リンシャン学校(2)
林間学校の日程は、まず、入寮式なるものから始まる。文部科学省から出向している偉い人のありがたい話を聞き、引率の先生から、諸注意を受ける予定だったが、どうやら、文科省の偉い人は忙しいらしく、その入寮式には現れなかった。
代わりと言っては何だが、筋骨隆々の無骨な男性――「オッス、オラ、山男」という言葉がとてつもなく似合う、施設の事務員である沢谷という人が、施設の説明と、諸注意を簡単に済ませ、ありがたい話はカットされた。
淡々と進む、入寮式。バスの中で起こった大惨事は、なかった事の様に進んでいる。それを皆が、記憶の中に封印してしまったのだろうか、そんな事ばかりが気になる薫は、ただ静かに、パイプ椅子に小さくなって座っていた。
実際は、連鎖反応が発生する前に、青少年の家に着いたバスのお陰で、最悪の事態は回避する事ができた。だが、当の本人にとっては、やはりそれは、大惨事であって、周りの反応が気になる。
誰も、その事に触れようとしない。その対応が、腫れ物に触る気遣いで、どこか居場所がない空気を醸しだしていたのだ。
そんな、状況の中で、諸先生たちの話など、耳に届くはずもなく、何も得る事がない入寮式は、あっという間に終了したのだった。
そして現在。食堂において、昼食のお時間である。
「桜木さん、大丈夫ですか?」
大輔が、向かいでちびちびとお茶をすする薫に声をかけた。
「あ、うん。もう大丈夫」
一番近くで目撃した大輔が、一番気を遣ってくれる。だが、それは、避けるのではなく寄り添ってくれる優しさだった。それが、薫にはありがたい。
「ホント災難だったよな」
そう言いながら、陽太が最後のハンバーグを一口で頬張った。いつもと変わらない対応と言うのもありがたい。そこまで考えての行動かどうかは陽太だけに、判断しづらい事だけれども、結果は一緒なのだ。あいりがたいものは、ありがたい。
そんな陽太の膨らんだ顔を、薫は小さな笑いで見返した。すると……
「ばばば、ばぶばびぼ、びびぶぶば」
陽太が口を無理やり動かす。
「うわっ、きたねぇ。飛んでるじゃねぇか」と、大輔が……
「何言ってるかわかんないわよ、バカ本」と、梢が……
「せめて、口の中を空にするべきね」と、委員長が……
「同感……です」と、弥生が口々に陽太を批判した。
学校で、いつものメンバーであるこの六人が、この林間学校でも、同じ班として行動する事になった。唯一、康則だけが違う班という事になったが、それは、宮前先生の「委員長と副委員長は、問題児のいる班へ投入した」という、あまりにもストレートな爆弾発言により薫たちは納得した。
裏を返せばこの班にも問題児がいる。と宣言している事になるのだが、どうも、当の本人たちに、自覚たる思いが欠片もない。無論、薫も含めた上での話だ。
皆の言葉に陽太は、急いでハンバーグを飲み込むとプラスチックのコップを掴み、一気にお茶を飲み干す。そして、ぷはっと息を吐き出し、口元をぬぐった。
「まぁ、皆、気にするなって」
ニコッと笑った陽太の顔には、何の屈託もない。それに、薫以外の四人は溜め息と共に肩を落とした。それはいつもの事だけど、今の薫にとっては、そのいつもの事が嬉しかった。零れる笑顔。でも、その笑顔が、ある人物が近づいてきた事で、少し曇る。
その人物とは、あの倉田先生だった。
「気分はどうだ桜木」
少しトゲのある言い方だった。その声へ視線を向けた薫の視界に、感情が読み取りづらい倉田先生の顔がある。言葉だけならば、生徒の心配をする先生の図なのだが、どうも、その言葉を素直に受け取れない薫は、小さな声で言葉を返す。
「もう、大丈夫です」
「そうか、気分が悪くなったんだったら、もっと早く言えよ。他の生徒に迷惑がかかる」
「はい。すいませんでした」
「本当は、ずっと見ててやりたいところだが、俺もいろいろ忙しくてね。もしかしたらこっちから呼び出すかもしれんが、その時は邪険にしないでくれよ」
「は、はい」
力なく頭を垂れた薫の姿に、口角を吊り上げた倉田先生は、視線を委員長に移し、「遥ちゃん。桜木の事しっかり見てやってくれよ」と笑顔を見せた。
「そのつもりです」
ほぼ無表情の委員長。どこか切り捨てる様な言い方だったが、倉田先生は「頼んだよ」と、薫の時とは対照的な柔らかい言葉を残し、去っていった。
「やなやつ」
