戦うメイドさんは好きですか?(3)
台本と異なる終幕となった舞台。緞帳が舞台を完全に覆いきった後は、演劇の余韻に浸る事なく、慌ただしい撤収作業が始まった。
演劇部の次に舞台に上がる吹奏楽部が、パイプ椅子と楽器を舞台上に準備する中、委員長が、最後に簡単なクラブの説明を行うため、緞帳の外にマイクを持って出て行く。
それ以外の部員は、まず、何より優先して梢の事だ。真っ先に皐月と弥生が駆け寄った。
「梢さん。大丈夫ですか? 保健室、行きましょう」
「うん……」
跪いて顔色を窺う皐月に、弱々しく梢が頷く。それを確認した皐月は梢の腕を肩に担ぐとゆっくりと立ち上がった。
「きゃっ」
一人では支えきれずにバランスを崩す皐月と梢。それを、弥生がしっかりと支える。
「肩……つかまって……」
「ありがとう」
舞台の衣裳そのままに、弥生と皐月に両脇を抱えられ、梢が保健室に運ばれていく。
(大丈夫かな?)
心配そうに梢達を見つめる薫に、背後から鋭い声が飛んできた。
「悪いけど、舞台空けてくれる? 私たちの準備ができないわ」
吹奏楽部の女子が、睨みを利かせる。
「ごめん。すぐ片付けるから」
薫はそう言うと、康則と陽太が手際よく片付けた音響機材や小道具を、両手に抱え、一旦部室に戻る事にした。
小道具類を抱えた三人は部室に戻ると、とりあえず道具を所定の場所に片付け、揃ってパイプ椅子に腰を下ろした。
「小林……大丈夫かな?」
薫が一息つくよりも早く、康則は梢への心配を口する。普段と雰囲気が違う康則に、何か声を掛けなきゃと、感じた薫は舞台上での梢を思い出しながら口を開いた。
「本人は大丈夫だって言ってたけど、痛そうだった」
「俺がいけなかったんだ。調子に乗って、あんな動きを小林に求めたから……」
思いつめたように俯く康則に、薫と陽太は顔を見合わせる。
「なあ、あれは皆で決めた事じゃないか、お前一人が気負う事じゃない。それに梢はめちゃくちゃ丈夫だから、気にするなっって」
そんなに思い詰めるなよと、陽太が康則の肩をポンと叩いた。それに康則は「ありがとう。森本」と、力を抜いて背もたれにもたれかかる。
眼鏡をはずして前髪を掻き上げる姿に、薫は康則の性格を垣間見たような気がした。なんと言うか、クソ真面目で融通が利かない性格を……
そんな時、部室の扉が静かに開き、委員長がクラブの説明を終えて戻ってきた。
「こんな事になってると思った」
第一声から考えると部室の空気は委員長の予想の範疇だったのだろう。溜め息交じりに言葉を続ける。
「完璧主義は良いけど、毎回思い詰めてると胃に穴が開くわよ。本人は全然そんな風に思ってないんだから……ね、梢」
「皆、お疲れ様〜」
委員長は最後の言葉を、背中越しに投げかけると、明るい声で梢が松葉杖をつきながら部室に入って来た。部室内の空気が一気に明るくなる。ぼやけた視界の中で梢の姿を確認した康則は慌てて眼鏡をかけ直し「小林」と声を上げた。
「いやいや、失敗しちゃいました」
梢は照れ臭そうに視線を下げると、頭を掻いた。ギブスとまでいかないまでも右の足首に包帯を巻きつけた姿は痛々しい。しかし、梢はそんな表情は一切見せずいつも通りの笑顔を振りまいた。
「大丈夫?」
薫はが包帯から目線を移さずに声を出すと、梢は力こぶを作りながら「私は丈夫だから、こんな怪我、三日で治して見せるわよ」と笑う。
(この笑顔、いつもの小林さんだ)
つられて、薫の口元も緩む。
「そんな事より、志倉と葛城は?」
そんな薫を横目に、陽太が梢の後方を覗き込むように口を開くと、梢の瞳が半眼に変わる。部室の空気が少し変わった。
(まさか……これって)
「そんな事って何? このバカ本が」
器用に片足でバランスをとりながら突き出された松葉杖の先端が、見事に陽太の腹部にめり込んだ。梢の奇襲に陽太の顔が歪む。
(ああ、やっぱり)
「ぐふっ。……お前やりすぎ」
「あんたは、もう少し私の事を心配しなさい」
「心配して……やがあっ」
さらに深く入り込んでいく松葉杖。梢に容赦はなかった。
そんなやり取りに、いつもなら二人を止める康則が声を上げて笑いだす。
「おい若菜、笑ってないで止めろ。って……むがっ」
陽太の声を軽く聞き流した委員長は、溜め息をつきながら口を開く。
「志倉さんと葛城さんには、買い出しに行ってもらってるの」
「買い出し?」
あの恰好で何をどこへ買い出しに行ったんだろう? と薫は首を傾げる。
「時間的に、もうすぐ戻って来ると思うけど」
「そうなんだ」
「おい! お前ら! 止める気ないだろ? なあ!?」
いつまでたっても松葉杖を止めてもらえない陽太の悲痛な叫び声が室内に響いたその時、ビニール袋を引っ提げた弥生と皐月が部室に戻って来た。
「たっだいま〜。買って来ましたよ部長」
ビニール袋を見せびらかすように皐月が委員長に突き出す。
「ありがとう。……それじゃあ、とりあえず、そう言う事だから、梢、もう良い?」
相変わらず陽太に制裁を加えている梢に、委員長は振り返りながら言うと、それに応えて松葉杖が、陽太から離れた。
「遥がそう言うんだったら、今日はこれぐらいにしてあげる」
意地悪に笑った梢は、うずくまる陽太を見下ろす。
「今日は、って……」
「何か文句ある?」
