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部員獲得大作戦(3)

 ある意味、美咲のカレーによって胃を洗浄された薫は、リビングのソファーに倒れ伏していた。

 母親は、薫の絶叫と入れ違いに、ダイニングで戦場の後始末を、現在鼻歌交じりにこなしている。

 ダイニングから流れてくる微かなカレーの匂いが鼻につく。それは、薫の記憶に美咲のカレーをフラッシュバックさせる。カレーの味を思い出すと、不意に酸っぱい何かが込み上げて来た。ポロロッカ警告ランプがちらついた薫はとっさに口を押さえる。

 あの絶妙な記憶と現実とのギャップ。一瞬にして常識を打ち破り、頭を混乱に導く味。正にパニックカレー。

 薫は、酸っぱい衝動が収まると、呆然と立ち尽くしたパニックカレーのメインシェフに、力無く口を開いた。

「どうして、ああなる?」

 薫の言葉に、美咲は無言で俯いた。

 いつもならば、二言三言なにかしら言葉が返って来るのだが、料理の事となると、途端に弱くなる。どうやら美咲に自覚はあるらしい。

 そんな美咲に、薫は再度口を開いた。

「どうして、カレーが凶器になるんだ?」

 いつもの仕返しとばかりに、薫は語調を強める。

 それに対して美咲の弱々しい声。

「ごめん……」

 妙に素直な反応に、薫は戸惑い、口をつぐんだ。気まずい空気がリビング一杯に広がる。こんな空気は耐えきれない。弱い美咲が相手だとどうも調子が狂うと、肩をすくめた薫は、思い付く精一杯の慰めを美咲に送った。

「でもまあ、途中までは良かったよ。見た目と香りはカレーだった」

 それが、パニックになる原因だったとは、今の状況では口が裂けても言えない。

「いいわよ……そんな見え透いた慰み」

 美咲はそう言うとプイっと視線を逸らす。こうなってしまったら一筋縄では行かないだろうと本腰を入れた薫は、さらに慰めの言葉を紡ぎ出した。

「ほんとだって、この前のに比べたら全然良かった」

「本当?」

 薫の言葉に瞳を輝かせて振り返る美咲に、あれ? 意外と簡単だった? と戸惑った薫だったが、準備していた言葉を続ける。

「うん。確実に上達してる。美咲の料理の腕」

 いつも以上の輝きが美咲の瞳に宿る。なんだか褒める事が気持ち良くなってきた薫は、これでとどめだと言わんばかりに言葉を繰り出した。

「このままいけば次は美味しく作れるんじゃないかな」

「じゃあ、明日も私が晩御飯作るわね」

 リビングに弾けた美咲の透き通った声。熱意に燃える熱い眼差しが、美咲からほとばしった。言葉を理解すると、最後の蛇足が地雷を踏んだ事に気が付く。薫の血の気が引いた。

「え?」

 素っ頓狂な声を零す薫。後悔しても、もう遅い。

「何作ろっかな〜」

 楽しそうに華麗なターンを決める美咲。薫の言葉で失っていた自信を取り戻した美咲は、鼻歌交じりにスキップでリビングを出て行く。

「ちょ、ちょっと待っ……」

 焦りの言葉と共に差し伸ばした腕は、虚しく空気を掴んだ。その瞬間、背後から感じたとてつもなく巨大なプレッシャーに、薫の体は強張る。

(何だこのプレッシャーは?)

