今日から中三(3)
体育館裏は、薄暗いイメージとは違い、思いの外明るかった。生け垣の緑と、咲き始めの桜がとても綺麗だ。
薫は、机に入っていた紙切れをにぎりしめ、相手を待っていた。もちろん、差出人の北川大輔を。
なかなか、相手はやって来ない。落ち着かない薫は爪先で何度も地面を叩いた。
(逆にすっぽかされたら、どうなるんだ?)
薫は心の中でつぶやくと、溜め息をつく。
すると、そのタイミングを計ったかの様に、薫の視界に北川大輔が現れた。
(やっと来た)
とりあえず薫は、気を引き締めて大輔を睨みつける。しかし、大輔の後ろにぞろぞろと付いて来る不良達の姿を見つけ、その表情が驚愕の顔で固まった。
(卑怯だろ、その人数)
薫は、瞳だけの動きで不良達を確認する。相手は大輔を含めて八人。それぞれが、制服のブレザーを着崩していた。
しかし、明らかに場違いな姿の不良が、数人混ざっている。なんと言うか……大袈裟に包帯でぐるぐるに巻かれて、まるで事故に遭って大怪我をしたような……そんな不良達が、何だか間抜けて見える。薫は、吹き出してしまいそうになるのを必死にこらえた。
そんな薫を威嚇するように睨みつけ、大輔は口を開く。
「逃げずに来るとは、なかなか根性座ってんじゃねえか」
大輔は薫を見下す様に、踏ん反り返った。気持ちで負けたら駄目だと、薫が大輔を見据えながら「そんな人数で、何の用だよ?」と、言い返せば、大輔は眉を動かし鼻で笑った。
「おいおい、自分の胸に手ぇ当ててよく考えてみろ?」
大輔の言葉の意味が、良くわからない。そんな事を言われても、薫の記憶の中には該当する出来事が全くなかった。
(呼び出される理由? 僕が転校して来たくらいしか……)
首を傾げる薫を見ながら、大輔はヤキモキする。しばらく経っても全く進展しない展開に、遂には薫に助け舟を出し始めた。
「昨日の事だろ、忘れたのかよ? ほら、駅前の商店街で……」
大輔のヒントを聞いても、薫の首は傾いたまま。一度唸った大輔は、『これでもか』と、言う様に包帯の巻かれた不良を指差す。
「ほら、こいつら、見覚えねぇか?」
「ない」
薫は、自慢げに即答する。
(見覚えないか? って言われても、こんな包帯男は、普通忘れないでしょ)
大輔は困惑の表情を見せると、包帯の巻かれた不良達に振り返り聞いた。
「おい、こいつで間違いねぇんだろうな?」
その問い掛けに、他の不良より一回り大きな不良が手振りを交えて大袈裟に答える。
「ああ、間違いない。あの綺麗な顔は、見間違うはずがない」
不良の言葉で、薫の頭の中に、自分と同じ顔の美咲が浮かんだ。
(まさか……な)
不良相手に暴れ回る美咲の姿が頭の中に広がる。しかし、さすがに、それは……と、頭を振った。
不良の言葉に、大輔は「……確かにな」と、頷きながら薫の方に向き直る。
「やっぱりお前じゃねぇかよ」
大輔の威嚇するような抑揚に、薫は言い返した。
「人違いだって、間違いなく」
「うるせぇ! 試してみれば簡単だ!」
薫の言葉に大輔は耳を貸さない。突然薫に向かって駆け出した。
「だから、人違い……」
薫の言葉は、大輔に遮られる。
「だったら、大人しく殴られろ!」
そう言いながら、大輔は薫に向かって殴り掛かった。
(だったら……って)
薫は相手を見据え、大輔の繰り出す右拳を体を開きながら、左手でさばくと、突き出されている手首を掴み、手首の逆関節を極める。そして、そのまま左足を後ろに下げながら、大輔の体制を崩し、右手を添えると、極めていた手首を下の方へと押し込んだ。大輔は、何が何だかわからないまま、地面に転がっていく。
薫が行った一連の動作は、合気道で言うところの『小手返し』だ。
小さい頃から父親の奨めで習っていた合気道が、こんな事で役に立つなんて思ってもみなかった。
(ありがとう、父さん)
心の中で父親に感謝しながら、薫は残身をとり、地面に転がる大輔を見据えた。
一連の流れを見ていた、包帯を巻いた不良が声を上げる。
「やっぱりだ。間違いない」
「だから、人違いだって」
薫は、声を上げた不良に向かって言った。すると、大輔がゆっくりと立ち上がりながら、口を開く。
「人違いとか、どうとか関係ねぇ」
「はい?」
薫の口から気の抜けた声が漏れる。大輔はそれを無視して続けた。
「これだけできりゃ、充分戦力になる」
「何の話しだよ」
薫は大輔の言葉に困惑する。大輔はそんな薫を横目に、砂の混じった唾を吐き出す。そして、薫に向き直り真面目な顔で言った。
