Brake Time 僕らの五日間戦争
一部一話のコメディーオンリーBrakeTimeです。
ゴールデンウィーク。それは――日本人にとって黄金に輝く連休。しかし、桜木家にとって、それは、地獄の五日間だった。
なぜなら、母親が町内会の旅行で家を空けるからだ。母親が家にいない。それが、何を意味するか……それは、薫と父親にとってのバツゲーム確定演出である。
桜木家メインシェフが不在。と、いうことは……
「さ〜て、今日は何を作ろうかな〜」
鼻歌交じりにエプロンを手に取った美咲が、手慣れた動作で身につけていく。
ゴールデンウィーク最後の昼。桜木家のリビングで美咲は、ディホルメされたクマがかわいらしく包丁を振りかざす、ワンポイントが入ったエプロンを纏うと、クルリと回転して見せた。
その姿を虚ろな目で眺めていた父親は、ソファーに座りながら「なぜだ! なぜ、こうなる?」と頭を抱え震える。
薫は対極的な二人を交互に見ながら溜め息をついた。
桜木家のルールを知らない人間にとって、疑問が浮かぶだろう。『なぜ、美咲が料理をしているのだろう?』と――美咲の料理の腕を知っている二人だ、別に美咲が料理をしなくても、出前を取ったり、外食したり、薫や父親が料理をすれば問題ないはず。そう考えるはずだ。
しかし、桜木家には鉄の掟があった。
『男子厨房に立つべからず』
『外食は家族揃ってすべし』
父親が決めたルールよりも上位にあるその掟は、父親の両親――つまり、薫と美咲の祖父と祖母が決めた覆す事が出来ない鉄の掟だった。離れて暮らしていてもなお、守り続けられるその掟は、父親の魂に染み付いていて、破る事を許さない。
だから、母親がいないこの五日間、食事の時間になると美咲の料理が猛威を振るっていた。そして、その度に繰り広げられた萬国吃天掌に薫と父親は涙ながらのバケツリバース。
キッチンへ向かう美咲の背中を見送りながら薫は、夕方には母親が帰って来る。これが最後の試練だと、腹筋に力を込めた。
「薫……すまない」
弱々しい父親の声が、聞こえる。そんな父親に薫は「しかたないよ」と溜め息交じりに反した。
ちなみに、ゴールデンウィークで披露された、美咲の料理は次の通りだ。
初日、昼ご飯――『七転八倒パスタ』
初日、夕ご飯――『グラビティーから揚げ』と『死海コーンスープ』
二日目、昼ご飯――『ダークネス天丼』
二日目、夕ご飯――『劣化ウランハンバーグ』と『死海コーンスープ再び』
三日目、昼ご飯――『消し炭(元魚)』
三日目、夕ご飯――『消し炭(元牛肉)生クリーム添え』
四日目、昼ご飯――『筍とうまい棒の炊き込みご飯』
四日目、夕ご飯――『新、斬鉄剣酢豚』
どれもこれも、その名に恥じる事のない味が保障されていた。
どうして、朝ご飯が入っていないかというと、朝は基本的にパンか納豆掛けご飯だったため、美咲の料理とはみなされずリストには載らなかった。それに、美咲はご飯を炊くのは上手なのだ。だから、まともに胃袋に収まったのはその白米のみ。それが薫と父親にとって唯一の救いだった。
美咲が一人キッチンで戦う掛け声は、耳を澄まさずともリビングにまで聞こえて来た。実況中継の様なその言葉に、薫の頭の中には調理風景が浮かび上がって来る。
「焼きそば、焼っきそば〜」
(今日の昼は、焼きそばか……)
「袋を開けて〜、フライパンにボ〜ン」
(ボ〜ン、って、油引いたの?)
「あ、油引くの忘れた」
(やっぱり)
「ま、いっか」
(良くない)
「野っ菜ぃ〜、野っ菜ぃ〜」
(あれ、野菜って切ってたんだ? 包丁の音は聞こえなかったな)
「千切って、ぽ〜い」
(ま、まあ、問題ないよね)
「お肉はそのまま、ど〜ん」
(そのまま!? そのままって、どのままだよ?)
