34.勘違いしないでよね
「まず、この『学校』は大陸北部、大公国から南の渓谷を挟んだ荒野に存在してるみたいだね」
”姫”が手のひらほどの大きさに畳まれた綿布を広げる。
うすい布地にていねいな筆致で描かれていたのは、大陸全土の地図だ。”姫”の爪がきれいに磨かれた指が、荒野の一点を指さす。大公国から見ると南側で、帝国との戦線に近い側だ。
人里から離れているとは思っていたが、それにしても僻地だった。
「……補給はどうしてる?」
「自給してる様子はないね。おそらく、大公国の前線補給基地から横流しされてるはず」
「じゃあ、裏には大公国が?」
「いや。そこまでの規模じゃないよ」
”姫”は立て膝で伝法に座り直した。
女装を解くと、しぐさもどこか少年ぽくなるのが面白い。
「ここにいる人数は、子どもたちと大人たち合わせても数百人ていどに満たない。建物はごりっぱだけど、組織じたいはたいした規模でもないね」
「その割には、ずいぶんな警戒に見えるが」
「お、頭領殿も気づいたんだ?」
カタリナ先生に案内されて歩いたときには見かけられなかったが――この建物には、隠密の気配がする。
俺たちのような暗殺者ではない。
ただよっているのは殺気の残滓ではなく、警戒のにおいだ。見張りを任に課せられたものがただよわせる、うかがい見るような視線のにおい。
「大公国政府に、隠密はいるのか?」
「政府は諜報機関を持っているけど、彼らの仕事は情報の集約と分析が主だよ。これだけの水準で気配を殺せる連中は、あの機関にはいない。いるとしたら……」
「いるとしたら?」
「大公国の後宮だろうね」
後宮。
そのことばでイメージするのは、権力者の性の花園だ。数多くの美女が集められ、華やかで淫靡な性の饗宴が日々くりひろげられる。しかしその裏では、日夜女同士のどろどろとした争いが巻き起こっている。そういう印象。
「おや、ハーレムって聞いてエロい想像してるね?」
「し、してねえよ!」
「え、うそ? しないのエロい想像? 童貞のくせに?」
「どどどどど童貞じゃねえし!」
「うわ、ほんものの童貞の反応じゃん。すごい、初めて見た。でもいいよねえ、ハーレム。たくさんの美女をはべらせて、朝から晩まですきほうだい……ぼく王様になろうかな」
ほんわりとした顔でよだれを垂らす”姫”に、俺はでこぴんを食らわせた。
「痛った!」
「本題に戻れ」
「これだからクソ童貞は嫌いなんだよ……泡風呂いけよ……」
ぶつぶつ言いながらも、”姫”は話を続ける。
大公国における後宮は、いわゆる「王様の寵姫の住居」という一般通念とはすこし違う、らしい。集められているのは大公の寵姫ではなく、その部下である諸公の妻子らなのだ。
大公国とは、そもそも諸公らの代表である大公によって治められている国だ。大公は王や皇帝といった連中にくらべ、君主としての格は一歩落ちる。絶対的権威を持たず、あくまで公たちの代表であるにすぎないから、公たちの忠誠もさほど強くない。
「いざ不適格と見做されたら、じぶんは殺されてしまうかもしれない。
先代の大公がそれを恐れて、ある制度を敷いたんだ。それが、後宮詰め制度。諸公らの妻子は後宮に詰めて、大公夫人の側仕えとして働く義務を課せられる。名目は側仕えだけど、事実上の人質だよね」
「なるほど」
江戸時代の日本でも、たしかおなじようなことが行なわれていたはずだ。
いわゆる参勤交代は、その妻子に会いにくるためでもあったらしい。どこの世界でも、権力者はじぶんの保身のために知恵を凝らすものだ。
「……で、どうしてその後宮に隠密が?」
「後宮にいる諸公の妻子たちが、じぶんの身を守るために隠密を故郷から連れてくるのさ」
後宮は女の世界だ。
基本的には男子禁制となっており、閉鎖性が高い。そこで起きた事件は、後宮内部だけでこっそりと解決される。それゆえ、事故に見せかけた殺人などは年に何件も起きている。後宮内では、じぶんの身はじぶんで守るしかないのだ。
「じゃあ、その隠密がこの『学校』にいるってことは――」
「この『学校』には、後宮の人間が絡んでるってことだね。……頭領殿も、数日中には彼女らを目にすることになるよ」
