ミッションインポッシブル?(3)
さてどうしたものかと、薫は頭を捻りながら、部室前にいた。扉の前に立ってからかれこれ十五分。微かに部室から漏れてくる康則の声に考えを巡らす。康則の身に何が起こったのか、どうやって本人から聞き出そうか? それとも、近しい友人からどことなく情報を入手してみるか? 様々な事を考えながら薫は、唸り声上げた。
すると、その瞬間、目の前でしまっていた部室の扉が勢い良く押し開けられた。突然の事に反応が遅れた薫は、額をしたたかに打ち付ける。
「あだっ」
鈍い音と薫の声に、どうしたのかと扉を開けた人間が、扉の裏を覗き込む。額を抑える薫を認めた人間は、申し訳なさそうに口を開いた。
「大丈夫か? 桜木」
「だ、大丈夫……」
作り笑いを浮かべて、涙をこらえる薫は、扉を開けた人間に視線を移した瞬間、つい声を上げてしまった。
「わ、若菜君」
その言葉が示すとおり、康則が鋭い眼光をできるだけ柔らかくしながら、薫の事を見つめている。自分の失態に、心を痛めているのだろう。薫の言葉にもう一度「すまない」と言った康則は、バツの悪そうな表情で口を噤んだ。
そんな康則の感情を読み取った薫は、笑顔をつくり「大丈夫」と打ちつけた額をぺチンと叩いて見せる。
そんな薫の仕草に微笑み返した康則は「確認を怠った」と頭を掻いた。そして、「あっ」と声を上げると、何かを思い出したかの様に、言葉を続ける。
「いきなりで悪いが、少し部室を空ける。部長も、森本も、葛城も、小林も、志倉もいないから、桜木、頼んだぞ」
「頼んだぞって、あ、ちょっと若菜君」
簡単に概要だけを説明した康則は、薫の言葉を背中で適当に受け止めながら、「頼んだ」と手を振りながら走っていった。取り残された薫は、何が何だか理解できずに溜め息をつく。
(な、何? 逃げるように……)
そうやって首を傾げた薫は、とりあえず部室の扉をくぐった。
部室の中の状況を見て、薫の口は開きっぱなしだ。何が薫をそうさせたのか? それは部室にいた、貴明とレコアの姿。貴明は、どこまで先が長いんだとツッコミを入れたくなるリーゼントのかつらに、胸の下くらいまでの端ラン。そして、いったい中に何を入れるんだと疑問符が浮かぶボンタン姿。レコアは、金髪のロングヘアーとマスク。そして床まで届くロングスカートのセーラー服だった。そんな二人が、入口で立ち尽くす薫を、不器用に睨みつけている。一目では、いったい誰か見当がつかない。
そんな勘違いが含まれる恰好に、これは順序立てて説明してもらわないと……と薫は目を細めた。
「押忍! 桜木先輩」
部室に貴明の気合いのこもった声が響いた。それに続く様にレコアも「押忍」とかわいらしい声を出す。
「お、お疲れ様……」
ひきつった笑みを返した薫は、とりあえず、目の前にあるとてつもなく大きな疑問をぶつける事にした。
「で、どうしたの、その格好?」
「衣装です」
貴明が、腹から声を出す。ハッキリ言って騒がしい。演劇部の部室は八畳ほどの広さしかない。普通に声を出せば、十分事が足りるはずだ。真面目なのか、悪ふざけなのかと薫は、頭を悩ませたが、今までの貴明を見ている限り、悪ふざけではないだろうと結論を出した。そして、次に生まれた疑問符を口に出す。
「衣装? って何の?」
「番長です」
「番長って……」
単語だけの返答はそっけないメールの様で、いまいち全景が見えてこない。頭を悩ませた薫は「亀山には悪いけど……」と、心の中で前置きしてから口を開いた。
「レコアちゃん。状況を、初めから説明してくれない? どうして番長の格好をしている事とか、皆がいない理由とか」
薫としてはできるだけ柔らかく言ったつもりだったが、貴明の表情にはショックの色が隠しきれない。そんな貴明を一瞥する事もなく、レコアは状況を説明し始める。
「えっと、私、今日の朝ご飯、パンだったんですよ……」
「ストップ」
唐突な切り出しに、薫は言葉を遮った。
「レ、レコアちゃん。そこ、必要?」
「もちろんです。桜木先輩、事の成り行きというのは根本から考えないと、本質は見えてこないものですよ」
インテリの様に人差し指を立てながら、薫の指摘を否定するレコア。もっともな意見を言ってはいるのだが、どうも衣装が邪魔をして、言葉の重さが感じられない。しかし、薫はそういう事ならばと納得し、「ごめん、続きをどうぞ……」と促した。
「どこまで、言いましたっけ?」
「レコアの朝飯が、パンってところ」
レコアがおどけて見せると、隣で見ていた貴明が真面目に相の手を入れる。それを嬉しそうに微笑んだレコアは、テンションを上げて話し出す。
「朝ご飯がパンだったんです」
(そこは聞いた。ってそこだけだけど……)
「で、高ちゃんの朝ご飯は、お米だったんです」
(それで……)
「部室でその事をお話ししていたら、森本先輩が、『そんなんじゃあ、強くなれないぞ』って」
少し話が飛んだ事に、薫は顔をしかめる。それを感じ取った貴明は、「レコアがパン食だからだと思います」と、付け足した。
(強くなれないぞ。って)
