27.俺たちは、ふたりでひとりの
なんと、やりにくい相手か。
アランは胸中で舌打ちする。
見えない。
聞こえない。
気配を感じない。
殺気を消している――とか、そういう領域の話ですらない。こうしてまちがいなく対峙しているというのに、存在を感知することが、できない。ほんとうに目のまえにいるのかどうかさえ、うたがわしくなる。幽霊や妖魔を相手どっているかのような心地だ。
しかし、攻撃はくる。
攻撃する瞬間にだけ、かすかな気配が漏れる。それに超速で反応することで、かろうじて、防ぐことができる。すがたを現わした蛇王の連撃をしのぎ、ようやっと見つけた隙を突こうと聖剣を振りかぶった瞬間に、また、すがたが消える。
――これが、暗殺者か?
一騎討ちの様相を取っていても、対峙したところから始めても……蛇王が行なっているのは、徹頭徹尾、完璧な『暗殺』だった。
不意などなくても、不意を打ち、
裏などなくても、裏を掻き、
隙などなくても、隙を突き。
そうして見事に『暗殺』を遂げてみせる。
――これが、暗殺者か。
カタールによる一撃を、また聖剣が受け止める。
鍔迫り合いとなった。
アランの膂力を、蛇王はしかし、正面から受け止めない。一瞬だけ耐えたかとおもうと、ふっと力を抜き、アランが踏み出してしまった一歩の隙を突いてくる。顎目掛けて刺しこまれた刃を、のけぞるようにしてなんとか避けた。
ひゅう、と蛇王が口笛を鳴らす。
「いまのを避けられちゃ、こっちは商売上がったりだなァ」
声目がけて短刀を投擲したときには、すでに、そこに蛇王のすがたはない。
「くそ……!」
いら立ちを吐き捨てる。
なにが腹立たしいといって……この蛇王めが現われた瞬間に、教団の連中が見てわかるほどに安堵したことが腹立たしくてしかたがない。これで助かったと、これでなんとかなったと、胸をなでおろしているさまが癇に障る。
俺が、まだいるのだ。
”勇者”が、まだいるというのに。
なのに、なぜ恐怖しない。なぜ絶望しない。這いつくばって赦しを請わない。おのれのあやまちを認め、改心を誓い、俺の慈悲に感謝を捧げない。
俺が殺そうとしなかったからか。
俺が甘いと、そう思われていたからか。
そもそも。
この教団連中は、許しがたい。
勇者を騙り、だれはばかることなく、勝手に正義面をする。愚かな民草どもが、真偽にも気づかず、勇者をもてはやす。その構図のすべてが、アランには許せない。
勇者とは天下の英雄だ。そのちからは、些末なひと助けなどに振るわれるべきものではない。戦場で数万の軍勢を相手どり、あるいは、伝説の巨大な魔物を相手どって、そのちからは振るわれるべきだ。
ひと助けだと。
困ったひとを救う、だと。
そんなちいさなことのために、俺は呼ばれたわけではない。
そんなくだらないことのために、俺は人生を捨てたわけではない。
だいたい、そんなことをしていて、名が残せるのか。他人のためにじぶんが危険に身を晒し、じぶんのいのちを使う。そこに、なんの意味があるというのか。名もない警察官の人生と、なにが違うというのか。
他人の子供を庇って死んだ、あの父親の人生と。
「……く!」
またしても、蛇王の攻撃。
無理な姿勢でそれを受け止めたせいで、柄尻の飾りがちぎり取れる。召喚された日に腰に佩き、つねに完璧無比でありつづけた聖剣が、はじめて傷つけられる。
だいたい、なぜこの世界には魔王がいないのか。
斃すべき存在がいない。絶対的な悪がいない。あるのは反対側に立つ人間同士の対立と、戦争だけだ。被害者はいるのに、加害者がいない。責めを負うべき者がいない。怒りを向ける相手がいない。
敵が、見えない。
打倒すべき目標が、見えない。
「貴様と同じではないか、蛇王ッ!」
アランは目のまえの空間を聖剣で斬りはらう。
もちろん手ごたえなどはない。
だが、膨れ上がる憤怒にまかせて、そのまま、聖剣を振るいつづける。隙だらけだと分かっていた。危険だと知っていた。それでも、衝動のままに、空気を斬り裂きつづける。
こうやって、アランは、空を斬りつづけてきたのだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
咆える。
絶叫する。
頭のなかをいっぱいに占めているのが、焦燥だとアランは気がつく。
帝国に従えばいいのだと思っていた。アランを勇者と呼び、称え、崇めたてまつった。そのことを心地よく感じたころもあった。しかし、一年経っても、二年経っても、帝国の傀儡という立場を抜け出ることはできなかった。
俺はまだ、なにも残していない。
俺はまだ、なにも倒していない。
俺はまだ、なにも成し遂げていない。
それなのに。
教団は。
蛇王は。
「くそったれえええええええええええええええええええええッ!」
聖剣を叩きつける。
