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19.俺たちは、必ずそれを聞いている

 わたしを盗んでほしい。


 これが、妙齢の女性に言われたことばであれば、”蛇”としても否やはない。さっそくお願いどおりに持ち帰ってたっぷり時間をかけて盗ませていただくだろう。


 しかし、目のまえの少女は、せいぜい一〇歳を回ったばかりといったところ。許容範囲の広さには自信がある”蛇”であっても、最低あと六年は待たなければ食指は伸びない。

 ……というより、この年頃の子供が、それほど色っぽい意味を込めて発言したことばとは思えなかった。


「……うーんと。どういう意味かな?」


 答えあぐねて、”蛇”は質問を返した。

 白色の少女は長いまつげを揺らしながら、首をかしげる。


「どろぼうさんは、ものをぬすむものでしょう?」

「うん。間違ってないよ。でも、泥棒はひとを盗んだりしない。ひとを盗んだら、誘拐犯になるからね。泥棒が盗むのは、物だけだ」

「じゃあ、わたしをぬすんで」

「……どうも噛み合わないな。きみは物じゃないだろう?」

「わたしは、ものだよ」


 白色の少女は平然と言った。


「ひとじゃない。だから、どろぼうさんにぬすんでもらえるよ」

「ひとじゃない……?」


 ”蛇”は眉をひそめるが、視覚を持たない少女には通じない。少女はふわふわとした口調でつづける。


「ぬすまれたものは、どろぼうさんのアジトにかざられるの。いろんなびじゅつひんやほうせきたちといっしょに。わたしもアジトにかざってもらって、そこでくらすの」

「ちょっと待てよ」


 ひとではない。

 この子は、じぶんのことをそう言った。


 もしかしたら、と”蛇”は考える。

 あの侯爵たちは、この子を屋敷に閉じ込めているのかもしれない。おまえは人間じゃなくて物なのだからと言い聞かせて、人前にも出さず、世間話にも出さず。おそらく、この子が盲目だから。完璧な子供ではないから。


 それで、この子は外の世界に憧れているのだろう。

 両親の言いつけには背けないから、ものであるじぶんを、泥棒に盗んでもらうことで、はじめて外の世界に出ようとしているのだ。


 ――昔の、俺みたいに?


 ザッハークは、頭のなかが真っ白になるのを感じていた。

 すべての理性が吹き飛び、膝を抱えた幼いじぶんを幻視し、それに向かって手を伸ばしてしまい――


 気が付いたら、少女の手を握りしめていた。


 *


 この日。

 セルパン・ド・モンフォール伯爵は失踪した。

 

 *


「”蛇”が、連絡を絶った?」


 口に運ぼうとしていた料理を、俺はスプーンから取り落とした。

 ナイラは声を落とすよう身振りで伝えると、「最後の通信から、一週間になります」と短く言った。


 俺たちは帝都にいた。

 “蛇”に会っておきたいという俺の要望を受けて、ナイラが手配したのだ。帝国は戦時中ということもあり、国境と帝都の検問で厳しく入国者を確認している。偽造の身分証明書は、”商人”が渉りをつけてくれた。

