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エージェントは見た(2)

 午前十一時十二分――タクシー内。

 不用意に発してしまった薫の言葉が、タクシー内に変な緊張感を生み出していた。ルームミラー越しに見える運転手の瞳は血走り、時折革製のハンドルカバーを握りなおす音が車内に広がる。そんな緊張感に包まれて、薫と委員長は終始無言で、前を走る青い車を見つめていた。

『前の車追ってください!』

 薫の口から咄嗟とっさに飛び出したこの言葉が、奇しくも運転手の心に火をつけたのだ。タクシー運転手として一度は言って欲しかった言葉なのか、それとも、昔のドラマに感化でもされているのだろうか。そんな事を頭に巡らせた薫が溜め息をついた時、フロントガラスから見える康則が乗った車が車線を変更する。それに合わせて、タクシーの運転手が一瞬ウィンカーを出したと思った瞬間、薫の上体が激しく振られた。危うく窓ガラスで頭を打ちそうになった薫は、「うわっ」と声を上げながら、ヘッドレストを掴み、何とか難を逃れる。しかし、遅れてやって来た委員長のショルダータックルが二の腕に突き刺さった。

「ぎゃあああ」

「あ、ごめんなさい……」

 委員長が体を起こし、薫から離れる。

「だ、大丈夫だから……」

 少し涙を浮かべながら、薫は必死で笑顔を委員長に返す。しかし、そのひきつった笑顔に委員長は、表情をくもらせた。

 そんな委員長に、薫が力こぶを作ろうと袖をまくり上げた瞬間、運転手の声が車内に響く。

「総員、対ショック防御!」

「は?」

 薫が、何事かと前を見ようとした瞬間、理解するより先に結果が襲ってきた。

 急ブレーキで車体が止まり、薫は慣性の法則のまま「むぐう」と、ヘッドレストに顔面をうずめ。なんとか運転手の言葉を理解していた委員長は、ドアの取っ手にしっかりと掴まり姿勢を制御していた。車内に広がるABSの作動音が、どれだけ凄い急ブレーキだったかを物語る。

 ガクンと車体が完全に停止する。そんなタクシーの中、もう、踏んだり蹴ったりだと、薫がペリペリ顔を剥がす。それを一瞥した委員長が安堵の息を漏らしながら窓の外に視線を移すと、大きなコミュニティーホールが見えた。そして、その駐車枠に青いコンパクトカーがおさまってゆく最中だった。どうやらここが目的地だと判断した運転手は、ある程度距離を取った所で車を止めたのだ。そして、どこか満足げな表情を浮かべながら、運転席の脇にあるレバーを動かし、後部座席のドアを開けた。

「俺が追えるのはここまでだ。後はお前たちの足で行け」

 妙に台詞セリフがかった言葉が、後部座席に飛んでくる。

 康則を追いかけなければいけない。その気持が、薫の体を動かそうとするのだけれど、どうも上手く体に伝達されていない感じで、すぐには反応できなかった。そんな状態の薫は、とりあえず動いた口から言葉を出す。

「委員長。先に行って」

 薫の意思は伝わった。委員長は「わかったわ」と頷くと、薫を残してタクシーを降りる。そして、二度、三度辺りを見回し、行動を始める。その姿を、そのままの状態で見届けた薫は、一つ息を吐きだした。

「どうした嬢ちゃん。腰でも抜けちまったのか?」

 カカカと笑う運転手に薫は、上体を背もたれにあずけ目を細くする。そして、いつも通り男であると反論しようとしたが、現在自分がカツラをかぶっている事を思い出し、いちいち説明するのも面倒だと、違う言葉を口にした。