エネルギーを込めて、叩きつける。かたちを為さないあかつきのひかりが、あちらこちらに照射されて爆発を巻き起こす。倉庫の内側が崩れていく。怒りのままに、焦りのままに、アランは聖剣を振るう。ちからを解き放つ。まるで駄々をこねる子供のように、野放図に、無軌道に、怒りをまき散らしていく。
と。
聖剣が、アランの手から離れる。
得物を振りぬいた瞬間、手の甲をしたたかに切り付けられたのだと気づいたときには、喉元に刃が差し出されていた。濃密な死の気配に、勇者は崩れた姿勢を立て直すことができない。
顔を上げる。
そこには、蛇王の顔がある。
その両脇から、一本の腕が伸びている。少女の、黒手袋に包まれた指先が、アランの鼻先に突き付けられている。
「このひと、」
蛇王の背中の少女が、言う。
「……たすけてほしい、って」
*
決着は、ついた。
あっという間だった、ように思えた。
”勇者”は、すでに戦意をうしなっているようだった。
”蛇”が突きつけていたカタールを逸らしても、身じろぎひとつしない。うつろな表情のまま、イベリスを見つめている。“蛇”はじぶんの肩から突き出された腕を見やり、ため息をつく。
「――たすけて、ほしいって?」
「うん。ちいさなこどものこえで、ないてる」
この子には、もうちょっといろいろなことを教えてやらなきゃいけないかもしれない。
たとえば、男のプライドの扱い方とか。
「この俺が――?」
「分かるんだとさ、この子には」
「まさか、そんなはずがあるものか。この俺が、助けだなどと」
イベリスは突き立てていた指を引っ込める。
“蛇”とからだを結びつけていた縄をしゅるりと器用にほどくと、倉庫の床にはだしのまま降り立つ。ぺたぺたと“勇者”へ歩みよると、無造作にその顔を両手ではさみ込んだ。
「ちかくだから、きこえるよ。はっきりと」
「小娘、貴様――」
「わからなかったんだね、ずっと。
どこへむかって、あるけばいいのか」
“勇者”の表情が、驚愕に満ちる。
「おとうさんがいなくなって、しらないこをたすけたせいだってしって、そのこのことをうらんでいいのか、うらやましがっていいのか、わからなかった。
それから、きゅうにしらないせかいへつれてこられて、
とまどって、こわくて、こわくて、
つよいとしっても、ちからをもってるってしっても、なにもできなかった」
「俺は」
「ちからをつかって、ひとをたすけるのがこわかった。
ひとをたすけたのに、みんなにわすれられてしまうのがこわかった。
こわいから、おぼえておいてもらおうとおもった。
ちからをみせれば、おぼえてもらえるって、そうおもった」
「俺は……」
「でも、ただしいかどうかわからなかった。
てきがいればいいのに、てきがいなかった。
てきがみえなかった。
ちからがあるのに、ひとをころしてばかりで、ひとをたすけたことなんてなかった。
おとうさんは、こんなじぶんをどうおもうだろうってかんがえたら、
また、こわくて、こわくて、こわくて」
「お、れは……」
「じゃおうが、うらやましかった。
にせゆうしゃが、うらやましかった。
それをみとめたくなかった。
じぶんがつくったじぶんのなかで、がんじがらめになって、ちいさなこどものままで、ずっとひとりでうずくまってた。
まっくらで、つめたくて、さみしいばしょで」
「ぼくは……っ」
「でも、だいじょうぶ」
涙を浮かべる“勇者”を、イベリスはそっと抱きしめる。
「――わたしたちが、たすけにきたんだから」
“勇者”の涙が、決壊する。
泣きじゃくっていた。もはや、孤高の武人を気取る青年は、そこにはいなかった。痩せっぽちの、親を亡くした、孤独な少年が、そこにいた。
少年は泣きながら、語る。
じぶんはほんとうは、ヒーローになりたかったのだと。
お父さんみたいに、だれかをたすけたかったのだと。
でも、こわかったのだと。
死ぬのも、忘れられるのも。
すべての述懐を、イベリスは聞き、受け止め、うなずき、ほほ笑み……そしてずっと、彼を抱きしめつづけ、頭を撫でつづけた。慈母のように。
「……参ったね、どうも」
どうやら、と“蛇”は思う。
この世界にはじぶんだけでは助けられない人間がいて、そのひとたちは、イベリスにしか助けられないのかもしれない。じぶんの身に付けた戦闘技術と、イベリスの持っているやさしさと、そのふたつを持ち寄ることで、はじめて一人前の『正義の味方』が成立するのだ。
これを知ってしまった以上、相棒を解消することは、もはやできないだろう。
どうやら――
俺たちは、ふたりでひとりの『蛇王』であるらしい。
「まだ、身を固めるつもりはなかったんだけどな」
泣きじゃくる“勇者”。
彼を抱きしめ、頭を撫でつづけるイベリス。
予想だにしていなかった光景を、ザッハークはいつまでも見ていた。