そう零したのは梢だった。その言葉が示す不満と嫌悪があからさまな表情となって表れている。抑える事は出来るのだけれど、したくない。そう言いたげに、梢の口が動き出した。
「何よ。あのあからさまな態度の違い。おかしくない? しかも遥の名前下で呼んだし。ああ、鳥肌立っちゃった」
ぶるっと体を震わせて見せる梢。それに委員長が唇を動かした。
「なぜか知らないけど、そう呼ばれるわ。なぜか知らないけど」
なぜか知らないと強調する委員長の言葉。その理由を知っているのは薫だけだ。倉田先生が宮前先生の後輩で、宮前先生と委員長が姉妹だから、過去に面識がある。理由としてはそんな所だろうと、薫はもう一口お茶をすする。
「一組の受けは悪くないみたいだけど、どうも胡散臭いな」
そう、真面目な顔をしたのは大輔だった。どうやら大輔も、良くは思っていないらしい。
「気をつけた方が良いかもね。桜木君も遥も……」
梢が、名前を呼びながら、それぞれの方へと視線を向ける。
「うん」
「え、私も?」
不思議そうに梢を見返す委員長。それに梢は、フフッと笑うとブロッコリーを口に入れた。その仕草を読み取った陽太は、「ははぁ~ん。そういう事か」と、意味深な声を漏らす。
得意げな笑みを浮かべる陽太の顔が、少し憎たらしいらしく委員長の目が少し鋭くなる。
「どういう事よ」
「つまり、倉田はロリコンだって事だよ」
「ぶはぁっ」
陽太の言葉に、薫はもう一度すすろうとしていたお茶を吹き上げた。
「だ、大丈夫ですか桜木さん?」
「なんで、僕まで……」
委員長は女子だから、百歩譲ってまだわかる。でも、自分は男だ。好かれる道理はあり得ない。それにもし、そういった属性を持っているとしたら、教師として排斥される存在ではないのか。と、薫はむせかえる胸をなだめつつ委員長を見る。
すると、委員長は一つ鼻を鳴らし「変態ね」と、一言バッサリ切りはらった。
「だから、気をつけてね。二人とも」
そう言いながら放たれた梢のにこやかな笑みに、薫と委員長は、そろって眉間に皺を寄せ、溜め息をつく。
(何を、どう、気をつければいいんだ……)
「と、それより、午後からどうする?」
薫が、再度心中で深い溜め息を零していると、陽太が話題を切り替えた。
「え? どういう事?」
それに薫が視線を向けると、陽太は大きな目を丸くする。
「おいおい桜木。説明とか聞いてなかったのかよ」
表面的には聞いていたのだが、本人的には聞いていない。つまり……
「聞いてたけど……覚えてない」
その通りである。
そんな薫に、皆から口々に説明があった。要は、午後からフリータイムだと言うのだ。
この青少年の家にはいくつもの施設が準備されている。図書室、体育館、グラウンド、視聴覚室、等々。学校とほぼ同じつくりになっているのは、文部科学省の関係なのだろうかと薫は推測をしてみるが、まあ、関係ないだろうと、流してみる。
そんな中、班ごとで行動するなら何をしても自由。メインが明日の山登りであるのだから、戦士の休息と言った所なのであろう。しかし、中にはこんなところまで来て勉強をする班や、こっそり持ってきた携帯ゲーム機で通信対戦などをする班もある。
それらを黙認する教師たち。結局のところ長旅に対する息抜きが今日の午後なのだろう。
そう、薫が認識した瞬間、遠くの方から聞きなれた声が飛んできた。
「元気か諸君」
「げ、奈々子」
反射的に零れ出た大輔の言葉。その言葉が向けられた相手と言うのは、言わずと知れた、宮前先生だ。皆の視線が彼女に集まると、満足げな表情を浮かべ、やってくる。
「どうだ、午後のやる事は決まったかな?」
今までの話を盗み聞きしていたんじゃないかという、皆の視線を一身に受けながらも宮前先生は大きく笑う。
「決まってないですけど」
そう答えた薫。その答えをわかっていたのか、望んでいたのか、間髪入れずに宮前先生が「丁度良かった」と口を開いた。
「何が?」
陽太がそれに口を挟む。皆の思いと同じ事だったので、誰も遮りはしない。
「それがな、面子が足りなくて困っていたんだ。丁度お前たちの班は六人だったからな。暇なら付き合わないか?」
「何に?」
再び零れる陽太の疑問。そして、委員長の溜め息。
「なぁに、皆で楽しい簡単なゲームだ」
そう言いながら不敵な笑みを浮かべた宮前先生に、首をひねりながらも、とりあえず皆はついて行く事にした。