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1.ここは、暗殺者の教団なのでした

 前世の記憶を持ったまま、生まれた。


 そんなことを急に言い出すやつがいたら、それこそ「痛いやつ」認定を受け、社会からのけものにされ、距離を置かれて後ろ指をさされることだろう。


 いまどき中二病なんて流行らない。現実と虚構の区別はついているし、そもそも虚構なんてものは現実を楽しむための手段としてしか使わない。それが俺たちのあたりまえだった。


 だから、じぶんがそんなことを言い出すようになるとは、夢にも思わなかった。


 *


 マジかよ……。

 そうつぶやいたつもりだったが、ことばにならなかった。


 俺の舌は未発達で、まだことばを発せるようになっていない。先程のことばも、「あうあー……」という力ない響きになっていた。


 俺はなにやら薄暗いところに寝かせられていた。

 いまのいままでは、じぶんがどこにいるのかなんて考える余裕もなかったのだ。


 あたたかな闇に包まれてなんだか幸せなきぶんを味わっていたかと思ったら、いつのまにか体が動き始め、突如として強すぎる光に晒された。つい今しがたまでの静寂はもはやなく、周囲が大騒ぎしているのだけが分かった。俺は呼吸ができないことに気が付いて、パニックに陥りながら泣き叫んだ。泣き叫んでいるうちに俺の体はやわらかな布地に包まれて、運ばれていったのだ。


 そして先程、うっすらと見えてきた目で手のひらを眺め、俺はじぶんの体が赤ん坊のそれであることに気が付いたのだった。


 混乱した。

 俺はつい先ほどまでごくあたりまえの男子高校生で、学校からの帰宅途中だったはずだ。なんの変哲もない、無気力な、帰宅部としての生活。

 それが、どうして――。


 俺の体は運ばれてゆく。

 愛情のかけらも感じない、乱暴な手つきだ。子は親を選べないというが、もう少し気をつけてくれてもいいのに。


 そして、またどすんと落とされる。

 ベッドのようだ。一応シーツは敷かれているようだが、背中に当たる感触は固く、お世辞にもいいとはいえない寝心地だ。

 それに、母親らしき影はまったく見られない。


 そんな環境でも、俺の体は一向に構わないようだ。

 生まれて泣き叫び、ここに運ばれてきた。たったそれだけで、俺の体は疲れきり、眠気に包みこまれていく。


 眠い、と感じる余裕もないまま、眠りに落ちていた。


 夢のなかで、記憶がうっすらとよみがえる。

 直前の記憶が。


 学校からの帰り道で、ふとかわいらしい黒猫を見つけ、俺はなんとなく気まぐれで手を伸ばしてみた。ベルベットのようなつやつやの毛並みが、いかにも気持ちよさそうだったから、ふと、なでてみたくなったのだ。

 しかし黒猫は怯え、身をよじって俺の手を避けた。

 そのまま走り去った先が――車の行き交う車道だった。


 俺は、慌てた。

 とっさに、飛び出していた。


 けたたましいクラクションが鳴り、黒猫は雷に打たれたようにその場に立ち尽くし、轟音を立ててトラックがやってきて。

 俺は、そのまえに立ちふさがっていた。


 ずくん。


 その瞬間のことを思い出そうとしたとき、頭に鋭い痛みが走った。

 覚えているのは、おどろくほどゆっくりと時間が流れていたことと、空を飛んでいるのが、俺だけではなかったこと。


 黒猫を、俺は結局助けられなかったのだ。

 俺が、殺してしまったのだ。


 ――ざまあない。


 俺が、手を出さなければ。

 俺が、立ちふさがったりせずに、猫を押し出していれば。

 俺が、もっと冷静だったなら。


 いろんなifが、頭のなかを駆けめぐる。

 今となっては、もう届かない『もしも』の世界。


 ――その結果が、このありさまだ。


 俺は目覚める。

 涙腺が発達していない我が身を憎みながら。


 と。


「お、起きましたね」


 目のまえにいたのは、褐色の美少女だった。

 だいたい十五歳くらいだろう。褐色の肌に、黒い髪。スレンダーな体型を誇示するように、体のラインに沿った黒い服を身に着けていて、外国のファッションモデルのようだった。


