28.そうしたら、いつか必ずすてきな
目が醒めた。
鳩尾に活を入れられたのだと気づいたときには、激しくむせていた。
「よう。大丈夫か、頭領さん」
“蛇”の顔が俺を覗き込んでいる。
よくよく周りを見回すと、ナイラやクロエも心配そうな顔をこちらへ向けていたし、見知らぬ白髪の少女や、ほかの十二席のすがたもあった。
上体を起こして気がつく。
左腕が、なくなっている。
リュリュの治療魔術は、切断された腕や脚をつなぐことはできても、消滅した腕を復元することはできない。そう、以前に聞いていたことを思い出す。
クロエが、泣きだしそうな顔をこちらへ向けていた。
「クロエ。おまえ、脚はもう平気なのか」
「うん」
「痛くないか」
「うん」
「血は止まったか」
「うん」
「そうか。なら、よかった」
安堵し、疲労のままにまた上体を倒そうとする。
そのときに気がついた。
教団構成員のなかにまぎれて――例の“勇者”がそこにいる。
「――!」
俺は跳ね起きる。
周囲のおどろいた顔をよそに、ナイフを探す。どこにもない。武器を奪われている。だれも、“勇者”がまぎれていることに気がついていないのか。俺は瞬時にクロエの腰からナイフを引き抜くと、跳んだ。
「“勇者”――!」
我ながら、精彩に欠く動きだったが、攻撃を受けると予測していなかったのだろう、“勇者”は避けるでもなく、その場にたたずんだままだ。俺はナイフを振りかぶり、その顔面へと刃を叩き込もうとした。
が。
「やめとけ、頭領殿」
その目論見は、“蛇”によって防がれた。
横合いからナイフを引き抜かれ、とん、と軽く胸を突かれた。ぼろぼろの俺の肉体は、ただそれだけでかんたんに後ろへと倒れこむ。
「おっと」
即座に俺を受け止めてくれたナイラのおかげで、後頭部を打ちつけずに済んだ。ふよん、と謎めいた感触がしたが、そんなことはどうでもいい。
「なにをする、“蛇”! おまえ、その男を庇うのか!」
「いやまあ、そういうんじゃなくてね」
「くそ、裏切りか……! 闘るしかないってのか……!」
「闘らない闘らない。違うのよ。そういうのは終わったんだって」
「なにが終わりだ」
「大丈夫っす! 先輩! 大丈夫だから!」
激昂しそうになる俺を、クロエが止めた。
俺が気をうしなってからの流れを、クロエがかいつまんで説明する。
”鉤爪”を始めとした十二席や教団員が駆けつけたこと。敗れそうになったところで“蛇”が到着したこと。イベリスによって”勇者”の過去が明かされ、かれさえもが救われたこと。
「まあ、だいたいそんなわけでね。とりあえず戦闘じたいはひとくぎりついちまったんだけれども。まだ話はぜんぶ終わってないからさ。遺恨が残るのも気分よくねえし」
“蛇”が気まずそうに言う。
「遺恨? なんのことだ」
「いやまあ」
「……何人か、殺られたか」
「いや、それが死人は出てねえんだよな」
“蛇”がぽりぽりと頭を掻く。ナイラを振り向くと、こくりとうなずいた。
「先ほど確認完了したが──後遺症が残らないていどの軽傷を負ったものばかりだ。重傷者、死者はゼロ。いっそみごとだ」
「大怪我を負ってんのは、頭領殿だけなんだわ」
なくなった左腕。
教団における被害は、これに限られるらしい。
「だから、とりあえず俺たちにはこの“勇者”の処遇を決める権利がねえと思ってね。それで、頭領殿に起きてもらったんだ」
「すまなかった」
“勇者”がふかぶかと頭をさげる。
「いのちこそ奪わなかったが、片腕を永遠に奪ってしまったことは事実だ。同じように腕を断たれようと、いのちを奪われようとも、僕に文句はない」
「僕……?」
「いまの僕にできるのは、こうべを垂れることのみだ。どうか、この場で自裁せよとそう命じてほしい」
「馬鹿を言うな」
俺のことばに、“勇者”が顔を上げた。
「俺の腕に関しては、しかたないと思うしかない。
俺とおまえは、さっき決闘をしていたんだ。俺も本気で殺そうとしていたし、おまえもそうだろう。腕の一本で済んだのはそれこそ運が良かった。今更、そのことを責めるつもりはない。
