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24.”勇者” アラン・ド・シュヴァリエ

 押されている。

 信じがたいことに、この俺が、押されている。


 アランは驚愕に見舞われていた。

 戦場であっても、アランに一撃を返す者などめずらしく、数合を渡り合う者にいたっては数えるほどしか記憶にない。各国の名だたる猛将と渡り合ってきた勇者にとって、痩せた子供ていどは羽虫にひとしい。

 はずであった。


 ――なんだ、この餓鬼は。


 額に冷や汗すらにじませながら、アランはかろうじて攻撃を受ける。


 一瞬の油断すら許されない。

 少年の振るうナイフは一撃ごとにするどさを増し、的確にこちらの急所を狙いすましてくる。

 おそろしい速さでくりひろげられる連撃は、しかしその半ばまでもがフェイントだ。虚を突き、意表を突き、一手遅れたところに必殺の一撃がやってくる。呼吸さえも許されない。


 いったい、何手先を見とおしているのか。

 いったい、どれほどの早さで戦術を組み立てているのか。


 その太刀筋はもはや、目のまえの少年のそれとは思えず、まるで熟練の剣客を相手取っているようだ。


 なにより、その目。


 燃えたぎる怒りを黒い瞳にともしたまま、あくまで冷静な計算をくりかえし、それでも一秒ごとにふくれ上がる殺気が、アランへ向けて照射されつづける。

 威圧感。

 アランが覚えている感覚を名づけるなら、おそらくそうなるだろう。


 この餓鬼に、俺は威圧されている。

 この餓鬼に、俺は萎縮させられている。


 ――なんなのだ、この餓鬼は!


 アランは反撃の代わりに、聖剣を大振りした。

 造作もなく少年は後方へ跳び、その攻撃をいなしきる。ふたりのあいだに空間ができ、アランは柄をにぎり直す。

 ようやく、息をすることができた。


 ひと呼吸、ふた呼吸――

 来た。


 快復が早すぎる。

 アランは少年の体重が乗った一撃を払いながら思う。

 呼吸をしているのかどうかさえうたがわしい。あれだけの運動量で、あれだけの連撃で、少年は疲労ひとつ見せていない。なめらかさを増していく攻撃は、やがて、アランの耳に音楽さえ幻聴させた。


