2.だいきょうそさま、ばんざーい
それからの生活は、控えめに言って最低だった。
俺と同時期に生まれた子供は三十人。
あとで知ったことだが、この暗殺教団においては性交・出産はすべて上の指示で時期と相手を決められてしまうから、赤ん坊の誕生日は一週間とズレない。おそろしい話だ。
俺たちには二人の養育係がつき、三十人が一緒くたになって育てられた。
養育係もいっさい、笑顔は見せない。面白いのかつまらないのかわからないが、冷たい無表情で淡々と育児の諸々をこなす。乳母らしきものはつかず、母親と思しき人は一度も顔を見せない。
ときどき、養育係の目を盗んで、クロエが様子を見に来てくれるのが唯一の救いだった。
あっという間の乳幼児期が過ぎて、4歳になったときに教育が始まった。
俺と同時期に生まれた子供は三十人いて、それが並んで座っているさまは、ちょうど幼稚園の授業風景のようだ。……もしも、黒ずくめで笑顔を見せない子供たちばかりの幼稚園があるとしたら、の話だが。
教師に任じられた黒いローブの女は、席に就けられた俺たちをやはり冷たい表情で見渡すと、一言目にこう言い放った。
「あなたたちの命は、大教祖様のために存在します」
やばい。
これはやばい。
そう思った。
「あなたたちは、一にして全である大教祖様のために生まれました。大教祖様は偉大なる神の子にして、われわれ全員の父たる存在です。子は父のために死ぬのが務め。つまりあなたたちは、大教祖様のために生き、大教祖様のために死ぬのです。唱和しなさい」
わたしたちは、
だいきょうそさまのためにいき、
だいきょうそさまのためにしにます。
幼い声が、うまく揃わないまま、ばらばらにそう答えた。
カルト宗教どころの騒ぎではない。これは、あきらかな洗脳であり、犯罪だ。俺はぱくぱくと口を開けたまま、どうすることもできないでいた。
続けて女教師は、ローブの懐から手のひらに載るほどの水晶玉を取り出す。
「それでは、これから立派な暗殺者となるべく学習を始めるあなたたちに、至高にして究極の神の子たる大教祖様より、御言葉を賜ります。みな、頭を垂れて聞きなさい」
子供たちが、指示通りに頭を伏せる。
俺も女教師の視線に気づき、あわてて皆に倣った。
すると、水晶玉から光が漏れ始め、大仰な、老人の声が響き始めた。
『子らよ。
我が子らよ。
よくぞ生まれた。よくぞ、我が教えに殉ずるため、この世に生まれ落ちた。
わたしは、ウマル・アブドゥルラザク。
おまえたちの父であり、神の子である。神はその理念を実現するため、わたしをこの穢れた地へとつかわした。故に、わたしはこの全身全霊をもって、この大地に神の理を実現せねばならぬ。そのためとあらば、命は惜しまぬ。
おまえたちも、命を惜しんではならない。
命は使ってこそ価値があるもの。
世界に捧げてこそ、光輝くもの。
神の理をこの地にもたらすための、礎となるのだ。
そのためにまずは、神の威を示す力を得よ。おまえたちは学ばねばならぬ。すべてをつぎこみ、すべてをついやし、すべてを手に入れねばならぬ。神の代行者たる称号【暗殺者】の名は、そのときにこそ、おまえの頭に冠されるのだ』
演説が終わる。
水晶玉の光が収束してゆく。
俺は、こっそりと顔を上げて盗み見た。
水晶玉に映っていたのは、なんの変哲もない、皺くちゃで意地の悪そうな老人のすがただった。オーラやカリスマなど、かけらも感じない。
だというのに――。
「分かりましたね、あなたたち」
顔を上げることが許されたのち、俺の周りにいたのは、小さな狂信者たちの群れだった。
「すごい……すごい!」
「だいきょうそさま……!」
「あたし、だいきょうそさまのためにしぬの!」
すっかり熱に浮かれたように、子供たちは熱狂していた。
授業が始まったときには、死んだ目をしていたというのに。いつの間にか、尋常ではないほどの興奮が、教室中を満たしている。
なんだ、これは。
あっけにとられた俺を、女教師が目ざとく睨みつけた。
まずい、と俺は思う。
すっかり狂信の熱に中てられた子供たちのなかで、いつまでも呆然としていては、目立つばかりだ。
だが。
こんなことを、はたして見過ごしていいのか?
これは、間違いなく洗脳だ。幼い子供たちを囲い込み、命を捧げることを、死ぬことを、求めてくる。こんなことがあっていいのか? 許されていいのか?
