20.正義の味方が、あらわれた
「まだ、帝都を離れるわけにはいかねえのか」
”蛇”は聞く。
「まだ、こえがきこえるから」
イベリスは言う。
帝都の宿屋に二人はいた。
深更になって久しい。夜の長い帝都といえども、この遅い時間に客を受け付ける宿屋はそう多くはなかった。そのため、あらかじめ日中の時間に、平服を着て受付を済ませている。後は窓から出入りすればいい。出入りの瞬間を見られなければ、不審がられることもない。
”蛇”は黒衣を脱ぎ捨てて、下着姿となった。
相手は盲目だから、行儀の悪さを指摘されることもない。
イベリスも、ひとりで服を着替えていた。出会ったときに着ていた白いワンピースを手に取り、先日買い与えた黒いドレスを脱いだ。
目を逸らそうとしたが、間に合わなかった。
イベリスの下半身――球が埋め込まれている箇所が、露わになる。
イベリスは、
およそ普通の少女ではない。
腹部から下には、水晶玉のように磨かれた球が埋め込まれている。腰骨を抜き出して、そのまま球にすげ替えているような恰好だ。
うすい蒼に発光するそれは、魔術のかたまりなのだと少女は語った。
初めて着替えさせたとき、”蛇”は絶句したものだ。
また、あの「声を聞く」という能力も、彼女の特異性を支えている。
「イベリス」
「ん」
「どういう感じなんだ? その、声が聴こえるっていうのは」
イベリスはベッドの縁に腰掛けた。
きし、と軋む音がする。
「こえは、あちこちでささやくようなかんじ」
イベリスは思い出すように語る。
「すごくちいさなこえだけど、みみをすますと、どこからきこえてくるのかわかる。いろんなこえだけど、ぜんぶ、おなじことをいっているの」
「助けて――って?」
「そう」
イベリスがうなずく。
この少女が聞き取れるのは、『誰かが助けをもとめる声』だけなのだという。実際に声が発されているかは関係なく、ただ、誰かに助けを求める切実な感情だけが聞こえてくる。
「わたし、しらなかったの」
「ん?」
「あれが、たすけをもとめるこえだって」
”蛇”に連れ出されるまで、耳をすませても届かなかったのだと、イベリスは言う。屋敷を出て、帝都の夜を走りはじめて、ようやく、聞き取ることができたのだと。それで、つい指差してしまった。
「へびさんが、つよいひとでよかった」
「強かァねえさ」
”蛇”はたいそう混乱したものだ。
衝動に駆られて少女をさらってしまったとたんに、他ならぬその少女によって、行く先を指定される。その指示通りに走ると、助けを求めるひとがそこにいて、否が応でも戦いに巻き込まれる。
それを、ひと晩に幾度も幾度も、くりかえさせられる。
――俺はいったい、なにをやっているんだ。
何度も何度も、自問をくりかえした。
じぶんに似た境遇だと思って、つい、さらってしまった。そうしたらいつの間にか、正義の味方じみたことをやらされている。あれだけ勝手気まま好き放題をつらぬいてきたのに、いつの間にか、じぶんの意志が通用しないなにかに巻き込まれている。
正義の味方だと?
この、俺が?
「……あの頭領なら、納得ずくでやるんだろうけどな」
「なに?」
「独り言さ」
”蛇”は、あの狂気じみた信念を持つ黒髪の少年を思い出していた。
彼とは、どうにも気が合わない。
主張にも理念にも、後ろめたさがない人間だ。ウマル師のような巨大な欲を持たずに教団の長を務めるには、ああいう人格が必要なのだろうが……一個の人間として、仲良くやれる気はしなかった。
その点、イベリスは押し付けがましさがない。
イベリスはただ指差すだけだ。助けをもとめる声を、その在処を。そこに至ったあと、なにをするかは”蛇”に委ねられている。
とはいえ、と”蛇”は思う。
こんな夜が、すでに七晩もつづいている。当初の計画ではとっとと帝都を去り、王国連邦か大公国の首都に居を移してほとぼりが冷めるまで身を潜めるつもりだったのに――いまだに”蛇”たちは、帝都にいる。助けを求める声が、まだまだ残っているとイベリスが言うからだ。
あきらかに、危険だった。
追手はすでにダンマルタン侯爵を超えて、帝国から直接派遣されているようだ。それだけの機密が、このイベリスという少女には隠されているのだと見るべきだろう。ちょっとやそっとじゃ遅れを取るつもりはないが――なにをきっかけに、破綻に繋がるかは分からない。
