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22.へびさん、おいしいね

 帝都の夜が明けようとしていた。

 黒衣を脱ぎ、その布で偽の聖剣を包み、旅装に戻ってから、なに食わぬ顔で宿へと入る。大金を握らせて貸し切り、すべての職員に手当を与えて家に返してある。だから、宿には、教団の人間しかいない。

 頭を下げる教団員たちに軽い会釈を返しながら、俺はスイートの奥へと向かう。


 豪奢な居間には、すでに十一人が揃っていた。


「……みんな、ひと晩お疲れさま」


 十一人――”蛇”を除く十二席の全員が、俺に向かってうなずいた。


 勇者になりすまして、”蛇”のようにひとを救う――そう決めたとき、皆は俺のことを馬鹿を見る目で見ていた。

 “蛇”が帝都を出ないのは、彼のはじめた正義の味方稼業が終わっていないから。その推測を基にしたら、当たりまえの行動だと俺は思ったのだ。”蛇”にとって帝都はすでに安心できる場所ではない。そこに執着する理由が、帝都に残る困った人びとを救うという信念にあるのなら、それを支援してやることが、”蛇”を救うことにつながる。


 ――要件が済んで、”蛇”が逃げてしまったらどうする。


 そういう問いかけに対して、今度は俺が頭をひねった。


 ――それのどこがいけない? 確かに俺は”蛇”に会いにきたけど、”蛇”を教団に縛りつけたいわけじゃない。事情はできれば知りたいけれども、正義を成そうとする彼のありようを否定するつもりはまったくないんだ。


 けっきょく、みなも理解してくれた。


「どうだった? 今晩の勇者様(おまえ)たちは」


「ひとことで言うなら、忙しない」

 “鉤爪”がめずらしく疲労の色を濃くしている。

「ひとりを助けたら、またすぐに次だ。帝都の治安がこれほど悪化していたとは」


「私は”鉤爪”殿と逆でありました」

 “騎士”がふがいなさそうに肩を落とす。

「なかなか、助けを求める声を見つけられず。探してばかりでありました」


「”蛇”のやり方が分かりませぬ」

 “商人”がぽつりと低い声をもらす。

「どうやって、単身であれほど多くの人間を救っているのか」


「まるで、見えているかのよう」

 “歌姫”が詩を読むような調子で言う。

「助けを求めるひとのすがたが、すべて”蛇”のまなこには」


「うん、確かにね」


 俺はうなずいた。


 じぶんたちが帝都に潜む悪と戦ってみて、まず感じたのは、効率の悪さだった。

 助けを求めるひとを救うには、助けを求めるひとを探し当てなければならない。大声で助けを求める相手なら、助けられる。しかし、全員が全員、大声を出せる状況にあるわけではないのだ。


 口をふさがれていることもある。

 恐怖で喉が詰まっていることもある。

 声が漏れない密室に連れ込まれていることもある。

 悪党だって、憲兵や目撃者には用心するから、じぶんたちの獲物に大声をあげさせて平気でいるわけがないのだ。


 となれば、俺たちもしらみ潰しに夜の帝都を走りまわるしかなくなる。路地裏を覗き、道の端に目を配り、騒々しい方角へ駆けつけーーそうやって、何時間かに一回、運良く現場に遭遇できるのを、待つしかない。


「”蛇”は効率がよすぎるの……」

 ”茉莉花”が言う。


「なにか別の手段で被害者たちを見つけてるんです。そうです絶対。ずるいです」

 ”盃”が言う。


「別の手段、ね」


 まるで見えているかのようだと評したのは“歌姫”だった。

 助けを求めているひとを見通す。千里眼のような力を、“蛇”が持っているとしたら?


「あくまで憶測でしかないけれど」


 “霧”が言う。


「その『別の手段』とやらが、帝国が血眼になって“蛇”を探す理由だったりするかしら」

「ありうるな」


 “牛”が同意した。俺は“牛”とうなずきを交わす。


「“猫”。帝国の動きについて、なにか新情報は?」

「えーっとね。“蛇”が最後に目撃されたのは、ダンマルタン侯爵邸の舞踏会っすね」


 クロエが斥候からの報告書をぺらりとめくる。

 ”蛇”が変装していた『セルパン・ド・モンフォール伯爵』はダンマルタン侯爵の舞踏会へと出ていた。ここまでは、教団への報告にあった通りの動きだ。しかしその後、彼はすがたを消す。


「貴族たちも、どうやら彼がダンマルタン邸を後にするところを見ていないようです」

「では、”蛇”が足取りを断ったのはここだな。

 クロエ。ダンマルタンとはどういう人物だ?」

「侯爵だから、けっこう身分の高い貴族っす。帝国軍の補給官をやってますね。特筆すべきこともない人物に見えるっす。……けど、”蛇”の失踪からほどなくして、帝国中枢にとっ捕まってます」

「捕まった?」

「ええ。現在ダンマルタンの身柄は王宮地下牢に留め置かれてます。だいぶひどい拷問受けてるみたいっすね。まだ情報は伏せられていますが――なんらかの機密に触れたことはまちがいないっす」