実を言うと、レコアはこの年代としては十分すぎるほど強い。それはあくまで、『武』という捉え方をすればだが。幼いころより空手の道場を開く父親に鍛えられたとのことで、入部の際には、あの宮前先生に『お前の拳は、世界を取れる』と言わせたほどだ。それを知っている薫は、鼻から溜め息を出した。
「そんな話から、一番強いのは? って話になって……」
そこで、レコアの言葉が止まってしまう。それに首を傾げた薫は「どうしたの?」と二人を交互に見やる。そんな薫に、貴明が真っ直ぐな視線を向けた。
「桜木先輩。三中の番長の噂って、知ってます?」
その言葉に薫は一瞬ドキッとなった。まさかここで自分の話が出てくるなんて……
しかし、自分が番長であるという事を二人は知らないはずだ。薫はそう信じ「知らない」と、しらを切った。
「そうですか。実はですね……」
そんな薫に、どこかヒーローを語る様に目を輝かせた貴明が、話を続ける。
「この第三中学校に、伝説の悪魔番長がいるんです」
(悪魔番長って……)
いったいどんな伝説なんだと、心の中でツッコミを入れる薫。客観的に見れば突拍子もない話だ。普通の人が聞いたら、きっとこうするだろうと、薫はそれを笑い飛ばした。
「嘘じゃないですよ。噂では、この一ヶ月で、一中・二中を統一したとか、ヤクザ相手に喧嘩を売って組ごと潰したって武勇伝がありますし、一回死んだけど生き返ったり、気功波でパンダを倒したり、ゴキブリを素手で捕まえたりできるって話です」
噂には尾ひれ背びれが付くものだと、よく言った物だ。番長の噂はとんでもないものになっていた。実際、成り行きや、不可抗力を除けば、薫がやった事のあるものなんて一つもない。一番最後の噂が、なんとかできるかもしれないが、それを行動に移せる人間は、本当に悪魔だろう。一瞬、その事を思い浮かべた薫は、背筋に寒気が走った。
「そ、そうなんだ……確かに最強かも知れないね」
(素手で掴んじゃいけないよ……)
手に付いたなんとも言えない嫌な感覚を振るい落す様に、薫はぶんぶんと掌を振る。
「だから、私たちは……」
「悪魔番長の様になるべく、形から入った訳であります。押忍!」
気合いの入った貴明の声が窓を震わせる。突然飛び出した、その声に耳鳴りを起こしながら、とりあえずこれで、なんとなく二人がしている格好の意味がわかったと、次の質問を繰り出した。
「OK、とりあえず、その格好になった理由がわかったよ。じゃ、じゃあ、他の皆はどうしたの? 森本は部室にいたんだよね?」
薫の問い掛けに、悪魔番長の二人は、「う〜ん」と唸り声を上げる。どうやら、理由を知らないみたいだ。
「知らないの?」
再び、薫の質問。それにレコアが「そう言えば……」と思いだした。
「部長は、確か……委員長会議だって宮前先生に呼ばれて行きました。それと、森本先輩はトイレって……」
「小林さんたちは?」
「小林先輩と葛城先輩、志倉先輩は、何だか悲鳴を上げてどこかに行っちゃいました」
レコアは首を傾げながら、「どうしてか、わからないですけど」と付け足す。
「それと、若菜先輩は、森本先輩の様子を見に行くって、ついさっき……」
貴明が最後に康則の事を部室の入口を指差しながら、補足した。それにつられて薫は視線を移しながら「ああ、確かに、擦れ違った」と言葉を漏らす。しかし、どうもおかしい。誰も部室を出て行ったきり帰ってこないなんて……。それに、どうもレコアの言葉が薫には引っかかった。
「ねえ、ところで、皆が出て行く前って、何してたの?」
きっと、これが何か関係しているのだろうと、薫が繰り出した質問に。二人は揃って微笑むと、レコアが一本の瓶を取り出した。そして、
「修行です」
と、二人揃って声を出す。
その言葉を聞いて、何気なく見た瓶の中身に薫の背筋は凍りついた。なんとなく嫌な予感がしていたような気がする。でもそれを実行に移す人間がいようとは……
瓶の中にあったもの。それは、――現代における魔獣が一匹。その中には宙を自在に舞う上位モンスターも存在する。エンカウント率は環境によって異なるが、出会った瞬間、誰もが、その素早さに恐怖するはずだ。そのモンスターの名前は――
ゴキブリ。
まさか、この二人は悪魔の力を手に入れたのだろうか……そんな事を巡らせながら、薫は顔を引きつらせた。
「伝説を一つずつ、達成していこうと思って」
嬉しそうな二人の笑顔。どうすれば良いのかわからない薫は、とりあえず他の皆と同じ様に、この場所から逃げる言い訳を考え始める。そんな薫の目前に突然、レコアはモンスターの詰まった瓶を突き出す。とっさの事で対応ができなかった薫は、反射的にその瓶を払いのけた。
モンスターを封印した瓶が、回転しながら宙を舞う。
それを見つめる六つの瞳。
何とかすくい上げようとした薫の腕を擦りぬけて、瓶は床に強く叩きつけられた。
そして……
魔獣の封印が今、解かれる。
「ああああああああ……」
貴明の動揺した声が零れ落ちた。レコアも小さい体を一層小さくしながら、貴明の背後に隠れる。どうやら、まだ二人は悪魔の力を手に入れていないみたいだ。薫は一つ、安堵の息を漏らすと、目の前の現実を直視した。
(どうする?)
