4.ごめんね、アザム
集められた俺たち三十人は、教師たちのまえに並ばされていた。
十二歳の、少年少女の面影が抜けない顔が、一堂に介している。皆、緊張と誇りとが混じった表情だ。出生を共にしてから、今日この日に至るまでを一緒に過ごしてきた俺たちは、兄弟のように互いを知り尽くしている。
いい子たちだった。
最優等の地位を得ている俺を妬むことも疎むこともなく、ちゃんと仲間として扱ってくれた。
俺たちは同じ飯を食べ、同じ訓練をし、同じ夢を語った。学んでいるのが陰惨な殺人技術だというのに、それを殊更に意識することもなくこれまでやってこれたのは、まちがいなく彼らのおかげだった。
しかし俺たちは、これから卒業試験を受けることになる。
暗殺者見習いの卒業試験――となれば、やることはひとつだ。
「おまえたちには、これからひとを殺してもらう」
教師が静かに告げた。
だれひとり、驚きを見せるものはいない。
そうだ。
そのために、俺たちは学んできたのだから。
そのために、俺たちは育てられたのだから。
無意識に、拳を握りしめていたことに気がついて、俺は手を開く。内側にかいていた汗を、ズボンで拭いた。
みなの緊張の理由はひとつだろう。
じぶんは、ひとを殺せるのか。
じぶんは、躊躇わず、しくじることもなく、立派に暗殺者の務めを果たしてみせることができるのか。
「あたりまえのことだが、再確認しておく。これは卒業試験だ。おまえたちが一人前の暗殺者になれるのかどうか、実技にて見極めさせてもらう。殺せないものは、殺せなかったものは、本日をもって教団を立ち去ってもらう」
立ち去る。
そういう言い方をしていたが、それがどういうことなのか、俺たちは知っていた。
授業で何度も学ばされたからだ。
情報を知ってしまったものの口をつぐませる、最上の方法とはなにか。
だから俺たちは、今日、覚悟を決めてきている。
殺す覚悟を。
殺される覚悟を。
その上で、だれひとり欠けることなく卒業を迎えようと、俺たちは誓い合った。
三十人が、見事に標的を殺し、
だれひとりを失うことなく、
明日を迎える。
そう、約束してきていた。
「任務を説明する」
だというのに――。
「標的は、じぶん以外の二十九名。最後の一名になるまで、互いに殺し合え」
――すべてが、瓦解した。
*
それでは、状況を開始する。
そのひとことを最後に、教師はすがたを消した。気配を絶って身を隠す、暗殺者のもっとも基本的な技術を用いて。あとを追う余裕も、これがどういうことなのか問いただす暇もなかった。
始まった。
始まっている。
三十人は、硬直したまま動かない。
俺もそうだ。
頭が回っていない。
訳が分からないのだ。どうして、殺し合わなくてはならないのか。どうして、学んだ殺人技術を、共に学んだ仲間に振るわねばならないのか。どうして、どうして、どうして……。
完全な思考停止に陥ったとき、俺以外の二十九人が動いた。
お互いの顔を見て、うなずき合ったのだ。
そしてその顔は――俺に、俺だけに、向けられる。
「おい、おまえら――」
口を開こうとしたその瞬間、俺は腰のナイフを抜きはなっていた。かろうじて顔のまえに持ってきた刀身が、刺し貫こうとした刃を弾くことに成功する。
掛かってきやがった――!