「ぐ〜り、ぐ〜り、ぐるぅ〜りぃ」
(きっと、かき混ぜてるんだろうな……)
「味付け、いっきま〜す」
(ここだ、ここが最大の難関なんだよ)
「塩とコショウはどれだっけ?」
(おぅ!? いきなりそこで躓くのか?)
「まあ、どれも一緒か?」
(一緒じゃないから! それ一番大事!)
「そ〜して、最後に、君の出番だソース君。はい、わかりました」
(こんな、言葉を聞いていると、美咲はホントは子供なんだと思うんだけど……)
「や、やりすぎだよソース君」
(どれだけ入れた〜!)
「ま、いっか」
(良くない! 少しは、反省しろ!)
「これで、でっきあっがりぃ〜」
(完成したのか……今日の地獄が……)
歯医者の順番待ちの様な感覚に、溜め息をつき呆然と立ち尽くす薫。その肩に、父親の大きな手が置かれた。
「さあ、行こう。俺達の戦場へ」
虚ろな瞳で父親がダイニングへと続く扉を見つめる。薫は黙って頷くと、もう一度腹筋に力を入れその扉を、開け放った。
今、ゴールデンウィーク最後の戦いが静かに幕を開ける。
男達の行動は素早い。事前に決めていたかの様に、対美咲料理戦闘配備がなされた。もちろんバケツは、各人員の側に置かれている。薫が気合を入れて椅子を動かすと、なみなみと注いだ水がジョッキから少し溢れ出した。
向かい合った男二人に、笑みはない。緊張にひきつったその表情は、正に戦場へ向かう戦士の顔そのものだ。そこに今日の美咲料理『焼きそば(仮)』が山盛りに運ばれてくる。
「おまたせ〜。今日は、失敗してないからね」
(嘘だ!)
薫は心の中で叫んだ。美咲は知らないのだ。リビングまで調理の実況中継が流れていた事を。そんな事を考えながら戦士達は、最後の敵を確認する。
一見普通の焼きそばだ。そのまま投入された肉の存在が気になっていたが、バラ肉だったようで、違和感がない。とりあえず、薫は安堵の息を漏らす。
多少の焦げが目に付いたが、消し炭に比べたら微々たるものだろう。さあ、気になるお味の方はいかがなものかと、薫は箸を握る。
しかし、それより箸は動かない。未開の地に足を踏み入れる――そんな、フロンティア精神が臆病な風によって流された。どうしても、被害は最小限に抑えたい。もし、先に具体的な反応が見れればと、薫は、父親に目線を移した。
父親も同じ事を考えていたようだ。全く同じタイミングで目線を上げた二人は、視線が交錯した瞬間ビクッとなった。
「ど、どうしたのさ、父さん?」
「か、薫こそ」
しばらくの沈黙……
「ほ、ほら。美味しそうだよ、焼きそば」
「そ、そうだな。薫。……そういえば、お前欲しい本があるって言ってたよな? 買ってやろうか?」
暗に、先に食べたら欲しい物を買ってやるぞ。と聞こえる父親の言葉に、薫は、ゆっくりと首を横に振った。ここで引くわけにはいかない。
「父さん。それとこれとは話が別だよ。シビアにいかなきゃ、これは戦いなんだから」
その言葉に父親は表情を緩めると、優しく薫に言葉を送る。
「薫。しばらく見ないうちに、大人に……いや、男になったな」
「父さん……」
「さあ、父さんに薫の男気を見せてくれ」
「な゛!?」
薫は絶句した。そうやって切り返されるとは、考えていない。やはりまだ、父親の方が上手だ。返す言葉が見つからない薫は、目線を焼きそばに戻した。美味しそうなソースの匂いが薫の鼻腔を刺激する。
見た目と匂いが普通だからといって、勝手なイメージを持つ事は危険だ。過去のトラウマを思い出し、頭を振る。『パニックカレー』の二の舞は嫌だと。
「何二人で訳わかんない事言ってんのよ。ほら、さっさと食べなさい」
美咲が「じれったいわね」と言いたそうに、二人を睨みつけた。その言葉に薫は決意する。どうせ、一度は口に入れなければならないのだ。だったら、男を見せてやると。
薫は一度父親に顔を向ける。言葉に出さずとも、その意志がこもった視線を汲み取った父親は、力強く頷き薫を激励した。それに応えて薫も頷く。
(いってきます)
心の中で敬礼をした薫は、ついにその箸を、焼きそばに突き立てた。
確実に焼きそばを掴むと、ゆっくりそれを、口に運ぶ。そして、口を開け一口、頬張った。
(こ、これは!?)