薫の頭の中に選択肢が現れる。『たたかう』『まほう』『どうぐ』『にげる』。当然ながら魔法は使えない。道具なんて持っていない。『たたかう』か『にげる』か……
このまま逃げると、この部室は間違いなく魔物の巣窟になってしまう。戦うしかない。そうやって心を決めた薫は、部室内を見回す。
(何か武器はないのか?)
さすがに小道具の模造刀を使う訳にはいかない。
(まさか……素手で?)
一瞬、悪魔番長の伝説が脳裏をよぎる。背筋に流れる嫌な汗を感じながら、薫は生唾を飲み込んだ。その瞬間。
「桜木先輩!」
レコアの声が聞こえた。
「これを使ってください」
薫が、レコアの方に視線を向けると、自分に向かってくる棒状に丸められた新聞紙が見えた。大雑把にガムテープで丸められたその新聞紙には、油性のマジックで『えくすかりばー』と記されている。
薫はそれを受け取ると、『えくすかりばー』の切っ先を、モンスターに向けた。
睨み合う薫とモンスター。先に動いたのは薫だ。薫は後先考えず、力の限り『えくすかりばー』を振り下ろした。
パーン
乾いた音が部室内に響き渡る。しかし、モンスターは持前の俊敏さで、その一撃を回避していた。床を素早い動きで駆け抜けたモンスターは、壁を登り部屋の隅でその動きを止める。まるで、薫の一撃を誘っているかの様だ。
じりじりと距離を詰める薫。
(どうする? 攻撃するか?)
そうやって薫は自問する。このまま攻撃した所で、『えくすかりばー』は壁に阻まれモンスターには届かないだろう。相手が動くのを待とうか? それとも……そう考えをめるらせた薫は、部室のレイアウトを一瞥する。どう考えても物陰に隠れられたらこちらが不利になると判断した薫は、『えくすかりばー』を八双に構え、力を込めた。その瞬間、モンスターは想定外の行動に出る。
飛んだ。
――真っ直ぐ薫の顔目がけて――
(こいつ、上位モンスターか!?)
どうする? と、薫が思考を巡らせるよりも早く『えくすかりばー』が動いた。
一閃。
完全にモンスターを真芯で捉えた『えくすかりばー』は物凄い勢いで相手を弾き飛ばす。激しく壁に打ち付けられたモンスターはひっくり返り、その動きを止めた。
「や、やったか?」
依然として緊張を解かない薫は、乱れた呼吸を整えながら相手に残身を示す。そんな薫の横を通り抜け、陽太が急に現れた。
「会心の一撃だったな、桜木」
背中越しにそう言いながら陽太は、しゃがみ込むとモンスターをまじまじと見つめる。陽太の背中を見つめながら、唐突な登場に眉をひそめた。
「いつ戻ったのさ」
「今。下痢だったんだよ、俺」
あっけらかんと言い放った陽太は、おもむろにその右手をモンスターに伸ばす。
(まさか……)
薫の中に最悪の想像が広がる。
「こんなもん、ささっと捨てちまおうぜ」
陽太はニコッと笑いながら振り返る。そして、その右手にはモンスターの姿。
部室内の空気が凍る。その雰囲気を感じ取った陽太は首を傾げていく。
「どうした?」
その瞬間、聖剣の名を冠した新聞紙が、陽太の脳天に振り下ろされた。
「悪魔退散っ!!」