 なるほど。

 ”蛇”がダンマルタン侯爵の舞踏会に参加したのも、この侯爵を調べるためだったと見たほうがいいだろう。そこで帝国の機密を知り――それを持って逃げた。

 それゆえ、帝国は”蛇”を追っている。

 刺客をさしむけたが倒せず、やむなく、勇者まで動かした。

 これがおおかたのシナリオだろう。


「よし。じゃあ、戻ってきて早々悪いんだが。

 ”姫”。それから”車輪”」


「はーい、ぼくだね」

「うひ」


 ”姫”がうれしそうに手を挙げ、”車輪”が笑いを漏らす。


「”姫”。王宮地下牢から、ダンマルタンをさらってきてくれるか?」

「りょうかーい。なーんだ、あんまり勃たない任務だね」

「こちらにきたあとは、”車輪”に任せる。

 聞き出してほしいのは――『”蛇”が持ち逃げした機密とはなにか』『帝国にどこまで話したか』の二つだ」

「拷問かなー拷問だねー?」

「協力的でなければ、しかたない」


 うひひうひ、と”車輪”がはしゃぐ。

 

 *


「しゃべったよーぜんぶしゃべったよー」


 返り血のしぶきを受けた”車輪”が、いかにも消化不良だという不機嫌顔で帰ってきた。


「根性がないんだよーあっという間だよーぜんぜんかわいくないよー」


 ”車輪”は乱暴に返り血を拭うと、スイートのふかふかとしたベッドに潜り込む。高級そうなシーツのあちこちが血で汚れてしまった。いろんな誤解を生みそうだ。


 すでに日が高くなっている。

 夜の戦いに向けて、十二席を初めとする暗殺者たちは、宿の各室で眠りこけているさなかだった。俺の部屋でも、クロエとリュリュが毛布一枚にくるまって寝息を立てている。……リュリュがなぜか半裸なのは気になるが。

 俺は宿の地下室へと急いだ。


 目隠しをされたダンマルタンが、椅子に縛り付けられていた。

 びりびりに破れた高級服と、鼻や額にこびりついた乾いた血。俺の足音に、ダンマルタンは縛られた両手を挙げて身を庇おうとする。


「やめ、やめてくれ! 全部話した! さっき全部話しただろ!」

「落ちついて、侯爵」

「な……子供の声か?」

「俺のことは気にしないでいい。よけいな詮索はするな。あなたの身のためでもある」


 びくり、と侯爵は震えた。

 分かったね、と念押しをすると、侯爵は激しくうなずいた。


「じゃあもう一回話してくれ。

 セルパン・ド・モンフォール伯爵は、なにを持ち出した? おまえが関与する帝国の機密とはなんだ?」

「話す話す! も、持ち出したのは、魔導兵器のひとつだ!」

「魔導兵器?」


 ダンマルタンは息せき切って語った。

 恐怖と混乱のあまりか、情報はこんがらがっていたが、整理すると以下のようになる。


 帝国は、長きに渡る戦線の膠着に飽き飽きしていた。

 勇者という存在を導入することで、戦局全体は有利に運んでいたが……もっと戦場全体を刷新してしまうような、画期的な兵器が欲しい。新しいテクノロジーによって圧倒的な勝利を収めることこそ、帝国の超大国たる威信を示すのにはふさわしい。そう、考えたのだ。

 

 そこで、魔導兵器の研究が始められた。


 そのなかのひとつが――超広範囲対応通信魔導兵器『白のイベリス』と呼ばれるものだった。すべての戦場の意志を拾いあげ、すべての兵士にそれを伝達するという、まさに魔法の兵器である。

 そしてこれこそが、ダンマルタンが帝国中枢の研究機関から盗み出し、”蛇”が持ち去ったものだった。


「……だが、『白のイベリス』は失敗作だった」

「失敗とは?」

「拾える声が、少なすぎたのだよ」


『白のイベリス』はもともと、戦場に散らばるありとあらゆる意志と感情をキャッチし、それを高速処理して、敵軍の作戦行動に関わる部分だけを抜き出すという仕組みを想定されていた。これができれば、敵軍の行動は筒抜けとなり、自軍は戦術面で十歩も百歩も先んずることができる。

 しかし、実際に起動してみたところ――『白のイベリス』が拾ったのは、助けを希う声だけだった。


「イベリスは、強烈な伝達の意志をもっとも色濃く拾ってしまう。

 周囲のなかで、いちばん強い、切実な感情を、だ。

 それは、危機的状況に陥り、『助けて』と叫ぶその声だったのだ」


 けっきょく。

 起動したばかりの『白のイベリス』は強烈な混乱をきたして強制停止させられた。そこで、この『白の魔導兵器計画』はお蔵入りとなってしまったのだ。


 だが。

 そこに目をつけたのが、大公国だった。


「戦場にこの『白のイベリス』を連れてゆけば、救援を求める部隊にすぐに応援部隊や衛生兵を派遣できるだろう? この発想が、帝国軍にはなかった。救護を求める兵の惰弱さを許さず、とにかく攻勢を掛けるのみだと主張する猪武者ばかりの帝国軍にはな」


