49.ほんとうに、ありがとうございます
「で、その後は?」
「トレーマーたちにはごはんを与えていないの。そのうえで密室に閉じ込めているから、早晩あの群れは餓えに襲われて、共喰いがはじまるわ」
「共喰い、ね」
「でも大丈夫よ。二〇〇〇匹のトレーマーたちには全頭に『環』を着けてあるの。Fは比較的餓えていない個体へと転移をくりかえしながら、死までの道出をながらえつづけることができる。二〇〇〇匹のストックが尽きてしまうまではね」
「すべてが終わるまでに、どれぐらいかかる?」
「さあ……丸一年はかかるんじゃないかしら。雌雄同体のトレーマーが交尾をして殖え、ごはんが増えることも計算に入れると、ね」
おなじミミズと喰らい合い、餓えと怯えにさいなまれながら、Fは生きつづける。みずからの手で、苦しみを最大限に引き延ばしながら。
虫けらとしての死を、かれは死んでゆくのだ。
「ありがとう、”霧”。完璧なできばえだ。無理を言ってすまなかったな」
俺は”霧”に砂糖菓子を手わたす。
お菓子は万能の報酬じゃないのよ、と苦笑しながら、”霧”はそれを受け取った。
あたたかな風が吹き、芝生が波うつとともに、”霧”のロングヘアがたなびく。
春が近くなっているようだ。
俺は芝生に座ったままでそれをたのしんだ。
「ほんとうに無理だったわよ、頭領殿。わたしのかわいい蟲たちを、こんなことにつかうなんて。あの蠕虫たちは稀少なんだから。もう在庫が七〇〇〇〇匹を切ってるのよ」
「……”霧”って何種類の蟲を飼ってるんだっけ?」
「たいしたことないわ。暗殺に役立つ子たちだけだもの。常時保ってるのは、せいぜい三〇〇〇〇種ぐらいよ」
「……」
あんまり深入りしないほうが良さそうだ。
現代人としての感覚がそう告げていた。
「頭領殿も、こんどわたしの農場に見学にくる? ほんとかわいいのよ。
巨大種の子は抱きしめたくなるほどに愛らしいし、
多足種の子をからだに這わせるときもちいいわ。
寄生種の子なんて食べちゃいたいくらい。
わたしはいままでに合計六〇〇匹くらい飲んでるんだけど、これがまた有益ないい子たちでね」
「ま、またの機会にね」
愛想笑いは、我ながら引きつっていたと思う。
そのとき、学校の鐘が鳴らされた。
窓の内側から元気のいい「ありがとうございました!」という声がいくつもひびきわたり、子供たちが勢いこんで校舎からとびだしてくる。
競うように走り、宿舎の部屋へと教科書を投げ込んだ子から、また校庭へとやってくる。学ぶ時間を終えて、こんどは遊ぶ時間なのだ。
子供たちの歓声が、教団の敷地いっぱいにひびきわたる。
「……すごいのね。子供たちがいると、こんなにも雰囲気が変わるなんて」
「ああ」
新設した学校が運営を開始して、すでに二ヶ月が経とうとしていた。
子供たちは教団での生活にあっという間になじみ、まだどこかぎこちない教師たちをとっくに置いてけぼりにしていた。おどろくのは、もともと教団にいた子供たちと、『学校』出身の子供たちが、なんのへだたりもなく打ち解けたことだ。いまも、目のまえで黒衣の青白い子供と、『学校』で見たことのある美少女とが、ふざけて走りまわっていた。
かつての教団では、暗殺者にするために年間三〇名の出産が団員たちに強いられていた。俺のひとつ下の子供たちまでは、当然のように暗殺者の教育を受けている。
俺が頭領になった時点から、暗殺者教育はやめさせた。子供たちに殺人の技術などを教えるのはまちがっていると思ったのだ。あの卒業試験ももちろん止めさせたし、出産の義務も解いてある。しかし、そうなると、「なにもすることのない子供たち」が生じてしまうのだ。
これは、子供たちにとっておおきな問題だった。
これまで信じていた、『立派な暗殺者になる』という目標を断たれて、子供たちは呆然としてしまったのだ。代わりになるものを、教団は与えられていなかった。子供たちはだんだんとふさぎこみ、口数もすくなく、食事量さえ減っていった。
俺の、完全な失策だった。
だが、いまは学校がある。
学ぶべきことを、子供たちは見いだした。
読み書きをはじめとした学問を教えるのももちろんだが、農作業、料理、縫製といった生活面で役立つ知識や、護身術や武術などもおしえている。
総合的な、「生きるちから」を得たうえで、社会に出ていけるようにだ。
なかには、武術や暗殺術に長けており、そこにしか生きる場所を見いだせない子もいる。
そういった子供たちは、別棟に移し、暗殺者としての教育課程へと進むことになる。まだ、正式な生徒としてはニーナがいるぐらいだが、年に数人ていどは出てくるだろうと“鉤爪”は見込んでいるようだ。
とにかく、子供たちにはやるべきことができた。
そのことによって、子供たちの顔には活力がもどったようだ。
「怪我の功名だな。あの『学校』をじぶんで見られたのは、よかった」
「わたしは、気が気ではないけどね」
“霧”は不満げに鼻を鳴らす。
「子供たちは、虫を殺すのよ。
うちの子たちに手を出されたらと思うと、夜も眠れないわ」
「……」
俺は例の蠕虫を思い出した。
あのサイズの蟲を面白半分で殺せる子供がいたら、それこそただものじゃない気がする。
「ああ、なんだか心配になってきたわ……。
かわいい臓物蟻や巨人蛸たちになにかあったら!