 まるで、舞うように。

 まるで、踊りくるうように。


 少年はただひたすら、永遠とも言える時間を、跳びまわりつづける。


 もしかしたら、と勇者は考える。

 この少年こそが。

 この少年こそが、アランの探しつづけた、()()()そのものではないのか。

 想像が、勇者の肌をぞわりと粟立たせる。


「舐めるなッ!」


 大きく吼えて、アランは聖剣を薙ぎはらった。

 少年の首が飛ぶ。

 いや、飛んでいない。聖剣の軌道を避けるために、背を思いきり逸らして後方へと倒れこんでいた。一瞬の隙。しかしアランは、とどめの一撃を放つことができない。


 喉元に刃が迫っていたからだ。


 ぎりぎりのところでそれを掴む。指に、ナイフの刃が食い込み、するどい痛みが走る。だが、指は落ちていない。喉も無事だ。

 とっさに後方へとアランは跳びすさる。つづく攻撃を恐れてのことだ。


 しかし、追撃はない。


 少年は手に持ったナイフを投擲してきていたのだ。

 手元に残された最後の武器を、躊躇なく、投げてきた。そのことすら読めず、アランは追撃を恐れて引いた。


 引いた。

 逃れた。

 この俺が。

 勇者たる、この俺が。


「……ふ、くく、」


 こらえきれず、笑いが漏れた。


 やがて、大笑である。

 おおきな声で、 腹から、存分に、アランは笑った。


 それから、手に持ったナイフを放る。

 少年は宙を切り裂くそれを、見もせずに受け取った。


「子供。名を、なんという」

「アザム。――“踊り子”アザムだ」

「なるほど、“踊り子”か。きさまの二つ名としては、このうえないほどふさわしい。

 俺の名はアラン。”勇者”アラン・ド・シュヴァリエ。

 光栄に思え、“踊り子”よ。

 きさまを、わが敵と認識してやる」

「知るか」


 少年――“踊り子”アザムが吐き捨てる。


「おまえはとっくに、俺の敵だ」

「その意気よ。気に入った」


 アランは聖剣を構える。

 さきほどまでとは違う、八双の構え。右頬の横に握った柄に力を籠める。おのれの体内に流れるエネルギーの渦をそそぎこんでゆく。やがて、聖剣が黄金のかがやきをつよめていく。ほとばしるような熱が、黄金の刀身から照射される。


 あかつきのひかり。


 そう呼ばれる、聖剣の秘儀である。

 魔術とはまったく体系の異なる、法則も論理も超越した、無根拠かつ不条理なエネルギー。すなわち、『奇跡』の産物である。


「このちからゆえに、俺は勇者であり、

 俺が勇者であるゆえに、このちからはある。

 戦場を薙ぎ払い、戦線を断ち切り、戦局を支配してきた、究極のちからだ」


 ”踊り子”の顔色が変わる。

 さすがに、異変に気付いたようだ。油断なく、獣のように体をひくく構え、いつでも飛び出せるような姿勢を保っている。


「よろこべ、”踊り子”。

 この技を単身の敵に用いるのは、おまえが初めてだ」


 かがやきが極限に達する。

 すでに倉庫のなかは光に満たされ、白い闇に塗りつぶされているようにさえ見える。さらに光が強まり、すべての背景が消し飛ぶ。

 ただ一点。

 聖剣が狙う、”踊り子”のすがたを残して。


「喰らえ――」


 聖剣を振りかぶった。

 ”踊り子”が目の色を変えて振り向く。聖剣の軌道に、あの娘が縫いとめられていることに気が付いて。

 だが、もう遅い。


「――あかつきのひかり」


 聖剣が振るわれる。


 *


 闇夜を、光が斬り裂いた。


 一瞬遅れて、崩壊の大轟音が響く。

 瞬時に反応し、”鉤爪”は樹の肌を蹴る。垂直に跳び、人間七人分ほどの高さをひと息で駆けのぼった。


 樹上から、轟音の発生した方角へと目を剥ける。

 瞬時に分かった。

 港の倉庫のひとつが、内部から斬り広げられたように壊れている。その上空では、雲が直線に断ち割られている。  

 まちがいなく、現場はあそこだ。


「なんなのだ、あれは……!」


 想像をはるかに超える事態に“鉤爪”はとまどう。


「“鉤爪”ッ!」


 “牛”の声に下を向くと、貴族の少年があの倉庫を指さしているのが見えた。

 では、あそこなのか。

 あそこに、“踊り子”はいるのか。


 沸騰しそうになる頭をねじ伏せて、“鉤爪”は飛ぶ。

 着地すると同時に、奔りだしていた。


 貴族の子弟らしき少年が蛇王の名を呼びながら、街を駆け回っている。

 その報せを受けたとき、“鉤爪”の脳裏に浮かんだのは罠という単語だった。だが、少年のすがたをじかに目の当たりにしたとき、その疑問は吹き飛んだ。

 その目が、真剣だったのだ。

 演技ではできない、切実な光。


 少年を信じた“鉤爪”は、彼のまえに舞い降り……蛇王の味方と名乗った。少年は息せき切って語りだす。じぶんが悪党どもにさらわれたこと、倉庫に連れ込まれたこと、そこに助けにきてくれた黒衣たちがいたこと。しかし、黒衣たちは待ち受けていた者の反撃を受けて追いつめられていること。

 そして、彼らを追いつめているのが、ほんものの”勇者”であること。


 勇者。

 であるとするならば、さきほどのあの光は。


 ――間に合え!


