部員獲得大作戦(2)
沈黙を続ける宮前先生の意識が戻るまで、色々意見を出し合ってみたが、決め手になるような斬新なアイディアはまとまる事なく、下校を告げるチャイムによってタイムオーバー。
結局、結論が出なかったクラブ紹介の件については、明日の放課後にそれぞれの意見を持ち寄って決めるということで、持ち越す事となった。
それぞれ、別々の方向へ帰る道。そんな中、薫は委員長と同じ道を歩いていた。
どちらが、どちらを誘った訳ではない。たまたま、帰る方向が同じだった。少し委員長に苦手意識のあった薫は、気まずい空気の中、黙ってリズミカルに打ちつける雨を、傘を伝って感じていた。
会話のない二人。薫はソワソワしながら、同じように歩く委員長を一瞥した。傘で口元部分しか見えない委員長は、そんな唇をしっかりと結んで、歩みを進めている。
(どうしよう……)
打開策を思案する薫は、目の前に現れた水たまりを軽く跳び越す。そんな薫に対しても、委員長の反応は薄い。
校門から続く沈黙に耐え切れなくなった薫は、ついに口を開いた。
「ねえ、委員長」
「何?」
久しぶりに聞こえた委員長の声。
「部員、集まるかな?」
「わからないわ……」
素っ気ない委員長の態度に、薫は困惑した。皆とワイワイ騒ぐのは得意な薫だか、一対一の会話はどうも苦手だった。何とか会話を続けようと、頭の中にある引き出しを、手当たり次第開けてみる。
「委員長」
「何?」
「好きな食べ物は?」
「カレー」
無表情な委員長から、単語のみが即答される。
「カレーか……美味しいよね……」
様子を窺う薫に、反応が薄い委員長。
再度、沈黙が訪れた。
(弾まない……)
薫は食べ物の引き出しを閉めると、次の引き出しに手を掛ける。
「じゃあ、好きな映画は?」
「ショーシャンクの空に」
(知らない……)
次の引き出し。
「じゃあ、好きな漫画は?」
「イエスタデイを歌って」
(これも、知らない……)
ならば、次の引き出し。
「じゃあ、好きな音楽は?」
「ゆず」
(あ、これなら知ってる)
やっと、会話が弾みそうになったと、薫の語調に力が入る。
「ゆずって、今、お茶のCMや車のCMで流れている歌のグループだよね?」
「そうだけど、私が好きなのはインディーズの頃よ。チョコレートとか」
(わからない……でも、負けない)
初めて単語が文章になって返ってきた答えに、薫は知恵を絞り出す。
「何で知ってるの? そんな昔の曲」
「お姉ちゃんの影響ね……」
意外な委員長の家族の情報。会話が繋がっていくことに薫のテンションが上昇した。
「あ、お姉さんいるんだ」
「どうしようもないのが、一人」
微妙に委員長の言葉が曇る。
「どんな人?」
「担任みたいな……」
委員長の言葉で、薫の頭の中に豪快に笑う宮前先生の姿が浮かび上がる。あれが姉さんだったらと考えた薫は、言葉に詰まった。
委員長はそんな薫の返しを待たず、溜め息交じりに言葉を続ける。
「みたいと言うより、本人だけど」
「え?」
言葉の意味をすぐに理解できなかった薫は、委員長に助けを求めた。
「お姉さん? 宮前先生が?」
薫が委員長を見ると、今まで無表情だった委員長の口元が緩んでいく。
「そう、宮前奈々子は私のお姉ちゃん」
驚愕の事実に、薫の口は開いたまま塞がらない。
(委員長と宮前先生が姉妹?)
