30.わたしを、教団へ入れてください
こんなものは迷信だ。
迷信だと分かっていても、信じるしかなかった。
じりじりと後退しつづけた戦線は、村にちゃくちゃくと近づいてきていたからだ。
奇妙な模様が描かれた旗を、村人たちは不安げに見まもる。じぶんたちを守ってくれるはずの旗は、出したお金にたいしてあまりにも薄っぺらく、たよりなく見えた。
行商人たちは、この旗の伝説をわが手柄であるかのように語った。
この旗を掲げている村は、傭兵たちに襲われない。
複雑な模様は、ある神の守護のもとにあるというしるしなのだという。傭兵たちはその罰が当たるのを恐れ、この旗を持つ家は避けて通る。
だが、村のなかにこの旗を掲げていない家があれば――傭兵たちの狙いは、すべてそこへと集中する。
この行商人の語りは、効果てきめんだった。
すべての家がこの旗を競って買いもとめた。ニーナの家も同様だ。毎年の農作物の売り上げから、爪に火をともすようにして貯めた銀貨を、一枚。薄っぺらな布きれ一枚のねだんとしては、あまりにも法外だったが――買わないわけにはいかなかった。
これで大丈夫だ、と。
父はニーナの頭をなでてくれた。
迷信だと、だれもが分かっていた。
だが、もうすこしは効果があるものだと、だれもが思っていた。
「イヤホオオオオオオオオオオ!」
奇声を上げて馬が駆け抜ける。
鞍上で槍を振りまわす男は、馬よりもよほど獣じみていた。なめしていない毛皮をじかに肌にまとい、筋骨隆々の上半身のいたるところに、赤黒い泥で戦化粧がほどこしてある。
おなじすがたの男たちが、すでに百人ちかくも村にやってきていた。
北の蛮人だった。
蛮人の兵士たちが、大公国軍を打ちやぶり、国境のこちら側に攻め入ってきていたのだ。
蛮人たちは容赦がなかった。
ことばが通じないから、ひとをひととも思っていないのだろう。荒々しい馬で村へと駆けこんできたかと思うと、まっさきに家々を打ちこわしはじめた。積み上げた収穫物には火が放たれ、羊や牛たちは面白半分に突き殺されていく。
あの旗が落ちて、馬のひづめに踏みにじられているのを、ニーナは見た。
これから、掠奪がはじまる。
若者や女は奴隷として連れてゆかれ、子供や老人は殺され、村のすべては台無しになる。
ニーナは震え上がっていた。
隣にいる両親に目をやる。母は不安げに父を見まもっており、父は歯噛みしながら焼かれる村を見つめている。
父の目が、綱で引き倒された水車小屋に止まる。
「なにをする、蛮人ども!」
止める間もなかった。
父はとつぜん立ち上がると、鋤を手に飛び出していた。ずんずんと踏み出していく。勇敢な父だった。見て見ぬふりのできぬ父だった。その父が、半笑いを浮かべた蛮人たちに、打ち抜かれる。
矢、だった。
「あなたっ!」
発作的に飛び出していった母が、つづけて打ち抜かれた。
幾本もの矢が突き立った母の屍体が、ごろり、とニーナのまえに転がってくる。
おかあさん、と叫びそうになった口を、とっさに押さえる。
蛮人たちの笑いごえが響く。
猿のようなかん高い声が、父の死を、母の死を、あざ笑っている。
――殺してやりたい。
ふいに、つめたいものが、ニーナの頭に浮かぶ。
あいつら全員、殺してやりたい。喉仏に刃を突き立てて、あのけたたましい笑いごえを、永遠に止めてやりたい。
昏い衝動はニーナの目を曇らせるのではなく、かえって研ぎすました。
あそこにいる蛮人は、五人。
しずかに背後からしのび寄り、ひとりの腰から短刀を奪って頸筋へと突き立てる。それから、抜いた刃を馬に刺し、馬上から振り落とされて地面に転がった男の喉を突く。
ふたりは、殺せる。
ふたりまでなら、問題なく殺せる。
そのあと三人にニーナは殺されるだろうが……それでも、父と母の仇は討ってあげられる。
ニーナの体が動きかけた。
と、そのとき。
黒い騎馬に乗った一団が、ふいに、村へと現われた。
蛮人たちと衣装は共通していないから、応援ではない。闇に溶けるような黒ずくめの男たちは、疾風のように駆けこんでくると、その勢いのままに、蛮人たちの群れへと突っ込んでいった。