 そこで大公国は、かねてより通じていたダンマルタン侯爵を通じて、研究凍結された『白のイベリス』を持ち出すよう謀ったのだ。

 しかし、失敗した。

 どういうわけか、”蛇”がこれを持ち去ったからだ。


「なるほど。――『白のイベリス』とは、どういう形状のものだ?」

「……」


 侯爵が口ごもる。

 俺は「答えろ。さもないと」と声を低くする。ダンマルタン侯爵は慌てて語る。


「少女だ! 一〇歳くらいの、少女だ」

「少女を?」

「誓って問題はない! 奴隷を使って、改造をほどこしただけのものだ」


 奴隷を使って、改造を?

 俺は、怒りがじわじわと燃え広がるのを感じていた。


「詳細は、私の屋敷に置いた研究論文に書いてある! わ、私はまだ読んでないから知らない! ほんとうだ、暗号文で書いてあったから!」


 *


「……っ、嘘だろ」


 ”蛇”は吐き捨てる。汗がにじみ、手に掴んだ書類にぽたりと落ちた。


 朝になっていた。

 裸の上半身に、窓から差し込む朝日が照りつけている。”蛇”は傍らですやすやと眠る少女に目をやった。すべてを知ったあとでは、少女の平和そうな寝顔がこんなにも痛ましく感じる。


 ”蛇”が読みふけっていたのは、ダンマルタン侯爵邸から持ち出した書類である。日中の暇に飽かせて手ずから暗号を解いてみると、そこに書かれていたのは、補給官の荷車とはまるで関係のないことがらだった。

 このイベリスという少女に、なにが起きたか――ということだ。


 論文は、ある魔導兵器の製造方法を示唆するものだった。

 そのためには、少女の上半身を胸骨のすぐ下で切断し、消化に必要と思われる器官をすべて破棄して……腹腔を、まるごと魔導宝石に置換する、ということが必要になる。


 すべての活動エネルギーは魔導宝石が変換してつくり出すから、食事は必要としない。むしろ、口と食道と胃の一部だけが残されているだけだから、食事を摂ったとしても、消化のしようがない。

 当然ながら、性機能も完全に奪われている。

 性器もなければ、子宮もないのだから、当然だ。一生子を孕むことも産むこともない。第二次性徴を迎えることすらなく、いつまでも、いつまでも、ちいさな子供のすがたでいつづける。

 感覚器官のなかでは、目が奪われている。

 大量の情報を処理する脳の負担減のため、視覚を封鎖する必要があるというのだ。少女の目はくり抜かれ、永遠になにものをも目にすることがないように、ただのガラス玉が埋め込まれている。


 それが。

 イベリスという少女に課せられた、運命のすべてだった。


「……!」


 ”蛇”は気付く。

 気付いて、走る。


 少女は、食事をどうしていた?

 ”蛇”が見ているまえでは食べなかった。ごはんはあんまりたべないの、なんて抜かして、子供なんだからしっかり食べろ、と一方的に”蛇”が押しつけた食物をまえに、困ったような顔をしていた。

 けっきょく、少女の食べているところを、一度も”蛇”は見ていない。


 ”蛇”は台所で、屑箱を広げる。

 蓋の付いた木箱のなかに――”蛇”が与えた食物の残骸が、そのまま捨てられていた。


 どんな顔で、少女はこれを捨てたのか。

 どんな感情で、少女は俺のことばを聞いていたのか。


「……っ、俺は……」


 ”蛇”は悔いた。


 俺に似ている、だと?

 おなじ境遇だと?

 俺よりずっと過酷で、痛ましい過去をもち、未来までも剥奪されたこの少女と、のうのうと生きながらえ、うまいものを食い、女と遊んできた、この俺が?


 じぶんはものだ。

 かつて、”蛇”はそう思った。

 けれどもそれは比喩であって――ほんとうに、ただのものに成り下がったわけではなかった。


 じぶんはものだ。

 いつか、少女はそう語った。

 厳然たる事実として、彼女はすでに人間性を奪われている。兵器として機能するために、兵器として行使されるために。


 俺は――

 俺なんかが。

 

「……うゆ……」


 イベリスが寝返りを打った。

 むにゃむにゃと、口のなかで何事かを言う。


「……へびさん……おいしいね……」


 なにかを咀嚼するかのように、イベリスの口が動く。

 その唇の端が、ほほ笑みを作っている。

 夢を見ているのだ。

 仲のいい人間と食卓を囲み、食事を摂るという、ごくごくありふれた夢。叶うことのない、ささやかな、少女の夢。


「イベリス」


 ”蛇”は、ザッハークは、やさしく少女の寝顔に触れた。


「へびさんが、いつか夢を叶えてやるからな」

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