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8.最期の瞬間まで、おまえははっきりとした意識で

 自衛のための方法は、シンプルなものがいい。

 大掛かりな罠を張ったとしても、事故に繋がったり、いざというときにメンテナンス不足で機能しなかったり……ということが考えられる。

 村の誰もが使えて、簡単で、効果的なやり方が望ましい。


 案内してもらった木材置場で、俺はたくさんの棒を切り出させた。

 その先端を斜めに切り落とし、鋭く尖らせていく。


「要は、簡易的な槍っすよね?」


 クロエの問いに頷く。

 これだけでも結構殺傷能力があるのだが、加えて、各家庭に壺を用意してもらうことにする。


「明日からは、この壺に用を足してもらいたい」


 俺が言うと、村人たちはさすがにざわついた。

 いままで、トイレという文化を持たなかった村である。排泄はというと、川なり森の片隅なりにして埋めていたようだ。

 だが、壺に用便をするというのは、一部の貴族もやっていることだとクロエも言っていた。

 さほど抵抗は大きくないだろう。


「はーい、先輩」

「なんだ」

「大っすか?それとも小?」

「大だけでいい」


 排泄物を集めて、壺は家の外に置いておく。

 そこに木の槍も立てかけておけばいい。

 いざ有事の際には、槍の穂先を壺の中身に漬けてから、出動する。


「うえ。超ばっちい」

「超ばっちいからこそ意味があるんだよ、猫」


 まず、敵の戦意を奪える。

 次に、殺傷能力がぐんと上がる。


 糞便を傷口に塗りたくられると、多くは不衛生さから破傷風になって狂いながら死んでいく。戦国時代の日本でもよく用いられたやり方だ。

 人糞というのは、もっとも安価で入手しやすい毒なのだ。


 俺がそのことを説明すると、さすがに村人たちは顔を蒼白にしていた。


 しかし、壺いっぱいになった糞は、畑の掘った穴に集めて捨てるようにし、ときどき棒でかき混ぜて発酵させてやれば堆肥にもなる。

 農村ではあたりまえだろうと思っていた知識も、ここの村では新鮮なようだった。


 削り出した槍が揃ってきたら、ナイラにその振り方を教えさせる。

 成人男性のほとんどが戦場に奪われてしまっているせいか、この村は女性、子供、老人が中心だ。動けない者を除いて、女性と老人には全員に槍を持たせる。


 難しい武術など、付け焼き刃で身につけても危険なだけだ。

 これもごくごくシンプルな突き方だけを教える。


「構え!」

「はっ!」

「突け!」

「やっ!」

「回せ!」

「やっ!」


 敵の体を突き、突っ込んだ瞬間に穂先をひねる。

 暗殺者にとって基本中の基本でもある動きだ。ただ突いただけではそこで終わりだが、刃先をぐるりと回転させることで、周辺の内臓を傷つけ、再起不能のダメージを与えることができる。

 加えて、これをされると、ものすごい激痛になる。敵は反撃どころではなく、ただもだえ苦しむ。

 つまり、敵の反撃を防ぐことにも繋がるのだ。


 子供たちには、弓と矢のつくり方を教えた。

 小刀で弓を削り、矢を削る。尾羽は鶏の羽根でもこの際じゅうぶんだし、矢尻も木のままでいい。戦場で用いるような貫通力までは要らない。どちらにせよ、弓を引くのは子供の腕力なのだし。


 必要なのは、牽制と脅し。

 ここの村人は武装している。襲って襲えなくはないだようが、何人かの犠牲は強いられるだろう――やってきた傭兵団にそう思わせることができれば、襲撃の確率はぐんと低くなる。

