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25.せんぱいを、たすけて

 まともにやり合うつもりはない。

 相手は“勇者”なのだ。戦場で幾千の兵を相手に一歩も引かないという伝説の存在である。たかだか三百の暗殺者で討ち果たせる相手とは、思っていない。


 われわれの目標はただひとつ。

 あらゆる犠牲を払ってでも、何人ここで死ぬことになったとしても、“踊り子”を生きて逃がすこと。


 あの頭領はいつだって、じぶんなど代替可能な消耗品だと言っていた。因果応報の志さえあれば、頂点に立つ人間などだれでもよいのだと。頭領ひとりが死んだていどでぐらつく組織など、あってはならないのだと。

 理解はできる。だが、納得はできない。

 いつかそういう組織ができるにしても、まだ、この教団にはあの少年が必要だ。行く先を示してくれるひとが。


 そのためなら、私のいのちさえも捨てる。

 ナイラは覚悟を決めていた。いつだって。いまだって。


 だが――


「どうした暗殺者」


 予想と想像をはるかに超えて、“勇者”は強い。

 十二席が同時に飛びかかっても、ただの一撃で受けとめてしまう。あらゆる隙を突いた必殺の一撃が、あっけないほどたやすく空振りし、次の瞬間には、死を予感させる反撃が飛んでくる。


 “勇者”は、ただ立っているだけだ。

 一歩もその場を動いていない。


 それでいながら、こちらの戦力はみるみるうちに削られてゆく。十二席はかろうじて反撃をしのいではいたものの、ほかの暗殺者たちは的確に体を打たれ、倉庫の床へと転がってゆく。


 おそろしいことに――だれひとり、死んではいない。苦悶の声を浮かべながら、呼吸を荒げながら、暗殺者たちは倒れ伏している。そのだれもが、致命傷すらなかった。


 余裕のあらわれ、なのかもしれない。

 美学のなせるわざ、なのかもしれない。

 しかしそれ以上に、こちらの戦意を削ってくる。生存しているとなれば、彼らを連れて撤退する必要がある。だが、撤退は容易には許されない。負傷者はみるみるうちに数を増やしていき、助けられる限界値をはるかに超える。こちらは二択を迫られることになる。


