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11.マリーは、気に入られたんだよ

「おめでとう。きみたちは、選ばれた」


 口ひげの男が両腕を広げ、笑顔を見せる。

 リュリュたちは、男のまえに並ばされていた。口ひげの男は、あの夜だけで七人を買っていた。


 競売の日が終わると、リュリュたちは口ひげの男に連れられ、目を塞がれた状態でこの館まで連れてこられた。

 大きな風呂に入れられ、数週間ぶりに体の汚れを落とすことが許されたのち、みな一様に白いワンピースを充てがわれた。サイズこそ考慮されていたが、デザインはあくまで簡素だ。男の子にも、同じくワンピースが配られているようだ。


「きみたちには、これから、この館に訪れたお客様を歓待するという役目が課せられる。むずかしいことは何もない。この館のお客様は皆紳士ばかりだ。きみたちはただ、お客様の言うとおりにすればいい。お客様は、よけいなことをせぬ、あるがままのきみたちを好まれる」


 歓待。

 そういうことばを使ってはいたが、ほんとうはなにをやらされるのか、リュリュには分かっていた。


 ここは、娼館だ。

 おそらく、相当高級で、秘密主義的な。


 リュリュやクロエのような外見年齢の者はまだしも、七人のなかにはまだ十歳になったばかりという子供も混じっている。

 彼女らには、なにがなんだか分からないだろう。


 子供を好む変態が、世のなかにはいるのだという。なにも知らない子供たちに性的な奉仕を命じて、彼らに一生消えない恐怖と傷とを植えつけ、いっときの満足を得る。そういう人種がいるのだ。


 リュリュは、ぞっと肌が粟立つのを感じた。


「きみたちは、幸せものだよ。

 ここにいる限り、きつい労働を強いられることも、まずい食事に苦しむこともない。ふだんは、この大部屋にいて、好きに過ごしていていい。

 その代わり、お客様に呼ばれたら、心づくしの歓待に努めてもらう。わかったかな?」


 はい。

 バラバラの声が、そう答えた。


 *


 子供たちにとって、不安などという負の感情は長続きしない。日ごろ過ごしている部屋が、明るくて居心地がいいとなれば、なおのこと。


 大部屋のなかで、女の子たちはそれぞれの時間をのんびりと過ごしていた。

 本を読む子。

 カードで遊ぶ子。

 ままごとをする子。

 ノートに落書きをする子。


 みな、顔は暗くなかった。

 たしかに、お客様を歓待する、ということの意味は分からない。考えれば不安になる。

 なら、考えなければよい。

 この先に起きること、起きるかもしれないことに目をつむってさえいれば、ここの生活は楽しい。三食はきちんと出るし、暇をつぶせるものは揃っている。よけいなことは考えず、ただ、いまを楽しんでいればいい。あの口ひげの男もそう言っていたのだし、それこそが正しい過ごし方なのだ──。


 ここへ運ばれて三日もすると、女の子たちはそうやって順応していった。


 リュリュと、クロエとを、除いて。


「窓なし、天窓なし、扉はあれど施錠は硬く、そもそもドアノブさえもなし。……かわいらしい見た目の癖に、よくできた部屋っすねえ、ほんと」

「……」

「機会があるとしたら、やっぱ食事のときっすかね。隙を突いて係の人間をどついて……まあ、三人を同時に相手どれなきゃだめっすけど。わたしが二人で、うーりゅが一人。どうすか?」

「……」

「あれ? 無視されてるかんじ? おーい、うーりゅさんやーい」

「……」

「かわいくておっぱいのおっきいうーりゅさんやーい」


 きっ、とクロエを睨みつける。

 クロエは気にした様子もなく、「そういうとこほんとかわいい好き」と笑ってみせる。相変わらず毒気を抜かれる笑顔だった。


 リュリュは、ふたたびじぶんの膝小僧へと視線を戻す。


「あれーうーりゅさん怒らないでーこっち向いてー」

「……怒ってない」

「え? じゃあどうしたんすか?」

「見て分からない?」

「分かんないっす。え? ほんとに怒ってない?」


 沈み込んでいる。

 ここにきてから、ずっと。

 リュリュはまだ、じぶんの境遇を受け止めきれていない。周りの女の子たちは、早々に考え込むのをやめてしまったようだが、リュリュはなまじ一二〇年も生きていない。長年の独居生活でつちかった想像力が、これから待ち受ける運命をおおきく、おそろしいものへとつくり変えていく。


 とりわけ、性行為への恐怖心はおおきい。

 土台がエルフである。百年に一度しか子を作らない種族であるから、性への興味は薄い。さらにはわずか七十歳でひとりとなったリュリュに、当然経験などないし、知識もほぼなきに等しい。