「ありません」
陽太の抗議は、鋭い眼光によって封じられた。そんな二人に溜め息を漏らした委員長は、人差し指をビシッと突き出し、他の部員に指示を飛ばし始める。
「ほら、若菜君もいつまでも笑ってないで机を出す」
「ああ、すまない」
「弥生と皐月は、机の上に適当に並べてくれる」
「は〜い」
「……うん」
梢がそれにつられて、椅子を並べようとすると、委員長から飛んでくる鋭い言葉。
「梢は、無理しないで座ってなさい」
「はい」
そして、矛先は薫に……
「桜木君は、椅子を並べる」
「は、はい」
薫がテキパキ椅子を並べ始めると、それを横目に見ていた陽太が、指をくわえながら委員長に指示を求める。
「委員長。俺は何をすれば……」
陽太の言葉に、委員長は「じゃあ」と考え、言葉を紡いだ。
「腕立て百回」
「何で?」
「邪魔だから」
「九十二……」
陽太が続ける涙交じりの腕立て伏せを横目に、準備は全て整った。
康則が用意した机の上に、賑やかに並んだお菓子とジュース。弥生達が買い出しに行っていたのは、打ち上げ用の食べ物で、買い出しに行った場所が、近くのコンビニだと聞いた薫は、王女様とメイドが突然やって来て、お菓子やジュースを買い漁る姿は、優雅と言うより現実離れしていたのだろうと、声を出して笑っていた。
「九十三……」
徐々に回数を重ねる陽太の声。順調に進んでいた腕立て伏せも、九十回を超えた所で途端に、ペースが遅くなる。限界が近い陽太を見つめた薫は、隣に座る梢に苦笑いを向けた。
「百回は多かったね」
薫の声に頬杖をついた梢は瞳を細くし、口を開く。
「そうかもね……でも、良い薬よ」
呆れる様で、寂しさがこもる梢の声に、薫は難しい顔になる。そんな表情に気が付いた梢は、表情を明るくして、薫を見つめた。
「それより、ありがとね……」
「え?」
急な感謝の言葉に薫は戸惑う。わからないの? と梢は言葉を続けた。
「ほら、今日の舞台で、助けてくれたでしょ」
「ああ、そんな事……だって、始まる前に皆で言ってた事じゃないか」
薫の言葉に、梢は短い髪を横に振ると、微かに頬を染める。
「そうだけど……嬉しかった。それに、あの時の桜木君はカッコ良かったよ。『今度は、僕が相手だ』って凄く感動したんだから。あれだったら男子のファンが出るかもね?」
眩しいほどの笑顔が向けられると、薫の鼓動が速くなる。普段だったら『男子はちょっと……』と返すはずなのに、以前にも感じた事のある感覚に、再び薫は戸惑う。
何だかわからない感覚と、嬉しさが入り混じった感情に、薫の心がむず痒くなる。どうしたら良いかわからない薫は、返す言葉に詰まった。
「ひゃ〜くぅ! って、もう無理だ!!」
すっかり忘れていた陽太の声が、そんな薫を助ける。梢の視線が陽太に移った事で、薫は胸を撫で下ろした。
(どうしたんだろ? 僕……)
「もう、腕、上がらねぇ」
そう言いながら陽太は、残っていた椅子に腰かける。
「やっと揃ったわね。それじゃあ始めましょうか」
委員長はそう言いながら紙コップを持って立ち上がると、咳払いで仕切り直し、言葉を続けた。
「それでは、皆、お疲れ様。台本通りとはいかなかったけど、これはこれで面白かったと思います。最後の説明の後の拍手は、皆に聞かせたかったわ。結果はどうあれ、やるべき事はやった。後は騒いで待ちましょう」
そこまで言うと、コップを突き出す。次の言葉がなんとなくわかった部員達は、陽太一人を除いてそれぞれコップを持ち上げる。それを確認した委員長の唇が動く。
「それじゃあ……」
「「「かんぱ〜い」」」
皆の声が一つになった、その時……
「待たせたな! 諸君!」
突然宮前先生が上機嫌で部室内に入って来る。
「「「先生!?」」」
完全に存在を忘れていた部員達は、揃って驚きの声を上げた。
「いや〜、ギリギリセーフだったな。他の顧問に自慢していたらこんな時間になってしまった。待っていてくれたんだろ? 先生は嬉しい」
(いや、間に合ってないし……)
そう思いながらも、薫は宮前先生に笑顔を向ける。
そんな薫の様な皆の反応に、勘違いした宮前先生はさらに気分を良くし、笑顔でデジタルカメラをポケットから取り出した。
「さあ、お前たちの新しい門出だ。写真撮るぞ写真。並べ並べ」
慌ただしい宮前先生の声に、部員達は椅子に座った梢を中心に整列する。記念写真なんて小学校の卒業アルバム以来だな、と薫は心を躍らせた。
「若菜、もっと寄れ。ほら葛城、顔上げて」
皆がフレーム内に収まるのを確認した宮前先生は、口を開く。
「よ〜し。じゃあ行くぞ。永久に〜」
「「「共に〜」」」
揃った声が部室内に響くと、フラッシュが皆を焼き付けた。
部室内のテンションは最高潮だった。宴会顔負けの馬鹿騒ぎの中入口の方から、聞きなれない控え目な声が入って来る。
「あの〜すいません」
普段なら耳に届くことなどなかったのだろうが、今の薫達は違った。もしかしたら、早速、入部希望者がやって来るのではないかと、神経が研ぎ澄まされていて、どんな小さな声も聞き逃さない。
皆の視線が、声の主に向いた。
そこには、小柄で肩幅の広い、ずんぐりむっくりな少年と、漫画の様に綺麗な金髪を、現在の薫と同じ様にまとめた少女の姿がある。
(もしかして、入部希望者?)