 味方を見殺して、逃げるか。

 逃げずに、みな倒れるか。


 どちらを選んでも、後悔が残る選択だ。

 この選択肢が、戦意を削ってくる。このあたりの機微は、長く戦場を渡り歩いてきた“勇者”ならではのものと言える。


「――“鉤爪”、悩まないでいい」


 いのちがけの攻防のあいまに、“霧”が耳打ちする。


「わたしたちの目的はひとつ、でしょう?」


 そうだ。

 何人死んでもいい。

 何人が死んでもいいのだ。

 あの少年を、あの“踊り子”を、生かして帰す。その他すべてのものは、そのために打ち捨てられて構わない。

 暗殺者なかまたちも。

 十二席なかまたちも。

 もちろん、じぶんも。


 あの子は、さぞかし怒るだろう。

 怒りくるい、そして泣くだろう。

 そういう子だ。

 そういう子だからこそ、われわれの頭領なのだ。


 願わくは。

 あの子の泣き顔を見るのが、じぶんではありませんように。


「弱いっ!」


 “勇者”が吠え、“盃”と“騎士”との同時攻撃を聖剣の大振りで薙ぎはらった。ふたりの体はたやすく壁へと打ちつけられる。受け身をとる余裕すら、すでにない。


「おまえたちは弱い。あまりにも弱い。正直、幻滅したぞ。“踊り子”というあの子供は、ずいぶん保ったがな。……やはり、あの転生者が特別だったか」

「黙れッ!」


 叫んで、ナイラが地面を蹴る。

 敵の間合いに入る数歩手前で、ふっと、殺気を消して音もなく宙に跳ぶ。常人なら、とつぜん目のまえでナイラのすがたがかき消えたようにしか見えないだろう。

 そのまま“鉤爪”は“勇者”の背後へと着地し、むき出しの頸へと爪の刃先をくりだす。


 と。

 “勇者”の目が、笑いながら、ぐるりとこちらを振り向いた。

 視認したときには、もう遅かった。

 ゆっくりと流れる時間のなかで、“勇者”は悠然と聖剣を持ち替え、くるおしく思えるほどに遅い鉤爪の先を、かるく突いた。

 それだけだ。

 それだけで、ドワーフが鍛えた業物の刀身を六本も使った、刃こぼれひとつない鉤爪の刃が、すべてくだけ散った。


 驚愕の感情がかたちをとるまえに、ナイラの体は”勇者”に引き寄せられていた。

 見た目からは想像もつかないほどの筋力が、両腕の自由を奪う。

 なすすべもなく、ナイラの覆面が取り払われた。


「ほう、やはりな」


 ”勇者”がにやりと笑ってつぶやく。


「道理で、感情的なはずだ。暗殺者としてはあるまじきほどに。女の細腕で、戦場に立とうなどとはおこがましい。ましてや、この俺を討とうなどと、よくも思い上がれたものよ」

「くっ……!」


「おいおい、それは男女差別だぜ」

 軽口を叩いて、”姫”が斬りかかってくる。

 得意武器のレイピアによる神速の突きは、しかし、”勇者”には届かない。ナイラを左腕で拘束したままに、空いている右腕一本で聖剣を振るい、細身の刃を寸刻みにする。柄だけを残したレイピアを放り捨てると、”姫”は中指を立てた拳でこめかみの急所へ猛襲する。

 それも、届かない。

 一発の肘鉄で、”姫”は弾き飛ばされる。


「その腐れた手を”鉤爪”から放せ、”勇者”」


 ”牛”が素手のままで掴みかかる。

 ”勇者”はわずかに身を逸らせただけで、肉をちぎり取る握撃を避け、代わりに”牛”の顔面を掴む。

 五本の指が、まるで毒蛇のように”牛”の顔面を締め付けた。


「……っ、ぐお……っ」

「鈍重で、みにくく肥大化した筋肉だ。使いものにならん。覚えておけよ怪力男。力というのは、このように込めるものだ」


 ”牛”の頭骨がみしみしと悲鳴を上げる。

 懸命に”勇者”の腕を握りしめる”牛”だが、相手の三倍ほどの太さを誇る”牛”の腕が、いっこうに敵わない。やがて、”牛”は泡を吹いて床へとくずれ落ちる。


 勝てない、どころの話ではない。

 敵わない。

 敵として相対することすら、同じ土俵に立つことすら、できない。起きているのは戦いではなく、一方的な蹂躙だった。十二席がつぎつぎと倒れていく。三百近かった部下たちが、片端から戦闘不能に追い込まれていく。


 視界の端に、”踊り子”のすがたが見えた。

 止血は成功していたが、血をうしないすぎて、蒼白な顔をしている。はやく運び出さなければ、じきに死ぬだろう。

 だが、誰ひとり、彼をこの場より脱出させることができない。


 誰かが”踊り子”に駆け寄ろうとするたび、”勇者”は短剣を飛ばして牽制する。誰かが倉庫を抜け出ようとするたび、”勇者”がそのまえに回り込む。

 こちらを嬲って、愉しんでいるのだ。

 まるで蟻地獄だった。もがいても、もがいても、死へと近づいていく。


「……ほう?」


 と。

 ”踊り子”のところに、”猫”が駆け寄っていた。”勇者”の隙をついたのだろう。脚から血を流しながら、”猫”は少年の体をけんめいに持ち上げようとする。と、ナイラの鳩尾にするどい当身が喰らわされる。