「彼女ら?」
「諸公夫人たちさ」
*
「はーい、じゃあみんなおとなしく並んでねー」
下着すがたの子供たちが、カタリナのことばに「はーい」と明るい声を返す。年もさまざまだが、少女たちは明るい声でおしゃべりをしている。まだ互いに出会ったばかりのはずだが、少女たちの順応はおどろくほどに早い。
かわいらしい少女たちのすがたに、カタリナの頬はしぜんとほころんだ。
ここにいるのは、ここ一週間のうちに『学校』にやってきた少女たちだ。
『学校』に到着した少女たちは、まずさいしょに健康診断を受ける。栄養状態がすぐれていない子、病気をわずらっている子が、すくなくないからだ。身長体重の計測から始まって、少女たちは医師の診断を受け、薬をあてがわれたり、適切な食事量の助言を受けたりする。娼館に売られて日の経った少女などは、性経験の有無が問われ、その治療も行なわれていた。
そして、この『学校』に在籍しているおよそ二ヶ月のうちに、健康状態を取り戻すべく気を付けるのだ。
健康でなければ、いくら知識を得たところで、社会で生きていくのは難しい。この『学校』で衣食住の面倒を見るのは、心身ともに傷ついた女の子たちを、その両面から癒やしていくためでもあった。
カタリナは、少女たちを見まわす。
今週あたらしく仲間入りしたのは、三〇人程度だった。先週よりもすこし多い。この『学校』では、少女を毎週のように受け容れていた。しかし教師や職員の数には限りがあるから、面倒を見ることができる人数は限られている。期間を二ヶ月と区切っているのも、やむをえない事情なのだ。
毎週、数十人の少女がやってきて、その代わりに数十人が卒業していく。卒業した少女たちは、”教団”の斡旋によって、大公国の都市に職を見つけて独り立ちしていくのだ。
そのくりかえしに、カタリナも慣れつつあった。
ふと、カタリナはあのアルルという少女を見つけた。
下着すがたで人前に立つのが恥ずかしいのか、下着すがたの友達を見るのが恥ずかしいのか、アルルは耳を赤くしてうつむいていた。
服を着ているときには気付かなかったが――アルルの左腕は、木でできた義腕だった。歩くたびに揺れるそれを、アルルは右手で押さえつけている。片腕での生活に慣れているというようには見えなかったから、さいきんうしなったものなのだろう。
かわいそうに、とカタリナは思う。
あんなにかわいらしい子なのに、あれでは選ばれることはまずないだろう。例の夫人たちは、完璧な子を選びたがるから。
「アルル。調子はどう?」
「あ」
カタリナは声を掛けていた。
アルルはいっしゅん顔を上げて、すぐにまた顔を伏せる。
「ごはんは食べられてる? お友達はもうできたかしら」
「……はい」
アルルの視線が、ちらりとディアナを見る。
ディアナはいらだったような目でアルルを睨み、ちいさく舌打ちをしてみせた。ふたりが仲良しの友達であるようには、とても見えない。
どこの世界でも、意地悪をする側とされる側というのは存在してしまうものだ。カタリナも、子供時代は後者の側だった。それだけにこのアルルという女の子には同情を寄せてしまうが――かといって、子供どうしの問題にうかつに大人が介入するのは、逆効果になるおそれもある。教師という立場上、ある子供を特別あつかいすることもはばかられる。
「……なにか困ったことがあったら、いつでも相談してちょうだいね」
カタリナにできるのは、そう言うことだけだった。
*
健康診断が終わると、宿舎に戻る少女たちの群れから、俺はこっそりと離れた。回廊の陰にはすでに”姫”のすがたがあった。
「……書類改竄はできたか?」
「ん。侵入させた部下のひとりにやらせておいたよ」
健康診断の内容は、緻密のひとことに尽きた。
身長、体重などの計測に始まり、血液を採っての検査、問診、流行病の罹患の有無の確認、全身の状態確認、性器の状態確認にいたるまでが行なわれた。後半は発覚のおそれがあるため、俺たちはこっそりと行列を抜けたのだ。
とうぜん医師の書類に空欄箇所が生まれてしまうから、それを埋めるように俺は指示をしたのだった。
