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一話

 カーテンの隙間から白い光が目に入る、「ふう」と息を吸い込み、思っていたより冷たい空気に少し驚く、隣からはすうすうと天使のような細い声が聞こえ、柔らかいぬくもりに幸せを感じる。彼女のお気に入りの懐中時計を開き、目をやるといい時間になっていた。


 起こさねば、

「あ」

 っと声かけようとした瞬間、自分の目を疑った、彼女の透き通った肌にこじんまりと整った顔にそぼろ丼がのっていたのだ。大盛りで大人一人食べるのに苦労しそうな大きさ、真っ白な水蒸気が器からこうこうとっ立ち上っていた。


「いつからこんないたずらをする性格になったんだ?」

私の彼女はいたって真面目で芯が強い女性だ、唐突に頭の悪い男子高校生がする様なイタズラをする人では無いはずだ。

これは夢だ、夢かどうかを確認せねばならない。だが良く漫画とかである《自分の頬をつねる》という行為に何となく恥ずかしさを感じた、だから私は《自分の胸を殴る》ことにした。

思いっ切り腕を振りかぶり「どごん!!」

 

 肋骨が軋み、呼吸が止まる、苦しい、痛い、何でこんな事をしてしまったのだ。こんなに苦しいなら素直に頬をつねっていればよかったのだ。


苦しみに悶えていると「ん....凄い音したけど大丈夫?」

彼女が目を覚ました、流石にあの音を聞いて寝ているほど鈍感な女性では無い。


私は彼女の頬を指差し動かないでとジェスチャーした。

このまま起き上がればそぼろ丼は顔から溢れ彼女が火傷してしまう、それにベットを甘辛く汚されてしまっては大変だ。

「どうしたの?」

と不服そうな声を出しながらそのまま顔を横に向けて動かないでいてくれた。

いきなり事情を説明しても驚いてそぼろ丼がベットに着地する事は必至だ。


だから、私は


何も言わないまま彼女のそぼろ丼を食べた。素手で。

「むしゃり」

「ぱくり」

「ごくり」

美味い、美味い。

熱々のひき肉に甘じょっぱいスープがしっかり染み込んでおり、噛むたびに旨味が広がる。

ひき肉を囲むように絞られたマヨネーズが味のコクと深みをエスコートしてくれる。

ただ甘辛いだけでは無くサヤエンドウと長ネギのシャキシャキ感も楽しく、程良い苦みが堪らない、このバランス感まるでそぼろ丼と言う広大なピッチをかけるボランチのようだ。

卵の黄色さが色彩を豊かにしており安心感のあるホクホク感で心までホクホクしてくる。まるであんぱんの帰りを待つバタ子さんの様な安心感。

「ばくばく」

「むしゃむしゃ」

手が止まらない、否、止められない。美味い、旨すぎる。


すると


彼女が顔を赤らめ呼吸が荒くなっている。

「ん、んっ、やめて、やだ」

はぁはぁとうめきながら太ももを擦り合わせるようにして震え、彼女の可愛い手が私の左手を捕まえぎゅっと握り、体が火照っている。

そんな様子を見ながらも私はそぼろ丼を食べる手を止めなかった、否、止められなかった。

ばくばくと素手で掻き込む、額から汗が滲む、でも手を止めない。

「あっ、あっ、あっ、あっ、いっ、いぃ、いぃ」

と言葉にならない声を発する。不思議とそれに連鎖してトロトロと熱いスープが丼から沸き立つ。どんぶり自体も熱があがる、彼女の体と連動しているみたいだ。



突然

ぐらり、と意識が混濁していく、まるで、深い深い、暗い海の底に落ちるように。

意識が堕ちて行く。


そぼろ丼を食べるのは久し振りだ。


あの日からそぼろ丼を食べる事を私とみきは避けていた、口では一度も発した事は無かったがお互いその事に触れないよう距離を取っていた。





ふと目を開けると私は教壇の上に立っていた。

キョロキョロと周囲を見回すと中学生くらいの冬服を着た子供達が不思議な顔で私を見る。子供達の前には集気瓶が班ごとに一つづつ並べられ何かを瓶の中で燃やしていた。

頭が痛む、『なんでこんな所にいるんだ』 さっきまでみきから生えたそぼろ丼を貪っていたはずだ。心臓が早鐘を打つ、『なんだこの胸のざわめきは』私はここに来たことがある、ここに立っていた気がする。


やはりこれは夢かも知れないもう一度腹を殴ってみよう。いや、それでは効果は証明されない、殴る程度の痛みでは意味はない。それならばもっと痛ければ良いのだ。

そう例えば自分の頬を引っ張ってみる、それも両手でだ。皮膚をつねられると言うのは皮膚の神経を捻られるに等しい。殴られるより断然痛いはずだ。なぜ自分を殴った、下らない羞恥心なんか捨てて始めから頬をつねっておけば良かったのだ、自分の短慮さに腹が立つ、同じ失敗はしない、次こそは夢かどうか確認してやる。

『むぎゅ〜〜!バチィンッ』


めちゃくちゃ痛い、痺れる、なんだこれ、おい、嘘だろ、なんでだ?現実的なのか?

彼女から生えたそぼろ丼を食べたら理科室の教壇に立たされるとか意味がわからんぞ、どうなっているんだ。おまけに頬はジンジンと腫れ熱がでているし、鏡で見たら真っ赤に腫れ上がってるやつでは無いか!