それより、教団のみんなを殺さずにいてくれたことに、礼を言いたいぐらいだ。おまえは確かに身勝手だったが……最後の最後で、下衆には堕ちていなかった。弱者救済を行なっていた俺たちを、斬らずにいられなかったのは、おまえの心にある品性が、死んでいなかった証拠だろう。それは、誇ってもいいことだと、俺は思う」
「……“踊り子”」
「だが」
俺はナイフを引き抜く。
「俺の猫に怪我させたから殺す」
「――!?」
”勇者”が目を丸くする。俺はナイフを振るって”勇者”に斬りつけようとする。またしても、”鉤爪”に羽交い絞めにされて止められた。
「やめろ放せ! 殺す! 絶対殺す!」
「なんでそうなるんだ!」
「途中までいいこと言ってたのに!」
「俺の猫を! こいつは絶対に許さん! 殺す!」
「腕の件は許したのに!?」
「わわ、わたしもう快復して無傷っすよ先輩!」
「因──俺の猫に怪我させた! 報──殺す!」
「雑! めっちゃくちゃ雑!」
「よし頭領殿、こいつ殺そう。”車輪”に拷問させたらわたしが治療するから」
「うひー」
「リュリュは入ってくんなややこしくなるから」
「ああもうだめだ、頭領殿目がグルグルしてる」
「これもうどうしたらいいのかな」
「責任とれよ”猫”」
「ええっ、知らないっすよ……」
「殺すうううううううううう!」
「これは……僕はどうしたらいいのだ、蛇王よ」
「とりあえず逃げとけ」
*
「さっきは悪かったっすね。先輩ホントはいいひとなんですよ。ちょっとモンペでヤンデレでチョロインなだけで」
「それは……日本語なのか?」
クロエと名乗ったダークエルフの少女が、肩をすくめてみせる。
あの後、騒ぎが大きくなりすぎて憲兵隊が近づいてきたことをきっかけに、教団はその場を引き払うことにした。まだ話が終わっていないからと、アランは蛇王についてくるよう言われたのだ。
勇者であるじぶんが、暗殺教団の本部に招かれる――。
いままで、想像だにしていなかった事態だ。
「それより、アザム殿は無事だったのか」
クロエに手渡された砂糖菓子を受け取り、アランは訊く。
「あの後一回起きたんすけど、また目がグルグルし始めたんで”蛇”にもう一発喰らって、いまは気絶中っす」
「不憫な……」
「うーりゅといい、先輩といい、わたしのハーレム構成員はどうしてこう、ヤンデレ気味なんすかね……。というかなんで先輩じゃなくてわたしにハーレムができつつあるんすかね……」
「ハーレムとは?」
「え、それも知らないんすか? リュージくん、ほんとに日本出身?」
リュージ、という呼ばれ方に面食らう。
よほど変な顔をしていたのだろう、クロエはこちらを心配そうに覗き込んでくる。
「あれ? 名前呼ばれるのとか苦手なタイプっす?」
「……いや」
胸にじわじわと広がる気持ちが、なつかしさ、と名付けられることに気がついて、アランはすこしほほ笑んだ。すこしだけ痛みをともなう感情が、ここちよく思える。
「悪くない。――その名を呼ばれるのは、もう七年振りか」
「……リュージくん、転生じゃなくて転移者なんですね?」
「ああ、そうだ」
新井隆二がこの世界に呼び出されたのは、十四歳のときの話だ。
一年前に父をうしなってからというもの、隆二はふさぎ込み、学校も休みがちになり、自室でぼうっとしているだけの時間を過ごすことが多くなっていた。
尊敬していた父だったのだ。正義感にあふれる警察官で、いつも弱いひとたちの味方だった。危険に真っ向から立ち向かうその背中を、あこがれのまなざしで隆二は見つめていたものだ。隆二にとって、父はまぎれもなくヒーローそのものだった。
それが、死んだ。
大型のサバイバルナイフと包丁を持って、小学校で児童を傷つけるという、おそろしい殺人鬼に、真っ向から立ち向かって――あえなく、あっけなく、死んだ。
報道のほとんどは、児童たちの死を悼むもので、止めに入って死んだ警察官のことは、ほんのおざなりにしか扱われなかった。なんでだよ、なんでだよと隆二がテレビや週刊誌に当たり散らしているうちに、事件は忘れ去られた。
そうして、呆けたような日々を過ごしていたとき――突然、光に包まれて、隆二はこの世界へと呼び出されたのだ。
「……驚いたものだ。ゲームのファンタジーみたいな世界に連れてこられて、突然、『勇者様、この世界を救ってください』ときた。十四歳の、やせっぽちの餓鬼がだぞ?
