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エージェント、どこへ行く(3)

 午前九時二分――同バスターミナル。時刻表の陰に隠れながら、薫は康則の行動を追った。

 徐々に近づいてくる康則の姿。どうやら、駅の方へは向かわないみたいだ。真っ直ぐバスターミナルの方へ向かってくる。と言うより、薫達の隠れている時刻表に向って歩いてくる。薫は、一旦完全に身を隠すと、自分の胸に手をあてた。鼓動が速くなっている。ちょっとした高揚感に、口元が緩んだ。

 そんな薫を見つめた委員長が、小さく溜め息を零す。

「どうしたの?」

 不思議そうな薫の声に委員長は「何でもないわ」と力強い瞳を輝かせる。

「そう……」と息を抜いた薫は、再びそっと、時刻表の陰から康則の姿を確認するため、頭を出す。すると目の前に康則の姿があった。

(しまった!?)

 一瞬心臓が爆発しそうになる。しかし、どうやら、康則は時刻を確認する事に夢中で、自分の存在に気が付いていないようだ。そう感じた薫は、急な反応をしてしまえば、それが逆に自分を目立たせてしまうと、そのまま息をひそめる。すると、腕時計で時間を確認した康則が「少し早かったか」と零した言葉が薫の耳にも聞こえた。思ったとおり薫の存在には気が付いていないようだ。

 薫が漏れそうになった安堵の息を必死で抑え込んだその時、そこに、康則の見立てとは異なり、バスターミナルに路線バスが一台まわり込んで来る。そして、時刻表の前に停車すると、入口のドアを開けた。

「ある意味時間通りか……」

 バスを見つめながら、皮肉交じりの息を抜いた康則は、淡いブルーのシャツを翻し、ベージュの綿パンを足早に動かしながら、そのバスに駆け乗る。いつもの鋭い眼光を運転手の方へ向けると、そのまま先頭の座席に腰を据えた。

(よし、行くぞ)

 その姿を見ていた薫は唾をのみ込むと、あくまで自然に、何も関係のないその他大勢の様に、バスに乗り込み最後部の座席に着く。その後を、委員長が普段のビシッとした姿勢ではなく、弥生の様なしなりと柔らかい動きで付いて行った。そして、薫の隣にふわりと座る。てっきり委員長は、物資を届けてくれるだけだと思っていた薫は、その姿に声を出さず目だけを丸くした。

「どうして?」と頭に浮かんだ疑問を小声で投げかける。

「お姉ちゃんに頼まれたの。桜木君一人じゃ頼りないって」

 同じように小声で返した委員長はクイっと眼鏡をなおす仕草を見せた。しかし、眼鏡がない事に気が付いた委員長は、恥ずかしそうに咳払いをすると「ともかく」と誤魔化し「私も付いて行くから」と腰を浮かせて座りなおす。

「あ、そうなんだ」

 そう言いながら委員長の仕草を微笑むと、薫は康則の方へ視線を移す。他にも数人が乗り込んでいたが、薫達の位置からは、しっかりと康則の後頭部が確認できた。いったい康則は、どこへ向かうのだろうか。


 『本日も、市内循環さわやかバスをご利用いただきありがとうございます。当バスは……』

 バスの中にアナウンスが流れ始める。薫達が乗り込んだこのバスは、市内を蜘蛛の巣の様に巡回するバスの一本。具体的な目的地として、商店街、図書館、ショッピングモール、市営公園、文化会館、銀行、高校、そして薫の通う中学校などが入っている。そして、循環と名うっているだけに、最後はもう一度この駅に戻って来るのだ。ゆっくりと流れるアナウンスが間隔をあけて何度も流れる。乗客も少し増えてきた。

「どこに行くと思う?」

 アナウンスに耳を傾けていた薫は、康則の後頭部を見据えたまま声を出す。それに委員長が「わからないわ」と端的な答をかえした時、車体がブルルと震えエンジン音が薫達の後ろから聞こえてくる。そして、ビーと警告音が鳴ったと思えば、ドアが閉まり、ゆっくりとバスが動き始めた。



 午前九時四十八分――同路線バス内

 気が付けば路線バスには、かなりの人が乗り込んでした。座席はすべて埋まり、吊革につかまる姿も見える。バス停にとまる度、数人が常に乗り込んできていたから、この人数になるのは当然だったのかもしれない。薫と委員長は、そんな乗客が康則との間に入らないよう微妙に移動し、合間を縫う様に康則の行動を監視していた。依然として全く動きを見せない康則に、まだ、動かないのかと、薫が目を細くした時、車内にアナウンスが流れだす。

 『次は、リオンショッピングセンター前。次は、リオン……』

 そのアナウンスを聞いてか、康則がおもむろに立ち上がる。どうやらショッピングセンターに向かうようだ。薫がつられて立ち上がろうとすると、委員長が薫の腕を掴んでそれを制した。

