31.女の子どうしで
ニーナは”騎士”のあとをついて歩く。
胸を張って堂々と歩をすすめる”騎士”の足は早く、ニーナは小走りになってついていくしかなかった。
教団は邪神をあがめる異教のともがらであり、その本部となれば、おぞましい邪教のあかしに満ち満ちている。あちこちから生贄たちの断末魔がひびき、暗黒の内側から呪いのことばがきこえるかとおもうと、腐臭と血のむせかえるようなにおいが鼻をついてくる。
……司教たちは、そのように語っていたが、まったくの嘘だった。
教団本部は、清潔に保たれた石の床と、みがきぬかれたつややかな壁面と、あちこちに開いた窓からさしこむ陽の光によって構成されていた。
回廊をとおりすぎるたび、活気に満ちたひとの声が聞こえる。あるものは剣の稽古をしており、またあるものは塀を登り降りする訓練を行なっている。
すこし離れたところで、農作業をしているものもいた。
農耕。
この教団では、農耕までもが行なわれているのだ。
「食糧の自給も、いまの頭領殿になってから始められたことです」
ニーナの視線に気づいた”騎士”が説明する。
「それまでは外からの買い入れだけで賄われておりました。金だけは豊富にありましたから、それでも特に不自由することもありませんでしたが」
「いまは、お金ないの?」
「いえ。たしかに、本業による収入は途絶えましたが、これまでに貯め込んだものもかなりありますし、悪党から没収した財もかなりの金額にのぼります」
ずいぶん赤裸々に語ってくれるものだ、とニーナはおどろく。仮にも新入りの子供に対して、まるで隠したりとりつくろったりする様子がない。
これが、教団なのだろう。
「経済的な要因よりも、農作業は精神面への影響がおおきいと頭領殿はおっしゃっておいでです」
「精神面……?」
「ええ。──われわれは暗殺者です。殺すことばかりに触れていると、知らず知らずのうちにこころは荒みます。土をたがやし、植物を育てることは、まっとうです。まっとうなことこそが、こころを健全に保つのだと、頭領殿は語られました」
“騎士”のことばに敬意がにじむ。
頭領というひとは、すばらしいひとなのだろう。先ほどの女のひとも、ずいぶん高く買っているようだった。
ニーナはそのすがたを想像する。
白ひげをたくわえた、気のいいおじいさんが頭に思い浮かんだ。生きていたころの祖父のような。
「……さて。着きました。ここの扉の先が衣装室であります」
ある扉のまえで、“騎士”が立ち止まった。
「先ほども言いましたように、“姫”殿が着替えをしている可能性がありますので、私は入るわけにはいきません。おそらく“姫”殿と頭領殿はいっしょにいらっしゃるはずです」
「“姫”さんって、どんなひと?」
「見れば分かりますよ。きれいな女の子に見えます」
きれいな女の子に見える。
ことばの意味がちょっぴり分からなかったが、ニーナはうなずいた。“騎士”は軍人のように回れ右をすると、その場を離れてゆく。
ニーナは息をひとつ吸い込んで、扉を開けた。
「失礼します──あ」
目のまえにいたのは、きれいな女の子だった。
さらさらと伸びたロングの黒髪に、おなじ色の黒曜石のような瞳。しろい肌にはうす化粧がほどこされ、その端整な面差しを儚げに仕上げている。
身にまとっているのは、それこそ夢のような衣装だ。ふんわりと広がった薄桃色のスカートから、幾重ものパニエが覗いている。細い腰はコルセットもないのにきゅっと絞られていた。フリルとリボンを惜しげもなく使ったその服が、うつくしい顔に映えている。
歳こそニーナとおなじぐらいに見えるが、まるで住む世界が違うように見えた。
それこそ、どこかのお姫様のようだ。
「あ──」
お姫様が、さっと顔を青ざめる。
とつぜん、ニーナみたいな泥くさい農民の子が入ってきたから、おどろいたのだろう。きっと高貴な家の子だから、村娘なんかとは口を利いたこともあるまい。
でも、ここで怖気づいてはだめだ。
ニーナはお姫様がなにかを言うまえに口を開く。
「はじめまして。私はニーナ。この教団にあたらしく入った新入りです。あなたが“姫”ですか?」
「えっ、あっ、その……」
消え入りそうな声で、お姫様はつぶやく。
困ったようにスカートの裾を押さえ、頰を真っ赤にして目を泳がせている。その手にニーナは気がついた。ゆったりと開いた袖口から突き出ている手は、右はしろい手のひらだったが、左は人形のように無機質なものになっている。
「あなた、その手──」
「やっほー“踊り子”! 着れたかい着れたかい?」
いきおいよく飛びこんできた女の子によって、ニーナのことばは遮られた。
女の子はちょうどお姫様の着ているドレスの白黒を反転させたような黒い服を身につけている。儚げに見えるお姫様にくらべて、どこか頽廃的だ。だが、つやつやとした頰と、溌剌とした表情は、その服装とちぐはぐな印象を与える。とはいえ、お姫様に匹敵するほどの美少女であることはまずまちがいない。
「“姫”、おまえな──」