ふいを打たれた蛮人たちが、馬上から転げ落ちる。
すれ違ったのは一瞬だったが、黒い騎馬が駆け抜けたあとには、蛮人の屍体しか残っていなかった。
ひとりの討ち漏らしさえもない。怪我人さえもいない。
見事といえるほどにあざやかな殺しぶりだった。
「五騎をひと組とし、展開」
先頭の男が凛々しい声をあげる。
黒い騎馬は、まるで蛇のようになめらかな動きで、村のなかに広がっていく。
それからは、一方的だった。
襲撃者の存在に気づいた蛮人たちは、互いにまとまり、黒い騎馬をむかえ打とうとするが、態勢を立て直すまえに突き崩される。
地面に倒れたものは瞬時に突き殺されるから、戦力差はまたたくまに埋めようがないものになっていく。よくよく数えてみれば、黒い騎馬は三十騎ていどしかいないのに……三倍以上の戦力を持っている蛮人たちが、まるで相手にならなかった。
ものの数分で、決着がついた。
「被害状況を報告」
「村人の死者は二人、重傷者軽傷者は七人ていどです」
「……ふたり、救えなかったか」
黒い騎馬の、先頭に立っていた男がくやしそうな声を出す。覆面に隠れて表情はうかがえなかったが、まだ若い男なのかもしれない。
「旗を」
「はっ」
黒い騎馬のひとりが、槍とともに持ち運んでいた旗を、掲げる。
その旗に描かれた模様は、『報』。
村人たちが行商人から買った旗と、その模様はよく似ていた。
しかし、別物だった。
まるで、別物だった。
あんなに、あの模様はかがやいて見えなかった。あれが、あれこそが、ほんものなのだ。
*
「おおむね、これで防衛策はじゅうぶんだと思います。最後に……”緑青”」
「はっ」
「ここにいる”緑青”――サーリムを、この村へ置いてゆきます。サーリムは教団で訓練を受けております。なにか事が起きたときには、サーリムの指示にしたがって村を守っていただきたく。
最後にひとつ。
あの『報』の旗が掲げられているかぎり、われわれ教団はあなたたちの味方です。それを、忘れないでください」
“騎士”と呼ばれる黒い騎馬の代表が、あくまで丁寧な口調のまま、そう締めくくった。
村人たちが、口々に感謝のことばを述べる。
そのひとつひとつに丁寧に応えながら、”騎士”は馬に乗る。行ってしまうのだ。
機会はここしかない、とニーナは判断する。
「……あの! ”騎士”様!」
「はい。なんでしょうか」
“騎士”が生まじめそうな顔を、こちらへと向ける。
“騎士”というのはあだ名のようなものなのだろうが――確かにこの青年は、絵物語に出てくる騎士様によく似ている。金髪で、まっすぐな青い目をした、凛々しい顔。まじめ一徹で融通は利かないけれど、思いやりにあふれた、こころやさしい人柄が、そのまま顔ににじんでいる。
このひとなら、とニーナは思う。
「わたしは、両親が死にました」
「ええ。……間に合わなかったのは、残念です」
「行くところがありません」
「そうなのですね」
「だから――わたしを、教団へ入れてください」
「え」
“騎士”が露骨に困った顔をする。
ここでたたみかける。
「村の人びとはみな貧しくて、孤児をやしなう余裕がありません。わたしには親戚もいませんから、なおのことです。余った子供は、口減らしに遭います」
「口減らし?」
「山に捨てるか、奴隷商人に売られるか。そのいずれかです」
“騎士”がさっと顔を青ざめさせた。
村人たちは気まずそうに顔を逸らす。
事実である。
以前、ニーナは父を戦で、母を病でうしなった子供が、そうされるのを見ていた。責められるべきことではない、と思う。それだけ、村には余裕もないのだから。
でも、じぶんがそうなりたいかといえば、話は別だ。
「わたしは、死にたくない。生きていたい。どうせ死ぬのなら、戦って死にたい。だからわたしを、教団の仲間へ入れてください」
「うーん……ですが……」
「なんでもやります。ひと殺しでも、なんでも」
“騎士”は顔を寄せてくる。
周りで心配そうに状況を見つめる村人たちに聞かれないよう、ニーナの耳元で、