「先生ー!急にほっぺたひっぱってどうしたんですかー?冬眠の季節にはまだ早いですよー!」

誰が熊だ、確かに熊に似てるとよく言われるが冬眠するほど熊っぽくない。

綺麗な黒髪にショートカット、前髪に琥珀の髪留めを付けた活発そうな少女がにしし、と笑いながら野次をとばす。

「うるさいぞみさき!授業中は静かにしなさい」

「はーい、先生も授業中は真面目にしてください」

すらりと名前が出る。


「それはすまなかった、だが人のこと熊みたいに言うなよ。俺のことは良いから実験に集中しなさい、火傷しても知らないぞ!」

「は〜い!」

「でもやっぱりキョロキョロしたり、ほっぺたつねったり様子がおかしいですよ」

「あぁ、それはここが夢の中だと思ったんだ」

「夢?ですか、さっきまで普通に授業してたのに、寝てる様子はありませんでしたよ」腕を組み首をひねるみさき。サラサラの髪の毛が顔を覆う。

「確かにさっき授業をしていた気もする。だが自分の部屋にいた気もしたんだ」確信はあるが空が雲を覆うように自分の部屋いた感じがしない、むしろ教室にいる方が自然なようだ。

「急に突拍子もないことを言いますねぇ」

「俺にも分からんのだ」腕を深く組む。

「先生最近寝てないって言ってたじゃないですか、少し、頑張り過ぎなんですよ」少し寂しそうにはにかむ。

「そう言えばテストも近づいてるしな」

「もーそう言うことは言わないでください」

「みさきはやればできるんだから期待してるぞ」

「やればできるは誰だってできるんですよ!私はしないだけです」ドンっと机を叩く、妙に顔が生き生きしてて可愛らしい。

「まー、また教えるからいつでも聞いてこい!皆んなもだぞ!」

「はーい」

聞いてたのかよ。

あっ、先生と急に声をしぼめ。

「今日も来てくれるんですよね」

今日も行く、それはみさきとアイツとの約束だ。それはとても大切な事、忘れてはいけない事。

「あぁ、ちゃんと行くから図書館で待っとけよ」

「ありがとうございます、ほんと、ごめんなさい」

「四時半位で大丈夫だよな?」

「はい、待ってますね」




どれほど時間が経とうとも。

どれほど意識を失おうとも。

どれほど後悔を重ねようとも。

自分の中に存在するヘドロのような塊を消す事は叶わない。




15時40分、ホームルームが終わりバタバタと部活着に着替え始める男子や、そそくさと荷物を纏めてかえる人、そのまま教室に残り楽しそうに放課後の予定を話す女子。私もそそくさと職員室にある自分の机に着いた。

「やっと一息つける時間ができた」

ほぅ、と深呼吸する。この訳のわからない状況を理解しなければならない。なぜか流れでここまで来てしまったが、自分自身の冷静さ、もとい鈍感さに少し驚く。

一つ実感した事はここは私が一度体験して来た世界だと言う事は分かる、頭でなく体で、昔の行動をリフレインしている様だ。


そして重要なのが彼女のそぼろ丼を食べる前の記憶が薄れ始めてると言う事、みさきと話すごとに記憶が曇っていくような感覚強くなっていた。

頭の中に蜘蛛の糸が張り巡らさらて行くような感覚だ、ぐるぐるとくるくると赤い糸で包まれていく、そしてだんだんとこの世界の記憶に書き換えられていく。仕事すらまるでいつものようにこなせてしまっている。

みさきとの例の約束、あれは特に鮮明に、図書館という単語だけで何のことか、どういう意味を持つのか、自分が何をしなければ、という事がはっきりと胸の中から記憶が脳髄に、雷に撃たれるように思い出した。凄く、自分が大切にしていた事。


「気持ち悪い」

とても気持ちのいい感覚ではない、私は冷静を装ってはいるがかなり、自分が思う以上に気が動転している気がする。

トントンと机を指で叩く。

指先がピリピリする。

額や鼻から油が込み上げる。

どうやって彼女の居る部屋に帰れるんだ。

でも、私はここにいなければいけない感覚がある。この世界に居ろと、心臓から声がするくらいどくどくと体内から指先まで毛細血管を圧迫するのが末端神経で伝わるほど。

トントンと机を叩く音が加速する。

俺は何をした、朝起きて、時間を確認し、彼女の顔に付いているしたそぼろ丼を食べた。

そういえば、朝起きた時点でそぼろ丼がある感覚は無かった、あれは相当な匂いがしていた、寒い部屋の中こうこうと立ち昇る湯気に気付くはずだ。普通なら起きた時点で分かるはずなんだ。

「ではいつ発生した?」


「おい、たくま何難しい顔してんだよ、またボヤ騒ぎでも起きたのか?」

ぽん、と雑にコンビニのシュークリームを私のデスクに投げ込む。

「お前のクラスは良いよなクレーマーのおばさま方が来なくて、俺んとこなんか毎日のようにひっきりなしだぜ、全く子供がする事位大目に見ろよな」

「おう、サンキュ、まぁ俺の教え方が良いからな、お前と違って真面目でしっかりした生徒達に恵まれたおかげだよ」

「だーれーがー不真面目でしっかり者じゃなくてガサツで髪の毛ボサボサだ!ちゃんとトリートメント使ってんだぞ」

「誰も髪の毛の話はしてないだろ!」

この針金みたいに背の高く髪が意思を持ったように乱れた男は私の子供の頃からの腐れ縁、佐々木である。言葉遣いは悪いが根はいい奴だ。

「それより佐々木、少し話したい事があるんだが」

「なんだ?」

「ここっていったいどこだ?」

「そんなの決まってんだろここは……」


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