「抜けてません。それよりいくらですか? タクシー代」

 薫の言葉に運転手は表情を緩めると、役者になりきったままゆっくり頭を横に振る。

「本当だったら、お代はいらねえぜ。って言いたいところだけどな。こっちも商売だ。千円で良いぜ」

 運転手の言葉に薫は財布を取り出し、中を覗き込んだ。小銭を数えても、到底千円には達しない。良くて二百円程度だった。札入れの中には、唯一の千円札が入っている。それを取り出した薫は、運転手に差し出した。

「じゃあ、これで」

 少し名残惜しそうに見つめる薫。その千円を受け取った運転手は、手際よく黒い鞄に入れ込むと「楽しかったぜ。嬢ちゃん」と助手席にあった制帽を被り、遠くを見つめる。

「どうも……」

 そんな運転手にとりあえず軽く頭を下げ、薫は少しふらつく体を制御しながら、タクシーを降りた。



 午前十一時二十分――コミュニティーホール前。

 薫はコミュニティーホールの外周を一周しタクシーを降りた場所に戻っていた。このコミュニティーホールは、旧来からこの町の存在していた文化会館のバージョンアップ版として、最近建てられたものだった。体育館やコンサートホール、集団の就職説明会にも使われたりする、大型の多目的ホールなのだ。外観は眩しいくらい真っ白。そして、東京の代々木体育館の様な吊天井型の建築方法はどこか芸術的で、しなやかな青い屋根が海を連想させる。

 薫はそんなコミュニティーホールを見つめながら、「やっぱりこの中だろうな」と言葉を漏らした。そして、一度深呼吸をすると、正面入口の方へ爪先を向ける。ちょうど、移した目線の先。そこには、最近めっきり姿を見せなくなった電話ボックスが、ひっそりと寂しそうに立っていた。そんな公衆電話が薫に宮前先生への連絡義務を思い出させた。

「そういえば、随時連絡だった」

 薫はそうひとりごちると、財布を取り出し、そこから宮前先生から受け取っていたカード二枚を手に取った。そして、電話ボックスをギイと押し開け、公衆電話の受話器を肩と首の間に挟みテレフォンカードを差し入れる。液晶に『12』とカードの意残り度数が浮かび上がった。

「えっと、『090……』」

 もう一枚のカード。つまり名刺に書かれた番号を確認しながら押していく。カチカチと十一回押し終えた薫は、受話器を左手に持ち直し呼び出し音を聞く。コールが二桁になるかならないかのタイミングで、「もしもし」と宮前先生の声が聞こえた。どこかいつもと雰囲気の違う声に、薫は少し戸惑いながら声を出す。