「薫」

 背後から聞こえた、怒りのこもった声に、薫はぎこちなく恐れを抱き振り返った。そこには鬼の形相に変貌した、いつもは優しい母親。こんな表情見た事がない。例え本気で怒るとしてもこんな顔はしない。美咲の料理は、母親を魔物に変える効果があるようだ。薫の背中に冷たい汗が伝い落ちる。

「か、母さん?」

 薫の怯えた声。そんな薫をゆっくり見下ろすと魔物は咆哮した。

「あんた一人で責任取りなさいよ!!」

 攻撃力限界突破した母親の攻撃により、文字通り桜木家に激震が走った。



 昨日の天気とは打って変わって、快晴の空。薫は教室の窓にもたれかかり、その日差しを背中に受けていた。時間は放課後。教室内を見渡すと、演劇部員が集合していた。皆、クラブ紹介の事について「考えてきた?」とか「教えない」と会話に花を咲かせている。そんな、情景を見つめていると、薫の口から溜め息が漏れる。結局昨日色々あって、明日の放課後行われるクラブ紹介の事について何も考えられなかった。今日の授業中にも色々考えてみたが、これと言って素晴らしい作戦が浮かんでこない。一人離れて頭を捻る薫に、葛城弥生が歩み寄って来た。

「どう……したの?」

 いつも通りの弥生の語調。他愛もない事だが薫は少し驚いた。いつも物静かで口数の少ない弥生。その中でも自分から口を開く姿は特に珍しい。きっと、そんな弥生が声を掛けたのは、皆の輪に入っていない自分を気遣ってだろうと、薫は表情を緩めた。

 演劇部員の中で一番人の事を見ていて、一番気が付く人間は間違いなく、薫の目の前にいる弥生だった。そんな伏せ目がちな弥生に薫は「何でもないよ」と笑って見せる。

「それなら……良い……けど」

「葛城さんは、考えて来たの? 明日の作戦」

 薫は皆が話していた内容を、弥生にも聞いてみた。

「うん。……一応……考えて……来た」

「そうなんだ……どんな作戦?」

 やっぱり、考えて来ていないのは自分だけなんだと不安になった薫は、弥生の作戦について質問する。しかし、返って来た答えは「秘密……です」

 何だかもじもじと答える弥生を、突然後ろから来た梢が、ガバッと抱きしめる。

「ひゃっ」

 不意な事に驚きの声を上げる弥生。

「な〜にしてんの? や、よ、い」

 意地悪く笑う梢に弥生はさらに俯き、頬を染めた。

「何でも……ない……から」

「ふ〜ん。じゃあ、席着こっか。先生来たし」

 まぶしい笑顔を見せる梢の言葉に、薫は教壇の方に目を移した。そこでは宮前先生が、大口を開けて欠伸をしている。他の人はと視線を移動させると、皆はきちんと席に着いていた。薫達が慌てて着席すると、宮前先生が咳払いをし、口を開く。

「さて、明日に向けての作戦会議の始まりだ。……それでは、一人ずつ発表してもらおうか。……じゃあ、まず……」

 その言葉に、薫はドキッとした。もし自分が一番に当てられたら、皆の前で醜態しゅうたいさらしてしまう。薫は心の中で神に祈った。どうか神様、自分に当たりませんようにと。そして、聞こえて来る宮前先生の言葉。

「森本」

 薫は胸を撫で下ろす。こんな時はいつも、悪く考えた方にばかり転がって来たが、今日はそんな薫のジンクスを覆した。そして神様に感謝する。ありがとう神様。

 遠くを見つめようとする薫を放置したまま、教壇に登った陽太は、作戦を披露する。

「俺の考えて来た作戦は、これです」

 バンと自分で効果音を入れた陽太が、どこから取り出したか見当がつかないフリップを教壇に置かれた机の上にドンと立てると、皆の視線がそこに集まる。そこに書かれている文字を読んだ薫は、首を傾げた。

(Do geza? ドゥーゲザ? どういう意味だろう?)

