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33.いやーやめてー

 『学校』は、想像以上に大規模だった。

 俺はカタリナ先生の後について回廊を歩いていく。以前は神殿として用いられていたのか、白亜の柱が幾本も立てられた回廊は、見上げるほどに高い天井を備えていた。


 正確な場所は分からない。

 ここに連れてこられたときの馬車は窓が設けられておらず、まるで虜囚を運ぶ護送車のようなつくりになっていた。外の風景から、この建物が大陸上のどこに位置しているかを特定することはできない。

 とはいえ、”姫”のことだ。すでにこの建物の位置ぐらいは特定できているだろう。俺が気を回す必要もない。


 俺が拾われたのは、大公国内の都市の一画だった。

 教団員を名乗る男が、慣れたようすで娼館に現われたのだ。

 男はあちこちの娼館を渡り歩いては、そこで働く少女たちに声を掛けていたらしい。「教団は、きみたちを救いに来た」「衣食住が保証された場所で、勉強をすることができる」……実際に聞いたそのことばは、まさに甘言というにふさわしい、粘着質で押しつけがましい響きを持っていた。”姫”の情報通りだ。

 だが、少女たちにとっては、地獄にさしのべられた蜘蛛の糸に他ならない。教団の評判も相まって、彼女らはわれさきに男へと付いていくべく手を上げていった。


 驚いたのは、男が「身売りされた少女」も拾っていったことだ。娼館に「じぶんの代金」という借金を持っている少女を身請けするには、最低でもその分の補償金を支払う必要がある。せいぜい十代はじめの売られたばかりの子供たちがほとんどで、補償金も馬鹿にならない金額になるというのに、男はつぎつぎと子供たちを集めては馬車に乗せていった。


 相当の資金力と、相当の組織力を背景としているはずだ。

 この『学校』という施設の裏は、おそらくかなりおおきい。


 回廊を通り過ぎ、ひんやりとした屋内を歩いていく。

 広い建物ではあったが、使われている部屋はかなり限られているらしい。打ち捨てられた神殿を、おそらくはそのまま使っているのだろう。建築や歴史の知識があれば、柱廊の飾りや意匠からこの神殿の名を特定することもできるのだろうが、俺には無理だ。ただ呆けたように、高い天井を見上げることしかできなかった。


「ここよ。みんなと仲良くね」


 たどり着いた『宿舎』は、かつて修道士たちが暮らしたのであろう、質素な大部屋だ。写本用の書見机が手前に集まり、奥の壁面には木製の粗末な二段ベッドがいくつもしつらえられている。

 そのベッドのなかから、女の子たちがそれぞれに顔を出してきた。

 カタリナ先生の言う通り、年齢はまちまちだ。ちいさい子は六歳前後に見えるし、俺と同年代らしい十二歳ぐらいの子もいる。

 そして見事に──女の子ばかりだった。


「……」


 カタリナ先生が去ってしまうと、俺はどうしていいか分からなくなった。女の子の値踏みするような目にさらされるのは、いつまで経っても慣れないものだ。しかも、いま俺は女装中ときている。

 正直、気が気ではない。


「あんた、名前は?」


 やがて、しびれを切らしたようにひとりが声を掛けてきた。不愉快そうな声だ。


「……アルル」


 気弱な少女で口数がすくない、という設定を思いかえしながら、俺はちいさな声で言う。まだ声変わりこそはじまっていなかったが、あまりしゃべるとさすがに露見しそうだったからだ。


「ふうん」


 声をかけてきた金髪の少女がじろじろとこちらを睨めつける。十四歳くらいで、髪を両脇でふたつ結びにしていた。うしろには体格のいい女の子をふたり連れていて、いかにもいじめっ子らしい見た目だ。

 てっきり名乗りかえしてくれると思っていたのに、金髪少女は侮蔑の目で俺の全身をながめ回しているばかりだ。


 どこか、変だっただろうか。

 やはり、俺の女装ってのは無理があったんじゃなかろうか。

 そんな懸念がじわじわと鎌首をもたげてきはじめたころ──


「なんなのあなた。よく見たら片腕じゃない」


 金髪少女が俺の左腕を指して言う。

 球体関節腕は、あまりに精巧すぎて怪しまれる可能性があったため、置いてきている。いまの俺の左腕は、腕の形を模した木の棒にすぎない。とうぜん、意志のとおりに動いたりもしない。


「あ──」


 俺は、恥じたようにじぶんの左腕を隠してみせる。

 こうしたほうが、周りの注目は左腕だけに集まって、俺の女装すがたの違和感もまぎれてくれるだろう。案の定、金髪少女が乗ってきた。


「なあにこれ。ただの棒きれじゃない、みっともない」

「ああっ」


 金髪少女が俺の左腕をつかみ上げて、空中で落としてみせた。重力のままにただ落ちるだけの義腕に、金髪少女はにやっと嗤った。ふたりの連れも追従の笑いを浮かべる。

 俺はよよよとばかりに床にくずれ落ちてみせた。気分は継姉にいじめられるシンデレラだ。ほかの女の子からの憐憫のまなざしを受けるのがちょっと楽しい。


「新入りのくせにいい気になったりしないことね。ここの宿舎にはルールがあるの。このわたし、ディアナに逆らわないこと、とかね」

「そんな、わたし──」

「黙ってなさい」


 ディアナが義腕の手の甲を踏みつけてきた。


「いや、やめて……!」

「あなたがしゃべると腹が立つのよ、()()()。──ちょっとかわいいからって、調子に乗らないことね」


 俺は歯を食いしばって屈辱に堪える演技をする。

 ひどい……ひどすぎる……わたしはこんなに不幸な目に遭ってきたのに、ここでもこんなに虐げられるのね……などとじぶんに言い聞かせて、目尻から涙をにじませた。誰も助けてくれないの、というような調子で周りの女の子を見回す。女の子たちはつぎつぎと目を逸らしていった。


