44.ほら、きたぞ
”姫”が意識を取り戻してくれたおかげで、俺の首に腕を回してもらうことができた。左の義腕だけで抱いておけば、右腕はフリーに使える。身長差がそうおおきくないのがさいわいした。
しかし、先ほどから、”姫”が妙に黙りこくっているのが気になる。傷が痛むのだろう。
戦闘は、防戦一方だった。
反撃は望むべくもない。異形の怪物どもは、獲物を追うけものというよりも、奪われたものを取り返そうとする悲愴な亡者に見える。痛々しいほどの欲求が、かれらを突き動かしているように見える。
事実、そうなのだろう。
見るもおぞましい、人間のつぎはぎ細工ではあるものの……そのからだは、もとは哀れな少女たちによってできているのだ。
「おやおや。せっかくの応援なのに、ただ逃げ回るだけではなんの役にも立ちませんね。こわいこわい教団の暗殺者とはいっても、このていどですかね?」
俺は兵士のすがたで嗤いこけるFを見下ろす。
あの男だけは、赦すわけにはいかない。
あの男だけは、生かしておくわけにはいかない。
俺はほぞを噛む。
あの品性に欠けた笑みを、かならず、たたきつぶしてやろうと決めた。
ときおり、ニーナに視線を向ける。
経験のすくない若い暗殺者には、あまりに荷が重い役目だ。危なくなったら助太刀に入らなければと思っていたが、杞憂だったらしい。
ニーナは唇を引き結び、短くした赤毛を風になびかせながら、跳んでいた。すでに武器も仕舞っている。どのみち彼女の攻撃は怪物たちを打倒しうるものではないから、的確な判断だ。身のこなしも軽く、危なげがない。
さすがは、”姫”の見込んだ少女だ。
もう、十五分は戦っていた。
どんな乱戦のなかでも、経過した時間を数える訓練は受けているから、この感覚は正確だ。到着して事態を確認した段階で、すでに「現存戦力では対処不能」と判断をくだし、使者を放ってあった。
使者が援軍を呼び込むまで、あと何分かかるか。
それまで、俺は逃げつづけられるのか。
「っく……!」
怪物の攻撃が、俺の皮膚をかすった。
たったひと掻きで、その下の肉も持っていかれる。じくじくと染み出る血を、”姫”がとっさに布で押さえ、腕の付け根を縛り付けてくれた。
ありがたい。
が、右腕も思うように振るえなくなった。
「下ろして、アザム。ぼくももう戦える」
首にまわした両腕を離し、”姫”が言う。
「戦闘は無理だ。傷が開いたら終わりだぞ。……向こうの茂みに、逃げ込めるか?」
「逃げるなんて――」
「頭領命令だ。たまには言うこと聞いてくれよ、お姫様」
俺がふざけて笑いかけると、”姫”がぼっと顔を赤くする。怒ったんだろうか。
「おまえぜったいあとで殺す!」
ののしり声を残して、”姫”は走っていった。
いつもにくらべると、あきらかに精彩を欠く動きだ。やはり傷は浅くはない。俺はその背中を追おうとする怪物にナイフを投擲した。苦悶の声をあげて、怪物がこちらをふりむく。俺はふたたび宙へと跳び、怪物の注意をみずからへひきつけた。
身が軽くなったところで、俺はFへと迫った。
こちらにあざけりの声を向けながらも、すこしずつ、Fは『学校』側へとにじり寄っていた。霊魂魔術の射程圏内にはいって、またからだをうつし替えようというのだろう。
そうはさせない。
ナイフのさいごの一本を、俺は腰帯から引き抜いた。
が、Fを捉えていた俺の視界は、横合いから入ってきた怪物のすがたによって覆いつくされた。
「ちっ」
踏み込む足を止めて、かろうじて怪物の攻撃を避ける。むかでのように無数の腕を生やした個体が俺のまえを通過してゆく。攻撃こそないが、ながい胴体がすべて通りすぎるのには数秒を要する。この間にFはきびすを返しているだろう。
焦れながら、俺は待った。
ようやく視界が開ける。
待っていたのは、Fではない。ほかの怪物が二体。
「……くそっ!」
いっせいに襲いかかってきた二体を、俺はかわし切ることができない。一体こそ右のナイフで仕留めることができたが、残る一体は、左の義腕に喰らいつき、すさまじいちからでそれをもぎとっていった。
義腕は紫電をはなちながら魔術回路が焼き切れ、わずかに肩の下だけを残して、完全に沈黙する。
「っぐうっ……!」
激痛だった。
魔術による制御によって、擬似的に生体を再現している俺の義腕は、より高感度での操作を実現するために、触覚をのこしている。もちろん、痛覚も同様だ。腕がもぎとられる痛みは、ほんものの腕の場合となにも変わらない。
「ほうら、またぞろ片腕をなくした」
Fが手をたたいて笑った。
「だから、おとなしく私の縫物を受けておけばよかったのに。きれいな、健康な腕が手にはいり、完璧なからだができたというのに」
「……片腕は、なくしたわけじゃないさ」
痛みに歯を食いしばりながら、俺は言う。
「いま、貸してるんだ」
「ほう?」
遠く──はるか遠くから、風を切る音が聞こえた。訓練を受けていない聴覚では、まだ分からないだろう。