頭領殿! わたし、もういくわね!」
「お、おう……」
“霧”が瞬時にすがたを消した。
たぶんそいつらは無事だと思う、という暇もなかった。
と。
「──お久しぶりです、頭領殿」
「やあ、”慈雨”」
黒衣が似合わないリュリュが、うしろにいた。
リュリュはきれいな顔をしかめる。
「……どうも慣れませんね、その呼び方は」
「教団の慣習だからさ、がんばって慣れてよ。……療養所のようすはどう?」
「上々です。てんてこ舞いではありますが」
リュリュには、教団本部の敷地内に療養所を設けて、その運営を任せていた。治療魔術だけではなく、医療全般に長けていることが分かったからだ。リュリュ個人への負担がおおきい治療魔術の行使はなるべく温存し、正規の医療手段を用いることで、できうるかぎり多くのひとを手当てできるように努めているようだ。ここのところは、何人かの助手をつかってもいるらしい。
「さいきんは、おおきな作戦行動もなかったはずだ。怪我人もすくないんじゃないのか?」
「怪我人は減りました。どちらかというと、対話の患者がほとんどですね」
「ああ、なるほど」
それも、リュリュの特技だった。
リュリュは優秀なカウンセラーでもあった。傷ついたひとの話に耳を傾け、かれらのこころをゆっくりと解きほぐしていく。何週間かすると、かれらにはまたひとりで立つちからが戻っているのだ。
こころの荒んだ暗殺者や、つらい目に遭った被害者たちが、教団本部には多い。リュリュの仕事には、助けられることがおおかった。
「きみがいてくれてよかったよ、”慈雨”」
「いえ。……わたしのほうこそ、お礼を言いたいんです。きょうはそのために来ました」
「なんだい改まって」
「あの子たちのことです」
リュリュが指をさす。
その先にいたのは、ディアナのすがただ。お姉さんのような顔をして、ほかの子供たちに綴りを教えている。そのまえで熱心に目をかがやかせているのは──。
「──マリーに、シャルルか」
「ええ」
例の大司教の拷問から生還して以来、こころを閉ざしてしまっていたふたりだった。
あれほどの凄惨な仕打ちを受けて、廃人同然となっていた子供たちが、いま、目のまえでいきいきと振る舞っている。ときおり、笑いらしきものも覗かせている。
人間らしさを、かれらはとりもどしていた。
「もともと、わたしが対話をはじめたのは、あのふたりのためでした。
でも、役立たなかった。
半年かけて、わずかな反応らしきものを返してくれるようにはなりましたが──それでも、子供らしいすがたを見ることはできませんでした。わたしひとりでは、どうすることもできなかった。
マリーとシャルルが急速に快復したのは、ここ二ヶ月のことです」
「そうか」
学校での生活が、子供たちにかこまれていることが、かれらを癒やしたのだろう。
リュリュはまぶしそうな目で、ふたりを見つめている。
「ふしぎですね。
あたりまえの生活が、あんなに傷ついた子供たちを癒やしてしまうんだから。魔術なんかより、よほど奇跡みたい」
「ほんとだな」
リュリュの目が、ふいに俺に向きなおる。
「頭領殿。
──ほんとうに、ありがとうございます」
まっすぐとした最敬礼だった。
とつぜんのことに俺はおどろく。リュリュは顔を上げた。なんの冗談もまじえない真剣な顔つき。
「あなたは、わたしたちを救ってくれました。
いのちを救い、たましいを救ってくれました。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとう」
「な、なんだよいきなり」
俺は気恥ずかしさに堪えかねて、声をあげてしまう。
「わたしは、きちんとお礼を言えていませんでしたから」
「いいよべつに」
「わたしはいま、生きています。
いのちを諦めなければならなかったのに、いまこうしていのちをつなぎ、やるべきことをやれている。森の奥に閉じこもっていたときよりも、生きているって、そう思うんです。
いままでの一二〇年よりも、ここでの一年のほうが、よっぽど、生きている。
この気持ちは、教団が、あなたが与えてくれたものです」
リュリュが笑いかけてくる。
「だから。ありがとうございます」
「……おう」
俺は笑顔を返す。
多くを語る必要はないと思った。リュリュの真正面からのことばを、きちんと受けとめたことだけ、彼女に伝わればいい。
もういちどぺこりと頭を下げなおして、エルフは走り去っていった。
暗殺者たちとくらべると、どんくさくさえ感じられる遅さで、療養所のほうへと遠ざかっていく。