「……われわれは、暗殺教団です。
わたしたちの仲間になるということは、暗殺者になるということですよ」
「では、暗殺者になります」
「えっ」
「奴隷になるか、暗殺者になるか。
その二者択一なら、わたしは暗殺者を選びます。
わたしは、殺せます。
弱いひとたちを虐げて、高笑いする悪人を。そういうひとたちがいなくなれば、この大陸はもっと住みやすくなるはずだから」
きっぱりと言い切った。
“騎士”は見るからに気圧されている。いける、とニーナは踏んだ。
「……どうするんです、”騎士”殿」
「……どうしましょう。こういうときの対処方法は、頭領殿に教えていただいておりませんから」
隣の暗殺者と、ひそひそと話し合う。
悩み、悩んだ末に、”騎士”は言った。
「こういうときは、あの頭領殿ならどうするか、ということを考えます。
頭領殿なら、きっとこう仰るはず」
“騎士”はおおきく息を吸い込んだ。
*
「理想を持つものを、そのために覚悟のあるものを、教団は拒んだりしない。きみの参戦を、教団は歓迎する――おまえは、そう、言ったんだな?」
「その通りであります」
「それで、この子供を連れてきたのか? 教団の本部まで?」
「その通りであります」
長身の女性が、嘆息を漏らす。
きれいな女のひとだった。みじかく切りそろえられた髪は、一見男性的にも見えたが――黒衣を持ちあげる豊かな胸のふくらみが、その印象を塗りかえていた。このきれいなひとを男に見まちがえるひとがいるとすれば、それは世界でいちばん鈍いひとだろう。
執務机に就いた女性のまえに、ニーナと”騎士”とは立っていた。
ずっと目かくしをされて、さきほど取り払われたばかりだから、目がちかちかしている。
「……女の子。きみの名前は?」
「ニーナです」
「苗字はなし、か。村人の子にまちがいないな。年齢は?」
「十三です」
「ふむ」
女性が腕を組む。
「暗殺者に育てるには、いささか遅い」
「そう、なのですか」
「われらの多くは、四歳から暗殺のいろはを叩き込まれ、十二歳で独り立ちしている。ときおり、”蛇”のような例外も混じるがな。いまのきみの歳には、わたしはすでに十人を殺していた」
「……」
「壮絶だと思うか? なら、きみにはこの世界は向かない。ひとを殺すことに躊躇をせず、善も悪もなく、ただ機械のように、殺しをつづける。暗殺者に求められているのは、そういう性分だ」
だが、と女性はつづける。
「この教団は、変わった。いまの頭領になってからな。ひとを殺すのは、因果応報の理に則ってのことだ。能うかぎり弱者を救済し、能うかぎり悪人を成敗する、そういう組織になったのだ。われわれの仕事は、もはや暗殺だけに限らない。いまの教団になら、きみの能力を活かせる場所があるかもしれない」
「それじゃ――」
「ああ。きみが望むなら、ここにいてくれて構わない。
ようこそ、暗殺教団へ」
にっこりと、女性が笑う。
ニーナがほっと胸をなで下ろす。隣を見ると、例の”騎士”も安堵したようだった。人なつこい笑顔を、こちらに向けてくる。
「……さて。とはいえ、頭領に話は通しておかないとな。”騎士”、たぶんあの子は衣装室にいると思うから、案内してやってくれるか」
「衣装室? なぜ、でありますか?」
「知らん。なにやら”姫”がうれしそうに連れていった」
女性がふんと鼻を鳴らす。
「潜入任務の衣装えらびだとは聞いているが、あの”姫”のことだ。半分は趣味だろうな」
「”姫”殿は、すぐれた暗殺者であります」
「それは認めるがな。まあいい、行ってこい」
「いえ。”姫”殿が着替えてらっしゃるさなかであるかもしれません。じぶんは、入るわけにはまいりません」
「……いや、相手はあの”姫”だぞ?」
「それでも、であります」
「……生まじめに過ぎるな。では、入口まででもいいからこの子を連れていってやれ」
「了解致しました」
”騎士”に連れられて執務室を後にするとき、こめかみを揉みほぐしている女性のすがたが目に入った。
だいぶ、苦労を背負い込む性分らしい。
ニーナはほんのすこし、同情していた。




