表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/50

36.きみがかっこいい男になるなら

 しっくりきていた。

 いままでの人生のなかで、いちばんしっくりきていた。仕立て服にはじめて袖を通したかのように、はじめたときからすでに馴染んでいた。いままでこれをやらずに人生を過ごしてきたことが、信じられないほどに。


 少女は歩く。

 少女たちの群れのなかで、歩く。

 平凡な容姿の彼女に注意を払うものなどいない。意図的に気配を殺してもいる。ゆえに、少女は透明だ。透明な少女は、少女たちの群れのなかでふっと消える。いなくなる。


 少女のすがたが現われる。

 ひとが通りすぎた廊下の陰から、少女は顔を覗かせる。油断のない目つきで辺りをすばやく観察し、即断し、足音もなく動きはじめる。


 『学校』のなかを、少女は走る。

 すでに施設内の構造図は頭に叩き込んでいる。さきほど見かけた例の男がどこへ向かっているのか、どの角を曲がり、どの階段を上がっているのか、手にとるように分かる。走るほどに気配が色濃くなってゆく。

 ときおり、別の気配が近づくと、そっと身を隠す。その教師か職員かが、少女に気づくことはできない。素人に、少女を見つけることはもはやできない。


 気配を殺した気配さえも、少女は読める。

 隠密のまなざしを器用に避け、見張りの視線を巧妙にかわし、少女はめざす男のもとへとひた走る。


 じきに、少女は男に追いつく。

 その背中を見つけた瞬間に、少女は身をおどらせて、梁のうえに瞬時に登る。それからは、梁と柱のあいだを、空中を飛ぶようにして、走ってゆく。


 通風孔を見つける。

 少女は迷いなくそのなかへと身をすべり込ませる。


 男の気配は途絶えていない。

 風の通り道を、蛇のように身をよじらせながら、少女は通ってゆく。

 開けた屋根裏に、少女は中腰で立つ。


 そこには、隠密のすがたがある。

 灰色のケープを身にまとい、埃をまとわりつかせている屋根裏の住人。少女は近づいていく。すでに後ろ手にナイフを抜きはなっている。


 隠密が、少女に気がつく。

 しかしすでに、必殺の間合いへと到達している。


 少女は、的確に隠密の肝を貫く。

 肉に刃先が埋め込まれる独特の感触。すでに反対側の手で隠密の口を押さえているから、断末魔の悲鳴は漏れない。少女は躊躇なく刃先をひねる。


 隠密が死ぬ。無力化される。

 またたくまに。


 しっくりくる、と少女は思う。

 この仕事は、ほんとうにしっくりくる。じぶんには適性がある。おそらくは、才能も。


 “姫”の推薦を受けて、“鉤爪”と呼ばれる女性に稽古を付けられた。三ヶ月間、少女は殺人と隠密行動の技術を鍛え抜いた。

 むずかしいことはひとつもなかった。

 少女のからだは、はじめからそのためにできていたかのように、自在に動いた。


 隠密の屍体を、少女はそっと下ろす。

 生まれてはじめての殺人だったが、とくに感慨などはない。死んでしまえば、屍体でしかない。関心は目標そのものにしかない。


 殺すことに躊躇も持たなかった。

 ふつうは大なり小なり抵抗を持つものだ、ということじたいを、少女はそもそも知らなかった。殺すという選択肢は、かたちこそ為していなかったが、生まれたときから常に少女のなかにあった。

 それでいて、殺しをたのしむこともなかった。殺しはあくまで目的達成の手段でしかない。必要がなければ行なわない。その点を、“鉤爪”も高く評価してくれた。


 少女は、男の気配をふたたび追いはじめる。

 魔術師Fと通称されるあの男を。そのたどりつく場所を、真実を、見極めるために。


 短い赤毛が、風に波打った。

 少女──ニーナは、いま、生きていた。


 *


「ほら。ニーナからの報告だよ」

「……驚いたな」


 俺は絶句する。

 “姫”に差し出された資料は、微に入り細を穿った、みごとなものだった。観察不足もなく、主観も交えず、ただ事実を簡潔にまとめてある。どうやって手に入れたのか分からない情報も少なくない。まちがいなく、一流の斥候の仕事だった。すくなくとも、三ヶ月まえまで農家で働いていた少女の仕事とは思えない。


「すごいでしょ。“鉤爪”は、十三歳から暗殺者にするだなんて遅すぎるなんて言ってたけど、なかにはこういう逸材もいるんだよね。相当に、おどろいていたみたいだよ。三年もしたら、十二席の一角を占めてるんじゃないかな?」