一人目を凌いだところへ、二人目の刃がやってくる。俺は冷静に体をよじって刃を躱す。難しいことではない。けれども、三人目が襲ってくるに至って、疑問は確信の形を為した。
二十九人は、俺ひとりを狙ってきている。
一対一で、俺を打倒できる者はこのなかにはいない。だから、正しい戦術である。これが授業であるなら――だ。
しかしこれは、殺し合いだ。
「やる気なのか……本気で!」
俺は声を上げる。
次々に襲ってくる仲間たちは、応えない。口をつぐみ、ただ身につけた技術で、俺の急所を狙ってくる。
喉を裂こうとする。
心臓を貫こうとする。
腎臓を刺そうとする。
頸動脈を断とうとする。
腱を切ろうとする。
手首を落とそうとする。
脇を突こうとする。
鳩尾を打とうとする。
頸椎を叩こうとする。
顎を殴ろうとする。
目を抉ろうとする。
すべてが、必殺を決意して放たれる、本気の一撃。
俺は躱す。
躱しつづける。
避けつづける。
逃れつづける。
そのたびに、反撃をしそうになるおのれをすんでのところで御しながら。
技術を身につけた俺のからだは、敵の攻撃を避けたあとの動きを強要してくる。躱したのちに、敵の手をとる。避けたのちに、敵に刃を向ける。逃れたのちに、敵を殺そうとする。
最大の敵は、鍛え抜いた俺の技術だった。
自動的に動いてしまいそうになる肉体を、かろうじて、抑える。一度始まった殺しへの動きさえも、途中で止める。
そのせいで、次の体捌きが、かならず一手遅れてしまう。かすり傷の数は一秒ごとに倍増してゆく。少しずつ、だが確実に、血が失われてゆく。
なぜ。
なぜ。
俺たちは、仲間だった。
仲間だったはずだった。
なのに、殺されそうになっている。
なのに、殺してしまいそうになっている。
どうして。
どうして。
ぐるぐると渦巻く思考が、霞みはじめる。
血が足りない。
血が。
このままじゃ、まずい。
このままじゃ――。
背中から襲ってきたひとりを、背負い投げで地面に叩きつけ、すぐさま身を伏せて次のひとりの足を払った。そのまましゃがみ込んで宙に跳び、投擲されてきたナイフをやり過ごすと、着地先に待ち構えていたふたりを同時に蹴り飛ばした。
ダメージは薄い。
だから、倒れた相手がすぐに立ち上がってしまう。攻撃はやまない。ほんらいなら、倒すだけではなく、斃さねばならないのだ。
体を低くしたまま地面を蹴り、リーチの届かない位置から拳を突き上げる。顎先を叩かれて軽い脳震盪に陥ったひとりの体を掌底で押した。
押された体が、向かってきていた三人を巻き込んで倒れ伏す。これでまた一呼吸稼げた……と思ったその瞬間に、巻き込まれていなかったひとりが、陰から襲ってきた。
――まずい!
振り抜かれた刀の軌跡を、とっさに首を引いて避ける。勢いのままに、俺は背後へと倒れ込んだ。
ずぶり、という音。
なまあたたかい、血の感触。
俺は目を見開いた。目のまえ、俺を押し倒していたのは、いつもおだやかな顔をして笑い、一歩引き、脱落しそうな仲間を庇っていた、そういう少年だ。
それが、どうして――。
少年はほほ笑み、
「……ごめんね、アザム」
そして、吐血した。
突き刺さっているのは、俺の刃だった。
俺のナイフが彼の腹部を貫き、おびただしい血と、取り返しのつかない量の臓腑をこぼれ出させている。刃先が腹部を貫いた瞬間、俺は訓練の通りに手首を捻ったのだ。
何千、何万回とくりかえした動作。
臓腑を確実に傷つけ、命を確実に奪い取るための動作。
少年の体がくずおれる。
事故ではない。
事故ではありえない。
まちがいなく、
俺が、殺した。
「――あッ」
なにかが決壊していた。
抑えてきた、抑え込んできた、なにかが。
「ああああああああああああああああああッ!」
俺は跳ね起きていた。
からだは動いた。自在に動いた。
ようやく理性の枷を剥ぎ取られ、むき出しになった本能が、身につけた技術を存分に振るっていた。
喉を裂いた。
心臓を貫いた。
腎臓を刺した。
腎臓を刺した。
頸動脈を断った。
腱を切った。
手首を落とした。
脇を突いた。
鳩尾を打った。
頸椎を叩いた。
顎を殴った。
目を抉った。
殺した。殺した。殺した。
殺して殺して殺して殺して殺して殺し抜いた。
殺すたびに、仲間がひとり減っていった。
ともに生き抜こうと誓った仲間が、俺の手で、物言わぬ死体へと化けていった。
なによりも辛かったのは。
友に刃を振るい、命を終える最後の瞬間に、彼らがおなじことばを口にすることだ。
耳元で、彼らはささやく。
「――ごめんね」
「――ごめんなさい」
「――悪い」
「――ゆるして」
「――ごめん、ごめんよ」
友の思いが、手に取るようにわかった。
彼らは弱いのだ。仲間たちを殺すなんてできないくらいに。その罪悪感に耐えられないほどに。殺すくらいなら、殺されたいと願うほどに。
だから、俺に頼る。
一対一なら、確実に殺してくれるから。身につけた技術で、確実に終わらせてくれるから。
だから、俺に謝る。
おまえにだけに重荷を背負わせて、すまない、と。
「おッあああああああああああああッ!」
そうして――俺は、殺し尽くす。
見事に、二十九人を殺してのける。
さいごのひとりにとどめを刺す瞬間――すまなかった、という耳打ちを最後に、俺の戦いは終わった。