 傭兵たちは、ただ楽をして奪いたいのであって、命がけで戦いたいのではないのだ。


 あとは、教団の狼煙の上げ方を何人かに教える。

 といっても火を焚き、狼煙玉と通称される丸薬を焚き火に放り込むだけの話だ。ひと筋の狼煙が細く高く立ちのぼってくれる。

 近くに教団の部隊がいれば、すぐに出動できる。


「……とまあ、こんなところかな」

「先輩、けっこうえげつないっすよね」


 クロエが呆れた顔をする。


「掠奪をしようって連中には、当然の報いだろ?」

「いや、そっちはいいんですよ。でも、村人に殺人の技術を教え込むってのが、びっくりっす。しかもその方法のえげつないこと……」

「それも、必要なことだと俺は思う」

「必要?」

「安全が、無償で天から与えられるもんじゃないんだってのを学ぶにはさ。傭兵は単なる天災じゃないんだ。村が襲われたり守られたりするのを、ただ受け入れるだけじゃなくて、じぶんたちで守ったり抗ったりすることができるんだ。そうやって力を尽くした者にこそ、救いってのはやってくるべきだ」

「それもまた、因果応報――ということですか」


 ナイラが口を挟む。


「そうだな」


 俺が頷くと、クロエはどこかむっとしたように頰を膨らませる。

 俺との会話に入られて妬いているのだろう。かわいい猫だ。


「さて」


 諸々の支度を終え、ふたたび広場に集結した村人たちに、俺は語りかける。


「これで、俺たちの仕事は終わった。あとはあなたたちの努力がものを言う」

「行ってしまわれるのですか」


 村長が声を上げる。


「いつまでもいるわけにもいかないんだよ、村長さん。俺たちには次の役目がある。すまないが、分かってほしい」

「しかし」

「代わりといってはなんだけど。……”月下香”、前へ」

「はっ」


 黒衣の暗殺者が、ひとり前に踏み出る。


「覆面を取れ」

「はっ」


 ”月下香”が覆面を取り払う。

 なかから出てきたのは、どこか困惑し、おどおどした様子の女の子だ。


「彼女の名はサミレフ。教団の代表として、この子をこの村へ置いてゆく。彼女も教団の人間として訓練はできている。なにかあれば彼女を頼ってほしい。無論、有事の際にはわれらも可能な限りの協力を惜しまない」

「大教祖様」


 ”月下香”――サミレフが、おずおずと俺に声を掛けてくる。


「大教祖じゃない。単なる頭領だ」

「すみません、頭領様。……ほんとうに、その、よろしいのですか」

「なんだ。俺の命令は聞けないか?」

「いえ! 全くもってそんな!」

「なら、黙って言うとおりにしてくれ」

「失礼致しましたっ」


 サミレフが頭を下げる。

 俺はよしよし、と頷いて。


「それじゃ、最後の要件だ。”鉤爪”」

「はっ」


 ナイラの部下が、縄できつく縛られたボロボロの傭兵ギャレスを引き立ててくる。

 戦闘終了後に止血し、猿ぐつわを噛ませて、その辺に転がしてあったのだ。すべてが終わるまでものの数時間しか経っていないが、ギャレスは別人のように疲弊しきった顔をしている。

 部下が猿ぐつわを取る。


「くそども……殺ひてやひゅ……殺ひてやひゅぞ……」


 力のない声で、ギャレスは言う。

 舌先が失われているからか、発音はおぼつかない。

 俺は村人たちを見渡した。村人たちが、怒りを込めた視線をギャレスへ向けているのが分かる。多くのひとが、家族を、友人を、傷つけられたのだ。永久に奪われてしまったひともいる。


 許せない。

 許せない。

 殺せ。

 視線たちは、そう叫んでいる。


「この男を殺したい。八つ裂きにしてやりたい。

 あなたたちはそう考えているだろう。

 ……だが、この男を捕まえたのはわれわれ教団だ。この男の処分は、教団に決めさせてもらいたい」


 俺は手を上げる。

 それを合図に、部下たちが立ち上がる。


「大ギャレス盗賊団団長、”豪腕”ギャレス! 