「まだ」

 軽く首を横に振った委員長に薫は黙って頷き、浮いた腰を座席に戻す。ギリギリまで動くなと言う事なのだろう。それならばと薫は、降車の準備を始める。

 調査の必要経費は、委員長から受け取ったこの巾着袋に入っているはずだ。バスの運賃はそこから出すべきなのだろうが、もし両替を必要とする場合は面倒くさいことになる。そんな事を考えた薫は、自分の財布から料金ぴったりの小銭を取り出し握りしめた。もちろんその中には委員長の分も含まれている。

 いよいよバスが速度を落とし左に寄り始めた。目的地はすぐそこだ。薫は康則の動きに注目する。

 バスが止まった。ドアが開く。康則は運賃箱に小銭を丁寧に入れ込むと、バスのステップを降りて行った。薫と委員長はそれを確認すると立ち上がり先頭部の運賃箱へと向かう。しかし、他の乗客もここで降りるらしい。二人の前に数人が支払の列を作っていた。

 早く追いかけなければ見失ってしまう。薫の焦りが窓越しに康則の姿を追いかけさせる。

 なんとか、窓から康則の動きが見えた。だが、徐々に小さくなる。焦りがさらに募った。その時……

「桜木君」

 注意を呼び掛ける様な委員長の言葉がバスの中に響く。その言葉に顔を向けるより早く、委員長は薫の腕を掴み、「うわっ」と声を上げる薫を引っ張りバスを降りた。

「い、委員長?」

(バス代は委員長が払ってくれたの? それとも無賃……)

 戸惑いを見せる薫に、委員長は「ほら、見失う」とショッピングセンターに入っていく小さくなった康則の姿を指差した。それはすぐに理解できたのだが、薫はそれより代金の事が気になった。

「あ、でも、委員長、バス代……」

「そんなの、後で良いから」

(どっちの意味で?)

 疑問を浮かべながら小銭を渡そうとした薫に一瞥もくれず、掴んだままの腕を引っ張り駆け出す。またも薫は「うわっ」と声を上げ、自分の手を引く委員長の揺れるワンピースに戸惑った。とりあえず、握っていた小銭をポケットの中にねじ込むと、薫は加速する。委員長を追い越すと、今度は逆に委員長を引っ張った。

「後でちゃんと返すから」

 薫のその言葉に、委員長は微かに口元を緩め「二倍だからね」と、もう一度、薫を追い越していく。

 入口はもうすぐそこだ。



 リオンショッピングセンター――全国に展開する大手のリオングループが手を掛けるショッピングセンター。郊外に広大な駐車場と、巨大な店舗を持つ事で有名。ここに来れば、衣食住の全てが揃い。また、ゲームセンターや映画館、カラオケボックスまでが入り込んだ一大アミューズメントセンターだ。開店は午前九時。年中無休の営業方針で、集客力はかなりのものを誇っている。特に今日は休日ということもあって、こんな時間からショッピングセンター内は人の海だった。

(多すぎだよ、人)

 そんな人の海の中、薫達は見事に康則の姿を見失った。すぐに追いかけたとしても、この人ごみに紛れられてしまえば、一人の人間を探す事は困難の最上級だろう。それでも薫と委員長は、康則が行きそうな売場を手当たり次第に回って探した。


 カジュアルな服が揃う店舗――いない。

 CDショップ――いない。

 電気店――いない。


 次は、書店だ。と薫が「委員長」と口を開いた瞬間、委員長は「ちょっと……」と言葉を濁す。俯き加減な委員長に薫が「どうしたの?」と首を傾げて覗きこもうとすると、委員長の眼光がキュっと鋭くなった。その瞬間……

 バチーン

 委員長の放った切れのあるビンタが薫の首を反対側に傾かせた。かぶっていた帽子もくるりと宙を舞う。

「このエロがっぱ」

 吐き捨てられた言葉に薫は、叩かれた頬に手を添えながら「どうして?」と眉をひそめる。今回、委員長に触れてはいない。特段変な事をしたわけでもない。そういった疑問が、薫の頭の中で廻りに廻ったが、それでも、やっぱり答えは出てこなかった。

 そんな薫に厳しい顔のまま溜め息をついた委員長は、無言で歩み出す。「あっ」と擦れ違う委員長に手を伸ばした薫だったが、その手は彼女に触れる事はなかった。避けられてる? でも、このままだったら委員長まで見失ってしまう。そう考えた薫は慌てて委員長の後を追いかけた。前で揺れる白いワンピースが少しだけ遠い。

 叩かれた頬は、瞬間的に痛みを感じたが、今は何も感じない。綺麗に振り抜かれたからだろうか、それとも、委員長のビンタは後に引かない特殊な打ち方をされているのだろうか。わからない。でも、それは今関係ない事だと、薫は頭を振る。そして……

「委員長……」

 恐る恐る投げ掛けた言葉も、ピンと背筋を伸ばして歩む委員長の背中に弾かれた。沈黙の中、ミュールの足音だけが足早に刻まれていく。

 気が付くと、周囲の音が少なくなってきている。どうやら、店舗が並ぶメイン通りから外れて来ているみたいだ。どことなく酸素の濃度が濃くなってきているようにも感じる。薫は、気分を落ち着けるため、大きく息を吸い込んだ。その時、委員長の足音が急に止まる。目の前で立ち止まった委員長に、慌てて声を掛けようとした薫は、呼吸をうまくコントロールできず、激しくむせ返った。