 意識が朦朧とし、視界が混濁する。

 ”勇者”が離れてゆくのが、見えた。


 ――逃げろ、アザム。


 声を出すこともできぬまま、ナイラは気をうしなった。


 *


 助からない。このままじゃ、ぜったいに。

 クロエはまっしろになったアザムの肌を見て、思う。血が足りない。ちっとも足りない。


 先輩は、ばかだ。

 わたしなんかのために怒って、勝てない敵に斬りかかっていった。わたしなんかを庇って、腕をうしなった。

 あまりにつり合いが取れない。

 あんなに頭のいいひとのくせに、いざとなると、ほんのすこしの計算もしなくなってしまう。ほんのささいなことで火がついて、あとはもう、誰にも止められなくなってしまう。


 ――わたしのことになると。


 うれしくなんてない。

 うれしくなんて、あるもんか。

 先輩がじぶんをたいせつにしないことが、どうして、うれしいはずがあるもんか。


 こちらが、どれだけ待ったと思っているのか。

 三百年だ。

 たった一年しか生きていない人生で、

 たった一度しか会っていないひとを、

 三百年も待ちつづけたのだ。

 三百年、恋い焦がれつづけてきたのだ。


 こんなに待ったのに、このひとは、出会ったあのときとちっとも変わらない。向こう見ずで、無鉄砲で、他人のためにたやすくいのちを張って。

 そして、いつだって、走りつづけている。

 置いていかれないようにするのに精いっぱいで、その背中に、声をかけることもできなかった。思いきり抱きついて、そのにおいを嗅ぐこともできなかった。膝のうえに座らせてもらうことも、その手からごはんを食べさせてもらうことも、ゆっくり頭を撫でてもらうことも、できなかった。


 それでも、三百年待ったのだからと、おとなしくしていたのだ。

 おとなしくして、いい子にして、こちらを向いてくれるのを、また待っていたのだ。


 なのに。


「また、先に行っちゃうつもりっすか……」


 泣いていた。

 ぼろぼろに泣いていた。大粒の涙が、つぎからつぎへとあふれ出て、止まらなかった。プロの暗殺者としては失格だ。十二席に名前を連ねているのさえ恥ずかしい。


 でも、どうでもよかった。

 この涙で、冷たくなりはじめた先輩のからだが、すこしでもあたたまるのなら。もう一度、もう一度だけ目を開いてくれるなら。もう、なにもかも、捨ててもかまわない。


「……“踊り子”」


 ふいに落ちてきた影を、クロエは見上げる。

 “勇者”がそこにいる。

 傲然と、そこに立っている。


 ふしぎと、憎しみはなかった。そんなことよりも、このひとは先輩をたすけてくれるんだろうか、という稚気に満ちた考えが、頭をよぎった。


「きさまはあるいは、俺がついぞ出会えなかった好敵手になったやもしれぬ。預言のとおり、該当者として俺のまえに立ちふさがったやもしれぬ。それともあるいは」


 おだやかともいえる口調で、“勇者”は語る。


「めぐり合わせによっては――友と呼べる仲になったやもしれぬ。背中を合わせ、ともに該当者と戦っていたやも。……いや、未練か」


 “勇者”はかぶりを振る。

 クロエはその背後を見る。十二席はみな気をうしない、立ち上がることのできない暗殺者たちが転がっている。クロエが気づかないうちに、決着はついていたのだ。

 “勇者”は聖剣を構える。


「せめて、この俺自身が介錯してやる」


 クロエは、両手を広げる。

 じぶんがなさけなく震えていることも、分かっている。これがなんの意味もないことも、分かっている。“勇者”はじぶんを斬り捨てたあと、とうぜんのようにアザムを斬るであろう。じぶんがここでアザムを庇ったところで、彼の死を数秒遅らせるにすぎない。じぶんの死はまったくの無駄死にだ。


 そんなことは、ぜんぶ、分かっている。


「……どけ。小娘。無益な殺生はせん」


 クロエは首を振る。

 駄々をこねる子供のように、ただ現実を否定するために、首をぶんぶんと振る。


「どかぬか。その転生者にあくまで忠義立てするか。見上げた覚悟だ。ならば、もろとも」


 “勇者”が聖剣を振りかぶる。

 クロエは身を固くして、死をもたらす痛みに備える。一瞬、ほんのすこしだけ、じぶんの気の弱さに負ける。三百年神を恨みつづけたクロエが、さいごの瞬間に、神に祈りをささげる。


 ――せんぱいを、たすけて。


 聖剣が風を切った。

 と同時に、クロエのからだも風を切っていた。


「え――」


 とつぜんの浮遊感に、クロエはかたくつむった目を開ける。


 飛んでいる。

 倉庫の宙を、飛んでいる。


 傍らにはアザムの顔がある。荒い息をまだついている。生きている。

 体に回されているのが、だれかの腕だと、クロエは気がつく。あたたかい体温を伝えるそれの持ち主を、クロエは見上げる。


 黒い覆面が、ふたつ。

 黒い腕が、よっつ。

 子供たちが憧れ、悪党どもが恐れる、その特徴。


「よう。パーティがあるって聞いてたんだけど、もうお開きだったかい。クロエちゃん」


 “蛇”の声だった。


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