 因果応報の理に基づき、この者の因果を問う!」

「因!」


 部下たちが割れんばかりの大音声を揃えた。


「因――この男は、その部下二〇〇余名を指揮し、この村へと押し入り、強盗、殺人、放火などを部下に行わせ、本人はうら若き娘を強姦しようとした」

「果!」

「果――だが企てはわれら教団の介入により水泡に帰し、強盗及び放火は未遂に終わり、殺人行為を行なった部下は鏖殺となった。また、強姦行為も未遂に終わっている」

「応!」

「応――然して、この男の成した果はそれほど大きいものとは言えない。また、彼自身もすでに性器の切断及び指三本、そして舌を失っている」

「報!」

「報――故に、腿への槍の一突きをもって、この男への報と為す」


 彼への罰が決まると、村人たちはざわめき、ギャレスは笑った。


「ひゃはははははは!残念やんねんだったな村人ふらひとども!

 こいひゅはほれを殺さねえとよ!」


 血が混じった唾を飛び散らせながら、ギャレスは狂ったように笑う。

 村人たちが歯噛みしながら、ギャレスを睨め付けている。跳びかからないでいるのは、俺たち教団への遠慮と恐怖ゆえだろう。


「実行者は、この男に強姦行為を迫られた被害者が妥当だろう」

「アニー。おいで」


 クロエが、先ほどの娘に声を掛けた。

 いつのまに仲良くなったのか、クロエは娘――アニーの肩を抱きながら、ゆっくりと前へ出てくる。その傍らには、硬い顔のロバートも一緒だ。


「おいあんた、納得いかねえよ」

「どうした」

「なんで、この男を許す。この男が攻め入ってきたせいで、アニーの母さんは死んだんだ。ほかのひとだって、何人も死んでる。その主犯であるこの男が、なぜのうのうと生き延びるんだよ」

「それが因果だ。この男の」

「なにが因果だ――」


 声を荒げかけたロバートを素早く制すると、俺は「”鉤爪”」と呼びかけて、槍を持ってこさせた。


 ナイラが前へ出て、先ほど削り出した木の槍をアニーへと手渡す。

 アニーは震える手でそれを受け取る。


「突き方は、さっき習ったとおりっす。難しいことはないし、突いたあと、ひねりを加える必要もないっすよ。ただ、間違って胴や顔を突かないように気をつけてね」


 クロエがアニーにやさしい声を掛ける。

 アニーは決然と槍を握りしめた。


 ギャレスは、わずかに緊張を滲ませながらも、余裕ぶった表情を崩さない。アニーに向かって、舌舐めずりをしてみせるほどだ。

 この男にしてみれば、アニーがしくじり、腕に槍の穂先がちくりと刺さるていどで済むのが望ましいからだ。


「じゃあ始めようか。……おっと、そのまえに、」


 俺は壺を取り出した。

 なかには、先ほど俺が出した糞便が入っている。水で溶いたそれを、アニーが持つ槍の穂先の上で、ひっくり返した。

 アニーの槍が、黒ずんだ茶に塗れた。


「これで、準備完了だ。

 さあアニー。いつでもいい。ぷすっとやっちゃってくれ、ぷすっと」

「おっ……おっ……おいてめえええええ!なにをしひゃがったあああああ!」


 ギャレスが絶叫する。


「なにって。この村の槍は、こういうものなんだ。さっき決まったところでな」

「てめっ……そんな……っ、そんなものでひゃひゃられたら……っ」

「ああ。破傷風になることは、間違いないだろうな」


 俺はにっこりと笑ってみせる。


「長年あちこちの戦場を渡り歩いたおまえなら知っているな、ギャレス?