「ウギャーいいじゃんいいじゃんめちゃくちゃ勃つよー! え、なんならぼくより似合ってない? 腹立つわーこういう天然ものマジ腹立つわー」
かん高い声でひとしきりお姫様のことを褒めそやしたかと思うと、黒ドレスの少女はニーナへと振り向く。
「え? なにこの田舎娘。赤毛の三つ編みに、綿の手づくりドレス……芋すぎない?」
「……なんですかあなた」
あまりに唐突な失礼発言にニーナはむっとした。
しかし目のまえの少女は気にしたようすもなく、顔を近づけてニーナの顔をじろじろと見つめる。その尊大な表情さえもがきれいで、ニーナはちょっと萎縮する。
「ふーん……でも、素材は悪くない」
「な、なんなんですか」
「はい。きみそれ脱いで。それでこれ着て。あとこれとこれ。髪の毛はほどいて。いますぐ」
「え──」
またたきする間に、ニーナの腕に大量の衣装が積み重ねられた。ふわふわとふくらむフリルと、絹の鼻をくすぐるような感触に頭がくらっとする。
「あと“踊り子”はこっちね。これとこれ着て、ぱんつはこれね。いまの服だとちょっと育ちよさそうすぎて、らしく見えないからね」
「え、ちょっと待て、じゃあどうしてこれ着せた──」
「は? 趣味だけど?」
悪びれもせずに少女が胸を張った。
絶句するお姫様に背を向けて、少女は去っていく。
あとには、おなじく唖然とした表情をした、お姫様とニーナとが残された。ふたりの目が合う。
お姫様──“踊り子”と呼ばれた少女は、困ったような顔をしてこちらを見ていた。
「あのひとが、“姫”?」
“踊り子”がうなずいた。
「すごく強引なひとだね……」
「そうなんだよ……朝からずっとなんだ……」
「あ、朝から?」
疲れたような顔で“踊り子”がうなずく。
すでに午後もなかばを過ぎ、そろそろ夕闇がしのびよる頃合いだ。朝から衣装室にこもりきりで着せ替え人形をつとめていたのだとしたら、その疲労は察するにあまりある。
なら、とニーナは思う。
じぶんがその着せ替え人形役を手伝ってあげれば、この子の負担は半分になるのではないか。
「きみは、ニーナと言ったっけ?」
「そう。あなたはなんて呼べばいい? “踊り子”?」
「いや、アザムでいいよ」
アザム。聞きなれない言語のなまえだ。
男の子っぽい響きにも聞こえるけれど、本人が気にしていると可哀想だから、ニーナはなにも言わなかった。
「新入りって言ってたね、どういう経緯できみは──うわぁ!」
アザムが素っ頓狂な声を上げる。おどろいたニーナは手に持っていた下着を取り落としてしまった。おかげではだかの上半身が露わになる。
「な、な、な……なにしてるんだ!」
「なにって、着替えてるの」
ニーナはさいきんふくらんできた胸を張る。
あの“姫”とかいうわがまま放題の少女が着せ替え人形を求めているのであれば、じぶんも付き合ってあげればいい。そうすればこの子の負担は半分になるはずだ。そう思ってのことだったのに、なにやら咎めるような声の響きにニーナはむっとした。
「だって、着替えろって言われたでしょう」
「いや、なにもきみまで──というか人前で、そんな、は、はしたないというか、その……」
「ああ、そういうこと」
農村では、おなじ年ごろの女の子の肌を見ることなどめずらしいことでもなんでもない。夏になれば連れ立って川で水浴びをすることもあるし、村総出での洗濯となれば、ほとんど下着みたいな恰好で作業するのがあたりまえだ。
しかし、アザムにとっては、肌をさらすというのは滅多にないことなのだろう。先ほどもあれくらい露出のすくない服で恥ずかしそうにしていた。
ニーナのいたずら心がむくむくと鎌首をもたげる。
「アザム、恥ずかしいんだ?」
「恥ず……っ、そりゃ、恥ずかしいよ!」
「あんまり見たことないんでしょ、女の子のはだかなんて。ほらほら、どう、わたしさいきんけっこうおっきくなってきたんだよ? ちょっと触ってみる?」
「さわっ……馬鹿!」
「なーに照れてるの、女の子どうしで」
女の子どうし、ということばを聞いたとたんにアザムの顔色がさっと変わる。いよいよ、ニーナは楽しくなってきてしまった。
「ほーら。わたしのはだかばっかり見てないで、アザムも脱ぎなって」
「やめ……っ、放して……」
「放さないよー、ほれほれ、こんなものも脱いじゃえ脱いじゃえ」
「ちょっと、そこは──“姫”ぇ……! ちょっとこの子止めてかんちがいしてるから……!」
「ほら、やっぱり下着もかわいいじゃなーい。せっかくだからこのぱんつも替えちゃお? ね? そうしろって言われてたしね?」
「ひやぁ!」
「やっぱりこっちのぱんつのほうがかわい──むにゅ?」
アザムの股間に触れたニーナの手が、へんにやわらかい、すこしだけ固い、謎めいた感触のなにかを掴んだ。
もう一度にぎると、むにゅり、と弾力が手に伝わってくる。
ニーナがそこに視線を向ける。
「──いやあああああああああああああああああ!」
あまりの衝撃に気が遠くなりながらも、ニーナの目は天蓋付き寝台の陰からものすごくうれしそうに様子を眺めていた“姫”を見てとっていた。