 旅の女行商人であるナイラと、その一行──という態である。


「……奴は、どうしようもない個人主義者ではあるが、無断で姿をくらますことなど、いままでにはなかった」


 “牛”が重々しい声で言う。

 重たそうな革鎧と背中に負った戦斧という、冒険者の変装がよく似合っている。つくづく暗殺者っぽくない男だ。


「不測の事態、かな?」

「であるとしか考えられんよ、頭領殿」

「でも、あの”蛇”っすよ? ちょっとやそっとで後れをとるようなタマですかね?」


 クロエが疑問を差し挟む。

 会話に参加しながらも、料理を口に運ぶ手は止まらない。もぐもぐと膨らました頰を、ときどきリュリュにつつかれている。


 どこの都市にでもある、冒険者ギルド内の酒場に俺たちはいた。

 日も暮れはじめた時間で、酒場は早々に飲みはじめた冒険者たちで溢れかえっている。声を張り上げないと会話できないほどの騒々しさだ。会話を盗み聞きされる恐れはない。


「たしかに、あの”蛇”がやすやすと殺られたとは思えません」

「なにか、連絡を取れない事情があるんすかね」

「探すぞ」


 俺は立ち上がった。


「もし”蛇”が生きていて、連絡を取れない状況にあるのなら、助けが要る」

「……頭領殿。ここは、帝都だ」

「それがどうした、牛」

「敵地だ。迂闊に動けば」

「敵地なんかじゃないさ。まもなく陽が落ちる」


 わが頼もしい部下たちに、俺は笑いかける。


「夜は、暗殺者おれたちの領土だろ?」


 *


 ──俺はいったい、なにをやっているんだ。


 “蛇”は奔っている。

 夜の帝都を。

 妖魔の世界を。

 自問しながら。

 自答できぬままに。


 腕のなかにいるのは少女だ。

 白色の少女──イベリスという名の。

 少女はすがるように、しがみつくように、”蛇”に抱かれている。運ばれている。


 そこに、敵が追いつく。


 帝国子飼いの刺客が。

 闇に隠さねばならぬ事柄を、闇に葬っておくための猟犬たちが。”蛇”とおなじく、夜のなかに棲まう妖魔どもが。


 刃を抜いて、刺客は迫る。

 瞬時に識別したその数は、十七名。

 このていどなら、まるで問題にならない。


「目ェつむってろよ、嬢ちゃん」


 “蛇”も得物を抜き放つ。

 カタールと呼ばれる東洋の刺突武器である。両手に嵌め、その先に付いた刃を敵に突き刺す一対の武具だ。片手にイベリスを抱いているいまは、一方しか使えないが。


 襲いかかる刺客の短刀を、身をよじって避けた。

 正確に喉を裂く。

 投げられたナイフをカタールで弾いた。

 後ろから迫る刺客の喉を裂く。

 三人が同時に肉薄してきた。

 身を低くして、ひと呼吸のうちに三つの喉を裂く。


 刺客などに、教団の暗殺者が後れをとるわけがない。

 いわんや、“蛇”のような水準の暗殺者においてをや。


 またたくまに、十七名がものいわぬ骸と化す。

 一滴の返り血さえ、”蛇”の体を汚さない。

 呼吸ひとつ、”蛇”は乱さない。


「あっち」

 

 少女の指がふいに、闇のなかに沈む街のどこかを指差した。


「……またかよ」


 “蛇”は溜め息をついた。

 白くたなびく呼気が、夜空に散るまえに、再び地面を蹴っていた。


 イベリスの指が、あちら、こちら、と帝都の路地を指していく。

 “蛇”の体はそのとおりに奔る。

 屋根を跳び、壁を蹴り、路地を駆け。

 ようやく、イベリスの指が「ここ」と示した場所へとたどり着く。


 なんの変哲もない民家だ。

 さほど裕福でない階層の人びとが住まう地区にひっそりと建つ、ひとつながりの長屋のひとつ。ごくあたりまえの家庭がこのなかにはあって、ごくあたりまえの幸福が営まれている。そう思えた。


 しかし。

 この少女が、指差したのだ。


 “蛇”は扉を蹴り破った。

 ちゃちな錠が吹き飛び、蝶番ががたんとけたたましく鳴る。しかし、その騒音を聞きとがめるものはいない。

 ちいさな家の奥から、子供の悲鳴と、女性の泣きわめく声が聞こえる。


 ──たすけて、ごめんなさい、ゆるして。

 ──お願い、もうやめて、死んでしまう、死んでしまうから。


 懇願の声に混じって、肉を殴りつける音が断続的に響いている。

 “蛇”は短い廊下を駆け、躊躇なく居間の扉を開いた。


 瞬時に、”蛇”は状況を見て取る。

 赤ら顔の肥った男が、擦りむけた拳の先を女の子に突きつけている。その足に女性がすがりつき、ぼろぼろの姿にもなりふり構わず、男を止めようとしている。肥った男に追い詰められた女の子は、全身が青あざまみれになり、顔が腫れ上がっている。