俺は、立ち上がっていた。
床を椅子が掻く騒音に、教室中が静まりかえる。
女教師は目を剥いて、俺を睨んでいる。いぶかしげだった顔は、いまや責めるような色に満ち溢れている。
「アザム。どうしたのです?」
「──」
「座りなさい。それとも、なにか言いたいことでも?」
俺がここでなにかを叫べば、すぐに教師は飛びついてくるだろう。
俺はもしかしたら不適格と見なされ、処分されるかもしれない。
足が震える。喉がかわく。
俺は、口を開いた。
*
「『だいきょうそさま、ばんざーい』……それで、そう叫んだわけっすか?」
「ああ」
肩を落として、俺は言った。
そう、俺があのとき叫んだのは、そういう台詞だった。女教師はあっけにとられた顔をしていたが、俺が叫び続ける万歳に合わせて周囲の子供たちが乗ってくるのを見て、結局満足気にほほ笑んでいた。
情けなさがこみあげてくる。俺は結局、勇気を持って悪を糾弾することなんて、できはしなかった。
「かっこわるいよな。……笑ってくれ」
「いや。わたしは、先輩のやり方で正解だったと思うっすよ」
クロエは大きく伸びをする。
「どう考えても、あの場で大教祖や教師を非難したところで、なんにもなりはしなかったっす。先輩が目を付けられて、場合によっちゃ『適性なし』として処分されておしまい。なんの意味もないし、なんの成果ももたらさない。考えなしに行動してたら、いまこうしてわたしに会うこともできなかったはずっす。はいごほうび」
「むぐ」
ため息をついていた俺の口に、甘い焼き菓子が放り込まれる。
子供扱いはやめろ、と怒ろうとするが、口のなかにじんわりと広がる甘味に思わず頬がほころんだ。
「にゃふふ、かわいー」
「うるはい、ひゃめろ」
ほっぺたを指先でつついてくるクロエを、俺は払いのけた。
あの日から、三週間が経っている。
翌日から本格的に始まった訓練はきついものだった。俺たちは4歳の未熟な体で延々と走らされ、延々と棒を振らされた。木や塀をのぼり、高いところから飛んだ。
それだけなら単なる運動だったのだが、過酷なのが、毒飲みと棒打ちの訓練だ。毒に体を慣れさせるためと称して、死ぬ一歩手前の高熱に至る毒を飲まされ、痛みを克服するためと体中を棒で打たれた。
高熱と青あざとに苦しみながら、弱音ひとつ吐かず、子供たちは訓練に没頭した。その目は、相変わらず狂信にらんらんと輝いている。そこも、俺にとっては恐怖以外のなにものでもなかった。
頭がおかしくなりそうな日々のなかで、訓練の合間にこうしてクロエに呼び止められ、こっそりと菓子をくれたり、話を聞いてくれたりするのは、ほんとうに救いだった。
いまは、三週間ではじめて与えられた、ほんの数時間の休憩時間だった。なんでもどこかのお偉いさんが来訪してくるとのことで、教師が応対をせねばならないとのことだ。暗殺教団の在処がバレていいのかと思ったのだが、そこはそれ、お偉いさんは目隠しをされて場所が分からないよう連れてこられるらしい。さすがに厳重だが、まあそんなものだろう。
俺は子供たちのなかに友達はいないので(十七歳と四歳が友情を結ぶのは難しいことなのだ)、暇を持て余していたところ、菓子の袋を持ったクロエに呼び止められた、というわけだ。
剣術訓練用の広場の片隅に、俺たちは陣取っていた。
傍らに座るクロエを眺める。
彼女は焼き菓子の残りをつぎつぎと口に放り込んでは、口元を手の甲でぬぐっている。その仕草に猫っぽさを感じて、思わず笑ってしまった。
「……ほんと、おまえがいてくれてよかったよ」
「へ?」
「こうしておまえと過ごす時間がなかったら、俺はたぶん、とっくに潰れてたと思う。ありがとうな、クロエ」
しみじみと、俺は言う。
クロエから返答がないので、ふと顔を眺めると、ふたたび褐色の肌が真っ赤に火照っている。うつむいて、なにごとかぶつぶつと呟いてもいるようだ。
「こういうことを無自覚に……がきんちょのくせに……」
「聞こえてるぞ」
「にゃっ!?」
クロエが跳ねる。
見ていて面白いかぎりだ。しかし、おかげでだいぶ励まされた。ほんとうに、いてくれてありがたいと思う。
「……でも、クロエ」
「なんです?」
「この教団、どういう組織なんだ? 知りうるかぎりの情報を、教えてほしい」
クロエの顔が真剣さを帯びる。
「この組織に、名前はないっす。強いて挙げるなら、特徴を表す『暗殺教団』っていうのが通称。先輩も聞いての通り、『神の理を為すために暗殺を行う』というのが、基本っすね。とはいえ、内実は察しの通り、大教祖ウマルのための組織です」
「ウマルってのは、何者なんだ?」
「超一級のペテン師……ってとこですね。幻覚系の魔術を修めてて、大仰で達者な弁舌を振るえます。その二点がウマルの大きな武器です。行動原理は極めて単純で、私利私欲のためならなんでもやる、という一点に尽きます」
「……最低だな」
