14.わたし、負けませんから
「まさか、”車輪”を使われるとは」
「意外だった?」
「あなたが清廉潔白な理想主義者というわけでないのは、存じておりましたが」
さすがに、ナイラも困惑した様子だった。
「十二席」において、第十一席を占めるのが、”車輪”ファティマである。
戦闘能力については、おおよそ普通の暗殺者と大差ないが……彼女は、かつての教団で拷問全般を広く任されていたのだ。
とにかく、ひとを傷つけること、苦しめることに、異常な執着を見せる少女である。おっとりとした喋り方からは想像もつかないほどに残虐で、いっさいの容赦がない。さすがのウマルも、「やりすぎる」という理由で、彼女を用いることは、そう多くはなかったのだという。
「教団は、怖い。容赦がない。
そういう評判を得ておけば、無用な争いも避けられるだろ。
それに……ひとを苦しめてきた人間は、同じ量の苦しみを得て然るべきだ」
「因果応報、ですか」
「俺のやり方は、極端に過ぎるとは思うけどね。
手を緩めるつもりは、しばらくはないよ」
俺は大教祖の使っていた私室の椅子に腰を下ろした。
例の館を焼き払い、大司教を連れ帰ってから一〇日が経っている。昨日、ようやく二〇回目の死を迎え、ようやく大司教は苦しみから解放されていた。
死体は、夜の内に帝都の大聖堂に置いてきてある。その青白い肌に、「報」の一字を刻み込んだ上で。
「先輩、いいすか?」
「どうぞ」
クロエが教祖室に入ってきた。
二〇畳もあるような広い部屋だ。俺ひとりで使うのも落ち着かないし、いつまでも食堂で会議してるのもあれだろうと、大きな机と大陸全土の地図とを運び込んで、いまや会議室として使っていた。当然、誰でも出入り自由と言ってある。
しかし、クロエが連れてきたのは、意外な相手だった。
「リュリュ」
「……失礼します」
リュリュはクロエの陰に隠れるようにして、おずおずと教祖室に入ってきた。
「休んでなかったのか」
「ええ。眠れなくて」
九日にわたる拷問を終えたばかりだ。
長い監禁生活から始まって、あのむごたらしい拷問への立会だ。体の疲労は相当のはずなのに、眠れないということは、相当心の傷を残してしまったのだろう。
「……悪かった。ひどいことに、付き合わせた」
「いえ。見届けることを選んだのは、わたしですから」
リュリュは首を振る。
リュリュの仕事は、何時間に一回か、”車輪”が必要と感じたタイミングで呼び出してもらい、大司教を治療することだけだった。実際の拷問に立ち会えなどと、俺は命じていない。
しかし、リュリュは「見届けたい」と言って、過酷極まる九日間を、”車輪”とともに過ごした。日に数時間の休憩時間を除けば、その間ずっと、拷問を見つめつづけていたのだという。
「……それで、なにか用かい」
「ええ。まずは、お礼が言いたくて」
リュリュが頭を下げた。
「マリーやシャルルのこと、ありがとうございました」
「ああ。そんなこと。彼らを治したのは、きみだろう」
「引き取ってくださったのは、あなたです」
マリーとシャルル。
死の寸前にまで追い詰められたこの二人の怪我人を、魔術が解き放たれたリュリュはすぐさま治療した。切り傷や怪我が治るのはまだしも、切断された両手両足までもが復元するというのは、正直言って驚きだった。
しかし、彼らの心の傷まで癒えることはなかった。
心を閉ざし、死を希う。
元奴隷がここまで追い詰められたら、生きる道などない。やむなく、俺は彼らを
教団で引き取ることを決めたのだ。
いつか、彼らが救われる道もあるだろう。
「それと――厚かましいのですが、ひとつ、お願いがあります」
「なんでも言ってくれ。教団にできることならなんでもする」
俺は言い切る。
弱者救済も教団の務めだ。彼女が必要なら、まとまったお金でも、どこか安全な隠れ家でも、なんでも与えるつもりでいた。
しかしリュリュのとなりで、クロエが気まずそうに髪をいじっているのを見つけた。
「にゃむ……それがね先輩……」
クロエの躊躇も気にせず、リュリュは堂々と言い放つ。
「わたしを、暗殺教団に入れてください」
は? いま、なんと言った?