 “蛇”は、イベリスをそっと置くと、後ろ回し蹴りを男の顔面にたたき込んだ。


 男がわめいている。

 女が叫んでいる。

 女の子が泣きはじめる。


 不幸のうえに、さらなる不幸がおとずれたと思っているのだろう。女の子は腫れた顔をさらにくしゃくしゃにしている。

 イベリスの指は、女の子を指している。


「そこの男は、きみの父親かい?」

 女の子は首を縦に振る。それから、横に振る。


「血が繋がってないのか?」

 女の子が首を縦に振る。


「継父です。その子にとっては」と、女が言う。


「あんたは、実の母親か?」

「そうです」

「虐待を受けていたな?」

「はい」

「あんたと、子供が、だな?」

「はい」

「なぜ止められなかった? 子供を連れて、逃げ出さなかった?」

「……っ」

「その男から離れられなかったかい?」


 女性が沈黙する。

 男がようやく起き上がった。赤ら顔を怒りに赤黒くして、血走った目を”蛇”へ向けてくる。転がった酒瓶を手に取ると、床に叩きつけて割り、鋭利な凶器をつくりだした。

 “蛇”は得物を抜かない。


 立ち上がって体重を乗せて襲いかかってくる男の、鳩尾を突いた。男が身をこごめて床へ嘔吐する。

 思いきり足を上げると、男の頭を踵で踏み抜いた。

 男は吐瀉物に突っ伏して痙攣する。気をうしなったようだった。


「で、どうする?」


 “蛇”は女の子に問うた。

 イベリスに聞いても首を振るばかりだし、じぶんで因果を問うのも面倒だった。くだんの頭領のように、うまいこと裁きを下す自信もない。

 だから、本人に聞いた。


「この男、殺したいか?」

 女の子が首を横に振る。


「この男に改心してほしい? それとも、もうお母さんに近づかないでほしい?」

 後者の問いに、女の子はうなずいた。


 であれば、お安い御用だ。

 “蛇”は、男の髪をつかみ、首を持ち上げる。鳩尾に活を入れると、男が意識を取り戻した。”蛇”が顔にカタールの刃先を近づけてくるのを見て、ひい、と声を上げる。


「おい。一度しか言わねえからよく聞きな。

 この家族に二度と近づくな。声を掛けるな。目を合わせるな。従わなければ、死んだほうがましだとおまえが言うまで、ずっと、ずうっと、痛めつけてやる」

「ひっ」

「いいか。俺は、おまえが死ぬまで目を離さない。暗がりから、夜闇のなかから、いつもおまえを見ているぞ。分かったら声を出さずに頷け」


 男が激しくうなずいた。


「よし。いますぐにここを出てゆけ。帝都を出ていくんだ。二度とこの街に近づくなよ」

「しご、仕事が……」

「あ?」


 カタールの刃先をもう一度ちらつかせると、男は黙った。

 男が出ていくのを見送ると、”蛇”は女のほうへ向き直る。女は、つらそうな顔で扉を見ていた。


「あんた」

「はい」

「未練を残すなら、奴を殺してもいいんだぞ?」


 それは、と女は言う。


「二度と、ああいう男に引っかかるな。屑は屑だ。やさしくされたからと言って、やさしい男であるとは限らない。男を見る目をつけろ」

「……」

「娘さんを、いちばんに考えてやれ」


 “蛇”は女の子に向き直る。


「きみの声が、聞こえた」

「わたしの……?」

「あそこにいる嬢ちゃんが、そう言うんでな」


 “蛇”はイベリスを指した。

 イベリスはこくりと女の子にうなずき返す。


「きみは叫んでたんだろ。心のなかで。『だれかたすけて』──って」

「あ──」


 女の子が口を丸くし、大粒の涙があふれ出す。

 ひっ、ひっ、としゃくり上げるように、女の子が泣きはじめる。緊張の糸がほどけたのだろう。


 “蛇”はイベリスを振り返る。

 イベリスがうなずく。言え、というのだ。”蛇”は仕方なく、女の子へと振り返る。


「いいかい。きみがほんとうに、どうしようもならなくなったとき──また心のなかで、強く叫ぶんだ。『助けて』って。俺たちは、必ずそれを聞いている」


 震えながら涙する女の子の体を、強く抱きしめた。


「──俺たちが、必ずまた助けにくる」


 ついに決壊した女の子が、わああああん、と大声で泣きながら、”蛇”の体にしがみついてくる。女の子の頭をぽんぽんと叩く。

 イベリスが、満足げなほほ笑みをこちらに向けている。


 ──俺はいったい、なにをやっているんだ。


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