「そうすか? 組織のトップとしては、ごくあたりまえだと思うっすけど」
クロエが醒めた顔で言う。
「でもなにより、手段を選ばないっていう狡猾さは特筆すべきもんがありますよ。暗殺者としての最低限の仁義……誰かのために働いたら、その敵の仕事は請けないっていう方針さえも持ち合わせません。現に、いままさに戦争やらかしてる帝国と王国連邦との間に立って、どっちの仕事も請け負っては戦争の長期化に貢献してるらしいっすからね。内向きには、『神の理』という謎めいたレトリックで煙に巻いて、外向きは、天性のバランス感覚で発覚しないよう努めてるみたいっすね。綱渡りっちゃ、綱渡りっす」
「……すごいな」
「ええ、おそろしいもんです。国を相手どってやらかすペテンじゃないって思いますけど」
「いや、俺がすごいって言ったのは、クロエの知識だよ。よくもまあ、そんなに深くまで知ってるもんだ」
クロエがきょとんとした顔をする。
俺はなにかおかしなことでも言っただろうか。
「先輩。……もしかして、わたしが何年生きてるかご存知ないっす?」
「え? 十五年かそこらだろ、見た目からして」
「違いますゥー」
クロエがニヤニヤしながら薄い胸を張る。
「実はわたし、二七〇歳っす!」
「……」
「……あ、バレました? ホントは二八八歳で」
「……」
「ウェーン分かったっすよー、ホントのホントは三一二歳ですゥー……サバ読んでましたァー……三百路超えてますゥー……」
「……いや、マジで?」
「今度はホントっす! なんすか先輩、『思ったよりオバサンだね』とかそういうことっすか! よく見ると目のあたりに小皺が……ってやかましいわ! ないわそんなもん! あほ!」
いやいや。
もうそんなもん、誤差の範疇だから。
いや四十歳サバ読むのを誤差って言っちゃうのもあれだけど。
「三〇〇歳って、どういうこと?」
「うあーん、そういう言い方」
「いやいやいやそうでなくて。マジで? そんな感じなのファンタジーって? エルフって?」
「あれー? ひょっとして先輩、ロードスとか読んでない世代です? ディードリットとか知らない口? え? ほんとに知らないの? うそ、今の若い子ってそうなの……?」
なにやらカルチャーショックに苦しんでいるクロエはさておき、驚きだった。
まさか三〇〇歳とは。
俺はここにきてようやく、ファンタジー世界に生まれ変わったのだということを実感した。
「あ、あとそういえば。クロエって、この組織でどういう扱いなんだ? 三百年も生きてるなら、けっこうな地位になってるんじゃないの?」
「お、そこ聞きます?実はですね――」
「クロエ様!」
「クロエ様!」
クロエのことばは、しかし本堂から走ってきた屈強な男たちに遮られた。
「こんなところでなにをしておいでです! 大教祖様が呼んでおいでですぞ!」
「先程から首を長くしてお待ちです! あと一刻もすれば、帝国の使者がお越しになってしまいますので、本堂へお急ぎください!」
はぁ、とクロエは大袈裟にため息を吐いた。
「あのねえ。今度ウマルさんに言っといてくださいよ。待つくらいならじぶんから会いにきたらどうなんだって。すこしは運動しないとあのひと糖尿で死ぬっすよ」
「な! な! なんということを!」
「不敬ですぞ! いかなクロエ様と言えど、仰って許されることと許されないことが――」
「へーえ。きみはわたしに意見できる程の立場なんすかねー?」
じろり、とクロエが男の一人を睨め付ける。
男はごくんと息を呑む。完全に威圧されている。さすがにいまのはクロエのほうが悪いから、なんだかちょっと不憫だった。
「……とまあ、こんな扱いなんすよ。先輩」
「なんかすごくすごい地位なんだってことは分かった」
「そう。すごくすごいんす。ん? 見直しました?」
「全然。まったく。少しも。ちっとも。これっぽっちも」
「否定のことばは枚挙に暇がない!」
俺たちが軽口を叩き合っていると、男の片割れが俺のまえに割って入ってきた。
「なんだ餓鬼。おまえ、子供だからってクロエ様に馴れ馴れしく――」
「オイ。その子に指一本でも触れたら殺すぞ」
ふたたびの威圧。
今度はガチ系の温度だ。
男たちは二人とも萎縮してしまった。もうこの……どうすんのこれ。
「なーんかね。ダークエルフって絶滅寸前の稀少な種族なんですって。闇の神の化身みたいなもんだってウマルが言ってるらしくて、それでこの扱いなんす。タダ飯食わしてくれるだけならありがたいのに、外交の相談とかしてくるし、正直めんどい」
「もうちょっと声落としてあげろよ……」
男たちはもはや突っ込むこともできずに、ただ小刻みに震えている。
正直彼らが気になって、会話に集中できない。
「ま。さすがにこのひとたちが可哀想なんで、そろそろ行くっす。せばなー」
「せばな」
なぜか秋田弁の挨拶を交わして、俺たちは別れた。