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戦うメイドさんは好きですか?(1)

 決戦当日。その日最後の授業が終了すると、演劇部員は部室に集まる予定になっていた。

 練習終了そのまま乱雑に置かれた小道具と、不規則に並べられたパイプ椅子が彩る部室には、椅子に腰かけた委員長と、部室内をうろうろと落ち着きなく動き回る薫の、二人きり。

 会話のない空間で薫は、手持無沙汰な右手に小道具の模造刀を握ると、ぶんぶん振り回し、昨日の事を思い出していた。


 昨日の練習は過酷を極めるものだった。普通、寸劇をするにしても、一日の練習で到底できるものではない。実際寸劇の講演時間は、通しでおおよそ十分程度だったが、今回の演目である『戦うメイドさんは好きですか?』では、時代劇でいうところの、殺陣が組み込まれている。セリフ覚えだけでも困難なのに、立ち位置や動きなどを確認しながら覚える作業は、演劇初心者の薫にとって、困難の最上級だった。

 ぎこちない動きの薫と対照的に、梢の姿は流石だった。セリフ覚えも、一度台本に目を通しただけで、完璧にこなしてしまうし、イメージ通りの運動神経の良さで、機敏でダイナミックな動きを、次々と繰り出して見せる。

 運動能力の高さから、当初は簡単だった殺陣の動きも、バク転やバク宙などの、アクロバティックな動きが追加され、見応えのあるものになった。

 昨日の練習は衣装を合わせず、ジャージで行なったが、実際に梢がメイド服を着て宙を舞う姿を想像すると、とても華麗で、薫はこっそり太鼓判をしていた。

 皐月も抜群の運動神経を披露する。以前、皐月と学校内を全力疾走した事もある薫は、皐月のポテンシャルの高さに納得していた。しかし、そんな皐月にも欠点が一つ。

 それは、絶望的にさえ思えるセリフ覚えの悪さだった。とりあえずセリフは飛ばす、忘れるなど、散々な結果を見せる。頭を抱えた宮前先生は、最低限度のセリフを残し、カットを決めた。そんな仕打ちに、頬を膨らませた皐月の表情が、薫の中でとても印象的だった。

 そして、今回の『戦うメイドさんは好きですか?』では、当然のように敵役が存在する。

 それは、世界征服を目論むブラック執事。その執事役には、康則が自らを選抜していた。すらりと長いそのシルエット、鋭い眼光が、いかにもという感じで、反対する意見は一切上がらなかった。自他共に認める康則のはまり役に間違いない。

 また、メイドたちが守り抜くヒロイン役に、弥生が選ばれていた。

 基本的にセリフが少ない役であったのと、弥生のおしとやかなイメージがマッチしていて「どちらが先なんだ康則?」と宮前先生が質問していた。

 配役に漏れた陽太と委員長は、BGMとSEこうかおん担当。タイミングの難しい役割だったが、委員長のセンスがきらりと光る仕上がりとなっていた。

 下校時間ぎりぎり。最後に通した一度のリハーサルでは、期待していた以上の結果が生まれた。間違いなく練習通りの動きができれば作戦は成功する。そう確信した薫は、今度は逆に、失敗の恐怖に包まれていた。

 それが原因で、夜も眠れないんじゃないかと心配すると、寝不足になって失敗してしまう。また、それが原因で夜も眠れなくなってしまう。これこそ正に、負のスパイラル。

 そんな螺旋らせん階段を転げ落ちるであろう薫を救ったのは、完全に頭の中から抹消していた、突撃、美咲の晩御飯だった。

 その献立の名は……『斬鉄剣酢豚』

 それは後日、薫がつけた名前だったが、この料理は、料理であって料理ではない。

 いつもの様に第一種戦闘配備で臨んだ薫の意識を、たった一口で一刀両断。

 今朝、聞き慣れた目覚ましアラームで目を覚ますまで、薫の記憶は空白になっていた。もちろん緊張なんて、どこ吹く風。

 そんな状態で日課時限を終了した薫だったが、本番が近付くにつれ、どこかで吹いていた風が、再び薫の中で猛威を振るい始めていた。


「少しは落ち着いたらどう?」

 先程から落ち着きを見せない薫を、委員長が軽くたしなめる。いつも冷静沈着で、緊張の『き』の字も見せない委員長は、文庫本を台本に持ち替え、最終チェックに抜かりがない。

 そんな委員長を一瞥した薫は、振り回していた模造刀を納めると、一息ついてみる。しかし、なんとか動きによって紛らせていた緊張が、薫の両肩に圧し掛かって来た。それに堪え切れなくなった薫は、情けない声で委員長に助けを求める。

「委員長。どうすればいいのかな?」

「何が?」

「いや、この緊張をほぐすのに何か良い方法ない?」

「そうね……掌に人って書いて、飲み込んでみれば?」

 薫は台本のページをめくる委員長に言われるがまま、掌に人という字を書いて飲み込んでみる。しかし、結局、胃袋が膨らむだけで、薫の緊張は少しも軽減されなかった。薫の口から唸り声が漏れる。