「……帝都の声が聞こえなくなるまで、やるつもりか?」
「うん」
「きりがねえぞ、嬢ちゃん」
でも、とイベリスは言う。
「こえがきこえるから。きこえつづけてるから。きこえているのに、むしするのは――」
「信念が許さない、ってかい?」
イベリスは首を横に振る。
「ゆめみがわるい」
”蛇”は目を丸くする。
そして、笑った。
「違えねえ。違えねえや嬢ちゃん」
きょとんとした顔のイベリスを放っておいて、”蛇”はけらけらと笑う。笑いつづける。涙が出るほどに笑う。
こんなに笑ったのは、ひさしぶりだ。
「あー、すまねえ嬢ちゃん。笑いすぎた」
「だいじょうぶ?」
「大丈夫さ。……それじゃ、俺たち頑張らねえといけねえやな。ぐっすり安眠するためにな」
*
”蛇”は帝都のなかにいる。
その結論に俺たちが達したのは、二日目の夜になってからだ。
「喉を裂かれて死んでいた刺客は、十七人を数えました」
ナイラが報告する。
月明かりを頼りに、俺たちは民家の屋根の上に集合していた。闇に溶ける黒衣と、風音に消える声で、密談の内容が他人に知られるおそれはない。
「屍体の配置から見て、十七人はひとりに対して襲いかかり、返り討ちにされたものと思われます。推測される戦闘時間は、およそ二十二秒」
「鮮やかすぎるな」
「帝国の刺客はけっこう手練れ揃いっす。それをこうまで子供扱いできるってなると」
「”蛇”の仕業と見るのが、いちばん自然だろう」
クロエと”牛”とがうなずき合った。
リュリュが首を傾げる。
「”蛇”って、そんなにすごい暗殺者なの? クロエ」
「すごいなんてもんじゃないすね。ある種の超人です」
「”鉤爪”よりも強いの?」
にやり、とリュリュがナイラを見上げる。
嫌味のつもりだったのだろうが、ナイラはあっさりと「間違いないだろう」とうなずいた。
「私が第一席を拝領していたのは、ウマル師の命に忠実であったためだ。殺しの対象を選り好みすることもなかった。……”蛇”がああいう態度でなければ、いまこの席に座っていたのは間違いなく彼だったはずだ」
「そこまで、態度悪かったの……?」
「ひどかった」
ナイラが唇を噛む。
いろいろあったのだろう、と思わせる反応だった。気分を変える意味も込めて、俺が声を出す。
「で、その後の足取りは?」
「ええ。……てっきり、すぐに帝都を出ると思っていたのですが」
「出ていないのか?」
「すくなくとも、痕跡がありません」
”蛇”が化けていた「セルパン・ド・モンフォール伯爵」なる人物が、帝都を出た記録は残されていない。帝都の検問にも、登録商人などを除いた人間の出入りは記録されていなかったのだという。
「門ではない部分を超えて出奔した可能性は?」
「まず、ありえません。帝都はもともと過剰な警備で有名です。加えて戦時中ですから、入出国者に対しては極めて過敏になっています。壁を越えようとする人間がいれば、まず間違いなく射殺されます」
「帝都には乞食よりも門番が多い……って、よく皮肉られてるくらいっす。正直、壁を乗り越えるよりも、鼻薬の利く門番探したほうが早いっすね」
なるほど。
であれば、検問に記録が残っていない以上、”蛇”がこの帝都のなかにいるというのは自然な推測だろう。
だが――
「なんのために、帝都に残ってるんだ?」
そうなのだ。
例えば、連絡を断った理由が「帝国に身分を見破られた」ということであれば、一刻も早く帝都を去り、教団に戻ってくるのがいちばんいい。なにかしらの機密情報を掴んだのであれば、同様に帝都を出るべきだ。
”蛇”が教団に背を向け、帝国に寝返ったというのなら――今度は、連絡を断つというのがおかしい。じぶんの立場を活かすには、引き続き教団と繋がりを保っておき、いざというときに利用しようと考えるだろう。
どちらにしても、”蛇”の行動には違和感だらけだった。
「その理由に関わるかどうかは知らんが、ひとつ、気になることを耳にした」
”牛”が口を開く。
「ここ数日、帝都にある変化が起きているというのだ。変化が起き始めた日と”蛇”が連絡を断った日は、ちょうど符合する。しかし……」
”牛”はそのまま口ごもった。
報告すべきかどうか、悩んでいるようにも見えた。”蛇”を庇っているというよりも、報告に足る事実なのかどうか、見極めかねているような……。
「なんだい、”牛”。教えてくれ」
「それが、頭領殿」
「どんなにささいな噂でも、いまは耳を傾けるに足ると思う」
