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35.Fという魔術師

「どういう、こと……?」


 俺は訊く。

 演技ではなく、ほんとうに意味が分からなかった。あの意地悪な子が? なぜ俺を? いぶかしんでいると、どこからともなく「ゆりっ!」という声が聞こえた。”姫”が陰から見ていたようだ。あの野郎。


「だから! 勘違いしないでって言ってるの!」


 ディアナは声を荒げる。


「わたしはべつに、あなたなんかと友達になりたいわけじゃないんだから! いくらあなたがずっとひとりぼっちで腕もなくて可哀相だからって、そんなのわたしには関係ないんだからね! 健康診断でなにか見られたくないものがあったのかな、とか、夜不安で眠れなかったのかな、とか、べつにそういう心配してたわけじゃないんだから!」


 えっ、なにこの子。

 めちゃくちゃいい子じゃん。思ってたのとなんか違う。


「……わたしのこと、嫌いなんじゃないの?」

「嫌いよ! 嫌いって言ってるの!」

「あ、そう……」


 よく分からないが、この訊き方ではだめなようだ。

 俺はすこし考えて、


「……あのね、ディアナちゃん」

「なによ棒きれ! 気やすくなまえ呼ばないで!」

「ありがとう。すっごくうれしい」


 俺はにこっと笑いかけてみせる。

 ディアナはしろい肌を真っ赤に染めて、「ふん!」と顔をそむけた。


「なによそれ! 意味分かんない! ……まあ、あなたがそんなにいうなら、べつに友達にぐらい、なってあげてもいいけど?」


 べつに俺なにも言ってないけど。


「ありがとう。でも、どうして友達になってくれるの?」

「べ、べつに! ちょっと腕ふんづけたのは可哀相だったかなーとか、そこまでやる必要はなかったかなーとか、あれで傷ついてたらどうしようーとか、わたしのこと嫌いになっただろうなーとか、せっかく同い年ぐらい子が入ってきたのに友達になれないのかなーとか、わたしがあんな態度とったせいであの子がいじめられたりしたらどうしようーとか、わたしどうしていつもこうなんだろうなーとか、思ったりしたわけじゃないんだから!」


 すっごい説明してくれた。

 どうやらこの子はとんでもないお人好しで、とんでもなく素直な、いい子であるらしい。ひとは見かけによらないとはこのことだ。

 俺はちょっと笑ってしまう。


「な! なに笑ってるのよ!」

「だって。ディアナちゃん、そんなにいい子だと思わなかったから」


 ディアナの顔がぼっと赤さを増す。

 俺はこみあげるおかしさを押さえつけて、姿勢を正した。


「じゃあ、ディアナちゃん」

「なによ、棒きれ」

「わたしと、友達になってください」


 手を差し出して、俺は頭を下げた。

 ディアナはまた顔を逸らし、眉根を寄せながら、


「……わたしの言うことは、絶対だからね」


 なまいきなひとことと共に、俺の手をとった。


 *


 さいしょの授業は、手元の石板にじぶんのなまえを綴るところから始める。これがカタリナのやり方だった。子供たちはそれぞれに与えられた蝋石をつかって、黒い板のうえに、さきほど習ったばかりのじぶんのなまえを綴っていく。ちいさな手が、不器用に蝋石をつまんでいるさまを、カタリナはほほ笑みながら見つめていた。


 文字を知らない子供にとって、いちばん関心がおおきいのが、なまえの綴り方である。

 なまえを書けるようになれば、街で署名を求められるたびに、三角だとか輪っかのような記号でお茶を濁すこともなく、堂々とふるまうことができる。劣等感を抱かずに済むのだ。

 劣等感からの脱却。

 これが、教育を得ることによる第一の利益だ。カタリナはそう信じていた。


「D、I、N……」

「違うよディアナ。Iの後はA。Nだとディーナになっちゃうから」

「Aってどれよ」

「ほら、いちばん左に書いてあるやつ」


 アルルが教室前方のおおきな黒板を指さして、ディアナが目をすがめてそれを見る。アルルは、もとからあるていどの字を知っていたのだろう。ディアナのほかにも、何人かの少女が、ディアナに質問を投げかけていた。

