39.教団なんて、実在するわけがないでしょう(修正版)
「おや。これはこれは、カタリナ先生。こんな夜更けに、なんの用ですかな」
「わたしの生徒たちに、なにをしているのかと聞いているんです」
煮えくりかえったような声で、カタリナ先生は言う。
若くて、だが信用のおける先生だった。ディアナは大人なんかを好きになったことはなかったけれど、もしかしたら、例外になれるかもしれないひとだった。
「なにが、めずらしいのです?」
平然とした顔で、Fは応じた。
「これは、いつも起きていたことではないですか」
「は?」
「あなたが知るにしろ知らないにしろ、ずっとね。あなたはなにかを履き違えているようだ。そもそも、この『学校』がなんのためにつくられたのか、ご存知ないのでは?」
「なんのためって──」
カタリナ先生は語る。
この『学校』は、娼婦や孤児の子供たちに教育をあたえ、彼女たちがじぶんの人生を生きてゆくちからを与えるための施設だと。
それを聞いて、Fは笑う。
「すてきなお話ですな。みごとだ。でも、真実は違います。──ここは、たんなる生け簀なのですよ」
「生け簀、ですって……?」
「ええ。夫人がたが、つぎのからだを探すための在庫置き場です」
Fは語る。
「後宮は、高貴な夫人がたにとって勝負の場です。うつくしさを保ち、つぎつぎとやってくるうら若き新入りたちを牽制しつづけなければならない。うつくしさや洗練が評価されつづけ、試されつづけ──ことによっては、そこでの上下が夫君の栄達にも関連しうる。それゆえ、奥様がたはあの手この手をつかってうつくしさを保ち、若さを保とうとします。
ですが、うつくしさは有限です。時間という容赦のない怪物が、せっかくのうつくしさをすこしずつすこしずつ目減りさせていきます。どんな手を使っても、老いという魔の手からは逃れられない。
……そこで、私の出番です」
芝居がかった調子で語りながら、Fは両手を叩く。
「私の魔術師としての専門は、霊魂魔術です。
あるからだから、あるからだに、魂を移すことができます。上書きしかできないのが残念なかぎりですがね。
これに、私の趣味である”縫物”を重ねると、ご夫人がたのご要望にほぼ応えることができます」
「”縫物”って、まさか──」
「そう。人間のからだをつぎはぎするという、たのしい趣味ですよ。……おっと」
Fに食ってかかろうとしたカタリナ先生が、どうやら女中たちに捕まったらしい。身をよじりながら抵抗するような声がするが、ディアナはそちらに視線を向けることができない。
「落ちついてください、先生」
「あなたは! じぶんがなにをやってるのか──」
「よおく、分かっていますとも。いまさらあなたにどうこう言われずともね」
Fの声に笑いが混じっていた。
「それでね、カタリナ先生。
もう一度訊きますよ──この『学校』は、なんのためにつくられたと思います?」
「──ッ!」
ディアナは宿舎を思い出す。
さまざまなかたちの美少女が、そこには集められていた。うつくしくない少女は、それこそひとりもいないと言っていい。
あたりまえだ──うつくしさゆえに、わたしたちは集められたのだから。
「夫人がたのご要望は厳しくてね。やれ、非処女はいやだとか、やれ、虚弱なからだはいやだとか、いちいち注文が多いんです。
だから、あんなに綿密な身体検査をしなくちゃいけない。なかには飢えで痩せてて、見た目や体調に影響してるだけの子もいますから、二ヶ月間様子を見てから判断します。ですが、せっかく集めた素材の多くが、二ヶ月後の再検査で脱落します」
「脱落って……!」
「いやな響きですか? でも、事実なんだからしょうがない。”器”として選ばれなかった少女たちの運命は、いくつかに分かれます」
「ま、街で仕事を見つけてるんじゃ──?」
「そんなわけないじゃないですか」
Fは鼻で笑う。
「運命その一。
前線の兵士たちに送られて、慰安係を任じられる。非処女のたどる道のほとんどがこれですねえ。負け戦のつづく大公国軍はみな気が立ってますから、だいたいの女の子は何週間もぶっ続けで相手をさせられて、死んでいきます。
運命その二。
ここで私の玩具になる。まあ、だいたいは部品取りだけして使い捨てにしてしまうことが多いですね。これはひと月に十人ぐらいかな。
運命その三。
気が利いたり、教養に長けていたりすると、『学校』の教師や職員として雇われる。運がいい少数です。あなたもおなじですね、カタリナ先生」
「ひ──」
語られているのが他人事ではないと気づいたのか、カタリナ先生がちいさく悲鳴を漏らす。
「まあ、ざっとこれが、『学校』のしくみですね。いままで信じてきたものが崩れ去ったきぶんはどうです、カタリナ先生? ん?」
Fが楽しそうな声で言う。
カタリナ先生は、すすり泣いているようだった。やさしい先生だった。子供たちのことを考えてくれる、そんな先生だった。……だからこそ、じぶんの信じてきたものがかたちもなく壊れ、幸福を信じていた少女たちの絶望を思い──耐えられなくなったのだろう。
「……教団は」
「なんですか?」
「教団は、このことを知っているの? それとも、教団もグルだったの? みんなでわたしたちを、子供たちを騙していたの?」
「教団! 教団ですと!」
Fが高らかに笑う。
「あなたまだ、教団なんて信じていらっしゃる? ご自慢の教養も役に立ちませんな──教団なんて、実在するわけがないでしょう? だいたい、なんのメリットがあるんですか? 弱者を救い、悪人をこらしめて、彼らにいったいなんの得が?