「もしもし、先生。桜木です」

『おお、エージェント桜木。どうだ状況は?』

 薫かの電話だからか、宮前先生の語調がいつもの調子に戻る。それに安心した薫は言葉を続けた。

「まだ、わからないんですけど、女性の影が見えました」

『ほう、あの若菜にか?』

「はい。駅からリオンまでバスで行って、何か紙袋ごと手に入れたみたいなんですけど、そこから、女性の運転する車に乗り込んで、今は、あの、何だったかな……」

 コミュニティーホールという名称が出てこない薫は、言葉に詰まる。

「えっと、青い波の様な形の屋根がある……」

『コミュニティーホールか?』

「あ、それ、それです。そこに来てます」

 薫がそこまで言うと、受話器の向こうから唸り声が聞こえて来た。唸り声を上げ続ける宮前先生に薫は、「どうしたんです?」と問い掛ける。

『いや、私の予想していた通りだった。時間も……うん、間違いない』

 勝手に自己完結をする宮前先生。

「予想通りって、知ってたんですか?」

『おおよその、見当はついていたんだが、桜木の言葉で補完された』 

「え、これだけの事で?」

『ああ。でも、一応一つ確認だ。若菜が乗った車は青いフィットだったか?』

 薫は、何でそこまで知ってるの? と首を傾げながら電話ボックスから辛うじて見えた康則の乗って来た車を見つめ、「はい」と答える。

『はっはっは。私の推理もまんざらではないようだ。お疲れ、エージェント桜木。君の任務はここで終了だ』

「任務終了って、若菜君の悩みがわかったんですか?」

『悩み? ああ、悩みね。あいつの成績不振は悩みから来るものじゃない。ただの学業怠慢だな』

「怠慢って……」

『せっかくの休みに悪かったな。任務完遂大義であった』

「は、はあ。って、じゃあ、委員長も任務解除で良いんですね?」

『委員長? 遥がそこにいるのか?』

 少し意表を突かれたような声。その声に薫は「大丈夫です」と返し「今はいませんけど、若菜君を追ってます」と付け足した。

『そうか、……だったら、遥にも任務終了だって伝えてくれるか』

「わかりました」

 そこまで口にした所で薫の中に、委員長の『決定的な証拠を見つけたら、お姉ちゃんに聞いてみたら?』が思い出された。自分が今回の任務に選ばれた理由。それが、やっぱり気になる。

「ところで先生。どうして僕をこの任務に選んだんですか?」

『選んだ理由か? どうしてそんな事が聞きたい?』

「気になったからです」

『そうか……あ、すまん、なんだか、携帯の電波が、あ、悪いみたいだ。ああ、桜木に理由を、教えて、やろうかと、思ったのに、これは、あ、残念……』

「いやいや、先生。電波全然悪くないです。全て明瞭に入ってますよ」

 もう誤魔化しとしかとれない宮前先生の反応。委員長の言っていた事は本当だったんだと薫は溜め息をつく。そして、月曜日には何か投げるものを持っていかなければと、手首のスナップを利かせた。

『あ、それじゃあ、桜木も、たの』

 ブツっと不自然に電話が切れた。受話器からは『プー、プー、プー』と電子音が聞こえるだけだ。すると今度は公衆電話が、ピピー、ピピーと、電子音を上げる。どうしたのかと、薫が確認すると最初は『12』だったカードの度数が、『0』になり、テレフォンカードが戻って来ていた。

 薫は溜め息をつきながら受話器を戻すと、テレフォンカードを引き抜き、財布の中にしまう。そして、電話ボックスから出ようと踵を返した薫は、扉の前に立つ三人の女性にビクッと驚き、目を丸くする。いったいいつの間に現れたのだろう? 年齢は皆、二十歳から三十歳前後の女性たち。その雰囲気から、到底公衆電話の順番待ちには思えない。だったらいったい? と薫は首を傾げた。その仕草を見てか、女性たちが、一斉にそれぞれの言葉を発する。

「この子じゃない?」

「間違いないわ」

「渚のメールにあった子よ」

「写真はセミショートだった気がしたけど……」

「問題ないって。ロングの方が好ましいわ」

 マシンガンの様に飛び出してくる言葉に気押されながらも、『渚』、『写真』、『セミショート』の単語で、どうやら自分の事について話しているのだと理解した薫は、電話ボックスから外に出た。そして……

「あの、僕に何か用ですか?」

 俯き加減に絞り出した言葉。その言葉に女性たちは歓喜の笑みを浮かべ同時に反応を見せる。

「「「ビンゴ!!」」」

(何が?)

 怪訝けげんな表情を見せる薫。そんな薫に女性たちは、満面の笑みを浮かべながら近づいてくる。

「薫ちゃんよね」と優しい声。

「そうですけど……」

 半歩下がる薫。

「あなたは、私たちの救世主よ」と明るく透き通った声。

「は?」

 疑問符が浮かぶ。

「だから、お姉さんたちと一緒に来て」と甘い大人の声。

「え?」

 薫が、浮かんだ疑問符を投げ掛けるよりも早く、腕を掴まれ引っ張られる。

「ちょ、ちょっと……」

 薫の戸惑いは彼女たちには届かない。というより彼女たちは聞く耳を持っていない。半ば強引に引きずられながら薫は、三人に囲まれコミュニティーホールの中へと引き込まれていった。

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