僕は怖くて怖くて、毎日泣いた」
戦うのが怖かった。
死ぬのが怖かった。
父のように無駄死にして、忘れ去られるのが怖かった。
「なのに、どうして戦場へいったんです?」
「……怖かったからな」
忘れられるのが、怖かった。
ならば、戦場で勇者として華々しい活躍をすれば、みんなに覚えていてもらえる。
死ぬのが、怖かった。
ならば、誰よりも強くなり、誰よりも重要な存在になれば、みんなに守ってもらえる。
戦うのが、怖かった。
ならば、なぜか転移と同時に与えられていた強大なちからを振るって、敵を光もろとも消滅させてしまえば、彼らが死ぬところを見ずに済む。
「ただ、臆病だったのだ。
戦場の英雄と讃えられ、勇猛果敢な猛将と呼ばれ……それでも中身は、痩せっぽちの、怯えた少年のままだった。勇者アランは、ちっぽけな中学生アライリュージのまま、一歩も踏み出せずにいたのだ。あのイベリスとかいう少女が、見抜いたとおりにな」
「……該当者、ってのはなんなんすか?」
該当者。
その名前を聞いたのは、帝国でもっとも名高いという、あの占い師が王宮に招かれたときのことだ。皇帝陛下に当たり障りのない幸福を占い、摂政に都合のいい地位の保持を約束した占い師は、いかにもいんちきくさかった。
しかし、周りに勧められ、いやいやながらもアランが占いを受けたとき、占い師の顔は変わった。まるで神に憑かれたような顔で、こう口走ったのだ。
――このものは、おなじせかいからきたものに、ころされる。
「……それが、該当者だ。僕とおなじ世界から現われ、僕以上のちからを持ち、僕を殺す運命を持つもの。
この世界で強さにおぼれ、名誉と地位におぼれ、死への恐怖を忘れかけていた僕にとって……それが、世界でもっとも怖いものだった」
「だから、転移者や転生者を」
「そうだ。片端から殺してしまえば、該当者は現われない。……いまとなっては、とんだ偏執狂の発想だな」
アランは自嘲の笑みを浮かべた。
「はじめて会った転生者が、アザムでよかった。道を踏みはずすまえに、僕を止めてくれた。……腕一本、奪ってしまったが」
「あ、それについて、先輩からの伝言をひとつ、伝えておきます」
「伝言?」
「さっき、また気絶するまえに、言ってたんすよ。──『“勇者”、おまえに俺の腕一本を貸す』って」
「貸す?」
クロエがにっこりと笑い、立ち上がった。
「『おまえは俺の腕を奪った。だから、この腕の代償を払え。この腕がほんらい救うはずだったひとの数をじぶんで考えて、俺の腕に代わって救え。それが新井隆二に対する”報”だ』──だ、そうです」
「──」
アランはことばをうしなった。
なんという、言か。
なんという、男か。
あの少年と、並び立てるなどとはそもそもおこがましかった。じぶんはそもそも、人間としての器において、はるかに負けている。
すがすがしいほどの、敗北だった。
「先輩がね。まえに言ってたんす」
クロエがほほ笑んだ。
「『因果応報』っていうのは、希望に満ちたことばなんだって。善いことをすれば、善い報いが訪れる。たとえば善のために死んだとしても……善いことをした人間は、善い記憶とともに思い出してもらえる。それも『報』なんだって」
「『報』……」
「リュージくんはこれから、たくさんの善行をしなくちゃいけないんすよ。
戦場で多くのひとを殺してしまったっていうんなら、それ以上のひとを救わなくちゃいけないっす。じぶんの為した『因』を、それによる『果』を、拾い集めて、きちんと『応』じていって。
そうしたら、いつか必ずすてきな『報』が、リュージくんにも訪れます」
クロエが両手を広げる。
アランは、じぶんの両手を見つめる。血塗られた両手。殺すことしかできなかった手。弱さを塗り隠すことしかしなかった手。
この手で、これからは――。
「ありがとう、クロエ殿」
ひさしぶりに、ほんとうにひさしぶりに、アランは笑う。すがすがしいほどの敗北に、十四歳以来はじめて開けたじぶんの未来に、笑った。
「僕、がんばるよ」
にひ、とクロエは笑いを返した。
「その意気っすよ、若人」