薫は、ふと委員長の名前を思い出す、名前は宮前遥。確かに苗字は同じだった。しかし、学校では『委員長』『先生』と呼び合っていて、そんな素振りをどちらも見せていない。もしかして知らなかったのは自分だけかと、薫は委員長に質問した。
「その事って、みんな知ってるの?」
「お姉ちゃんがいるのは知ってるだろうけど、まさか担任が……だとは思ってないかな」
委員長はそう言うと、クスクス笑う。
傘に遮られて見えなかったが、薫は意外な委員長の笑顔が見えた気がした。不思議と鼓動が速くなる。薫は戸惑いながら、委員長から視線を外す。
そんな時、委員長が急に歩みを止めた。薫は不思議そうに振り返る。
「どうしたの委員長?」
「私、こっちだから」
委員長は、脇道を小さく指差しながら答える。やっと委員長と打ち解け始めたのに、タイミングが悪いな、と薫は心の中で溜め息をつき、小さく手を振りながら言った。
「じゃあ、また明日」
「また明日」
そう言って向きを変え歩き出した委員長は、何かを思い出したかの様に立ち止まる。そして体半身に振り返った。委員長が傘を持ち直した事で、顔が見える。真っ直ぐな瞳が薫の視線と重なると、委員長の唇がゆっくり動いた。
「桜木君。お姉ちゃんの事は、二人だけの秘密だから」
突然の言葉だったが、薫は頷き答える。
「うん、約束する」
薫の反応を確認した委員長は、口元を緩めながら「それじゃあ」と軽く手を振って歩いて行った。
そんな委員長を見送っても、まだ別れ道で立ち尽くす薫。委員長が最後に何気なく言った『二人だけの秘密』が頭の中をグルグルと駆け巡っていた。なんだか『秘密』という単語がとても嬉しくて、笑みが零れる。
浮足立つ心を押さえながら自分の道に振り返った。今まで狭かった視界が開けた様に色々な物が目に入る。その中に『スナック秘密』という看板を見つけ、薫はなんだか少し恥ずかしくなった。
「ただいま〜」
薫が自宅リビングのドアを押し開けると、お揃いのトレーナーを着た母親と美咲が、テレビを見ながら大笑いしていた。ちらりとテレビの画面を覗き込むと、太ったお笑い芸人が「惚れてまうやろ〜」と叫んでいる。二人ともお笑いが大好きだなと、一息ついた薫は、鞄を床に置いて口を開こうとした。
「え〜、こんな事で?」
と美咲が画面を指差しながら笑う。機を逸した薫は開きかけた口をつぐむ。そんな美咲に「意外と男って単純なのよ」と母親が笑いながら返した。その単純な男である薫が、タイミングを窺いながら申し訳なさそうに口を開く。
「ただいま」
「「おかえり」」
ユニゾンした声が聞こえるのと同時に、二人の視線が薫に集まった。美咲の声が段々母親の声に似てきている。電話口だったらわからないかもしれないと薫は考えたが、それよりも大事な事があるだろうと腹の虫がそれを制した。
「ご飯は?」
薫の言葉に母親は「食卓の上に準備してあるから」とダイニングを指差す。なぜか隣の美咲が満面の笑みを浮かべていた。薫はそんな美咲に首を傾げながら「わかった」と言うと、踵を返す。
薫がダイニングへの扉に手を掛けると、背後から付け足すように母親の声が飛んできた。
「今日は美咲が作ったカレーだから」
「え゛?」
発音記号がないんじゃないかという声を上げた薫は、『美咲』の部分にとてつもなく敏感に反応した。
美咲の手料理。薫は思い出すだけで背筋が凍りついた。過去の苦くて不味い記憶がよみがえる。これが料理か? と疑問符が浮かんだ物体。真っ黒にになった、消し炭の様な魚。味のしないスープ。甘くないケーキ。辛さの限界を遥かに超越した、超超ちょ〜激辛カレー。どうやったら作れるんだと、いつも薫は頭を悩ませている。美咲はそれぐらいの料理音痴チャンピオンだった。
そして、今日のご飯は『美咲の作ったカレー』。
「大丈夫よ、今日はある意味意外な感じだから」
そんな薫に母親はケタケタと笑い出す。そんな母親を不満げのに見つめ、美咲は隣で頬を膨らませた。
「意外って、どうゆう意味よ?」
「特に意味はないわよ」
あっけらかんと返す母親を横目に、抱えきれない不安を抱えた薫は地獄へと続く扉をくぐった。
ダイニングには食卓が一つ、それを囲むように椅子が四脚。そして、食卓の上には未知のカレーが一皿置かれていた。
そのカレーを確認した薫は、テキパキと行動を始める。まず、ダイニングの隅に置かれていたバケツを自分の席の隣に置く。なぜか桜木家のダイニングにはバケツが人数分置かれている。それは、桜木家のルールで、一度出された食べ物は例えどんな物であっても、一度は口に入れなければならないというものがあるからだ。父親が、薫たちの好き嫌いをなくすために作り上げたルールだったが、まさかこんな事になるなんて父親も思ってなかったらしく、以前美咲の手料理を食べた時は、泣きながら飲み込んでいた。それから、ダイニングにはバケツが置かれる事となる。一度口に入れれば、バケツリバースは合法ということらしい。父親、苦肉の策だった。
次に、冷蔵庫から二リットルのペットボトルに入ったミネラルウォーターをカレーの隣にドンと置いた。手際良くその蓋を開けると食器棚から取り出したビールジョッキになみなみと注ぐ。そこで薫は一息ついた。
(これで被害は最小限に食い止められる)
薫は気合を入れると、カレーの置かれた自分の席に着いた。
目の前のカレーを見下ろす薫。見た目は普通のカレーと変わらない。慎重に、まず匂いを嗅いでみる。
(特に目立った匂いはないな……)
予想外に美咲のカレーから変な臭いはしなかった。逆に食欲をそそるカレーの匂いが鼻腔をくすぐる。もしかして、という考えが薫の頭の中を通り抜けた。母親も、ある意味意外な感じで大丈夫だと言っていたし……まさか、意外というのは普通だという事かと、決意を胸に薫はスプーンを手に取る。
しばらく美咲カレーを見つめたまま固まるが、生唾を飲み込んだ薫は、心を強く持ち、カレーをすくい……一口。
そして、薫の絶叫。
「何じゃこの甘さはー!!」