「何してるの……」

 一人で慌てる薫に怪訝な顔を見せた委員長は、「ちょっと、ここで待ってて」と言い残し、狭い通路に姿を消していった。未だ落ち着かない呼吸の中、薫は二度頷くと、ゆっくり呼吸を整えていく。ある程度落ち着いた所で、視線を通路の入口に移してみると、その先に「エロがっぱ」と罵られた理由が目に入った。

(トイレ……)

 そういう事だったのかと、薫は理解した。どうして委員長がビンタをくれたのか……どうやら、乙女の繊細な部分に土足で上がり込もうとしてしまったようだ。普段は強い委員長だけれど、やっぱり女の子なのだ。薫は一つ賢くなった。今度から気をつけようと……

(でも、あのタイミングは無理じゃないかな……)



 午前十時十五分――トイレ前通路。

 委員長を待つ間、薫は壁にもたれかかりながら、行きかう人の波を眺めていた。メイン通りに比べれば人は少ないものの、それなりの人数が薫の前を通って行く。これくらいの人数であれば、しっかり顔まで確認できる。もしかしたら康則が通りかかるかも知れないと、索敵レーダーのアンテナを伸ばしていたのだった。

(どこに行ったんだろ? 若菜君……)

 そんな薫が溜め息をついた時、薫のレーダーが艦影を捉えた。しかし、それは康則の姿ではなく、金色の髪をふわふわさせながらはしゃぐレコアと、不機嫌そうな貴明の姿だ。二人並んで薫の方へ向かってくる。一瞬体が強張ったが、こんな事もあろうかと、変装をしてきたのだ。薫は、帽子を目深にかぶり直そうとする。が、あるべきところに帽子がない。

(ビンタの時に落したままだった)

 自慢の変装が眼鏡しか残っていない。もし、自分がここにいたら、間違いなく二人はやって来るだろう。そうなると、康則探しどころではない。委員長が戻ってくれば、それこそ、とんでもない事になりそうだ。一瞬にして計算を巡らせた薫は、慌てて男子トイレに駆け込んだ。が、そこでも薫レーダーは艦影を捉える。

 それは、「携帯〜、携帯〜」と鼻歌を歌いながら個室から出て来た陽太の姿。薫は慌てて、トイレ入口の物陰に隠れる。

(何で、森本がここに?)

 答えは、記憶の中にあった。そう言えば、携帯電話を買うのだと言っていた気がする。しかし、まさか、このショッピングセンターに買いに来ていて、このトイレにいるなんて、どんな偶然だろうか。見えない力が、自分を陥れようとしているに違いない。そんな、被害妄想を膨らませた薫は、頭を悩ませる。

 このままだと、間違いなく陽太と出くわしてしまう。そうなってしまえば、レコア達と出会ったのと同じ状況になる事が簡単に想像できる。もしかしたら、それよりひどい事になるのではないだろうか。どうすれば良いのかと考えを巡らすが、薫の頭に最良な答えは浮かんでこない。

 正に前門に陽太、後門にレコア達といった状況に薫は、何かないのかと辺りを見回す。しかし、何も見つからない。女子トイレに逃げ込むという手もあるのだろうが、それを実行に移してしまえば、『エロがっぱ』では済まない事は間違いないだろう。委員長のキツイお仕置きが薫を打ち砕くに決まっている。

(どうしよう?)

 弱音が薫の視線を下に向けさせる。そこで、完全に存在を忘れていた巾着袋が目に留まった。もしかしたら、この中にこの窮地を脱出するすべが入っているかもしれない。わらにもすがる気持ちで、薫は巾着袋を開けた。

(こ、これは!?)



 午前十時十六分――同トイレ前通路。

 薫の前を、レコアと貴明が笑いながら通り過ぎて行く。そして、トイレから出て来た陽太が、その姿を見つけて追いかけて行った。なんとかやり過ごしたと、薫は胸を撫で下ろす。

 巾着袋に入っていた物――それは、カツラだった。黒いロングヘアーのカツラは宮前先生が以前薫に提供した物と同じだ。それを慌てて装着した薫は、何事もなかった様に、通路の壁にもたれかかり、息をひそめた。それがどうやら成功したようだ。陽太にもレコアにも貴明にも、桜木薫である事がばれずに、現在に至る訳だ。少しの解放感から、薫は一度大きく伸びをする。

「おまたせ」

 聞こえて来た委員長の声に、薫は視線を向ける。語調や表情から推察するに、どうやら怒ってはいないようだ。そう感じた薫は、「次は書店を見に行こう」と笑ってみせる。その笑顔に委員長は少し戸惑ったが、目の前にいる人物が薫である事を認識し「わかったわ」と微笑み返した。

「でも、その髪の毛どうしたの?」

「それが……」

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