 いつの間に、アルルとディアナは仲良しになっていたのだろう。カタリナは正直おどろいていた。このあいだ見たときには、あんなにぴりついた空気を出していたというのに。


 子供たちは、ほんとうにふしぎだ。

 ふしぎで、そして、すばらしい。


 悪戦苦闘するディアナに、横から助言するアルルを見ながら、いつしかカタリナは目を細めていた。


 と。


「カタリナ先生」


 教室の扉が開いて、校長が顔を覗かせた。

 小市民らしい遠慮深そうな顔立ちの、中年男性だ。カタリナが着任したときにはすでにここにいる。ふだんは授業を受け持たず、ときどきやってくる「お客様」の応対や、その他の事務手続きに追われている。

 額ににじんだ汗をハンカチーフで拭き取りながら、校長は続ける。


「夫人がたが、ご見学にいらしたよ」


 来た。

 カタリナは背をわずかに固くする。

 校長のあとにひきつづいて、目元に仮面を着けた、豪奢な服装の女性たちが、つぎつぎと教室内に入ってくる。子供たちの視線が、場違いな貴婦人たちを興味深そうに見つめる。


 夫人がたは、色とりどりの扇で口元を押さえ、その上部からつまらなさそうな視線を教室へと投げかけた。

 子供たちと目が合うと、憤慨したように鼻息を鳴らす。

 身分がひくい人間は、じぶんたちの目を見つめるだなんて不作法な真似はしないものだと、頭から決めつけているかのような、その表情。


 そして──

 派手な色の衣装にまぎれて、不釣り合いなほどに黒い、喪服すがたの男が現われる。病的に痩せ、ひょろりと背が高く、まぶかにかぶった頭巾フードの陰から、黄色く光る鮫のような目があたりを睥睨する。

 カタリナはぶるっと身を震わせた。


 夫人がたは、この『学校』の出資者スポンサーなのだと言う。みな、高貴な身分を持つ篤志家だが、意向によりその家名は明かされていない。貴族の義務ノブレス・オブリージュと若き芽にたいする同情心からうごいているだけなのだと説明を受けたが、それにしては、不自然なことが多かった。


 なぜ、夫人がたは子供たちをあれほど冷たい目で見ているのか。

 なぜ、夫人がたは教室をけがらわしい場所のように扱うのか。

 なによりも──

 なぜ、夫人がたはあの死神じみた男を連れているのか。

 

「今週は、外れが多いわね」

「あの金髪は悪くないわ」

「黒髪もなかなかね」

「でもご覧になった、あの腕?」

「片腕ね。……ぞっとするわ、あんなのが器になったらと思うと」

「縫物はできるのよね、F?」

「──さしつかえないでしょう」


 ひそひそと、無遠慮な品評のことばが交わされる。まるで、農家が豚をえらんでいるかのような、つめたい響き。子供たちが面食らっているのがわかる。カタリナは手を叩いた。


「ほらみんな、手が止まってるわよ!」


 子供たちは石板へと戻っていく。

 しかし先ほどまでの集中力はすでにない。ちらちらと貴婦人がたを見つめ、緊張をその細い背に走らせている。


 夫人がたは、ときおり、子供たちを引き取っていく。

 選ばれるのは、眉目秀麗で、傷ひとつない、うつくしい少女ばかりだ。痩せたからだが血色を取り戻し、飢えと貧困がその顔から消え去ったころになると、夫人がたの食指が動くようだ。

 なんのために、と校長に問うたことがある。校長はこう説明した──夫人がたは、子供に恵まれない貴族たちに、孤児を斡旋している。あのFとだけ呼ばれる”先生”は、その仕事を担っているのだと。