「しかし、念の入った検査だったな」
「まるで、宝石にごくごくちいさな傷がないか、確認するみたいにね」
宝石の検査。
その喩えがしっくりときて、俺はうなずいた。
ひとところに集められてみると――なかなか、異様な光景だった。
少女たちは、ほとんどが絶世の美少女ばかりだったのだ。染みひとつない滑らかな肌に、うつくしく豊かな髪を持ち、彫刻のような造形の目鼻立ちを備えている。このあいだのディアナも、相当の美少女だった。
「完璧なものでないと許さない。そういう、偏執狂的なものを感じる検査だったね」
「……たんなる娼館というわけでもなさそうだな」
「だね」
この『学校』が娼館であるという推測は、かなり初期段階に”姫”と検討したものだった。
以前リュリュを拾った「背徳の館」のような、異常性を持つものであるのかもしれない。それとも、上流階級がその欲望を満たすために、機密性を高めているのかもしれない。なんにしても、教団の名を騙って少女たちを集めているからには、その可能性がいちばん大きい。そう思ったのだ。
だが、そうでないとすれば――。
「後宮の貴婦人たちが関わっている。そこになにかあるな」
「きなくさいよね。……お」
”姫”の声に顔を上げると、回廊をディアナが歩いてきていた。
きょろきょろと見まわして、誰かを探しているらしい。
「じゃ、ぼくは消えるね」
「いや待て、俺も」
「きみの彼女だろ。しっかり落としてこいよ」
どん、と背中を押されて、俺の体が柱の陰から飛び出る。
ディアナの視線がばっちりと俺を捉えた。焦って”姫”を見やるが、すでにそこにすがたはない。
くそ、はめられた……。
「棒きれ!」
ディアナが尊大な口調でずんずんと近づいてくる。
いまとなってはすがたを消すわけにもいかない。俺はあきらめて、金髪のふたつ結びが揺れながら近づいてくるさまを、怯えた表情をつくって待ち受けた。
「あんた、なんのつもりよ」
「な、なにが……?」
「とぼけないで。さっきの健康診断、途中で抜けたでしょう?」
じぶんの表情がさっと固まるのが分かる。
見られていた……? いやまさか。俺と”姫”とは陰から感じる隠密たちの視線を盗んで、検査の瞬間だけうまく抜け出せたはずだ。それまでにすこしずつ気配を希釈して少女たちの注意を向けられないように気を付けていたし、終わったあとにはすぐに戻っていたから、少女たちにも大人たちにも気づかれるはずがない。
「どうして……?」
「なぜ、気づいたのかって? ずっとあなたを見てたからよ」
ずっと、だって?
「だいたい、あなた最初からおかしいわ。怯えてるふりしておきながら、目はずっとわたしのことを観察するように見ていたし。片腕のくせに、いやに歩き方に迷いがないし。途中から言動もおかしくなったし」
最後のはまあ、しかたない。
「深夜にも、ベッドから抜けたでしょう?」
「……」
「どうしてバレたのか、って顔ね。別に抜けるところを見てたわけじゃないけど、夜中にあなたのベッドは空になってた。毛布が丸めて詰め込んであったから、ぱっと見では分からなかったけどね」
そこまで気づかれるとは。
俺の手のひらに汗がにじむ。
誤算だった、としか言いようがない。俺たちの警戒は気配を殺して視線を向けてくる隠密たちと、大人たちに向けられていて――まさか、子供に気づかれるとは、想定もしていなかったからだ。
「……どうして?」
「なにが?」
「どうして、わたしを見ていたの?」
俺は訊いた。
答えによっては、口を封じなければならないかもしれない。もちろん傷つけるつもりなど毛頭ないが――この『学校』から脱走した風に見せかけて、部下に連れ出させる必要が出てくるかもしれない。そうなればおそらく『学校』の警戒は強まるから、俺たちの潜入任務もここで打ち止めとなる。
俺はいつでも踏み込めるように、足の位置を入れ替えた。
――が。
「……べべ、べつに、好きで見てたわけじゃないんだからね! す、す、好きっていうのはそういう意味じゃないんだから! かか勘違いしないでよね!」
返ってきたのは、予想もしない答えだった。