表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

49/50

48.二〇〇〇人のお友達が、あなたを待ってるわ

「いやだ、頼む、許してくれ、お願いだ、やめて、このとおりだ、なんでもする、なんでも、明日四〇〇枚つくるから、頼む……」


 懇願は、聞きとどけられない。

 けんめいに”姫”へ訴えかけるが、まったくの黙殺だ。Fの両脇をつかんだ暗殺者たちも、覆面をつけたまま、正面を見て迷いなく歩みを進めていく。掴まれたところだけが熱い。ここ数日で、Fの体温はかんぜんに冷え切ってしまっていた。

 地下牢の、石造りの廊下を進んでいく。

 あっというまに、Fのからだはある部屋に放り込まれた。


「ようこそーようこそーよくきたねー」


 待ち受けていた少女が笑う。

 眠たげなまぶたの奥で、わずかに赤い瞳がぎらりとかがやいている。じぶんの同類の目だ、とFは気がつく。ひとを傷つけ、ひとをさいなみ、ひとをばらばらにすることに取り憑かれたものの目。つまり、拷問官の目。

 部屋の中央には寝台が置かれ、見慣れた拘束具がしつらえてあった。

 鉄錆のにおいが、ぷんと鼻をつく。染みついた血と臓物のにおいだ。


 ――『生まれてきたことを後悔するほどに、無慈悲な拷問』。


「いやだっ!」


 Fが絶叫して振り向いた。


「頼む、頼みます”姫”、いいんですか、私をこんなところで殺したら、もう符は手に入りませんよ、私を生かしておいたほうが、よほど得のはずだ! いっときの感情で殺すなんて、ねえ、分かりますよね”姫”、お願いしますよ”姫”、あなたも、あの頭領から解き放たれたいって言ってたじゃないですか、ねえ! なんとか言ってくださいよ! ねえ!」


 Fのからだは着々と拘束されていく。

 ”姫”がようやくこちらを向いた。おだやかな笑いを向けられて、Fの表情が期待にほぐれる。

 が。

 

「まだ、そんなこと信じてるわけ?」

「……はっ?」

「ほら、見てみな」


 鉄格子の外を、”姫”が指さす。

 そこにいたのは――アザムと名乗ったあの少年頭領だ。こちらにつめたい無関心のまなざしを向けて、たたずんでいる。かたわらには、あの”鬼火”と呼ばれていた赤毛の少女のすがたもあった。


「どういう――これは、どういうことです――?」

()()()()()()()()()()()


 ”姫”が少女の愛らしい声で笑った。


「きみをかくまったことを頭領に黙ってるって話も、ぼくが教団を抜けてきみの後釜を狙ってるって話も、魔術符さえ書いてれば生かしておいてやるって話も、ぜんぶね」

「あ……そんな……そんなこと……」


「虫けらとしての死を、俺は命じた」


 少年頭領が、しずかに言う。


「それはおまえの招いた因果に対する、報だ。つまりは、おまえに科せられた運命そのものだ。くつがえるわけがないだろう?」

「ぼくが教団を裏切るわけもないじゃんね。

 あ、この符はありがたく使わせてもらうから」


 ひらひらと、魔術符の束を”姫”は振ってみせる。


「だ――騙したなあっ! 俺を、よくも、よくも騙して、俺は必死で、必死で毎日、死ぬ思いをして……!」

「おまえのやったことと同じだろう、F」


 アザムのことばに、Fは息を呑んだ。


「これをくりかえしてきたんだろう?

 かわいそうな少女たちに希望を与えて、それを摘んで。少女たちはどれだけ絶望したことだろうな。どれだけつらかったことだろうな。

 せいぜい、それを味わって死んでゆけよ、魔術師」


「あ――あ――」


 ことばをうしなったFの口に、猿ぐつわが噛まされる。くぐもった声を出しつづけるだけになったFに、あの、拷問官の少女が顔を近づけてきた。


「はじめましてー。かわいいねーかわいいよー。

 久しぶりだからたのしみなんだよー。

 とりあえずー、指からはじめてみよっかー?」


 *


 拷問がはじまると、時間の感覚が融けた。

 同類だなんてとんでもない。Fのやってきたことは、必要な部品を切り取って、つなぐというだけのことだ。苦痛は結果的に起こるものであって、目的そのものではなかった。


 しかし、この少女は違う。

 苦痛を、苦痛そのものを、目的としている。


 痛みがあふれる。

 杯にそそいだ葡萄酒が、許容量を超えてあふれかえるように。恐怖にまみれながら、杯が満たされるのをFは待ち、避けがたいそのときに身を固くし、ついにそのしゅんかんが来ると、激痛と苦悶に身をよじる。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 助けて。