「この後、二中の奴らと、ここら辺りの覇権争いがある。だから桜木、俺達の仲間になれよ」
「嫌だ」
薫は即答する。
しばしの沈黙。
大輔はもう一度、口を開いた。
「俺達の仲間に……」
「嫌だ」
最後まで言わせない薫の言葉に、大輔の顔が、赤くなる。
「こうなったら、力ずくで……」
大輔はそう言うと、薫の胸倉を掴みに行く。が、薫に再び、地面へ転がされた。
「イ、ヤ、だ」
薫は、再び立ち上がる大輔に向かって言った。
土埃まみれになりながら、大輔は不適に笑う。
「最後の手段だ」
大輔の言葉に反応し、傍観していた不良達が、薫を取り囲んだ。
(多勢に無勢だろ、これは……)
不良達を見渡しながら、薫は心の中で舌打ちをする。
「やっちまえ」
大輔の掛け声で、不良達は一斉に襲い掛かった。
薫は覚悟を決め、衝撃に備え歯を食いしばる。しかし、薫の予想とは裏腹に、フワッと体が浮き上がった。
「え?」
薫の戸惑いの声が零れる。
大輔は不良達に抱え上げられた薫を見上げると、ニヤリと笑い、祭神輿の先導の様に、不良達に指示した。
「このまま行くぜ!」
「「「おぉー!!」」」
不良達は声を上げて応えると、薫を掲げながら走り出す。
「お、降ろせ〜!」
薫の悲しい叫びが体育館裏に響いた。
薫神輿は、学校から商店街を抜け、団地を通り、河川敷へと、練り歩いた。
その様子を、すれ違う人達誰もが、不思議そうに振り返り、時には驚き、時には恐れ、時には指を指して笑った。初めは抵抗していた薫も、途中からは、諦めながら空を見つめた。
もう太陽は西に大きく傾き、地平線にかかり始めている。
河川敷には、沈み行く燃える様な太陽を背に市立第二中学校の不良が待ち構えていた。
薫はそこでゆっくりと降ろされる。逆光に目を細めながら、相手の姿を確認した。二中の不良の数は二十人。それぞれ、独特な学生服に身を包んでいる。こちらの人数は、薫を含めて九人。どう考えても歩がわるい。
(何で、こんな事になったんだろう?)
薫は、相手の不良達を見つめながら心の中で溜め息をついた。
そんな薫を見た大輔が「気合い入ってんなぁ」と、声を上げる。
薫は「違うから」と大輔に横目で返した。
「なぁに、二中の奴らは見た目と数だけのハンパな連中だ。質じゃぁ、俺らのが上だ。あんな数じゃぁ、俺一人でも」
大輔は鼻息荒く、拳を作る。しかし、明らかに強がっているのが、薫にも見て取れた。
薫は溜め息をつくと、大輔に言った。
「無理しなくても良いんじゃないか?」
「む、無理してねぇよ」
的を射た薫の言葉に、大輔は動揺する。
そんな大輔を一瞥すると、薫は一人脳みそをフル回転させた。
(こんな状況だったら、逃げるが勝ち……なんだろうけど、どうしようかな……やっぱり、あの作戦しかないか……)
薫の作戦は、こうだ。
まず、一人で相手の不良と話し合う。これで解決できれば最高だが、覇権争いだから、そうは行かないだろう。
きっと喧嘩になる。そうなれば、大輔達と協力して、大将首を狙う。上手く行けば、そこで勝負有り。
狙えないなら、大輔達を先に逃がし、時間を稼いだ後、自分も逃げる。
薫は、逃げ足だけには相当自信があった。
もし、追い掛けて来る様だったら、警察にでも助けを求めれば大丈夫。
頭の中で、自分の作戦を確認すると、覚悟を決める。
薫は「よし」と気合いを入れると、大輔達に振り返り作戦を開始した。
「とりあえず、僕一人で先に行くから。指示があったら、その指示に従ってくれる?」
薫の言葉に全員が驚きの表情を見せる。そんな中、不満そうな大輔が口を開いた。
「何で、お前の指示に従わなきゃいけないんだ」
薫は、作戦成功のためにも、大輔に適当な理由をぶつけた。
「だって、負けたでしょ、僕に」
薫の言葉に、大輔は言葉が詰まる。
薫はそんな大輔を笑いながら、二中の不良達に向き直り、背中越しで大輔に続けた。
「だから、頼んだよ」
そう言い終わると、薫は一歩一歩と前進する。
徐々に相手の姿が明らかになってききた。睨みつける視線が自分に集まっているのがわかる。
少し距離を置いた場所で、薫は立ち止まった。
二中の不良が、そんな薫を笑った。
「何だ、お前一人でやろうってのか?」
薫は、内心震えながらも、気丈な態度で口を開く。
「リーダーに話しがある」
薫の言葉を聞いた不良は、鼻で笑う。