薫がそう感じた時、小柄な少年は口を開きかけた。
「あの……」
「入部希望者だよね、どうぞ、どうぞ真中に……」
小柄な少年の言葉を遮り、皐月が二人を真中に引っ張り込む。強引な行為に二人は目を丸くしながら口をパクパクと動かした。行き着く先には、顧問の宮前先生が待ち構えている。
「良く来たな。私が、第三中学校演劇部顧問……宮前奈々子である!!」
仁王立ちで大声を上げた宮前先生は、怯える二人を見下ろす。そして、さらに威嚇する様に、口を開こうとしたその時……金髪少女の拳が、腹部に突き刺さった。
「うぐっ、……お前の拳は……世界を取れる……」
空気を吐き出しながら腹部を押さえ、膝をつく宮前先生。突然の事に皆の時間が硬直した。
しかし、金髪少女の時間は止まらない。釣り上った青い瞳を潤ませながら叫んだ幼い声が、部室内に響く。
「貴ちゃんを、いじめるな!!」
そんな中、貴ちゃんと称された小柄な少年の時間が戻り、慌てて金髪少女を引っ張った。
「レコア! やりすぎだって」
「だって、絶対食べる気だった。私たちの事……」
よほど恐ろしかったのだろう。レコアは、宮前先生をビシッと指差すと、涙ながらに訴える。そんなレコアに、小柄な少年は一つ溜め息をつくと、深々と頭を下げた。
「すいません。こいつ、小学校の頃から夢見がちな所と、手が早い所があって……本当に、すいませんでした」
その言葉で、我に帰った委員長は、優しさのこもる声で二人を見つめる。
「気にしないで、悪いのは『それ』だから」
そう言いながら、既に物扱いとなった宮前先生を指差すと、委員長は微笑み言葉を続けた。
「ようこそ、演劇部へ。私が部長の宮前遥。よろしくね」
委員長の優しい言葉に安心したのか、レコアと小柄な少年の表情が明るくなる。
「は、はい。ぼ、僕、亀山貴明、一年三組です。演劇に興味があって、やって来ました。よ、よろしくお願いします」
「私は、近藤レコアです。同じくです。よろしくお願いします」
初々しい二人の挨拶に、皆の時間が動きだし、そこから皆の自己紹介が始まった。
「俺、森本陽太。よろしく」
「若菜康則だ。よろしく」
「小林梢よ、よっろしく〜」
「葛城……弥生、です」
「志倉皐月で〜す。よろしく」
そして最後に……
「桜木、薫です。よろしく」
それぞれの『よろしく』に合わせて、ペコペコと頭を下げる貴明とレコア。そんな二人が、昔に流行った、音に反応する不思議なおもちゃの様で、薫は笑った。それに、二人は揃って首を傾げる。
「どうしたんですか? 桜木先輩?」
薫が貴明の疑問に、答えようかどうか迷っていると、今までうずくまっていた宮前先生が、立ち上がり咆哮した。
「我、復活せり! ……さあ、死闘の続きを……」
スパーン
「しないから」
委員長が、空になったペットボトルで、宮前先生の頭部を叩き沈黙させる。そして、何もなかった様に言葉を続けた。
「こんな顧問だけど、大目に見てね」
その言葉に、二人は壊れたおもちゃの様に首を激しく縦に振る。きっと二人の中にある演劇部権力ピラミッドの頂点に、委員長が輝いた事に間違いないだろう。
この時、前途多難な貴明とレコアの入部が、ある意味確定した。
部員獲得大作戦『戦うメイドさんは好きですか?』
ミッションコンプリート?
すいません。藤咲一です。ぎりぎり更新致します。一応、クラブ紹介編完結? ですが、物語は続きます。