 だが、その耳は長い。

 まるで、ゲームや御伽噺に出てくる、エルフのように。


「にゃふー、かーわいい。ぱっちりお目目にもちもちほっぺ。生まれたてにしちゃ、なかなかの美男子なんじゃないですか? え?」


 ――なんだよ、おまえ。


 そう言おうとして、じぶんが喋れない事実に気が付く。

 しかし、目のまえの少女は。


「え? うそ? 覚えてないすか? やだなあ、さみしいなあ、わたしのほうはバッチリ一発で先輩のこと分かったのになあ」


 ――なん、で。


「なんで言ってることが分かるのかって? そりゃもう、わたしと先輩の関係じゃないっすか。ツーといえばカー。阿といえば吽。長年連れ添った夫婦ってのはそういうもんですよー。ねー先輩?」


 ――先輩って言ってんじゃねえか。


「あ? バレました?」


 少女はけらけらとひとりで笑う。

 どうやら、ほんとうに話が通じているらしい。どういう仕組みだか知らないが、これは便利で助かる。


 ――なあ、聞いていいか。


「お、なんすか?」


 ――おまえは何者で、ここはどこだ。


「……じぶんがどうなったのか、とかは聞かないんすね」


 ――それくらいは薄々分かってる。死んだんだろ、俺は。


「そ。わたしを庇ってね」


 少女が寂しそうに笑う。

 その笑い方で、俺は気が付いた。


 ――おまえ。あの、黒猫か。


「ようやく分かりました?」


 今度は晴れやかな顔で、少女は笑った。

 

「もー、びっくりしたんすからねー、あのときは。ひとに触られるのなんてはじめてだったんすから。びっくりして、怖くて怖くて、きっと傷つけられるんだって思って、とっさに走り出しちゃって」


 ――ほんとうに、すまなかった。


「え?」


 ――俺のせいで、おまえを死なせてしまった。俺が手を伸ばさなければ、おまえは死ぬことなんてなかった。俺がもっとうまく動けていれば、おまえを助けることができた。全部、俺のせいだ。


「ちょ、ちょっと。やめてくださいよ」


 ――償うことができるとは思わない。だけど、俺にもしできることがあったら、なんでも言ってくれ。死ねというなら、おとなしく死ぬ。もしそうしたければ、おまえの手で殺してくれても――


「ちょっとちょっと! 話聞いてくださいってば!」


 わたわたと手を振って、少女が話をさえぎった。


「わたし恨んでなんてないですってば! なんすか、その『黒猫は恨みがましくて人を殺したがってるに違いない』的な偏見! 人種差別ですよ! 人種じゃないけど! 失礼な!」


 ――怒って、ないのか……?


「怒ってます! 人種差別反対!」


 ――いや、そっちじゃなくて。


「え? トラックに轢かれて死んだほう? 別にいいすよそんなの。事故じゃないすか。しいて言うなら車道に飛び出したわたしが悪い。なんなら巻き込まれたの先輩じゃないですか」


 ――いや、でも……。


「あーもう! いいんですってもう! わたしうれしかったんすから!」


 ――うれしかった?