「暗殺者としては役に立たないかもしれません。
ですが、皆さんの怪我を治すことくらいならわたしにもできます」
「ちょ、ちょっと待って。入るって? どういうことクロエ?」
「わたしに聞かないでほしいっす。拷問が終わってから、ずーっと、この一点張りなんすよ」
うーむ。
俺は頭を抱えた。
「い、いちおう、志望動機的なもの聞いてもいい?」
「め、面接っすか?」
「はい。教団が掲げる因果応報の理念に共感致しました」
「やべえ。マニュアル感がすげえっす」
クロエが絶句する。
俺は困った。想定もしていない事態だった。
確かに、正直を言えばリュリュの治療魔術は戦力としてありがたい。手足の切断からも回復をすることができるのであれば、戦線離脱する部下たちも少なくなる。思い切った行動もとりやすくなるだろう。
組織としてみれば、リュリュの獲得はぜひとも成し遂げたい目標だ。
だが……。
「リュリュ。ひとつ聞きたい」
「はい」
「きみは二十回の死を見つめた。……どう思った?」
リュリュが口ごもる。
この質問への答えようによっては、リュリュを仲間として受け入れることはできない。そう決めてしまうと、心は鎮まった。
「むごい。……そう思いました」
「うん」
「こんなにも酷いことをする必要があるのか、と思いました。
悪人を殺すなら、ただ殺せばいいのではないか。
わざわざ苦しめる必要などないのではないか。
そうも思いました」
「続けて」
「でも、必要なのだ、と思いました。
世界は残酷で、むごたらしくて、醜いものです。
それを相手どって戦っているのが教団です。だとしたら、その戦い方が、残酷で、むごたらしくて、醜いものになるのは必然なのだと、思いました。敵が無慈悲なのだから、こちらも無慈悲になるのは当然なのだ、と思いました。
……それでも、いやだ、と思いました」
「いやだ、と?」
意外なことばに、俺は問い返す。
俺の目から逃れることもなく、まっすぐに見つめ返しながら、リュリュは言う。
「こんな戦いは、いやです。
誰かが誰かを殺すのは、いやです。
無慈悲に無慈悲をぶつけるのは、いやです。
だから、わたしも、加わらなくてはならないと思いました。
わたしたちの時点で、この戦いを終わらせるために。
次の世代の子供たちに、醜い世界を残さないために」
決然と、言い切った。
「だから、わたしは暗殺教団に入ります」
リュリュの声が、残響する。
俺は、ぽりぽりと頭を掻いた。
参った。
正直、参った。
こんなにまっとうな意見が返ってくるとは思わなかった。リュリュという女の子を侮っていたのかもしれない。彼女は確かに、ものを考えている。へたをすると、俺なんかよりもずっとひたむきに。
俺が考えていたのは、それこそ”車輪”のように、殺人に快楽を見出すタイプでないといい、という程度のものだった。”車輪”は有能だが、大義のためではなく、じぶんの欲望のために動くタイプだ。頭領である俺への忠誠心ゆえになんとかなっているし、必要な仕事を担ってくれているのだが――彼女のような、特殊嗜好の持ち主ばかりでは、この組織は成り立たない。
この教団は、ひとえに理想によって成り立っているのだから。
そして。
理想であれば、このリュリュという少女はふんだんに持っているらしい。
完敗だった。
「……いいんじゃないすか、先輩?」
「……分かってる」
俺はリュリュに向かい、言う。
「暗殺術のいろはも学んでない女の子を、前線に立たせるつもりはない。
後方支援だ。
それでいいなら、教団はきみの参陣を歓迎する」
リュリュの顔が、ぱっと花咲いた。
「やった、やったよ、クロエ!」
「よかったっすね! よかったっすねうーりゅ!」
きゃいきゃいと、美少女ふたりが手を繋いで喜び合う。
暗殺教団の風景にしては牧歌的に過ぎる気もしたが、まあ、よしとしよう。
「クロエ」
「はいっす」
「リュリュに、教団のなかを案内してやってくれるか。それが終わったら、医療班へ彼女を紹介してやってほしい」
「らじゃっす」
「クロエ。……友達ができて、よかったな」
クロエの目が丸くなり、それから、ふにゃりと垂れた。
「えへへ……。ありがと、先輩っ」
にっこりとクロエが笑う。
いつものように、褐色の頬がほんのり赤くなっている。かわいい猫だ。
――と。
「……」
「どうした、リュリュ?」
横からにらみつけるようなリュリュの視線を感じて、俺は振り向いた。
実際、にらみつけられていた。
「……ど、どうしたまじで?」
「頭領」
「は、はい。なんでしょう?」
思わず敬語になってしまう。
「わたし、負けませんから」
それだけ言い放ち、リュリュはぷいと顔をそらして、クロエの腕を取って教祖室を出て行ってしまった。クロエは「えへへー弱ったなーもう」となぜだか嬉しそうに連れていかれた。
ばたん、と扉が閉まる。
「……え、どういうことなの、今の?」
「お分かりにならないか?」
「え、なに? ナイラは分かったのか?」
ナイラがにやりと笑う。
「おまえにライバルが増えたってだけのことだよ、アザム」
「どういうこと?」
「ほんとうに鈍いな」
「鈍くない」
「鈍い。でなければ、競売市場に潜入するときわたしに向かって『ナイラって女装うまいんだなーすごいなー』だなんて言えるものか」
「……え、それも分からない。どういうこと?」
「一生考えていろ」