 助けて。

 助けて。

 すべての語彙がなくなって、それだけのことばが脳内を塗りつぶしていき、喉がやぶれそうなほどの絶叫が、猿ぐつわのなかに染み込んでいく。


「かわいいよー、いいねー初心うぶだねーほんとかわいいよー」


 少女はうれしそうにくりかえしている。

 熱っぽく、悦びとともに、くりかえしている。

 慈悲を請うことはできないのだと、その声のひびきで分かった。


 痛い痛い痛い痛い。

 助けて助けて助けて助けて。

 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。


 発音できないままに、そのことばを口のなかでFはくりかえした。


 と。


「ほらー、しゃべれるよーみてーみてー」


 猿ぐつわが、ふいに外される。

 待ちに待ったしゅんかんに、Fは喜びさえ感じながら、思うぞんぶん苦痛の絶叫をほとばしらせた。


「あー、いい声だねーかわいいねーかわいいよー。

 ほんとたのしいねーすてきな時間だねーかわいいねー。

 でもー、きみがそうしたいならー、終わらせることもできるよー」

「え……」


 枯れきった声で、Fは問いかえす。


「ファティマ的にはーおすすめできないけどー、

 呪文をーとなえればー、逃げることもできるよー。

 ”盃”とー”霧”とがーきみのあたらしいからだをー用意してくれたからー」

「え……?」


 現われるはずもないと思っていた救いが、希望が現われて、Fは困惑する。

 この苦痛から逃げられるなら、

 この苦悶を避けられるなら、

 どんなことでも従おう、とFは思っていた。


 しかし。


「ほらー見てー見てー。

 これがーきみのあたらしいからだだよー。

 ごあいさつしてー」


 拷問官の少女が取り出したのは、

 うねうねとうごめく、足のない、毛も生えていない、汚らしい、下品極まりない、ひと抱えほどもある、巨大な、蠕虫ワームだった。

 

「あ――」


 Fはおののく。

 美意識の豊かなFにとって、そのまるまる肥ったミミズのようなすがたは、あまりに堪えがたかった。しかしよくみると、その蠕虫の頭部には、霊魂魔術の”器”になるために必要な『環』がたしかに嵌められている。


「これねー、”盃”がきみの『環』を研究してー、つくってくれたのー。

 虫は”霧”がー提供してくれたんだけどねー、きもいねーかわいくないねー。

 どうするーどうしたいー?

 この虫のからだになるー?

 それともーここでファティマとーまだいちゃいちゃするー?

 ファティマはー、後者がーいいと思うなー」


 触れることさえおぞましい、そんな虫に、じぶんが転移する?

 生理的嫌悪感が、背筋を駆けのぼった。


「いいんだよーやだよねー虫になんてなりたくないよねー?

 それよりー、ファティマといちゃいちゃしたいよねー?

 いいんだよーかわいいねー、ずっとファティマのところにいなねー。

 ずっとーずっとー、かわいがってあげるからねー」


 拷問官の少女が、また、凶器を取り出した。

 あの苦痛を、Fは思い出す。いやだ。いやだ。あそこには戻りたくない。強烈な抵抗感が頭によぎった。


 Fは蠕虫を見つめる。

 身をよじらせ、緑色の体液を噴出する、ひとの内臓めいた、吐き気をもよおすような、そのすがた。


 けっきょく。


 ――わがたましいを、このもののからだに、おあたえください――


 Fは、虫となった。


 *


「エ」


 Fは箱のなかでのたくりながら、じぶんのからだを調べ、おどろきに溢れていた。


「シャベレ――ル――?」

「気づいたのね、F君」


 じぶんを見下ろしながら運んでいる妙齢の女性が、にっこりと笑いかけてくる。


「その蠕虫のなまえはね、トレーマーって言うのよ。

 初歩的な人語を解する、とても頭のいい蟲よ。からだのなかの空洞を震わせることで、発声をすることもできるの。ほんのちょっぴりの魔力もあるでしょう?」


 ある。

 確かに、ある。

 ごく少量ではあるが、霊魂魔術の転移を行なうのに必要なぶんていどは、ある。Fは、希望の光が射し込んでくるのを感じていた。

 魔力があり、発声ができる。

 であれば、このミミズのからだから抜け出すことも、いつかはできる。”器”の工面だけはどうにかしなければならないだろうが、もしかしたら、機会がめぐってくる日もあるかもしれない。


 が。


「あなたは、これからわたしの飼い蟲になるのよ。

 たのしく過ごしていってね」


 じぶんを運びながら笑う、この美女の暗殺者。

 この暗殺者は、そのことを知っているのだ。であれば、なんらかの対策を行なっていないわけがない。逆にいうと、なにかを狙って、この虫を選んだに違いない。

 まだ、じぶんへの刑罰は終わっていないのかもしれない。


「さて、着いたわ」


 扉を開く音がして、”霧”が足を止める。

 とともに、なにか水っぽい音がひびきわたった。舌で舐めまわすような、不気味な、不快感に満ちた、無数の音。


「ここが、あなたの暮らす場所よ。

 ほら、()()()にご挨拶しなさいね」


 Fは箱のなかから首を覗かせる。


 部屋のなかにいたのは、大量の大量の大量の大量の大量の、ミミズども。

 じぶんとおなじすがたをした蠕虫たちが、互いに絡まり、のたくり、這いずりまわっている。床と天井ぜんたいが、おぞましく、うごめきつづけている。


 いやだ。

 いやだいやだいやだいやだ。

 いやだ。


 あのなかに入りたくない。

 あのなかに混ざりたくない。

 あのなかに、あんななかに。


「さ、行きなさいF君。

 二〇〇〇人のお友達が、あなたを待ってるわ」


 しかし無慈悲に、箱はひっくり返された。

 Fのからだは空中へ投げ出され、無数のミミズどものなかに、落ちた。すぐにからだをミミズの波が押し包み、そのしゅんかんに、Fはじぶんのからだの境界を、見うしなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