「あー言っちゃった! もう! だからね、人間にはじめて手を差し伸べられて、逃げたのに助けにきてくれて、それがうれしかったんですってば! 結果として死んじゃったのは事実だけど、そんなんもうどうでもよくて! それより、こんな偏屈者の野良猫を、そこまで必死に助けてくれようとするなんて、ちょっと感動しちゃったっていうか! わたしこんなひとに飼われてみたかったなって、あーもう何言わせてんですか! ばか! あほ! 察しろ!」


 少女はぐるぐると腕を回しながらまくし立てた。

 俺は、緊張がするすると解けていくのが分かった。罪悪感が消え去ることはない。俺がこの猫を死なせてしまったことは事実だ。けれども、少女はそのことを責めず、俺の気を楽にしようとこんなに一生懸命になってくれている。


 ――ありがとな。


「ばか! あほ! 何が!?」


 ――おまえ、ほんとにいい子なんだな。


「にゃっ!?」


 ――飼ってやれなくて、ごめんな。


「にゃ……にゃにを……もう……」


 先ほどまでの勢いはどこへやら、少女は褐色の頰をほんのりと赤らめ縮こまってしまっていた。俺の手が赤ん坊の手でなければ、撫でてやっているところだ。つくづく、自由にならない我が身がうらめしい。


 さて、話がひと段落ついたところで。


 ――ごめん、黒猫。


「にゃんですか、もう……。名前はクロエです……」


 ――クロエ。話が戻ってしまうんだけど。もう一度教えてほしい。ここはどこなんだ?


「あー……説明がまだでしたね」


 クロエはぶるぶると顔を振って仕切り直しているようだった。こういう仕草はまだまだ猫っぽい気がする。

 それからクロエは俺に耳を指し示す。


「この耳見て、わたしが何かわかります?」


 ――んー、エルフ?


「当たり。正解には、肌が黒いのでダークエルフっす」


 ――ってことは、ここは。


「ファンタジー系の異世界っすね。文明の発展具合は中世ヨーロッパ程度で、エルフあり、魔法あり、ドラゴンあり、魔王なし。異世界転生って見たことあります?」


 ――ない。


「うそ! 基礎教養っすよ!?」


 ――どこの世界のだよ。


「全世界っす! ……まあとにかく、先輩はこのファンタジー系異世界に、前世の記憶を持ったまま赤ん坊として転生してきたわけっす。やっほう! やりましたね! 現代知識で無双してハーレム作りましょうよ! 石鹸作れます? マヨネーズは?」


 ――作れねえよ。だいたいなんだよそのチョイス。


「うわがっかりだ……わたしの野望が……」


 ――それで。俺はどういう家に生まれたんだ? 見る限り、普通の家ってわけじゃなさそうだけど……。


 俺は改めて周囲を見渡した。

 赤ん坊の弱い視力でも、なんとなく周りが冷たい石造りの壁であることは見て取れる。まるで牢獄のような、暗い印象の空間だ。よくよく見ると、俺以外にも赤ん坊が何人か同じ部屋に寝かせられているらしい。といっても、ここを産院と思うのは難しかった。


「にゃふふー。それも、この衣装でわかるんじゃないっすか? ほれほれ」


 クロエが、モデルのように身をくねらせ、じぶんの着ている衣装をアピールしてくる。胸を突き出しているのだが、その平べったいことには涙が出てきそうだ。


「ちょっと。いま、なにか失礼なこと考えませんでした?」


 察しがよくて困る。

 俺はあらためて、クロエの衣装に注意を向けた。

 闇に溶けてしまいそうなほど黒くて、体のラインに沿っている。両肩が出ていて腕は完全にフリー、一方ズボンは太目で、余った布地がひらひらとはためている。足元はアラジンのように尖った靴。いかにも動きやすそうな服装だ。

 気が付かなかったが、腰に巻かれた布には、ちいさなナイフが数本ぶら下げられている。それがまるでクナイのように見えて。


 ――忍者?


「ニンニン! 惜しいでござる!」


 ――うーむ、わからん。


「ギブアップすか? じゃあ答えを発表します! どぅるるるるるるるるー……ばん!」


 へたくそな巻き舌のドラムロールののち、クロエは言い放つ。


「暗、殺、者、でーす!

 ここは、暗殺者の教団なのでしたー! いっえーーーーーーーーい!」

 

 ぷーぷー、ぱほぱほ、というラッパを真似るクロエの声が遠くに聞こえる。

 俺は、気が遠くなっていた。

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