱗に覆われていてテカテカ輝いている。
その魔物が口に溜めていた炎弾を列車に叩きつけてきた。
揺れの正体はこれか。列車は頑丈な作りで、炎弾が当っても内部への影響は揺れだけだった。しかし確実に損傷はしている。フレームが歪んだ。
飛んでいた魔物は列車に取り付くと、歪んだ部分に爪を引っ掛ける。列車がより大きく揺れて、窓が砕け散った。
「おまえもサイグル様の下僕だろうが。列車を止めてコイツラを殺せ」
ビクリと全身を揺らす運転手。体の作りのせいか、ゼリーみたいに数秒間も体を揺らしていた。
絵堂はこの列車の動かし方を知らない。それなのに、なんとなくわかった。運転手が伸ばす手はブレーキをかけようとしている。止めなければ減速するのだと。運転手の頭に聖剣を乗せてやった。
「ここからジエンドの城までどれくらいの時間が掛かる? 減速をしなかった場合を教えてくれないか」
「すぐですが」
「じゃあ全速力で頼む。目的地までブレーキはなしだ」
「ブレーキなしは無理ですけど、急ぐってことなら」
「やる気があっていいね」
そうしてもらうためには、列車に取り付く魔物を排除しなければ。
とりあえず爆弾を投げようとしているモニカの手を止めた。ここで爆破されては全員が巻き添えだ。割れた窓から遠くへ投げ捨てた。
「貴様、裏切るのか!」
うるさい魔物をよく見てみると、ドラゴンと呼ばれる空想上の生物に似ている。見た目はそのものだ。しかし、能力に関してはどうだろうか。
絵堂は試しに列車の壁に指を立ててみる。徐々に力を込めてみると、列車の壁を指が貫通した。
予想通りの硬さだった。比較的には硬い部類だが、そう驚くほどじゃない。ドラゴンに似た魔物は、この程度の硬さに時間を掛けていた。どうやら驚異にはなりえない相手のようだ。
絵堂が聖剣で魔物の首を切り落とそうと動く。それと同時に、魔物も動き出した。
ドラゴンに似た魔物は列車から離れ飛び立つ。列車を超えるほどの速度で飛行しながら、口に炎を蓄え始めた。
「鬱陶しい」
絵堂には何もできない。ローレルは魔法を唱えた。モニカは爆弾を投げつけている。
唯一、空高くにいる魔物まで届いたのは、爆弾だった。
しかしその爆弾も一足遅い。首を狙っていたのだが、爆発は首には届かなかった。
爆弾は魔物が炎を吐き出した直後に爆発、魔物の尻尾を千切って飛ばした。
魔物が吐き出した炎は狙い通りの場所に当たる。それは線路だ。魔物が吐く炎で列車は壊せないが、線路を駄目にするだけの威力はあったようだ。
「脱線しちゃう!」
運転手が慌てて叫ぶ。急ブレーキを掛けているが、線路の切れ目までに止まりはしないだろう。
「障壁の魔法できてる」
ローレルの声を聞いて、絵堂はすぐにモニカと運転手を引っ張った。
「どうしてそいつも助けるの?」
「ローレルの疑問は最もだな。自分でもわからない。でも頼む」
「頼まなくてもいいけどさ。ちゃんとジエンドは倒すんだよ?」
「わかっている」
強い衝撃が走ったようだ。列車が跳ねて転けて、地面の上を滑っている。ローレルの障壁の内側は、まるで静かなものだった。
「ほう、まるで無傷か。サイグル様に楯突くだけある」
上から見下ろす存在は尻尾をなくしている。若干、声が上ずっているのは痛みが原因だろうか。きっと我慢しているのだろう。
ドラゴンに似た魔物は無視して、絵堂は運転手を障壁の外に出した。
「線路を進めばジエンドの城につけるんだな?」
「逆走をしなければ」
「そうか。帰っていいぞ」
運転手の頭をぺしぺし叩いて追い払う。運転手はすぐに消えた。踊りのように回りながら、森の奥へ一目散だった。
ローレルが杖で地面をトントン叩いている。
「どうして魔物を帰すの?」
ローレルからすれば、魔物は例外なく殺害対象か。迫る圧に耐えきれず、絵堂は視線を飛んでいる魔物へやった。
「目標はジエンドだ」
絵堂自身、運転手を帰らせた理由はわからない。殺す理由はないが、無事に帰らせる理由もなかった。
「あいつを追って背中を斬るか?」
「そんなことをしている時間はないよ。わかっているでしょう?」
「じゃあいいだろ。あまり、こいつを待たせるのも悪い」
「いくらでも待ってくれると思うけど。生きていられる時間が長くなるんだから」
地面に降りればいいのに、ドラゴンに似た魔物は律儀にも飛び続けている。
「ふん、口だけはよく動く。己に意思があると思い込んだ肉塊の分際で、よくもここまで思い上がれるものだ」
魔物は口に炎を蓄える。トカゲのくせに人間のような笑い声を上げていた。笑い声と共に漏れ出る炎が威嚇にもなっている。そんな脅しは無意味で、誰も退かなかったが。
モニカが一人で障壁から飛び出した。振り返って一言だけ口にする。
「鼻が痛い」