「美味い」
「でしょ〜」
意外だった。今までの美咲の料理にはあるまじき味だ。辛くもなく、甘くもなく、普通にソースの味が口の中に広がっていく。ついに美咲も、まともな料理ができるようになったのかと、薫の眼頭が熱くなった。
「確かに美味い」
薫の反応を見た父親も、薫に続いて感想を口にする。勢いあまって、口から麺が零れ出た。
「でしょ、でしょ〜」
二人の反応に、面々の笑みを浮かべ、美咲が飛び上がる。よほど嬉しかったのか、クルクルと踊り始めた。エプロンとロングヘアーがふわりとなびく。
そんな美咲を無視して、男二人は焼きそばを食べ続ける。山盛りだった焼きそばも、もう少ししか残っていない。あまりにも、勢い良く食べ進めたせいで薫の喉に焼きそばが詰まる。胸を叩きながら、ジョッキを掴むと薫はミネラルウォーターを一気に飲み干した。
「ぷはっ」
新鮮な空気を吸い込む薫。その時、「ただいま〜」と母親の声が聞こえて来た。
帰宅予定時間にはまだ早い、どうしたのかと三人は首を傾げる。すると、ダイニングにお土産を両手一杯に釣り下げた母親が入って来た。
「あれ、もうご飯食べちゃったんだ?」
そう言いながら、母親はダイニングの様子を確認する。焼きそばを口一杯に頬張る父親。自慢げに胸を張る美咲。ほぼ焼きそばをたいらげた薫。そして、綺麗なままのバケツ。頭の中に浮かんだ結論に、お土産を落とし、信じられないと母親は声を上げた。
「うそ!? ついに成功したんだ。やったわね、美咲ぃ〜」
そう言いながら母親が、美咲の頭をグシグシと撫でまわす。一瞬驚いたものの美咲は「えへへ」と照れ臭そうに俯いた。
「おふぁえり」
「ただいま。でも、口に物を入れながらは行儀が悪いわよ。あなた」
「お帰り、母さん。食べてみる? 美咲の成功作」
父親が、激しくあごを動かす姿を横目に、薫は母親に、少し残った焼きそばを差し出した。すると、母親はニコッと笑い「そうね、見せてもらいましょうか。美咲の成長ぶりを」と言って、焼きそばを受け取る。
「自信作なんだ」
母親の隣で美咲が瞳を輝かせた。そんな美咲を、一瞥すると母親は焼きそばを口に入れる。しばらく無言で噛み続けた母親は、飲み込むと顔をしかめた。
「う〜ん、ソースの味しかしないわね……焦げ付いた感じが、ちょっと不快だわ。まあ、でも食べられないものでもないわね。上達したじゃない美咲」
厳しい母親の批評に、美咲の顔が曇る。結構美味しかったのにと薫は首を傾げた。
「そうかな、俺は美味しいと思ったけど」
父親が、美咲のフォローに入ると、美咲の顔が明るくなる。
「そう? ハッキリ言えば不味いわよ、この焼きそば。もしかしてあなた達、味覚がおかしくなったんじゃない」
母親の歯に衣着せぬ発言に、三人は唖然とした。そんな中、酷評はまだまだ続く。
「だって、ソースの味しかしないんだもん。焼きそばって言うより、ソースつけ麺よ」
母親の言いたい事が、わかった。つまり、自分達は、ずっと美咲の料理を食べて来て、味覚が少し狂っていたのだ。美味しいと思う水準がかなり下がってしまったというか、食べられるだけで美味しいと感じる様になっていたのだろう。そして、あの時暴走したソース君が美味しいと感じた要因であったらしい。そうやって、現状を理解した薫は心の中で両手を合わせた。
(ソース君。一時の満足をありがとう)
五日目、昼ご飯――『ソースつけ麺』
「お母さんの、ばか〜!」
美咲が、叫びながらダイニングを飛び出していく姿を見て、目を丸くした母親は「言いすぎたかしらね」と苦笑いを浮かべた。
すいません、藤咲一です。BrakeTimeという事で何も考えずに書いてみました。楽しんでいただければ幸いです。