 “鉤爪”はおのれを叱咤する。

 まだうしなってはならない。まだ手ばなしてはならない。われわれにはあの頭領が必要だ。あの理想が、あの信念が、あの光が必要だ。


 体が許す全速を超えて、“鉤爪”は走る。

 呼びあつめた十二席たちさえも置きざりにして、ひと呼吸さえもおのれに許さず、倉庫へとたどり着く。


「――“踊り子”!」


 “鉤爪”が認めたのは、想定していた最悪の一歩手前の光景だ。

 “踊り子”が、われらの頭領が、倒れている。“猫”と”砂嵐”とを庇うようにして。いのちはある。たしかにある。荒い呼吸が、あの薄っぺらな胸を小刻みに突き上げているからだ。

 だが。

 その左腕は、影もかたちもない。


「――ッ!」


 “猫”が泣きわめいている。

 流れ出る血を止めようと、必死にうしなわれた腕の根元を縛りながら。何度も何度も、“踊り子”の名を呼びながら。


 しかし血は、あふれ出すぎているように思えた。

 あの状況に仲間が置かれたら、以前の“鉤爪”であれば、躊躇なくとどめを刺していただろう。たとえその後の数分を永らえたとしても、治療には間に合わない。


「くそ」


 追いついてきた“牛”が、膝を叩く。

 次々と、暗殺者たちが倉庫の入口へと集結する。月明かりがさえぎられ、倉庫にはふかい暗黒が落ちる。


「……とにかく血をとめろ! 頭領を運び出せ!」

「待って!」


 クロエがするどく叫ぶ。


「まだ、ここにいるっ!」


 ぞわり、と。

 気配が立ち上がった。巨大な、あまりにも巨大な、殺気のかたまりが。瞬時に“鉤爪”の肌が粟立ち、本能が構えを取らせた。


 闇のなかに、おおきなものがいる。


「三百か」


 ひくい声が、響く。


「有象無象とはいえ、ずいぶんな数が集まったものだ。これだけの勢力を持っていたのだな、おまえたち教団とやらは」


 闇のなかから、こつ、こつ、と足音が近づいてくる。


「頭領――と呼んだか? この“踊り子”を? なるほど、やはり転生者ということか。すぐれた武力の代わりに、統率力でも付与されていたか」


 すがたを現わした足音の主は、長身の男だ。

 気配のおおきさに比べると、呆気にとられるほどにちいさく思える。しかし、頭のなかの警鐘は、目のまえのこの男に鳴らされている。

 これが。

 この男が。

 大陸全土にその名を馳せた、戦場の英雄。

 世界最強の男――”勇者”アラン。


「まったく、たいした子供だよ、おまえたちの頭領は。俺の聖剣の一撃を、たかだか腕一本を犠牲にしたていどで、見事にしのいでみせた。このちからを振るって、だれも殺せなかったのは初めての経験だ。つくづく、今日は初めてが多いな。……だが」


 ”勇者”が、無造作に腰のものを抜きはなつ。とたんに巨大な殺気は鳴りをひそめ、その刀身だけに集中する。

 黄金にかがやく、聖なる剣に。


「すべては、これで仕舞いだ。おまえたちの頭領も、おまえたちも、ここで死ぬ」


「させるか」

 “牛”が一歩まえに出る。

「今宵はめずらしい。われら十二席が、十一人いる。世界最凶の暗殺者たちが、十一人まで、揃っている。ならば、いかな最強の勇者とて、いかな無双の英雄とて、御身無事には済むまいよ」


 十二席が、最凶の暗殺者たちが、それぞれの足を踏み出す。

 “牛”が。

 “歌姫”が。

 “騎士”が。

 “盃”が。

 “商人”が。

 “姫”が。

 “茉莉花”が。

 “霧”が。

 “車輪”が。

 “猫”が。

 そして――“鉤爪”が。


「く、はは」


 “勇者”は笑みを浮かべる。

 獰猛な獣の笑みを。尊大な暴竜の笑みを。


「では、見せてみろ。暗殺者ザコどもよ」


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