モニカはまだハンカチを押し当てている。ハンカチの色を見る限りでは、もう血は止まっていそうだ。しかしそれでもハンカチは退けない。血の跡を気にしているのかもしれない。
「ねえ、尻尾はどこに落としたの? あの格好いい尻尾だよ。あれがなかったら、低俗な顔のせいで風に舞うゴミと見分けがつかないんだけど。尻尾、拾ってきてあげよっか?」
モニカとは思えないちょっと長めの言葉は、早口で行われた。
絵堂はローレルに囁く。決してモニカに聞こえないよう意識した。
「もしかして、怒ってる?」
「顔痛そうだったもん」
もはや後頭部しか見えないが、モニカが怒っているように見えてくる。この場で唯一、モニカを正面から見られるのはドラゴンに似た魔物だ。その魔物の笑い声が大きくなる。
「つまらない挑発だ。もっと趣向を凝らせ。今のままでは聞く価値がない」
モニカが突然、爆弾を投擲した。きっと脈絡など不要なのだろう。上から振りかぶって投げていた。
その動作は大きかった。急に投げたにも関わらず、魔物はより高くまで上昇して、いとも簡単に爆弾を避ける。爆弾はずっと遠くまで飛んでいき、空中で何も巻き込まず平和的に爆発した。
返しに魔物が火を吹いた。周囲が炎に覆われていく。溜めていた炎のほんの一部なのかもしれないが、赤い息は人を焦がすには十分過ぎるだけの熱があった。
ローレルは爆弾を好んでいるが、炎は気に入らないようだ。魔物が火を吹こうと頭を下げた瞬間、障壁の内側へと急いで戻った。
「あれは、無理です。助けて」
燃え盛る炎に染められ、障壁は真紅に染まる。確かにこの炎の中で爆弾は投げられない。手元で爆発してしまう。モニカとこの魔物では相性が悪いか。降参もやむなしだ。
「俺が行く」
飛行能力の相手は絵堂に向かない。絵堂には翼が生えていないからだ。重力に喧嘩を売るなどして、重力から解き放たれていないからだ。
しかし策はある。見たところ魔物は翼で飛んでいる。その翼をへし折ってやれば飛べなくなるわけだ。跳躍から直接折り曲げてもいい。
考えているのは礫だ。石で翼に穴を空ければ動きを鈍らせられるだろう。狙えるなら、頭を直接狙って脳と石を入れ替えてやってもいい。
絵堂が障壁から出ようとすると、モニカが両手をそっと、絵堂の手に乗せた。
「これ、使って」
既に起動のランプが灯った爆弾だった。時間を掛け過ぎたら手元で爆発しそうだ。
「ローレルは何もくれないのか?」
空いた手を差し出す。
「何かいる?」
「――いらないな」
「じゃあ、頑張って、って応援をあげる」
「あいつ、頑張らないといけないくらい強いのか?」
ローレルと共に魔物の姿を思い出す。ドラゴン似の魔物はモニカの爆弾で尻尾を失っていた。その程度の耐久力しかないのだ。手が届けば、絵堂の負けは有り得ない。
絵堂は障壁から出る。炎が服を燃やす前に、爆弾に引火する前に炎を手で払った。
「次は勇者か」
「不満か? クレームを言うならその口を塞ぐぞ」
心臓を止めればきっと口も動かなくなるだろう。そうすれば一石二鳥だ。
「サイグル様から聞いているぞ。無職なんだってな」
絵堂には自分の息の根が止まったように感じられた。勇者は職業ではないと言っているのだろうか。それとも、会社をクビになったことを言っているのだろうか。絵堂は後者だと、根拠なく確信した。
「サイグルってのは、俺が無職だって知っているのか。伝えにくくて誰にも言ってないのに。もしかして元上司か?」
やはりサイグルには会わなければいけない。そのためにも。
「おまえは秒殺でいいな。加減はなし。とりあえず、プレゼントだ」
絵堂が腕を振る。モニカから受け取った爆弾を投げたのだ。
魔物は目がいいらしい。その爆弾に反応した。避けようと後退していた。しかし、絵堂の投擲物は速い。魔物は爆風を避けきれず、翼の先を失った。
「やっぱりその翼は邪魔だな。千切ってやるから、こっちに来いよ」
なんて言っても来るはずがない。絵堂は予定通り、足元から石ころを拾い上げた。三本指にかかる大きさの石を両手で四つ。手のひらで転がして遊んだ。
肩まで使って投げると、反応されてしまうようだ。絵堂は対策として、手首だけで石を投げた。
絵堂の手から石が消える。その度に魔物の翼に石と同じ大きさの穴が空いた。これが四つの石が全て消えるまで続いた。
「なんだ! 急に痛みが。くっ、うまく飛べぬ」
ドラゴンに似た魔物は必死に飛ぼうとしているが、徐々に高度を下げていく。それに合わせ絵堂が動いた。聖剣を抜き刃を立てる。ちょうど魔物が地面に降りたと同時に、聖剣の間合いに入れる。
「首を落としたら死んでくれるか?」
返答はなかった。それよりも早く聖剣が動いたからだ。
聖剣は魔物の首から肩まで切った。綺麗な切り口で、傷口同士が合わさっていると、どこが傷口かわからないくらいだ。その傷は死因になりえた。魔物はもう動かない。