来た。
間に合った。
俺は、にやりと笑う。
「ほら、きたぞ。──俺の片腕が」
風切り音が、おおきさを増す。
まるで隕石が降ってくるように、巨大な気配が、こちらへと近づいてくる。刻一刻とおおきくなる音に、ようやくFも気がついたようだ。
だが、もう遅い。
宙にかがやいた光が、流星のように夜空をつらぬき、いかずちのように宵闇をたたき割った。みずから発光するなにかが、おそろしい速度で近づいてくる。
闇を切り裂く光が。
夜を終わらせる暁が。
すなわち──
あかつきのひかりが。
目もくらむばかりのかがやきにつつまれて、俺たちの視界はひとしなみに白く塗りつぶされる。Fのうろたえわめく声も、怪物たちがぎゃいぎゃいと騒ぐ声も、轟音にかき消されて意味を成さない雑音へと変わる。
光のかたまりははるか空中で不自然なまでに方向を変え──俺たちの目のまえへと、降り立った。
地面が破砕する。
砂塵が舞い上がる。
光がうすれてゆく。
そこには、表情をひきむすんだ、精悍な青年のすがたがあった。ひかりかがやく甲冑を、旅装束のマントに覆い、以前見たときよりも、ほんのすこしだけうす汚れた頰をしている。なかなか、魅力的な顔つきになっていた。
“勇者”──アラン・ド・シュヴァリエ。
「召喚の約定にもとづき罷りこした、“踊り子”よ」
“勇者”が、素直な顔で笑う。
「片腕の出番と聞いた」
「ああ。なさけないんだが、ご覧のありさまでね」
俺は左肩を持ち上げる。
痛みにはだいぶん慣れてきた。
「めずらしいな、“踊り子”。きさまほどの男が後れをとるとは」
「俺はべつに強くないからな」
「そう言える男が、どれほど稀有か」
「そんなことより、登場のしかたはどうにかなんなかったのか。目立ちすぎる」
「転移魔術の符だ。いまや、僕の手持ちもわずかなのだぞ」
「それには感謝してるけどさ」
「“勇者”──だと?」
Fの唖然とした声に、俺たちは振り向く。
「“勇者”アラン、ですと! ありえない。ありえないありえない、ありえない! いったいどうして。なぜ、世界最強の男が、こんなところにいるのです! なぜ、伝説の英雄が、教団なぞに与しているのです! なぜ、私などを!」
「かん違いするな」
“勇者”アランは、冷厳と告げる。
「きさま如き小物に、ほんらい僕はかかずらったりせん。そこの少年に、僕は喚ばれた。だから来た。それだけのことだ。そういう約定を、われらはむすんでいるからだ」
「言ったろ。腕一本、貸しがあるんだ」
「そ──」
Fが絶句する。
あの倉庫での和解以後、教団と“勇者”は共闘関係にあった。帝国を出奔して各地を放浪する“勇者”に、教団はさまざまな便宜を図る。あやしまれない身分や隠れ家を用意したり、各国の関所をこっそり通したり、といったこまやかな協力がそれだ。
代わりに、“勇者”は教団の因果応報を手伝う。これはアランのほうからの申し入れだった。
正直をいえば、アランは使いにくい。
“勇者”のちからはあまりに巨大すぎて、暗殺者の働きとはうまく噛み合わないのだ。何度か試してみてそれを痛感したために、ここひと月ほどは互いに因果応報を成す、という方向に舵を切りはじめていた。
しかし、それでも──。
「この少年が僕のちからを必要とするときは、かならず駆けつける。そう、誓ったのだ」
“勇者”は聖剣を抜いた。
「くそ──くそくそくそくそ! しかたあるまい! こいつを喰らうのです、置物ども! “勇者”とて人間なんだ、ひと息にもみつぶせッ!」
Fが絶叫する。
しかし、怪物たちは動かない。ちいさな声をあげて、萎縮したように、その場で震えている。
「なぜだ──! なぜ動かない──!」
「めずらしいことでもない」
“勇者”が退屈そうに言う。
「僕が剣を抜くと、妖魔のたぐいはみな沈黙する。僕は殺気を消すのが不得手なのでな、みな、おびえ竦みあがってしまうのだ」
おかげで、魔物討伐ほどつまらん任務はない、と“勇者”はぼやいた。
「“勇者”」
「なんだ、“踊り子”よ」
「あの子たちは、苦しんでる。もう、じゅうぶんすぎるほどに。……ひと思いにやってくれ」
怪物たちは、どこか、期待しているようにも見える。
じぶんたちを解放してくれる存在を。光によって浄化してくれる存在を。
あの怪物たちの醜悪な見た目の内側に、女の子たちが、まだ囚われている。
俺には、そう見えてならなかった。
「……約束しよう」
おなじことを見てとったのだろう。
“勇者”は真剣な顔つきでうなずいた。
「ただし」
「あの男はべつだな」
当意即妙。
俺たちは、ふたりでFをねめつけた。
Fは金縛りにあったように動きを止める。かつて感じたことのないほどの殺気をたたきつけられて、呼吸もできないのだろう。目を剥き、ひゅう、ひゅう、とざらついた音を漏らしていた。
聖剣が、あのかがやきをはなちはじめている。
*
かわいそうな怪物たちは。
いっしゅんで、解きはなたれていった。