あれは集団妄想でしょう。民衆はそういう都合のいい存在を夢想するものです。私たちはただ、その評判をちょっと拝借させていただいたに過ぎません。
なあに、だれも私たちを咎めはしませんよ。するとしたら、実在しない正義の味方集団ぐらいのものですかね!」
まくし立てて、Fはまた笑った。
ああ、とディアナは思う。
そうだ。そうに決まってる。じぶんの人生で、助けを望んで与えられたことがあったか? はじめて男に組み敷かれて激痛を与えられたときも、首を絞められて失禁しながら貫かれていたときも、喉の奥まで突き立てられて窒息しかけていたときも──あんなに助けを請うたのに、与えられなかった。
それなのに、正義の味方がいるって?
あまりに、都合のいい想像だ。
あまりに、虫のいい願いだ。
弱者はただ傷つけられ、騙され、食い物にされ、踏みつけにされて、殺される。
それが世の中の真理なのだ。
そもそも。
正義の味方が実在したとして、なぜじぶんなんかを助けてくれると思ったのか。じぶんなんかが助けられるべきだなんて、本気で思っていたのか。
アルルが教えてくれた。むかしの歌に、水たまりを避けるためにパンを捨て、それを踏みつけにした少女が地獄に落ちるという物語があるのだと。
わたしは、パンを踏んだ娘だ。
友達の手を踏みにじった。ひとをばかにして、じぶんを高めようとして、踏みつけにした。ひとの弱点をあげつらい、笑いものにした。
それが、どうして地獄に落ちないわけがあるものか。
ひとを傷つけたことを忘れたふりをして、謝ることもなく、のうのうと友達面をしていたから、このような罰がくだったのだ。意地悪なディアナが、やさしいディアナに戻れるわけがなかった。つぐないもせずに、謝ることもせずに、赦されるわけがなかった。
なにかを踏みつけにしたら、地獄に落ちるのだ。
教団が実在したとしたら、わたしは裁かれるに違いない。
救いなんてない。
救いなんて、どこにもない。
すくなくとも、わたしには。
「さあ、カタリナ先生。そこで見ていてくださいね。──いま、あなたの生徒の腕を切るところですから」
恐怖がふくれ上がる。
がちゃりという刃を持ち上げる音がする。Fは、わざとその錆びた鋸を、ディアナの目のまえを通過させて持ち上げた。
わたしは、もう、助からない。
けれど、アルルは助かる。
アルルのからだは助かる。わたしの腕を使って、アルルのからだは生きていくことになる。アルルの人格はなくなってしまうけど、アルルのからだだけは、この世界に残りつづける。
それだけが、希望だった。
──でも。
ディアナはアルルの目を眺める。
なにも写していない、うつろな、黒曜石の瞳を、見つめる。そこに写るじぶんのすがたを。
鋸の刃が腕の付け根に当てられた。
──いちどでいいから、アルルと手をつないでみたかったな。
ちいさな夢が壊れるその瞬間を、ディアナは待ち受けた。
しかし、その瞬間。
アルルのうつろな目が、急激に光を取りもどす。なにを考えているのか分からない黒曜石の瞳のなかで、炎が、まっすぐな炎が、瞬時に燃え上がる。
アルルが──覚醒した。