 密かに陽太の作戦を参考にさせてもらおうと思っていた薫は、頭の中の英和辞典を必死でめくったが、gezaなんて単語は出てこない。

 同じ様に首を傾げていた康則が、陽太に聞いた。

「どういう意味だ?」

 そんな言葉に、陽太は声を上げて笑いだす。

「まさか、学校一番の秀才がわからないのか? ついに来た俺の時代」

「いいから、皆にもわかるように説明しろ」

 一人で暴走する陽太のガッツポーズを、康則の鋭い視線が制した。そんな勢いに圧されながらも、陽太は胸を張りゆっくりと説明を始める。

「これは、英語じゃなくてローマ字だから……」

「却下」

 却下まで約三秒。

 康則の冷静な判断によって、説明は開始三秒で打ち切られた。

(ごめん。参考にできないや……)

 こっそり心の中で謝る薫。宮前先生も「森本、もう帰ってもいいぞ」と冷たくあしらう。そんな皆の視線に、陽太はうな垂れながら自分の席に戻っていった。

 そんな陽太の姿を目線で追う宮前先生は、次の人物を指定し始める。

「じゃあ、次は……葛城、行ってみようか」

「は、はい……」

 震えた声で返事をすると、弥生は俯きながら教壇に立つ。そんな弥生の姿を見ていると、何だか薫の方が緊張してきた。どうしてこんなにも人前が苦手な弥生が演劇部にいるのか出会った時から不思議だった。ちょっとしたショック療法なのかと、一人で勝手に納得した薫は弥生の言葉に耳を傾ける。

「クラブ紹介で……寸劇を……してみる……のは……どう……でしょうか?」

 たどたどしい言葉だったけれど、その意味は良くわかった。百聞は一見にしかず。正にその言葉通り、紹介される方も言葉で説明してもらうより、実際に見せてもらった方がわかりやすいだろう。良くも悪くも演劇部の事がよくわかってもらえる。そう納得した薫は、心の中で手を合わせた。

(参考にさせていただきます)

 教壇の上で反応を待っていた弥生は、皆の視線に耐えきれなくなったのか、ペコリと頭を下げると、弥生はいそいそと自分の席に戻って顔を伏せた。微かに黒髪の隙間から見える耳たぶが、真っ赤に染まっている。薫は、きっと漫画だったら、湯気がボンと吹きあがっているのだろうなと、頭の中で勝手に湯気を足してみた。

(ああ、こんな感じ)

 薫が合成映像で悪ふざけをしていると、梢が元気の良い声で手を上げる。

「私も同じ考えでした」

 それにつられたのか、委員長と皐月も「私も」と手を上げる。薫は、これ幸いと「僕も」と後に続く。そんな状況を傍観していた宮前先生は、う〜んと唸りながら口を開いた。

「確かに、良いアイディアだとは思うが……どうも決定力不足の様な気がするな」

(決定力不足? 完璧だと思ったんだけど)

 薫は、弥生の作戦のどこが決定力不足なのか頭を捻ったが、答えは全然浮かんでこない。とりあえず皆に合わせて溜め息をついてみる。そんな溜め息に康則が言葉を被せてきた。

「ならば、俺の考えて来たアイディアで補完すれば完璧だろう」

 そう言いながら康則は、席を立つ。

(保管? 預かるって事?)

 声の脳内変換を失敗した薫は、胸を張りながら教壇に登る康則を、不思議そうな目で追う。そんな肩で風を切って歩く康則は、薄っすらオーラを纏わせているようにも見える。

 口を固く切り結んでいた康則の細い瞳がさらに細くなる。そして、眼鏡を輝かせながら、口がゆっくりと開いた。

「俺が考えて来た事を、葛城のアイディアに加えた作戦は……これだ」

 力強い言葉と共に、康則は一着の服を、教壇に置かれた机の陰から取り出す。色んな物が飛び出してくるあの机は、きっと四次元ポケットなんだと、薫は遠い目で康則が取り出した服を見た。

 その服を薫は見た事がある。その、ふりふりフリルのエプロンドレスは「お帰りなさいませご主人さま」という言葉で出迎えてくれる女性が、決まって着ている服。いわゆる一つのメイド服だった。頭の中で簡単な計算式が出来上がる。寸劇プラス、メイド服イコール、メイドの寸劇。梢や弥生、皐月や委員長がメイド服を着て「ご主人様」と出迎えてくれる姿が目に浮かんだ薫は「これが決定力か……」と小さく一人で噛み締めた。しかしどうして、メイドなのだろうと考える薫の頭の片隅に、以前宮前先生が言った言葉がよみがえる。

『去年はメイド喫茶とかに……』

(まさか、去年負けたメイド喫茶にあやかってって事?)