「……天才、ってやつか」


 俺は書類に目を通しながら一人ごちる。

 “姫”は女装を解いた短髪すがたで、円屋根のうえに腰掛けていた。今晩は風もない。月光を浴びる少年のような“姫”の顔は、どこかきもちよさそうだった。


『学校』に来てから、二週間が経っている。

 読み書きの授業が行なわれるほかに、炊事・洗濯・編み物や縫い物の授業がくりかえされていた。どうやら、後者の実用的な授業は、『学校』側のカリキュラムではなく、教師たちの意志から行なわれているものらしい。二ヶ月しか教えることができないなら、せめて、生活に役立つ知識を身につけていってもらいたい。そういう願いがこもった授業だった。

 しかし──この報告書に書かれているのは、その願いを真っ向から否定する真実だった。


「読んだかい、頭領殿」

「ああ」

「想像以上だね。あのFとかいう魔術師、侵してる禁忌は十や二十じゃきかないよ。道徳的観念を抜きにしたって、放っておくことはできない」

「うん。すぐに動きはじめよう。手をこまねいていたら、被害者は増えるばかりだ」


 俺のことばに“姫”はうなずく。

 報告書の内容が正しければ、この『学校』は存在していてはいけない。これ以上、子供たちを傷つけることは許してはならない。

 後宮がなぜこの『学校』をつくったのかも、例の魔術師Fがどんな役割を果たしているのかも、おおよそ想像ができた。吐き気をもよおすほどに。


「動員可能な部下の数は?」

「一二〇が、近郊に展開中だよ。いざ突入となれば、十五分以内にぼくらに合流できる」

「『学校』内部に潜入している人員は?」

「冗談。これだけ隠密の目があって、潜入できる暗殺者なんて限られてるよ。現在『学校』内部にいる教団員は三名さ──ぼくと、頭領殿と、それからニーナだ」


 やはり、ニーナか。

 俺はあの赤毛の少女のことを思い出す。


 たしか、“騎士”が連れてきた村娘だったはずだ。教団に入りたいと言って付いていて、”鉤爪”がそれを認可した。そのことじたいに異論はなかったが、まさか、そんな才能を秘めていたとは見抜けなかった。


 とはいえ──


「……ニーナは、突入には参加させるな」

「どうしてさ。貴重な潜入中の暗殺者だぜ?」


 暗殺者、ということばにかちんときた。

 俺は“姫”の目を見すえる。


「“姫”。なぜ、黙ってた?」

「え?」

「ニーナのことだ。……あんな女の子に、この暗殺者の仕事をさせるだなんて、俺は聞いていない。許してもいない。俺はあの子に教育を与えろとは伝えたけど、暗殺者として育てろなんて言ってない。仕事を与えろとは言ったけど、ひと殺しをやらせろなんて伝えてない」


 いくら教団が人員不足に悩まされているとはいえ、子供を巻き込んでいいということにはならない。子供はまっとうに育つ権利がある。こんな陰惨な仕事に関わらせていいわけがない。

 あくまでそれをするなら──教団は、ウマルの時代からなにも変わっていないということになってしまう。

 “姫”のおどろいたような顔が、次第にかたくなな表情をつくり始めた。


「いいか。教団が子供を保護するのは、暗殺者の数を増やすためじゃない。子供たちを守るためだ。俺たちがひとを殺すのは、だれもひとを殺さなくていい世の中をつくるためだ。そのために、俺たちは戦って──」

「かん違いすんなよ、頭領殿」


 “姫”の語気に、俺は顔を上げた。

 いつしか“姫”は立ち上がっている。背にした月を、うつくしいからだのラインが影絵のように切り抜いていた。


「あの子はね、”保護”されたんじゃない。”志願”したんだ。みずから望んで教団の門を叩いた。じぶんを暗殺者にしてくれ、と言ってね。

 きみも“鉤爪”も、おなじことを言う。

 こんな子供に、こんな仕事をさせるわけにはいかない、なんて。つまらない一般論にいつまで縛られてるつもりだよ。才能があって、適性があって、理想があるなら──教団の団員として、志に生きる自由はあるんだ。

 あの子の自由を、かんたんに取り上げるつもりかよ」

「──」

「あの子のことを知ってるか? あの子の話を聞いたか? ぼくは聞いたぞ。あの子がもともと村に流れついた戦災孤児で、ひとからものを奪って生きることしか知らなくて、村が面倒を見切れずに殺されそうになってたことを。そこで、いまの両親に拾われたってことを。三年が経って、はじめてふたりをお父さんお母さんと呼べるようになったばかりだったことを。なのに、またふたりを奪われてしまったってことを。

