41.ぼくらの頭領殿なんだぜ
「ひ──あ、あ──」
声が出なかった。
息ができなかった。
まさか、これほどとは思わなかった。
これほどの化け物が侵入していたとは、思わなかった。見た目に騙されていた。美少女にさえ見える、華奢な美少年。調子に乗っている、すばしっこさが取り柄の、子供。
そう決めつけていた。思い込んでいた。
アザムと名乗った少年は、まさしく、地獄の使者だった。
「ひいっ」
「おぐっ」
「えがっ」
みるみるうちに隠密が、女中が、殺されてゆく。
どこでなにが起きているのかさえ分からない。部屋のあちこちで悲鳴と断末魔が連続して上がり、血がしぶき、臓物が壁に張り付いた。きれいにみがきあげたFの工房が、いっしゅんごとに、赤く染め上げられてゆく。
「ぎっ」
「あがっ」
「ごえっ」
隠密は、女中は、これほど弱かったのか。
いや、違う。
彼らは大公国後宮が誇る闇の刃たちだ。貴族の夫人どもが我が身の安全を守るために鍛えあげた、守護の剣だ。大公国正規軍と真正面から向き合っても、造作もなく打倒しうる、最強の刺客たちだ。女中たちも、優秀な隠密の人格を上書きしてあるのだ。それなのに。
「囲めっ」
「だめだ、止められなっ」
「助けっ」
それを子供扱いするこの少年は、なにものなのか。
最強の刺客たちを殺す、この、片腕の少年はなにものなのか。この少年の強さをとうぜんのように見つめているこの少女たちは、いったい、どういう連中なのか。
「いやだっ」
「やめっ」
「許しっ」
どこで間違えたのか。
どこで詰んでいたのか。
あの少年を早く殺さなかったところか。あの少年を工房へ連れてきたところか。あの少年を『学校』に招き入れてしまったところか。
「逃げっ」
「殺さなっ」
「許しっ」
少年は容赦しない。
まったく、毛ほども、慈悲を見せない。
いっしゅんだけ、少年のすがたを捉えた──黒い瞳には炎が宿り、しかし、それをいたずらに燃え上がらせることもせず、冷静に、ただ冷静に。殺しつづけ、殺しつづけ、殺しつづけ──。
そうして。
五十名はいたはずの部下たちは、鏖にされた。
「なん──なんだおまえは──」
返り血で真っ赤に染まった少年が、凄絶な笑みをこちらへと向ける。Fの背が総毛立ち、瞬間に死を覚悟した。
少年が、顔の血を乱暴にドレスの袖口で拭う。
赤が剥がれて覗いた肌が、しろくかがやいた。
うつくしい。
場違いな感動が、Fの胸を満たした。
「……どうした、魔術師」
少年が言う。
「笑わないのか? ほら。おまえの好きな血みどろだぞ。なにを茫然としてる。
これがおまえの望んだ結末だ。おまえの望んだ風景だ。
笑えよ。笑ってみろよ。なあ、魔術師F」
「う、あ──」
少年アザムが、近づいてくる。
無造作に。
無遠慮に。
少年のかたちをした死が、Fに、近づいてくる。
Fは腰を抜かした。
なまぬるい感触が下履きを濡らしていく。近づいてくる少年から逃れようとして、無意識に壁に顔をすりつけていることに、気がついた。
少年の顔が、Fの顔を覗き込む。
咽喉元をわしづかみにされた。
「笑えよ、F」
聞いてない。
こんな連中を、相手どらなくてはならないなんて。
「な──何者なんだ、おまえたちは──!」
問うた声が裏返った。じぶんは狂いかけている、とFは気がついた。
「教えてやろうか、魔術師くん」
横から、ロキシーとかいう少女が声を掛けてくる。
「ぼくたちはね、きみが妄想と呼んだ存在だよ」
「は──?」
「ぼくたちは、夢想そのものさ。そこは間違ってない。たしかにぼくたちは、夢によって成り立っている組織だ。
かつて、あるひとりの少年が、ひとつの夢を思い描いた。だれも不条理に呑み込まれず、だれも意味なく苦しむことのない、そんな世のなかをね。
それは、都合のいい妄想だったかもしれない。
あまりに、虫のいい願いだったかもしれない。
けれども──ぼくたちは、それを信じた。世界をよくするという少年の夢に共感して、従ったんだ。
すごい男の子だろ? ぼくらの頭領殿なんだぜ」
まさか。
まさか、まさか、まさか──。
嘘だと思っていた。
子供じみた空想の産物だと思っていた。
黒衣をまとい、奇妙な紋章旗をかかげ、おそろしいほどの強さと速さでやってきては、不幸を徹底的に破壊して、去ってゆく。
うつくしい美女が長であるという説も、
年端もいかぬ少年が長であるという噂もあった。
噂の”蛇王”が、例の“勇者”が、かれらにしたがっているという話もあった。帝国政府までもがかれらに振り回され、大陸全土が活動範囲だとも語られていた。
あまりにも、嘘くさい。
あまりにも、都合がいい。
だからFは嗤いながら、あの組織の名を借りてこの『学校』をつくったのだ。
なのに。
いま、Fの目のまえには、嘘くさいまでの強さがあった。