「何だと、山崎さんに話ぃ? それだったら、そっちは北川が出て来るのが筋だろう」
「何で?」
「そっちは、北川が番長だからに決まってんだろ」
薫に対する不良の説明は、以外と丁寧だった。薫は、ならばと不適な笑みを浮かべ口を開く。
「じゃあ問題ない。今は『俺』が番長だ」
薫の言葉に不良達は、目を丸くした後、その中の一人が笑いながら言った。
「お前が番長だって、三中も落ちたもんだな」
不良の言葉に、なんだか無性に腹が立つ。薫は、不機嫌に相手を睨みつけ、きつく言い返した。
「無駄話はいいから、山崎を出せよ」
「な、舐めやがって」
薫の言葉に不良が食ってかかろうとするが、それを一人の不良が制止した。
「止めろ、三橋」
「山崎さん」
不良達の後ろから、山崎と呼ばれた不良が姿を表す。山崎は、身長百六十センチの薫が、軽く見上げないと、まともに顔が見えない。がっちりした体格に太い腕。腕力だけなら、ここにいる誰よりも強そうだ。
(だから、番長なんだろうな)
薫は勝手に納得する。
山崎は、薫の目前まで出て来ると、大袈裟に手振りをまじえながら話し始めた。
「せっかく、挨拶に来てくれたんだ、俺がでない訳には……」
山崎がゆっくりと目線を下げていく。そして、薫と目が合った瞬間、言葉が止まり、表情が凍り付いた。
「あ、あんたは……」
山崎の震えた声。その何かに怯える様な瞳を、薫は見返す。
「ん?」
山崎は、薫の軽い声に対しても激しく震え出し、飛びのく様に後ろに下がると、礼儀正しく頭を垂れた。
「すいませんでした」
「は?」
(何? この展開?)
薫は、想像をかなり逸脱したあまりの急展開に、開いた口が塞がらない。情けない声が、微かに零れた。
そんな薫を置いてけ堀に、山崎は、さらに深く頭を下げて続ける。
「あ、あなたが三中の番長でしたか、大丈夫です、約束通り二度と逆らいませんから」
山崎の異様な雰囲気から、何かを感じ取ったのか、不良達は怯え出した。
「や、山崎さん。ま、まさか?」
不良の一人が震えた声で、山崎に確認する。
「この人だよ」
返って来た答えは、不良達をさらに震え上がらせた。
「こ、この人が、噂の悪魔……」
それぞれの口から『悪魔』という単語が漏れる。
(誰だよ? 悪魔って……)
薫は、一体誰と勘違いしているのかと考えたが、それをよそに、不良達の恐怖は、雪だるま式に膨れ上がっていった。
「す、す、す、すいませんでした。どうか、命ばかりは……」
涙ながらに懇願する不良達を見渡して、薫はこれ幸と、忘れかけていた作戦を決行する。
「え、あ、じゃあ今日のところは帰ってくれる」
「はい、わかりました。失礼します」
薫が少し気の抜けた言葉で言ったにも関わらず、山崎達は礼儀正しく挨拶をすると、一目散に消えて行った。
さっきまで騒がしかった場所で、静かに薫が一人取り残される。
山崎達が、見えなくなると、薫は胸を撫で下ろした。
(誰と間違えたか知らないけど……まあ、結果オーライだよな)
薫は、大きく息を吐き出すと、作戦成功を伝えるべく大輔達に振り返る。しかし、いきなり目の前に現れた大輔に驚き、跳び上がった。
(近っ!?)
そんな薫を、真剣に見つめ、大輔が口を開いた。
「桜木さん」
「え?」
(桜木……さん?)
大輔の、薫の呼称がさん付けに変わっている。
首を傾げる薫に向かって、大輔達は声を揃えた。
「俺達、一生付いていきます」
薫は言葉の意味を考える。導き出された答えは……
「ええ〜!!?」
この瞬間、薫は三中の番長になった。
「ただいま〜」
薫は、自宅リビングのドアを押し開けながら、へたり込んだ。
「おふぁえひぃ〜」
美咲が口にせんべいをくわえて、振り返る。
リビングを見渡すが、美咲以外誰もいなかった。薫は、今日の出来事を思い出し、まさかとは思いながらも、美咲に一応聞いてみた。
「美咲さあ、昨日商店街で不良を投げ飛ばした?」
美咲は、何言ってんの? と言いたげに、眉をひそめる。
「あ、違うんだったら良いけど……」
薫は、言い争いを避ける様に、話を切り上げた。
(やっぱり違うよな、僕の勝手な思い込みだ)
自分の部屋に戻ろうとした時、美咲の声が飛んで来る。
「不良だけじゃないわ、いろんなモノを投げたわよ」
美咲は、あっけらかんと言い放ち、さらに続ける。
「全員二度と逆らわないって約束させたのに、薫に迷惑かけちゃった?」
美咲の言葉に、薫はゆっくりまぶたを閉じた。
(噂の悪魔はここにいた……)