「それが駄目なら、ストレッチ。……私が手伝ってあげるから。ほら、座って」

 唐突な委員長の言葉に、薫は戸惑いながら手足を伸ばして座った。そんな薫の姿を確認した委員長は台本をパイプ椅子に置くと、薫の背中を両手で軽く押し始める。実は薫の体は硬かった。ちょこんと座った薫の体はほぼ垂直。軽く押されただけでも、膝の裏が簡単に悲鳴を上げる。

「ギブ、ギブ」

 だらしのない薫に、委員長が軽く溜め息をつく。その溜め息が薫のうなじを優しく刺激すると、その瞬間、全身に電撃が走った。

 何とも言えない感覚に、薫の心臓が破裂しそうになる。自然と耳たぶが赤くなった。

 そんな薫の反応に、委員長は体を押し当て、容赦なく全体重をかけて倒し込む。

「ぎゃああああああああ!」

 薫の絶叫。そんな中、薫の耳元に委員長の怒りのこもった言葉が注がれる。

「何、考えたの?」

「なにもおおおおおおお」

 激しい苦痛に耐えながら、薫は必死に悲鳴を言葉に変える。物理的に無理だとあきらめていた薫の伸ばした腕が、徐々に爪先に近づいて行く。その時、背中に当たるやわらかい二つの物体に、薫の表情が強張る。

(ま、まさか……これは)

 頭の中に浮かぶ、委員長の物体。想像すると、耳たぶがさらに赤く染まった。

「何、考えてるの?」

 委員長の怒りと共に、さらに押し付けられる物体。激痛と物体との狭間で、薫は苦悶する。正に天国と地獄。しかし、地獄の方が強かった。ゆえに薫は必死に言葉を紡ぎ出す。

「あ、当たってる……」

「何が?」

「そ、その……」

「その、何?」

「胸が」

 薫がそう言った瞬間、委員長にありえない圧力で抑えつけられ、指先と爪先が「はじめまして」と触れ合った。

「ぎゃああああああああああああっ!!」

 折り畳み携帯電話のようにパタンと二つ折りになった薫が、断末魔の悲鳴を上げる。そして、うつ伏せでゴミの様に転がる薫を見据えた委員長から発せられる、冷たい視線と言葉。

「恥を知りなさい。このエロがっぱ」

(エロがっぱは古いよ……)

 口を動かしても言葉が出ない薫は、心の中で精一杯の抵抗を見せるが、それすら委員長の物理的な追い打ちによって潰された。

「うるさい」

(何も言ってないのに……)

 背中に足跡を付けられた薫は、胸の内で涙を流す。

 良かれと思って言った言葉が、薫を破滅の道へと導く。一体何が正解だったのかと思い返しても、薫の中に答えは浮かんで来なかった。



 床に這いつくばる薫が立ち上がれないでいると、部室のドアが勢い良く開き『戦うメイドさんは好きですか?』の衣装に身を包んだ、残りの部員が雪崩れ込んで来た。

「ごめん、遅くなって」

 梢が、雪崩れ込んだ勢いのまま、メイド服のスカートを気にしながら薫を飛び越す。

「同じくです」

 皐月も梢と同じ様に、跳び越す。

「す、すいません……」

 弥生は、そう言いながら纏ったドレスの裾を摘み、薫を跨いでいく。

 最後にジャージ姿の陽太と、黒のタキシード姿の康則が、転がる薫を見下ろした。

「「何してるんだ? 桜木?」」

 重なる二人の声に、薫は痛みに耐えてゆっくりと立ち上がる。

「何でも……ない」

 必死に絞り出した言葉で返す薫に、首を傾げた康則は一つの紙袋を差し出した。

「だったら、これが衣装だ。早速着替えてくれ」

 薫は、康則から紙袋を受け取ると、中身を覗き込む。中に入っていたのは、薫の想像通り、メイド服。もう薫の中で、メイド服を着て皆の前に出る事については覚悟ができていた。しかし、なかなか先の行動に移せない。

「どうした? 時間がないぞ」

 動きが止まった薫を、康則が急かす。

(時間がないのはわかっているんだけど……)