 そうは思えなかった。

 我が子のように可愛がる相手を探しているようなまなざしには、とても思えなかった。カタリナは、子供たちは召使いとして引き取られているのだと思っていた。そこまでひどい扱いは受けていないと信じたいが──実際のところ、どうなのかは分からない。


 Fの目が、アルルを捉えている。

 アルルは怯えるでもなく、その目を、じっと見返している。黒曜石のように光るその瞳が、なにを考えているのか、カタリナには分からなかった。


「……先生」


 Fがカタリナに声を掛けてくる。

 耳元で軋るような声が響き、カタリナは肌が粟立つのを感じた。


「ここにいる子供は、一週目でしたな」

「ええ」

「では、判断するにはいささか早い」


 Fがふたたび、アルルに目を向ける。


「……当て布を見つくろっておかなければ」


 黄色い瞳が、ぎらりと不気味にかがやいた。


 *


「あれが、後宮の諸公夫人連中か」

「そうだね」

「鍵はあの男だな。──Fと呼ばれていたか。なにか情報は?」


 “姫”が肩をすくめた。


「個人情報については、まったく。どういう身分の、どういう立場の人間なんだか、まるで検討もつかない。全身が例の黒いマントに覆われてて、しぐさもほとんど観察させてもらえないから、出身や身分を推定することもできないね」

「Fという名に、こころ当たりは?」

「それもなし。……でも一個だけ、部下に後宮の噂を集めさせていて、分かったことがある」

「なんだ?」

「あのFという男、魔術師らしい」

「……魔術師?」


 おかしい。

 以前リュリュに聞いた話によると、人間の魔術師はほとんど残っていないはずだ。数少ない何人かを帝国が集めて、魔導兵器の研究をしていることは知っていたが──大公国が、魔術師を保有しているという話は聞いていなかった。


 魔術師とよばれる人種は、そのイメージに反して「あらゆる魔法を自在にあやつる」というものではない。ひとりの魔術師が備えている魔術はおおくの場合、たったのひとつきり。なかにはリュリュのように、家という媒体に残留させた母親の魔術を行使することができるものもいるが……それでも、じぶんが持つ魔術がひとつであることに変わりはない。リュリュの場合なら、治療魔術がそれに当たる。

 そのような制限があったとしても――魔術師が、おそろしく強力な存在であることに変わりはない。軍が手にすれば、それこそ戦局をくつがえしてしまうほどに。

 たとえばリュリュの治療魔術を軍が得たら、戦線離脱する兵がどれだけ減ることか。損耗率を考えずに突っ込める軍隊となれば、それだけで取れる戦術は飛躍的に増加するだろう。


「大公国に、魔術師が?」

「そう、おかしいんだよね。魔術師なんて貴重な存在がいるなら、大公国の戦局はもうすこし好転しててもおかしくないはずだ。大公国軍に魔術の気配がないってことは、後宮が魔術師を囲い込んでるってことに他ならない」

「ありうるのか?」

「なくはないかな。あの後宮は、大公国政府とはまったく切り離された政治を持つ、ある種の魔窟だもの。さすがのぼくも、ぜんぜん勃たないよ」


 “姫”は盗み出してきたらしきブランデーをちびりと舐めた。


「それよりも解せないのは、あの魔術師がどうして後宮なんぞに囲われているかってことだ。本職の魔術師なら、大公国軍に公然と雇われたほうがよほど金になるのに」

「なぜだと思う、頭領殿?」

「さてな。後宮とつながりを持っていたい事情があったか、後宮でしか役立たないような魔術を持っているのか──なんにしても、あのFという魔術師がこの『学校』のなにかを担っていることは、まず間違いない。あの男に部下を貼り付けることはできるか、“姫”?」


 むずかしいだろう、という答えが返ってくるものと思っていた。あれだけの数の隠密が、Fの周りにはいるのだから。

 しかし、案に反して、”姫”はブランデーを煽りながら、にやりと笑いを返してくる。


「ひとり、適任がいるよ」

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