 痛い、のだという。

 苦しい、のだという。

 しかも奴隷として、尊厳を踏みにじられながらするそれは、どれほどの苦なのか、もはや想像もつかない。


 また、身が震える。

 そのわずかな震えに気がついたのか、クロエはそっと手を添えてくる。


「大丈夫。大丈夫っす」


 肩に当てられたクロエの手のひらが、あたたかい。


「まだ諦めちゃだめっす。ぜったいに、希望はあるんだから。一緒にここを出るんす」


 じわり、と涙がにじんだ。

 クロエのまえでは、感情を隠すことができなかった。リュリュはクロエの胸に顔をうずめて、すすり泣いた。クロエの手がそっと頭を撫でるのを感じながら。 


 と、そのとき。

 足音が近づいてくるのを、リュリュとクロエとは同時に聞きつけた。すこし遅れて、人間の女の子たちも気がついて顔を上げる。


 いまは食事の時間ではない。

 なのに、誰かが近づいてくる。

 ということは――


 解錠する、乾いた音。

 大部屋の扉が開かれると、そこに立っていたのは口ひげの男だった。


「やあ。いい子にしてるかな」


 口ひげの男が両腕を広げる。

 芝居がかったしぐさがいちいち鼻につく男だった。


「お客様が来られた。ひとり目のご指名だ。……マリー。こちらへおいで」


 マリーと呼ばれたのは、金髪の少女だった。

 十四歳で、そばかすひとつない白磁の肌を持っていた。そのすべらかな頬が引きつった。七分の一なのだから、じぶんが呼ばれる可能性はそう低くはないというのに、信じられない、という顔をしていた。

 しかし、その硬直も長くはつづかない。


「早く」


 わずかな苛立ちを、男が眉根ににじませる。

 それでじゅうぶんだった。マリーはびくりと体を震わせ、はい、とちいさな声を返して立ち上がる。口ひげの男にそっと背中を押されながら、マリーは不安げに大部屋の扉をくぐっていった。

 その背中を、残された女の子たちが見送っている。

 狩りの対象を逃れた草食動物が、肉食獣の牙に食いちぎられる仲間を見つめるのと同じ、あの目で。


 リュリュは……ただ、震えていた。

 そっとクロエに目をやる。凜々しいダークエルフの少女は、唇を噛み締めている。無力を嘆くように。


 *


 出て行った少女たちが、戻ってこない。

 最初のマリーを皮切りに、翌日にはシャルルが連れられていった。残された女の子たちは、連れられていった子供たちのことを考えまいとするように、カード遊びに興じている。

 興じている、ふりをしている。


「……どういうことなの」

「わかんないっす。正直、あの男の言うことは信じられない」


 さすがのクロエも、お手上げだった。

 マリーが戻らないまま一日が経ち、二日が経ち……次にシャルルを連れに戻ってきた口ひげの男に、クロエは聞いた。

 マリーはどこへ行ったの、と。

 口ひげの男はなにもかもを覆い隠すようなあの笑みを浮かべて答えた。


 ――マリーは、気に入られたんだよ。


 男いわく。”歓待”の結果、お客様がいたくその子を気に入られたときには、じぶんの屋敷へ連れ帰るということもあるのだという。彼女らはお客様の屋敷ですばらしく贅沢な暮らしを約束される。

 だからきみたちも、精いっぱい心を込めて”歓待”しなくてはいけないよ。


 口ひげの男はそう語った。

 そのあとシャルルを連れていき――案の定、彼も帰ってくることはなかった。


「これは、わたしの想像っすけど。

 ……金貨何百枚をつぎ込まれた奴隷わたしたちは、並みの娼婦とは違います。街の売春宿へ行けば、十把一絡げの娼婦がいくらでも安い値段で買えるのに、ここの客たちはそうしない。なぜか」

「お金持ち、だから?」

「そう。それも、地位も社交的立場もあるような、一流の紳士たちっすね」


 クロエの主張は、要するに、こういうことだった。

 高い金を払って子供を一晩買おうとする連中は、おそらく、帝都においてある程度の地位を持つ貴族たちだ。彼らはじぶんたちの性癖が、醜聞として世に知られるのを恐れる。だから、高いお金を払って、この秘密の館で欲望を発散してくるのだ。

 そして、そういう人びとが、「社交の場」でもあるじぶんの屋敷に、いくら気に入ったからといって奴隷を連れて帰るということは、考えにくい。


「あれは嘘、ってこと? じゃあ、マリーやシャルルは、どこへ?」

「……考えたくもないっすね」


 苦虫を噛みつぶしたようなクロエの顔に、リュリュは悟らざるを得なかった。

 マリーやシャルルは、たぶん、もう――。


「ほんとうに時間がないっす。早いとこ、ここを抜け出さないと」


 クロエの真顔が、事態の切迫を告げていた。


 *


 しかし。

 チャンスがくることなどないまま――終わりのときがやってきた。


「やあ。すばらしいお客様がきた。

 出番だよ、リュリュ」


 目のまえが真っ暗になるのを、リュリュは感じていた。

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