 そう思いながら薫は、部室内の女性陣に視線を移した。その視線の意味を理解した康則は、笑い出す。

「大丈夫だ。桜木だったらセクハラにはならない。だから、思う存分着替えたらいい」

「いや、そうじゃなくて……」

 認識のずれを修正しようと薫は口を開くが、それを康則は「わかってる」とジェスチャーを交えて遮り、言葉を続けた。

「一人で着替えられないんだったら、皆で手伝ってあげよう。なあ皆」

「え?」

 康則の不穏な言葉に、薫が一歩後ずさると、そこで、誰かにぶつかる。恐る恐る振り返って見ると、不敵な笑みを浮かべた皐月の姿がそこにあった。

「さあ、薫さん。手伝ってあげますよ」

 ほかの出演者もじりじりと薫に近づいてくる。

「ちょ、ちょっと待って……」

 なんとか、その場の雰囲気を鎮めようと、薫は周りを見渡すが、動きを止めようとする者は誰もいない。薫の顔から血の気が引いた。

「さあ、ショータイムだ」

 思わせぶりな康則の言葉が合図となって、皆が薫に襲いかかる。

「何だよショータイムって!!」

 薫の悲痛なツッコミが部室内に響き渡るが、誰もその言葉には耳を貸さない。器用に薫の衣服が剥ぎ取られ始める。

「やめろって! あ、誰だよ? 今、変な所触ったのは!?」

「変な所ってどこですか薫さん?」

「ほらほら弥生、凄いよ桜木の肌。触ってごらん」

「ほ、本当……すべすべ」

 色々な言葉が漏れるカラフルな人の塊を、委員長は遠くから冷静に見つめる。そんな委員長の口からは「天罰ね」と、溜め息交じりの言葉が漏れた。



 数分後。人の塊が解けていくと、その中心にちょこんと座る、かわいいメイドの姿。そんなメイド姿の薫は、涙目になりながら康則を睨みつけた。しかし、康則は悪びれた様子もなくそんな薫を見返すと、無言で薫の髪の毛の一部を横にまとめ、動物の飾りのついた髪留めで止める。子供っぽい雰囲気が追加された薫に、康則は力強く頷いた。

「これで完璧。イメージ通りの仕上がりだ」

 そんな言葉を真面目に繰り出す康則を見ていると、薫の怒りも虚しくなって、溜め息に変わった。

 その時、部室のドアが開き「準備は良いか? 諸君」と気分上々な宮前先生が入って来る。

 宮前先生に皆の視線が集まると、宮前先生は、その視線を順番に見返した。目線が移る都度、宮前先生の口元が緩んでいく、そして最後に薫に視線が止まると、作戦成功を確信したのか、小さくガッツポーズを決めた。

「よくぞここまで……」

 そうつぶやく宮前先生に、委員長が時計を見ながら確認する。

「先生、時間ですか?」

 しばらくそのまま固まっていた宮前先生が、委員長の言葉で時間を取り戻す。そして動き出した宮前先生の口から紡がれる、気合いのこもった言葉。

「そろそろ出番だ。行こうか決戦の舞台へ」



 本日のクラブ紹介は、クラブに入りたいと願う在校生や、新入生を集めて入部を促すという目的で、放課後の体育館で行われる。学校内に存在するクラブが、新入部員を求めて、体育館のステージ上で自分達のクラブをPRする事になっていた。最初は運動部から、続いて文化部へと、代わる代わる、各クラブに十分程度のアピールタイムが用意されていた。

 そして、現在ステージの上では文芸部が、文章を書く事について熱く語っている。薫達演劇部は、文芸部の次にステージに登るため、薄暗い舞台袖で準備していた。

 それぞれの出演者は、自分が扱う小道具を入念に点検し、裏方にも当たっている委員長と陽太は、忙しそうに動き回っている。

「森本君、音響準備できてる? 文芸部終わり次第、緞帳どんちょう下ろすわよ」

 委員長が忙しそうに陽太に指示を飛ばすと、それに陽太もばたばたと答えた。

「準備OK。いつでも行ける」

 そんな二人の姿を見ていると、自然に緊張感が舞台袖に充満する。そんな空気を感じ取った康則が、白手袋のボタンを留めながら口を開く。

「大丈夫だ、練習通りにやれば問題ない。失敗しても気にするな。顔に出すとそれが本当に失敗になってしまうからな。知らん顔をして続ければ、それは失敗じゃなくなる。皆でフォローしあえば、間違いなく成功するから。楽にいこう」

 そう言い終わると康則は、手袋をはめた右手をスッと前に差し出す。

 舞台やライブの裏方映像でよく見る、皆の手を重ね円陣を組む光景を想像した薫は、こういう事をやっぱりやるんだと微笑み、康則の手の上に自分の手を重ねる。それに触発されてか、梢、弥生も手を重ねた。

「森本、委員長も」

 康則の声に、陽太が集まる。「大袈裟だな」と頭を掻きながら陽太も手を重ねた。その上に無言で重ねられる、綺麗で整った掌。薫がその持ち主に目線を移すと、そこには、真剣な眼差しの委員長の姿があった。そして、ゆっくりと動き出す委員長の唇。

「心配しないで、舞台袖の私達が全力で助けてあげる」

 委員長の優しい言葉が、皆の緊張を完全に解きほぐす。康則がよく先頭に立って皆を引っ張っていく事が多かったので、部長としてのイメージが強かったが、やっぱり委員長が、部長なんだと、薫はここで再認識した。

「それじゃあ、いくわよ。今年初舞台。楽しんで〜〜」

 委員長は、語尾を伸ばし、タイミングを計る。そして、皆の視線が交差した瞬間、心と声が一つになった。

「「「いこう!!」」」

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