 そこで気が付いた。


 あっ。

 “姫”おるやん。


 “姫”は粗末な服に着替えて、女の子のなかに溶け込んでいた。いつもの派手な雰囲気はみじんもない。ベッドに横になった姿勢で、頬杖をついてニヤニヤとこちらを眺めている。


 見られてた。

 めっちゃノリノリで演技してたところ。


 俺のなかに、今度はほんものの羞恥がこみ上げてくる。


 “姫”は口をぱくぱくさせてこちらになにかを言っている。読唇術で読みとると、その口が言っていたのは「いやー、やめてー」だった。


 いやー! やめてー!


「これに懲りたら、この宿舎にいるあいだはわたしに逆らわないことね」

「あ、すみません、もうそういうの大丈夫です」

「は? あなた誰に口を利いて──」

「いやもうほんと。それどころじゃないんで。勘弁してね。なんかごめんねまじで」


 そそくさと立ち上がり、唖然とした表情のディアナや女の子たちのあいだを抜けて俺はじぶんのベッドへと進んでいく。


 顔は真っ赤になっているだろう。ニヤニヤとした“姫”の視線はまだ感じる。


 うわーうわー!

 やめろー!

 殺せー!


 俺はベッドに倒れこむと、枕に顔をうずめて人目はばからず足をバタバタさせるのだった。


 *


「そんな、わたし……!」

「やめて」

「いやっ……! やめてっ……!」

「ゆるして」

「わたしは薄幸の美少女っ……!」

「それは言ってない」


 大仰な再現演技をしてみせる“姫”に、俺は死んだ目で答える。あれから半日経って夜になったというのに、まだ許してもらえていなかった。


「いやー、ほんと面白いわ頭領殿。これはみんなにも教えてやらなきゃ。“鉤爪”とかどんな顔するのかね」

「ほんと、かんべんしてください」


 すでに“姫”にはいくつもの弱味を握られている。

 これ脅迫されたら俺もう破滅するんじゃないのかな。


 女の子たちが寝しずまった深夜に、俺たちはそっとベッドを抜け出して屋根のうえへと集合していた。

 地上十メートルの半球状の円蓋は、通常なら人間の登れる場所ではないし、地上からは死角になって発見されるおそれもない。風音で声もかき消されるから、暗殺者どうしの密談にはうってつけの空間だった。


 しかしこれ密談でもなんでもない。


「でもあのディアナちゃんもかわいかったねー。あれ嫉妬でしょ」

「そうなのか?」

「うん、じぶんよりきれいな女の子が入ってきたから、なんとか粗探ししようとしてたじゃん。かわいいわーけなげだわー勃つわー。むりやりぶち込んで泣き顔見たい」

「おまえほんと最低のクズだな」


 俺があきれ果てて言うと、“姫”は「最高のほめことばだね」と笑ってみせた。

 化粧を落とし、かつらを脱ぎ捨てて短く刈り込まれた地毛を露わにした“姫”は、美少年にも見える。その笑みの妖しい魅力にふと胸を突かれて、俺はあわてて目を逸らした。


 “姫”ロクサーヌは両性を持つ、この世界でもきわめて稀少な人種──両人ティエスである。

 両人は中性的な美貌を持ち、性的な特徴を外見からは見てとることができない。“姫”も同じだ。男装をすれば美少年に、女装をすれば美少女に見える。本人は後者が気に入っているようだったが。

 

 ふるい書物の記述を頼りにするなら、かれらは未分化な性をそなえており、本人の意志や感情にもとづいて男女それぞれに進化することができるのだという。進化は不可逆的だから、両人のからだは、生涯の伴侶を見つけたときにしか性分化が起きないようになっている、のだそうだ。

 運命のひとと信じることができなければ、性の分化は行なわれない。裏を返せば、運命のひとを見つけるしか、かれらに子孫を残すすべはないのだ。つがいを見つけるその困難さから、両人は歳を経るごとにその数を減らしていき、いまでは絵物語でしかそのすがたを見ることは叶わないといわれている。


 ことほどさように儚い、神話のなかの存在──それが両人なのだ。


 しかし、この“姫”の場合は、そんなにきれいなものではなかった。

 なにしろ、性欲の権化である。

 じぶんに性別がないのをいいことに、男女を問わず片端から惑わし、押し倒し、食い散らかしまくっている。教団でも被害者はあとを絶たない。なによりおそろしいのは、被害者のほとんどがまんざらでもない顔をしていることだ。なかには二回目を希望して“姫”に付きまとう者もいるという。

 そのことを知ったとき、クロエが毒牙にかからないよう注意せねばと固く誓ったものだ。


「さて。本題に戻ろっか」

「助かるよ」

「ぼくが侵入したのは三日まえだから、まだそんなに情報集められてないけどね」


 前置きして、“姫”は語りはじめた。

 この『学校』が、どういう場所なのかを。


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