「うーい、少年」
「おう、“姫”」
だんだんとちいさくなっていくリュリュの背中を見守りながら、俺は“姫”に応えた。
“姫”がすとんと隣に腰を下ろす。
「なんだなんだ、今日はモテモテだな少年」
「みたいだな」
「妬けちゃうぜ」
「バカ言え」
“姫”が葡萄酒の瓶を開けた。
ちいさなグラスをふたつ持っている。そのふたつに、真っ赤な酒がそそがれた。
「俺は呑まないぞ」
「えー。せっかく前教祖秘蔵の蒐集品からかっぱらってきたのに? ヴィンテージだぜ?」
「……子供扱いすんじゃないのか」
「子供に酒の味を覚えさせるのも、大人の務めなのさ」
むりやりグラスを押し付けられた。
ちん、とグラスどうしが打ち合わされる。
「ほい、乾杯」
「なんの祝いだ?」
「大公国後宮の『報』無事完了しました記念」
ああ、と俺はうなずいた。
後宮に対する『報』は、たんなるからだの返却である。Fに書かせた霊魂魔術の符をつかい、器を得て若がえりを果たした夫人たち全員を、もとのからだに戻してやる。それだけの『報』だ。
ただ──もとのからだの状態は、そのままに。
「後宮は大混乱だったぜ。
そりゃそうだよな、完璧にうつくしくなったはずのじぶんが、朝起きたらもとのからだに戻っていて、しかもそのからだはグズグズに腐乱しきって屍霊みたいになってんだもんな。そりゃあ泣き叫びもするよ。
いやあ、あれは見ものだった」
そう。
夫人がたのからだは、Fによって廃棄されていたのだ。棺に入れて埋められていた屍体は、ながい時間を経て、なかば腐乱し、なかば白骨化した、世にも醜いありさまになっていた。
それを、そのまま、返す。
じぶんのために他人を踏みつけにする腐った連中には、似合いの末路だ。
「これで、『学校』関連はすべて終了か」
「ひとまずね。
しかし、でっかいお土産持ち帰ってきたもんだよね」
けっきょく俺の手つかずのグラスも奪い取り、“姫”が中身を干した。ずいぶんなペースで呑んでいるようで、頰がすでに赤みを帯びはじめている。
「いいだろ。学校」
「ぼくは好きじゃないね。座ったきりで何時間も授業聴くなんて、死にそうにたいくつだった」
「おまえほとんど寝てたろうが」
机に突っ伏して、豊かな髪がそのうえで広がって。
その風景を思い出したときに、俺は違和感に気がつく。
「……“姫”、なんで女装してないんだ?」
“姫”のすがたは、『学校』潜入中に月光のしたで打ち合わせていたときとおなじ、地毛の短髪をあらわにした男装だった。化粧もしていないようで、うっすらと散ったそばかすもむき出しだ。
「おまえ、ふだんから女装してただろ?」
「いまも、ふだんは女装してるよ?」
瓶のなかを覗き込みながら“姫”は言う。
「ただ、きみと会うときはやっぱり、この恰好かなってね」
「まあ、男装のほうが俺も話しやすいしな」
「なんで?」
“姫”がふいにこちらに目を向ける。
いたずらっぽくほほ笑みながらも、蠱惑的なかがやきをたたえる瞳が、濡れている。胸がどきりと跳ねた。
「ねえなんで? なんで男装のほうが話しやすいの?」
「……顔を近づけんな」
「女の子の恰好見てると、どきどきしちゃう? ぼくのこと、意識してくれてるのかな?」
「からかうなよ」
「からかってないよ」
俺はおもわず振り向いた。
”姫”の顔は、ほんの目と鼻の先にあった。
「ねえ、アザム。ぼくって、きみにとって、気のいい友達のままかな?」
「ど、どういう意味――」
「そのまんまの意味。ぼくも、きみのハーレムに立候補しちゃおうかなって」
「……!」
必死に顔を逸らす。
すると、耳に熱い吐息がかかった。ぞくぞくとした感覚が背筋を這いのぼる。俺の耳朶を、”姫”の鼻先がくすぐった。ちいさく俺は震える。
「……あのさあ」
”姫”がささやく。
抗いがたい快楽に、めまいがした。
「あのとき。きみに抱っこされてるときさ。
……女の子になっちゃおうかと、思ってたんだぜ」
ふいに鼻先が離れる。
俺は火照った耳をばっと手で押さえて”姫”を振り向いた。
案の定だった。
”姫”は笑っていた。おかしさを堪えられないという、あの小悪魔じみた顔で。
「ぷーふふふ……! 真っ赤……! 耳まで……!」
「――おま、おまえなあ!」
「がきんちょのくせに……! いっちょまえにエロいきぶんになってやがんの……! ぷーくくく……!」
ついに”姫”は腹を抱えて笑いはじめた。
教団本部いっぱいに、笑い声はいつまでも響きつづけた。