「敵を知り、己を知れば百戦危うからずや!」

 突然、宮前先生の声が教室に響き渡った。難しい言葉で理解できなかった薫には、どうしても『長い物には巻かれろ』という意味にしか聞こえない。こんな所でも時代のニーズに答えていかなければならないのかと、薫は少し寂しくなった。

 しかし、康則は、そんな宮前先生の孫子的な言葉を無視し、さらに自信を表に出して説明を続ける。

「メイド姿で、寸劇を行う。テーマはそう『戦うメイドさん』だ」

「戦うメイドさん?」

 疑問符を浮かべた陽太は、反射的に口を開いた。その言葉に康則は力強く頷き説明を続ける。

「そうだ、普通の寸劇だと飽きられてしまうからな。対象に合わせて激しい動きも取り入れる。幸い、当演劇部の女性はお世辞ではなく、綺麗どころが揃っているからな、注目の的になる事は間違いない」

 康則の綺麗どころに気分を良くしながら、梢が声を出した。

「確かにそうだけど、どうするのよ? シナリオとか、配役とか……」

 語尾が弱くなる梢の言葉に、康則はニヤリと笑みを浮かべ「それは既に用意してある」と教壇の机の陰から、何枚かを綴ったプリントを取り出す。

「これが、配役とシナリオだ」

 そう言いながら康則は、皆にそのプリントを配った。薫はプリントが配られると、視線を落とす。表紙を見れば、題名が書いてあり、それが簡単に台本だとわかった。題名は『部員獲得大作戦《戦うメイドさんは好きですか?》』

 薫は、いったい誰がメイド服を着るんだろう? とページをめくって配役を上から順番に確認してみる。

 メイドA 小林梢

(運動神経良さそうだもんな。戦うメイドさんって感じだ)

 メイドB 志倉皐月

(確かに、イメージぴったり。メイド服も良く似合いそうだ)

 メイドC 桜木薫

(ふ〜ん、意外だったな。僕もメイドに選ばれた……って、おい!?)

 メイド役の中に自分の名前を見つけた薫は、勢い良く立ち上がり、姿勢良くビシッと康則に向けて人差し指を突き出す。

「異議あり!!」

 薫の声が教室内を通り抜けた。それに対して康則は、大袈裟に呆れる素振りを見せ、頭を振るとゆっくりと言葉を紡いだ。

「そうゆう属性を持つ者もいるだろう? 需要と供給だよ」

「異議を却下します」

 康則に賛同した宮前先生が、平坦な口調で薫の意見を棄却した。二人の言葉に薫は頭を抱え、声を絞り出す。

「属性って何だよ? 需要って何だよ?」

 そんな切なる問い掛けに、康則は淡々と答えた。

「後日文章で回答する」

 役所みたいな康則の回答に、薫は溜め息をつき、教室を見渡しながら他の部員に問い掛ける。

「みんな、これでいいの?」

 薫が発した言葉の、皆の反応を待たず、宮前先生は教壇に登ると、康則の隣で「よし、それじゃあ多数決で決めようじゃないか」とこの場の空気を仕切り始めた。

「それでは、若菜の意見に賛成だという者は、起立」

 多数決。それは、民主主義の中にあって、時には個人にとって、とても不条理な結果を生み出すもの。

 結果は、もちろん薫の完敗だった。やっぱりこうなるんだと、自分の運命を再認識する。

(ああ、見えない力が働いてるような気がする)

 これがある意味、神様の見えざる手なのかと、薫は深く溜め息をついた。

 そんな薫を除く、部員全員の起立を確認した宮前先生は、楽しそうに口を開く。

「決まりだな。それじゃあ早速、今から練習を始めるぞ」

  

すいません。藤咲一です。本当は一ストーリー三部でまとめるつもりだったのですが、できませんでした。内容的には次回に続きます。

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