 あの子は、怒ってた。

 すべてを奪う人間がいるってことに。子供たちが幸福を認められないことに。ずっとずっと、怒ってたんだよ。

 だから、志願した。

 教団に、因果応報に、おのれを捧げることを、じぶんで選んで決めたんだ。

 その決断の重さを、頭領殿、きみは理解していたのか? 理解したうえで、あの子をまだ『あんな女の子』って呼ぶつもりなのか?」


 知らなかった。

 俺にとって、あのニーナという子は教団で拾った子供以外のなにものでもなかった。守るべき頭数としか見ていなくて、あの子の意志がどこにあるのかなんて、確認しようともしなかった。殺人に関わらない仕事をさせて、教団で生きるちからを身につけさせることができたら──また、街に戻してやる。俺が考えていたのは、そのていどだ。


 “姫”は、俺の顔をまっすぐにらみつけた。


「ぼくがきみに、あの子のことを黙ってたのはなぜだと思う? きみがいつまでも甘っちょろいからさ。しかも仲間に対して、甘っちょろい。それが許せない。

 きみ、最初に死ぬのはじぶんだって決めてやがるだろ?」


 図星だった。

 いざとなれば、じぶんがいちばん最初に死ねばいい。教団の誰かが死ななければならないなら、それはじぶんでいい。この教団に道を示すのは俺だ。つまり、道を誤ったのも俺の責だ。その責任を、俺はだれかに押し付けたくなかった。だから、死ぬとしたら俺がいちばん最初だと、そう決めていた。あの“勇者”戦のときもそうだった。

 返すことばもなくて、俺はうなずく。


「ほらな。ふざけんなっつの。

 なんのための頭領だ。なんのための教団だ。頂点に立つ者の責任ってのはね、死ぬ覚悟を持つことじゃないんだよ。したがった人間が死んでいくのを見つめながら、歯を食いしばりながら、それでも生きる覚悟を持つことなんだよ。死ぬのは、ぼくら部下の仕事だ。ひとの仕事を奪ってんじゃねえよ。

 そもそも──子供子供っていうんなら、きみもよっぽど子供じゃないかよ」

「いや……それは、まあ」


 俺が十七歳の記憶を持って転生したということは、クロエ以外知らない。

 将来なにが問題となるか分からないので、いまはだれにも伏せておこうという話になったのだ。


「ほらな。

 子供を巻き込むなっていうんなら、きみだってそうだ。

 だいたい”鉤爪”のやつがいけないんだよ。こんな子供を直観で頭領なんかに祭り上げて、みんなで責任おっかぶせて。この子はこの子でずーっと肩肘張って。かわいそうだとは思わないのかよ。

 あーもう腹立つなァ」


 ”姫”が短い髪をわしわしと掻きむしる。いままでの余裕めかした態度からは想像もつかないような態度だった。”姫”とはこういうひとだったのか、と新鮮な驚きが俺のなかにこみ上げる。


「よーし分かった。これからぼくは、きみを子供扱いする」

「は?」

「年齢相応に扱うってことさ。きみは十三歳の、生意気なクソガキなんだから、そういうふうに扱わせてもらう。頭領扱いなんてもうしてやんないぞ」

「え……それは困る……」

「困るんなら、実力でぼくに認めさせてみな」


 ”姫”の指が、びしりと俺に突き付けられた。


「ただし、任務しごとなんかじゃ認めてやんない。一人前の男になりたいなら、ぼくを女の子にしてみせな」

「え――?」

「きみがかっこいい男になるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()ぜ」


 ”姫”が挑戦的に笑った。

 俺は思い出す……両人ティエスは、じぶんの意志で最終的な性別を決められるのだということを。女装さえしていなければ少年のように見えるこの“姫”が、ここ二週間で男友達のような距離感を覚えていたこの“姫”が、俺のために、女の子になる。


 想像が、みるみるうちに恥ずかしさを呼び覚ましてくる。きれいにととのった横顔が、長い睫毛が、すらりと伸びた首すじが、急に、見ていられないものへと変容する。俺は顔をそむけた。


「どうしたどうした、少年アザム。

 急に意識しはじめちゃったかんじ? ロクサーヌさんがかわいく見えてきちゃったかな? 困ったなーちょろいなー、童貞くんはこれだからなー」

「……からかうなよ」

「いーや、からかうね、からかうとも。大人きどりの生意気くんは、からかわれるのが正しいのさ。ほら見てみ、すくないけどおっぱいだよ」

「……っ! ばっかおまえ……!」

「くふふーばかだなーばかだなー、がきんちょだなー、真っ赤になっちゃってなー」


 “姫”はたのしそうにころころと笑った。

 月光が、そのすがたを照らしていた。


ストックが尽きたので、しばらく不定期更新になります。

すみません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