いま、Fの目のまえには、都合がいいほどの速さがあった。
いま、Fの目のまえには──
「紹介してやるぜ、魔術師F。
──あんたの目のまえにいる少年の名は、アザム。
”踊り子”アザム。
暗殺教団が誇る史上最高の頭領だ」
──空想が、実在していた。
*
「あ――あ――」
こまかく震えつづけるだけとなったFを見下ろす。もはや、戦う意志は残っていないようだ。ニーナが布きれを手渡してくれたので、俺は顔と手の返り血をざっとぬぐう。
「少年。待機人員一五〇名の突入、完了したってさ」
”姫”のかたわらには、報告にきた暗殺者のすがたがあった。
「とりあえず、子供たちと教師たちを保護してあって、職員は拘束済み。いまは隠密連中の狩り出しをやってる。全員を仕留めることは難しいかも。どちらにしても、敵援軍がくるまえに、早めにここを離れたほうがいいね」
「分かった」
ちいさく嘔吐する音が聞こえた。
ディアナが、胃の内容物を吐き出させられたのだ。胃液のなかに交じって、溶けきっていない丸薬もあった。そのうち、からだの動きを取り戻せるだろう。
ディアナの目が、俺を見ている。
どういうきもちで受け止めていいかわからない……という顔だった。それはそうだろう。同性の友達だと思っていたのが、男で、しかも暗殺者だったのだから。
「心配しなくていい、ディアナ。俺たちはきみを傷つけたりはしない」
「……ぁ」
「どうした? ゆっくり、話してごらん」
「……アルル……なの……?」
不安げな顔に、俺は笑いかけた。
「そうだよ、ディアナ。……いろいろ嘘をついちゃっていたけど、きみのことは、ほんとうに友達だと思ってる。これは本気だよ」
「……あ」
ディアナの表情が解きほぐれる。
安心してくれたのだろう。俺はその金髪をそっと撫でた。ディアナはきもちよさそうに目を閉じる。
「さて、少年」
「ああ、始めるか」
俺たちは魔術師Fに向き直る。因果を問うためだ。
が。
「残念です。ほんとうに、残念だ」
Fの震えが止まっている。
俺たちはそれぞれに武器を構えた。Fはゆっくりと立ち上がる。攻撃の意図は感じられない。両腕を高く上げた姿勢は、降伏のすがたにも見える。
「誤算でしたよ。まさか教団が実在していて、私に襲いかかってくるとは。これではもう、この『学校』はおしまいですね」
「ああ。おまえもな」
「それも、残念です。ほんとうに残念だ。五十年もつかって、気に入っていたのですがね──このからだを、捨てなければならないとは」
反応できなかった。
袖口からすべり出したスイッチを、Fが押す。耳に響くような、きいん、という音が、部屋のなかいっぱいに響きわたったかと思うと、Fのからだが倒れ、痙攣した。
「おぎゅぎゅぎゅ、ぎゅ、ぎゅう」
奇怪な声とともに、Fのからだがのたうち回る。両手両足は蛇のようにのたくり、床を何度も何度も叩きつける。まるで高圧電流に感電している軟体動物のようだ。Fの目から、鼻から、口から、血が噴出する。俺はとっさにディアナの目をおおった。
「あぎゅぎゅぎゅい、ぎゅうぐ、ぐぎゅう」
耳をつらぬく高周波の音が終わった。
と同時に、Fの苦悶も終わる。
「……自殺か?」
「違う!」
俺の疑問を、ニーナが即座に否定した。
「これは──魔術です!」
霊魂魔術。
そのことばが頭に浮かんだ。
Fは言っていた──このからだを捨てる、と。霊魂魔術とは、魂を上書きするという外法の業だ。
つまり。
「くそ、逃げられた──!」
俺は歯噛みする。
霊魂魔術を持っていたとして、俺ならどうする? いざというときの備えとして、屍体を離れた場所に隠しておくだろう。魔術は符に書き出すことによって即座の発動ができる──つまり、危機的状況におちいったときに、緊急退避として霊魂魔術を行使することは、きわめて有効だ。
たとえ両手両足をしばられていたとしても、Fは逃げることができる。
「”鬼火”。霊魂魔術の有効射程は分かるか?」
俺はじかにFを調べていたニーナに確認した。
「確定はできませんが、おそらくは一〇〇〇メートル圏内。Fがこれまで乗り換えてきたからだの位置条件を鑑みるとそのていどです」
「霊魂魔術に使用条件はあるのか? たとえば、その辺を歩いている人間を任意に選んで魂を上書き可能か?」
「不可能と推測します。上書きされるからだにも、あらかじめの仕掛けが必要ですから」
なるほど。
俺は即断する。
「“姫”。待機人員を全員投入して捜索開始」
「了解」
「この学校付近で妙に急いでいる人間がいたら、それがFだ。あの趣味だから美少女のからだをつかっているかもしれないし、擬装のために一般的な男性のからだをつかっているかもしれない。先入観は捨てて判断しろ」
「おーけい」
展開、という俺の声にしたがって、“姫”とニーナが走りはじめた。