”牛”は悩んだ挙句、言った。
*
「――正義の味方が、あらわれた?」
アランは耳を疑った。
目のまえの摂政から出たことばとは思えなかったからだ。
確かにこの世界においても、正義の味方を主題としたフィクションは子供たちの間で広く流通していた。帝都にいくつもある雑貨店では、子供たちが小遣いの銅貨で買える冊子が売られていて、なかには絵物語でアメコミじみた覆面ヒーローたちの活躍が描かれている。
異世界といっても、こういった文化は共通するのだな、としみじみ感じいった次第だったが……まさか、王宮でその単語を聞くとは思わなかった。
「あくまで、民草のあいだの噂だ」
摂政が咳払いをした。
「ここ数日、帝都のなかのいくつもの家庭で、人知れず不幸に苦しんでいた人びとが何人も助けられた、という噂が広がっている。ある子供は、暴力を振るう継父から救われ、ある娘は、性行為を強要する雇い主から救われ、ある少年は、足を洗おうとする彼を始末しようとする犯罪組織から救われ……」
「いいことではないか」
「認めるわけにはいかぬ!」
摂政が足を踏み鳴らした。
「暴力による秩序とは、国家が独占すべきものだ。
警察や軍による統制――それだけが、悪徳に対する暴力を許容されるべきであって、民間のそれは許されん。私刑を認めることになるからだ。我らは、法と、皇帝の名のもとにこの帝国を治めている。これは徹底されねばならん」
「ご立派な信念だ」
アランは摂政に諸手を上げてみせる。
「で、それが俺になんの関係が?」
「……この正義の味方の正体は、おそらく、セルパン・ド・モンフォール伯爵だ」
聞き覚えのある名に、アランは眉をしかめる。
モンフォール伯爵。
最近、社交界でよく耳にする名だった。女好きで派手好みの、浮ついた馬鹿貴族。そういう認識だったし、それ以上の興味もなかった。
「モンフォール伯爵は、わが国家の威信を賭けた、『ある技術』を持ち出した。
もとは、ダンマルタン侯爵の仕業だったようなのだがな。ダンマルタンがこっそりと持ち出した『機密』を、モンフォールは横からかっさらったらしい。少なくとも、ダンマルタンはそう主張している。拷問の結果、やつの主張がどう変わるかは見ものだが」
「ふむ」
「その『機密』を利用すれば、いま帝都で起きている『正義の味方騒動』は容易に実現しうる。われわれは、そう見ている」
モンフォール伯爵の顔を思い出す。
細面の、にやついた、爬虫類じみた顔。アランにはとても魅力的には思えなかったが、社交界の女にはずいぶんもてたようだ。
「そして一昨日の夜、われわれは『正義の味方』らしき人物を捕捉した。十七人の経験豊かな刺客が、彼奴に襲いかかる直前までは報告を受けている。だが……」
「敗れたのか」
「全滅だ。十七人は翌日、屍体で発見された」
摂政はにがにがしげに吐き捨てる。
「ずいぶんと腕っこきらしいな、モンフォールは」
「想像以上にな」
「刺客で討てないとなれば――あとは勇者しかいないということか」
アランのことばに摂政はうなずく。
つまらない話だ。またしても、よけいな仕事をおっかぶせようという肚なのだ。ため息をついて、アランは踵を返しかける。
そこに――
「モンフォールは、おそらく『教団』の人間だ」
摂政の声に、アランは足を止めた。
ゆっくりと振り向く。
「なぜそう思う?」
「行動原理が似通っている。また、喉を切り裂くという手口も類似している。現場に例の紋章こそ残してはいないがな。
アラン殿。例の『教団』にいたくご執心だという噂を聞いているぞ」
摂政はせせら笑った。
「……なぜ」
「気づかないと思ったか? 貴君が各地に放っている手の者は、盗賊ギルドを通じて雇った連中だろう? 公の施設であるギルドを、われらが掌握していないとでも思ったかね?」
「すべてのギルドは、独立独歩を掲げていたはずだがな」
「帝国の外においては、な」
眼鏡を直して、摂政はつづける。
「さて。勇者殿がどのような目的で『教団』を探し求めているのかまでは存ぜぬが……われわれの利害は一致するのではないかね?」
「面白くはないが、認めよう」
アランはうなずいた。
「では勇者よ。――『正義の味方』を、セルパン・ド・モンフォール伯爵を、陛下の御前まで連行せよ。彼奴の持つ『機密』と共に」
「首だけでも、構わんのだろう?」
摂政が、笑った。