 おまえはおよそ三日後に発症して、取り返しがつかなくなる。まずは肩凝り、舌のもつれから始まって、やがて顔面が引き攣り始める。こうなったら末期だ。喉が狭まって呼吸困難になり、全身が激痛とともに痙攣して、苦しみのあまり弓なりに反り返ることになる。この病気はふしぎと意識混濁が少ないから、安心してくれ。

 最期の瞬間まで、おまえははっきりとした意識で激痛と絶望を感じつづけることができる」


「いひゃだ……ひゃめろ……ひゃめろおおおおお……!」


 身をよじって逃れようとするが、全身を縛られたギャレスには逃げ場がない。


「さあアニー。ゆっくり貫いてやるといい。

 きみが、ゆっくり貫かれそうになったのと、おなじように」


 アニーの槍が、だんだんとギャレスに近づいてゆく。


 *


「ナイラ、だいたい分かった? それじゃ今回の要領で、これからも頼む」

「はっ」


 教団の総員二〇〇〇名のうち、二〇〇の人員を、戦場担当として配置することにした。

 戦場担当たちは、二〇人を一単位として、全土で十箇所の戦場を絶えず駆けまわることになる。目的は、今回のような戦争犯罪の防止だ。


 二〇〇人はナイラに統括してもらう。

 ただ、ナイラ自身は本部にとどまり、遠隔から指示を出すことにする。信用できる十人が、ナイラに代わって現場での判断を行うことになる。


 因果応報の判断は、最初の頃は本部に問い合わせてもらい、俺が行うこととした。

 しかしそのうちには、現場の指揮官たちが即断できるようになってもらう。


 因果応報は、あくまで思想だ。

 俺自身が教義そのものであってはならない。ウマルのように、独裁体制になりかねないからだ。因果応報の概念を暗殺者ひとりひとりが理解し、それぞれがじぶんで決断を下せるようになってこそ、思想は息づいていると言える。


「踊り子」

「もう、いつもの呼び方でいいよ」

「では、頭領」


 ナイラが肩の力を抜いて呼びかけてくる。

 作戦行動中に、お互いの名前や役職を呼ばせない、という原則も、俺が決めたものだ。

 敵に情報が渡ると、それだけで不利に繋がる。指揮官は誰か、どんな名前なのか。それを伏せることも、自衛の策だ。集団行動に慣れていない暗殺者たちにはなかった発想らしかったが、いまではもうすっかり慣れている。


「どうして、月下香を置いていったのですか」

「サミレフのこと? だってあの子、足抜けしたがってたんだろ? そもそも、ナイラがまとめてくれた名簿の情報じゃないか」


 二〇〇〇名にのぼる教団の暗殺者、その個人情報をまとめさせたのは、正解だった。

 得意武器や作戦行動への適性が分かったのもそうだが、暗殺者を辞めたがっているものがいる、ということが分かったことが最大の収穫だ。その事実を知れたことで、今回のようなやり方が取れたのだから。


「ええ。確かに彼女は、暗殺をつづけることに疲弊し、身近な何人かに教団を抜けたいと話していたようです」

「なら、万事オーケイだろ? サミレフは足抜けしたがってたし、俺たちは村に頼れる人間を残したかった。双方の利害は一致したと思うけど」

「そのつもりで名簿に書き残したのではありません。私は」

「その先は、言わなくていい」


 ナイラを制した。

 俺も、ナイラが言わんとしていることは分かっている。暗殺者を辞めたがっている暗殺者がいるとしたら、その者の運命はひとつだ。情報を知りすぎた者は残しておかない、という教団の基本方針に照らせば、答えはおのずと絞られる。


 だが。


「そういう組織を、俺は壊したいんだよ」


 そのことばだけで、ナイラには伝わったようだった。

 ナイラの驚いた顔が、ほほ笑みに変わる。


「――そうだった。おまえは、そういう男だったな」


 俺は、なんだか照れくさくて顔を逸らした。


「不足した人員は、その都度本隊から補充するようにする。今後も、今回とおなじようにやってくれ」

「了解」

「……なんだよ、いつまで笑ってる」

「気にするな」


 *


 森の奥の、名もない村。

 この村のまえには、いまでも頭蓋骨がひとつ、晒されているという。

 額に、複雑な模様が描かれている。

 傭兵のあいだで怪奇譚のように語り継がれ、やがて全土に知れ渡ることになる、あの模様が。

 そこには、たった一字の漢字が書かれている。


 ――すなわち、「報」と。

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